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 私は……名乗るほどのものでもありません。でもそれでは、これからお話しするのに少々不都合が生じますでしょうから、そうですね……N、とでもしておきましょう。これから私のことはどうかNとお呼び下さいますよう。ただ、えぬです。その前にお、などの丁寧な言葉はつきませんし、後ろにさまなどの敬称のつくわけもありません。ただ、Nです。どこにでもいそうな、Nです。これだけはお忘れなきよう……。

 私は――否、Nは、別に之といった個性もない、ごく普通の女の子です。学校から家に帰れば、まずはパソコンを開いたり、本を読んだり。テレビはあまり見ませんが……。Nは騒々しい物を好みません。それは人も然り、です。
 Nの学校には沢山の生徒が通っていて、その中でNはちっぽけで矮小な存在でしかありません。
 ですが、考えても見てください。ちっぽけで矮小な存在が幾多に集まれば、どうなるのでしょうか?答えは貴方も知っている筈です。
 念の為に記しておきましょう。答えは、只一つです。――争いが起きる。それだけのことです。当たり前でしょう?ちっぽけで矮小でも、その中に他人の共有しているものは何一つないのです。だからこそ小さな存在である、とも言えましょう。さて、共用している物がないとすれば、他者と自分は永遠に解かり合えない存在ということになります。それもある程度は真実を突いていましょう。確かに、貴方の周りにも分かり合えない人間がいるのではないでしょうか?
 話が逸れました。元に戻します。散文ゆえ、読みにくいかとは思いますが、どうぞお付き合いくださいますよう。
 さて、他者と自分は永遠に分かり合えないこともある、ということは分かりましたね。では、その分かり合うことのできない存在が――その理解できない度合いの高い人が――もし、自分の近くにいたとしたら?それに加えて、その人数が多いとしたら?たいていの人は、自分が置く環境を恨み、自らを責め、勿論相手を攻撃します。人間の本能である闘争本能が疼くのです。
 人間にとって、これほど恐ろしいことはありません。ひとたび目覚めた野性はそう簡単に消し去れるわけでもなく、また野生が人間に僅か残されているお陰で、人間は飢えることができます。
 飢えは、一見負の面しかないように思われがちです。しかしNは違いました。飢えがあるからこそ、それを感じてこそ、本当の豊かさを感じることができると信じていました。
 それも……真実でしょう。嗚呼、紛れもないこの世に存在する美しき事実です。誰もそれを虐げることはできないし、ましてやそれを否定することもできません。勿論Nもです。
 Nは、屈辱の後の栄光を信じていました。前例があったからです。いつかはああなることができるのだと、それは盲目的に信じ込んでいました。
 しかし現実は甘くはなかった。甘くはなかったのです。Nは決して、蜂蜜のような、アイスクリームのような甘さを期待していたわけではありません。だけれど、もう少しは救いがあると信じていました。それだけに、傷は深く、大きかったのです。

 あなたの知らないところでNのような人が傷付いています。理解できないがために。それからくる、限りない孤独のために。

 もし私があなたに会うことがあれば――どうか無いなんて言わないでください――そのときは私の手をしっかりと握ってください。そして一言、「あなたは一人じゃない」と言ってください。


  • 自分に厳しくあると、孤独であるということを認識しないと思います。甘いのを期待していると、信用を裏切られたときの代償が大きいような気がします。自分を誇りに思えるまで、努力を惜しまないことですね。 -- 高川 (2008-03-17 20:18:33)
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