基本的な考え


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


年代に注意!

1939年から1945年、この年代に敏感になろう。
第二次世界大戦が行われた期間である。
誰か人物を調べたり出来事を調べるときに、その人はこの時期を生きていたか?
その出来事はこの時期より前なのか後なのか? を気にするのもいいかもしれない。
グレゴレオ暦、西暦0年はないから注意なのだ。
歴史の前にまず暦の基礎的な事だけでも教えてほしいよねぇ……。

分けるということ

「分かる」という言葉は、「分ける」から来ている。
物事の分類は理解を容易にする助けにはなるが、物事を「分けることが出来て当然」という意識を持たないように注意すべきである。
前提として、物事の分類は、「有象無象を、大まかに、無理やりに、分ける」ということであり、どんな分け方をしても分けきれないものが出てくるのは当然である。
※しばしば、分けることのできないもの――分からないもの――は、嫌悪の対象とされてきた。
獣とも鳥とも分からぬコウモリ。抜け落ちた髪の毛(一瞬前、頭から生えていた時には嫌悪の対象とならない)。等々。
分類については世界を分かるために分けようとした私の試みに詳しい。

無意味な二元論

  • 文系:理系(※ただし日常会話で盛り上がれる分にはおk)
  • 質:量(※主に練習方法の話題で。この無意味な議論をしている間に質のない練習を量こなすほうがマシ)

物事の本質

数学の先生だからと言って、数学を知ってるとは限らない。
英語の先生だからと言って、英語を知っているとは限らない。
彼らは数学や英語の中身には詳しいかもしれないけど、数学や英語が、世界の知識のどういう位置づけにあって、どういう役割を果たしているかってことに関しては、知らないかもしれない。
先生になるために必要知識じゃあないからね。教える必要もないからね。
でも、大前提として、生徒が知りたいのはそういうことなんだろうなと思う。
算数と数学ってどう違うんですか?
日本語と国語ってどう違うんですか?
こういう質問にはっきり答えられる教師も、大人も少ない。
じゃあ、自分で調べればいい。
数学は自然科学の一分野だし、英語は(ごめんわかんね!)。
魚をもらうよりも魚の釣り方を知ってるほうがずっと大切みたいに
知識も与えられる状態から、自分で集める方法を知っておかないといけない。
この方法さえ手に入れることができれば、もう、分からないことなんてないし、一生暇つぶしできる。

勉強する上で一番大事なことって何だろう?

結論から言うと、「ことば」です。
いえ、「ことば」だと思っていました。
まず私は、一番大事なことは「かず」と「ことば」だと思っていました。
しかし、「かず」も「ことば」の仲間でした。
では、勉強することはことばを知ることなのでしょうか?
私が絵を描き始めるまでは、その事実は疑いようのないことでした。
しかし、世の中には言語でなく視覚で認知する人もいるし、音で認知する人もいるわけです。
ことばも、話されれば音だし、文字で書くと記号、視覚されるものになるのですが、
もっと具体的なイメージとしての、視覚性、聴覚性というのがあると思います。
世界の大多数の人は言葉で生活したり考えたりしているけれども、そうでない人もいるわけです。
上手く言えないけど、もっとイメージする力は大事だと思うのです。
芸術的にどうとかじゃなくて、もっと実学としても大事だと思います。
世の中には数字を見て頭の中に音や色や図形?などのイメージで現れる人もいます。
彼らは数式を見た瞬間に、頭の中に結果のイメージが出て瞬時に答えられるし、どんなに大きな数でも、見た瞬間に素数と判断することができるそうです。
だって、見た瞬間に、頭の中で、素数の色だとか、形として見えるのですから。
計算しなくても瞬時にわかるわけです。
これはすごい。
言葉だとどうしても伝えきれない時、図をもって説明するとすんなりいくことがよくあります。
それに、言葉で説明すると、どうしても一方通行で、初めから終わりのほうに向かってでしか、お話しできません。
でも、図を使えば、ぐるぐるまわしたり、いろいろつなげながらお話しできるわけです。
(巷にある何でもかんでも図解すりゃあいいみたいな、物事を余計ややこしくするセンスのない図は本当に嫌いです)
だから、何か物事を勉強するとき、数学でも、英語でも、
数式や文法に対して何か思ったことを図にしたり、絵にしたり、イメージを具現化するってのはとても大事に思えます。
数式も、文法も、人間の心が出発点なのですから。
(絵を描く技術っていうのは本当にすごいよなぁ)