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*佐藤信夫コーチ談話
●ソチ五輪後の談話
スッキリ 談
http://skating.livedoor.biz/archives/51881302.html
コーチの話は何度も断ったが浅田母に言われて承諾
浅田に関しては腫れ物に触れるような扱い
浅田はこちらの指示に対しすぐ返事をせず、
翌日テレビカメラの前で「佐藤コーチにこういわれたので~」と勝手にペラペラ話してしまう
(何度かこれが続いて、佐藤コーチはこれが浅田の返事の仕方だと学んだ)
3Aを入れなかった時期があったが、封印してたのではなく練習してたけどできなかった
3Aに関しては本人に強いこだわりがあった
●2015年 競技復帰を表明した際
競技復帰にあたって、まず最初に相談すべきだったコーチに、何も言っていなかった様子が取れる。
佐藤信夫元コーチが浅田の復帰について語る
http://pbs.twimg.com/media/CE3_Hf0VEAEp8ZT.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CE3_HgGUIAANWmw.jpg
その後
朝日新聞後藤さんのツイから
@gototaisuke: 浅田真央選手を指導する佐藤信夫コーチ
「今年に入って、もう一度やるっていうのはそんな簡単なもんじゃないんだよ、
という話を一応こんこんと聞かせた。その時は、相変わらず普段と一緒で、
「そうですか」「わかった」とか、そういう反応が一切ないもんですから…」
@gototaisuke: 佐藤信夫コーチ「…聞いてんのかな、どうなのかなとは受け止めてたんですが、
今日、私もテレビを見させていただいて、あそこまで正確に言葉をその通りに使うのか、というくらい
正確に彼女が話したのを聞いて、びっくりしたと共に
成長したなという風に思った」
上から受け取れるのは、以前から言われている通り、浅田真央は佐藤信夫コーチの話にろくに返事をせず、佐藤コーチは不安を感じた。
また、同様にマスコミには自分の話を言うのは変わっていない。しかし以前より話し方が"正確に"なった。
*ラファエル・アルトゥニアン氏との顛末(2008年)
1
Golden Skate - Rafael Arutyunyan on Mao Asada
https://www.youtube.com/watch?v=kkLLwgvT1jE
ttp://skating.livedoor.biz/archives/51950067.html
[訳]
R: 浅田真央をコーチしたのは全日本のあった1月までなんだ。
世界チャンピオンになったのはその後。悲しい話だよ。
全日本の後、「ラファエル、そちらへ行けなくなりました」と真央から電話があった。
真央は1月14日にカリフォルニアへ来る予定だったが、こう言った。
「来日は可能ですか?」私はこう返事した。
「無理。ジェフリー・バトルのコーチもあるので予定通りこちらへ来てください。」
彼のことは真央より何年か先にアローヘッドで指導していたし、世選前で付きっ切りだったからね。
「今は行けないので、ナディア・カナエバを日本に寄こしてもらえますか?」と真央が言うので、ナディアを送った。
それからまた真央から
「やはり行けません。来日していただくのは可能ですか?」と電話があった。
「ジェフリー・バトルのコーチがある」と言うと「ジェフリーのことは何とかします」と言う。
ふざけてると思った。理由も言わず、来ないなんて。「取り決めを守らないなら、もう組まない」と返事したよ。
私は本当に愚かだった。それほど若くはなかったけど、あれは若気の至りだ。
私は真央との師弟関係を解消した。
2
ttp://www.japantimes.co.jp/sports/2008/02/28/more-sports/agent-mao-has-not-split-with-coach/#.Vwj_TRFJmaF
当時の浅田側の言い分
(共同の「浅田が言葉の壁や異国暮らしのストレスに耐えられずにラファと師弟関係解消」という事実の記事が嘘だと示唆)
*コーチ関係年表
2006年4月 高校入学、入学式にだけ顔を出し、アルトゥニアンに師事して舞とともにすぐにロサンゼルスへ拠点を移す(2008年2月まで)
2007年4月 高校2年進学、この頃よくレポートという名の小学生の夏休みの宿題レベルのものを披露w
2008年2月 アルトゥニアンをクビに
2008年3月 世界フィギュア優勝(史上最低得点)
2008年4月 高校3年進学
2008年6月 タラソワをコーチにして拠点を日本へ戻すものの学校は通わず、ジャンナ・フォレが日露往復を重ねる
2009年4月 大学入学
2010年4月 大学2年進学、タラソワをクビにする
2010年6月 長久保をコーチではなくジャンプコーチとして採用(なぜかこの事実を黒歴史にしている)
2010年9月 長久保をクビにし、直後に佐藤信夫をコーチにしたと発表
2011年4月 大学3年進学
2012年4月 大学4年進学
2013年3月 世界選手権直後に休学発表(実際は卒業できず留年)
2014年4月 休養を発表し大学に復帰
2015年3月 大学卒業(お抱えメディアを集め袴姿+卒業証書が記憶に新しい)
2015年4月 無職スタート(ただし名義は中京大学)
2015年5月 お抱えメディアを集め復帰会見
2016年4月 無職2年目
2016年10月 GPSスケートアメリカで定番の6位。膝痛設定復活
2016年11月 GPSフランス杯で「秋の2回転祭り」を演じ、9位と惨敗
2017年4月 ブログで引退発表、佐藤コーチには相談なく、前日報告
*佐藤信夫コーチ談話
●ソチ五輪後の談話
スッキリ 談
http://skating.livedoor.biz/archives/51881302.html
コーチの話は何度も断ったが浅田母に言われて承諾
浅田に関しては腫れ物に触れるような扱い
浅田はこちらの指示に対しすぐ返事をせず、
翌日テレビカメラの前で「佐藤コーチにこういわれたので~」と勝手にペラペラ話してしまう
(何度かこれが続いて、佐藤コーチはこれが浅田の返事の仕方だと学んだ)
3Aを入れなかった時期があったが、封印してたのではなく練習してたけどできなかった
3Aに関しては本人に強いこだわりがあった
●2015年 競技復帰を表明した際
競技復帰にあたって、まず最初に相談すべきだったコーチに、何も言っていなかった様子が取れる。
佐藤信夫元コーチが浅田の復帰について語る
http://pbs.twimg.com/media/CE3_Hf0VEAEp8ZT.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CE3_HgGUIAANWmw.jpg
その後
朝日新聞後藤さんのツイから
@gototaisuke: 浅田真央選手を指導する佐藤信夫コーチ
「今年に入って、もう一度やるっていうのはそんな簡単なもんじゃないんだよ、
という話を一応こんこんと聞かせた。その時は、相変わらず普段と一緒で、
「そうですか」「わかった」とか、そういう反応が一切ないもんですから…」
@gototaisuke: 佐藤信夫コーチ「…聞いてんのかな、どうなのかなとは受け止めてたんですが、
今日、私もテレビを見させていただいて、あそこまで正確に言葉をその通りに使うのか、というくらい
正確に彼女が話したのを聞いて、びっくりしたと共に
成長したなという風に思った」
上から受け取れるのは、以前から言われている通り、浅田真央は佐藤信夫コーチの話にろくに返事をせず、佐藤コーチは不安を感じた。
また、同様にマスコミには自分の話を言うのは変わっていない。しかし以前より話し方が"正確に"なった。
*ラファエル・アルトゥニアン氏との顛末(2008年)
1
Golden Skate - Rafael Arutyunyan on Mao Asada
https://www.youtube.com/watch?v=kkLLwgvT1jE
ttp://skating.livedoor.biz/archives/51950067.html
[訳]
R: 浅田真央をコーチしたのは全日本のあった1月までなんだ。
世界チャンピオンになったのはその後。悲しい話だよ。
全日本の後、「ラファエル、そちらへ行けなくなりました」と真央から電話があった。
真央は1月14日にカリフォルニアへ来る予定だったが、こう言った。
「来日は可能ですか?」私はこう返事した。
「無理。ジェフリー・バトルのコーチもあるので予定通りこちらへ来てください。」
彼のことは真央より何年か先にアローヘッドで指導していたし、世選前で付きっ切りだったからね。
「今は行けないので、ナディア・カナエバを日本に寄こしてもらえますか?」と真央が言うので、ナディアを送った。
それからまた真央から
「やはり行けません。来日していただくのは可能ですか?」と電話があった。
「ジェフリー・バトルのコーチがある」と言うと「ジェフリーのことは何とかします」と言う。
ふざけてると思った。理由も言わず、来ないなんて。「取り決めを守らないなら、もう組まない」と返事したよ。
私は本当に愚かだった。それほど若くはなかったけど、あれは若気の至りだ。
私は真央との師弟関係を解消した。
2
ttp://www.japantimes.co.jp/sports/2008/02/28/more-sports/agent-mao-has-not-split-with-coach/#.Vwj_TRFJmaF
当時の浅田側の言い分
(共同の「浅田が言葉の壁や異国暮らしのストレスに耐えられずにラファと師弟関係解消」という事実の記事が嘘だと示唆)