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雪が降っている。季節外れとは言わないが、舞い散るそれは深々と。
灰色の空の下、今ここに在るのは僕たち二人。

「雪、か……」

目の前は赤く濡れている。それを塗りつぶすように降り積もる白。
けれど白く染まらない。ただ、地面がゆっくりと広がる赤を受け入れていた。

「あぁそうか、僕はまたこの結末を選び……そして繰り返すのか」

二月十四日、午後十一時五十七分。
忘れていた……置き去りにしていた記憶が蘇る。
これは僕にとって何度目かの今日で。
一体いつ僕は本来の日々に戻れるのだろうか。
星の無い空の下、今ここに在るのは一人と一つ。
一輪だけ咲いた赤い花は、その身を少しずつ雪化粧で飾る。
今日が終わるまで二分と少し。

「また明日……いつかまた僕らはこの言葉を、言葉通りに使えるのかな」

握ったナイフの刃が赤を纏って光る。
白い雪のドレスに着飾った彼女の隣り、僕はもう一輪だけ赤い花を咲かせた。
今ここに在るのは二つとカラダと一つの約束。
僕らは今日も果たされる事の無い約束を交わした。

これは僕らの、終わらない二日間の記憶。

【Tomorrow will be yesterday】

二月十三日、深い森と山に囲まれた研究所の朝。
いつもなら静かに一日の始まりを迎えるここは、僕たちによって賑やかな朝となった。

「ちょっと早いってば! もう少しゆっくり走ってよ」
「馬鹿言うな! 誰のせいでこうなったと思ってるんだ!」

雪を背負いながら朝靄のたちこめる森をひたすら走る。
後ろからは怒声やらサイレンやら銃声やらが引っ切り無しに響いてくる。
掴まれば良くて銃殺、下手すれば生きたままバラバラにされて実験材料。
以前逃げて掴まった人は四肢を切られ、最後には頭だけで生かされながら、それでも実験で弄られていた。

「春樹ぃ……もういいよ、春樹一人だけでも逃げて」
「い、嫌だね! あいつらに……ぐ、雪を渡してたまるか」

能力を使いながら走っている僕は、冬だと言うのに汗が吹き出していた。
雪はそれをみて心配してくれたのだろう。なら、こんな所で倒れる訳にはいかない。

「この汗は……ゆ、雪の胸、が当たって……って、雪にも少しはあったんだな」
「っ!? 春樹のばかっ! 死ね!」

背中で騒ぐ雪のおかげでなんとか意識を保ちつつ、未だ靄のかかった森を抜けた。

森を抜けると日は真上まで昇っていて、細やかだが凍える体を暖めてくれた。
途中見つけた家に入り、服と少しの金をいただいた。
僕は肩まで伸びていた髪を短く切り、整髪剤でそれとなくセット、雪は髪を一つに結い、帽子を被っている。
駅は奴等がいると踏み、タクシーをつかまえて県外を目指した。

「春樹……いいのかな」
「普通なら泥棒だな。でも、あのままの格好だと見つかるだろ」

雪の頭をなでてやる。これからどうするか、せめて何県か離れた場所まで行かなければ。
国外に逃げられればいいが、そう簡単にはいけないだろう。

「春樹……」
「大丈夫、心配するな。……っと、運転手さん、ここで降ろして下さい」

所持金の殆どを使って着いたのは県境の山道の入口。
残ったお金は、麓にあったコンビニでパンやおにぎり、飲み物等に使った。

「この山を超えれば、少しは追手から見つかりにくくなると思うよ」
「うん……春樹」

僕の手と繋がれた雪の手は、微かに震えていた。

夜の帳が下りた山の中に、枯れ葉を踏む音が辺りに響く。
どれくらい歩いただろうか、時間をしる術が無い僕らはひたすら歩き続けた。

「雪、そろそろ休憩にしよう、大丈夫?」
「……な、なんとか」

大きな木の根本に並んで腰掛け、先程買った食べ物で少し遅い夕食となった。
食事を終えた後、余程疲れていたのか雪は黙ったままだった。
雪が凍えないように、そっと後ろから抱き締める。

「こんな状況じゃなかったら……僕らは恋人ってやつなのかな」
「わかんない、そうなの?」
「違うのかな、僕も聞いただけだから分らないや」
「……春樹は、どうして研究所にいたの?」
「あれ、言ってなかったっけ……僕は親に売られたんだ」

それはまだ僕が幼い頃の話だ。
掴まり立ちをするようになった頃には、既に僕はこの力をもっていた。
壁やドア、天井や床、果ては僕に向かって撃たれた銃弾すらも、その全てを通過する力。
そんな奇妙な力をもっていた僕は、気味の悪い子供だったんだろう。
当時数億もの借金を抱えていた両親は、借金を肩代わりするといって現れた研究員に喜んで僕を渡した。

「……春樹は、お父さんやお母さんを恨んでるの?」
「別に親を恨んだことはないし、そもそも恨むってのがなんなのか分からないよ」

両親の記憶はそれだけだ。もう顔も声も覚えていない。
両親のした事は酷い事なのだろうが、それだけだ。

「だから僕は研究所で生まれたも同然なんだよ。……雪は? なんで研究所にいたの?」
「私の両親は研究所にいた被験者のお腹の中にいたの」

ほぅ……と雪の吐いた息が白く大気に形を残して消えた。

「お父さんは分からない。お母さんが掴まる時に死んじゃったって」
「……そっか、でもお母さんは――」
「死んだよ、私の目の前で……殺されたの」
「……そっか、悪かった」

雪が俯くと、その小さな背中が少し震えた。でもすぐに顔をあげて微笑んだ。
それは悲しい微笑み。十五、六の女の子の精一杯の強がりだった。

「お母さんはね、本当は能力じゃなかったの。お腹にいた私の力が少し溢れただけだった」
「だから……その」
「うん、私の能力でお墓だけは作ってもらったけど……」

『お墓参り出来ないね』と呟いた後、小さく嗚咽を漏らした。
そんな雪をただ抱き締める事しか出来なかった。

二月十四日、東の空が明らんでいる。
あの後思い切り泣いた雪は、目を覚ますとすっかり元気そうだった。
山を抜けると、ちょうど栄えている街に出られた。

「さて、また誰かから逃亡資金を借りないといけないな」
「……返す気無いくせによく言うわ」

また空き巣でも良かったが、まだ少し時間が早く、殆どの家に人がいる。
通過の能力を使えば出来ない事もないが、見つかったら元も子もない。
仕方なくスリでもしようと繁華街まで出てきたものの、体力は底をつきかけていた。

「ねぇ春樹……銀行強盗でもやる?」
「雪まで指定範囲を広げたら凄く疲れるから、却下」
「……あっ、春樹が少し手伝ってくれたら簡単に貰えるよ」
「? 何するのさ」
「まぁまぁ……あっ、あの人そうかな」

ひょこひょこと雪が歩いて行く。視線の先には怖い顔をしたスーツの男。
研究所の外の事は本や話でしか知らないが、あれがヤクザ屋さんか。

「ん? 何か用か」
「オジサンって強そうだね」
「なんや嬢ちゃんは? まぁ……せやな、オジサンはかなり強いで」
「でもそこのお兄さんが『あんなオッサン余裕、てかカスだろ』ってさ」
「……ぁあ?」

「!? ちょっ! 雪、何言って」
「なんや兄ちゃん、誰がカスやとコラ」

ヤクザ屋さんの後ろでは無邪気な天使の皮を被った悪魔が笑っている。
雪はゆっくりと僕の後ろまで歩くと、俺だけに聞こえる位の小さな声で囁いた。
……なるほどね。出来れば最初に説明して欲しかったが。

「はぁ……お、お前だよハゲ。ほらどうした? なんなら仲間でも何でも呼びなよ」
「糞ガキが……ちょっとついてこいや!」

男は僕の挑発で今にも殴りかかってきそうだ。かなりの迫力。
研究所で訓練をしてなかったら無かったら失禁物だろう。

「あっ、ねぇオジサン? 一つ約束して欲しいんだけど」
「じゃかしい! 黙っとれ! これ以上喋ったらお前も殺すぞ」
「はぁ……黙るのはお前だ下衆」

急に声のトーンが変わり、この場の空気が固まる。
流石のヤクザ屋さんも、雪の豹変ぶりに唖然としていた。

「なに、一つ約束して欲しい。お前は強いのだろう? もし春樹が勝ったら百万程貰いたい。
それと、このリストに載っている人間を見つけたら殺せ。いいな」
「わ、分かった……」
「よぉし、約束したからね? じゃあ頑張ってオジサン!」

勝負はあっけない物だった。男はどうあっても俺に触れられない。
なので誰も傷つく事なく決着がついた。

「すまないが運が悪かったと思ってくれ」
「くそっ調子こきやがって……」

納得いかなかったのか、男が何処かへ電話をいれた数分後、十数人の男がやってきた。
しかし人数が増えても触れられない物には勝てない。
俺の身体を銃弾や人が通過する。それを見て数人が泡を吹いて倒れた。
雪が心配だったが、何も無かったように平然と立っていた。

「能力者に、僕に触れる一般人なんていないんだ。騙すような事してすいません」
「……ごめんなさい、オジサン達」

二人で頭を下げ、一方的に巻き込んだ事を謝る。

「もうええわ……じゃあワシら行くで」
『約束』

男達が帰ろうとした時、鈴のような雪の声が木霊した。
その瞬間、男達が無表情でその場に固まった。
その中の一人が機械のような動きで車に乗り込み、何処かへ行ってしまった。

「これが……」
「そう、私の能力。私と交わした約束は必ず果たされる……でも」

男達を見ながら「その、約束を果たす方法がどうなるかは分からないんだけどね」と苦笑いを浮かべた。

お金を手に入れた僕達はタクシーで北を目指した。
これだけのお金があれば、数ヵ月は山の中にでも籠っていられるだろう。
たしか東北や北海道には隠れられるような場所が沢山あると、以前研究所にあった本に書いてあった。

「でもなんで百万なんだ? あの人達なら億単位は持ってただろうに」
「……それより大きな数知らなかったから」
「……そうか」

沈黙に支配されたタクシーの窓からは、赤く染まった空が分厚い雲に呑まれて行く様が見えた。

「運転手さん、ここで降ろして下さい」

 追手対策として、顔を覚えられないように何度も乗換えていたら、いつの間にかタクシーが通らなくなった。
日が沈むと空はすっかり雲に覆われ、暗い灰色だった。
気温も急速に下がったし、体力的にもそろそろしっかりと休みたい所だ。

「今日はホテルに泊まろう。お風呂にも入りたいだろ」
「いいね! って、今から泊まれるの?」
「ブティックホテルってやつなら、大体大丈夫だそうだ」

外装が派手なホテルがそうらしいが、なかなか見つからない。
やっとそれらしい所を見つけた頃には、午後十時をすぎていた。

「雪!?」
「ん? どうしたの春樹」
「……まずい」

咄嗟に雪を引き止める。ホテルの前には等間隔で数人の男が立っていた。
僕はその中の一人に見覚えがあった。以前、身体強化の能力処置を施した研究員だ。
彼等は五感の感覚も鋭くなっていたはず、一刻も早く逃げなければ。

「研究員がいる。声を出さないようにして、ここから離れよう」

慎重にホテルを後にする。車道を避け、出来るだけわき道を選んで進む。

「……くそっ、こっちにもいる。雪、掴まって」

通過の能力範囲を雪まで広げ、壁を抜ける。そこから全力で河川敷まで走った。

「支柱の影に隠れていよう……今日はお風呂は諦めて」
「いいよそんなの……やっぱり春樹一人で逃げて、一人ならどうにでもなるでしょ?」
「こんな時に何言ってるんだ、一緒に逃げるって約束したろ」
「別に能力は発動してないから、約束とは言えないよ」
「いや、約束した。なんならもう一度しよう」

雪は自分が足枷になっていると思っているのだろう。
そんなことは無い、それに、雪を無理矢理連れ出した僕が守らなきゃ。

「大丈夫、一緒に逃げるんだ。僕が守るから」
「春……あ、れ?」

乾いた音が辺りに響いた。同時に、僕のお腹の辺りを何かが通過して行った。
僕の前にいた雪は、上着を胸の辺りから赤く染めている。

「こちらE。小日向 雪を発見、これより一時ぎ!?」

隠れていた支柱内から飛び出し、Eと名乗った男に殴りかかる。
拳は頭蓋骨を通過し、直接脳髄を叩き潰す。

「雪! くっそぉぉ!!」

動かなくなったEの腰からナイフを抜き取り、死体に何度も突き刺した。

「春き、逃げて」
「雪!? 嫌だ、雪を置いてけないよ!」

雪の胸には小さな穴。なんとか心臓も肺も避けたようだが、出血が酷くこのままでは死んでしまう。

「病院に連れてくから! 雪、死ぬな!」

雪を担ぎ、先程来た道をまた走る。背中からは、小さくなっていく息遣い。

「もういいよ……それより春樹の顔が、見たいな」

その声は今にも消えそうで、死を覚悟してなお、強い意志の籠った声だった。
けれど僕は、雪とずっと……

『私と交わした約束は必ず果たされる』

「約束、だよ」
「駄目……春樹」
「一緒に……」

ずっと一緒にいたいから、永遠に果たせない約束をしよう。

「一緒に生きて明日に行こう」