人権について


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このページでは人権について記述します。
基本的人権には大きく分けて、平等権、自由権、社会権、請求権、参政権の5つがあります。
平等権は差別されない権利、自由権は自由に生きる権利、社会権は人間らしい最低限の生活を国に保障してもらう権利、
請求権はきちんと基本的人権が守られるように国にお願いする権利、参政権は政治に参加する権利です。
平等、自由と言いますが、本当に平等自由でしょうか。
平等、平等と言いますが、お金持ちと貧乏人はどう見ても平等では無いですし、
日本人や欧米人の子供とアフリカ人やムスリムの子供との間には絶望的な格差があります。
また一般庶民と皇室、王室、貴族、被差別民の間にも恐ろしいほどの違いがあります。
自由、自由と言いますが、天災、人災、病気、老化、死にいつも脅かされて生きています。
また好きな仕事を自由に選べる人の方が少ないのですし、
精神の自由を本当に行使できる人の方が少ないです。
いくら生きる権利があると叫んでも、心臓や呼吸が止まればそれまでです。
いくら教育を受ける権利があると叫んでも、お金が無かったり病気になって教育を受けられないケースだってあります。
いくら生活の保障を国家に求めても、財政がダメになればそれまでです。
ですから基本的人権のようなものは本当は存在しない、価値なんて無いと言っても過言ではないのです。

何故こんな悪質な概念が出来上がってしまったのでしょうか。
基本的人権の概念を造った人々が、肉体的に生きている人間、目に見える人間をそのまま鵜呑みにしたまま
基本的人権を造り上げたからです。
言い換えると、基本的人権が顕在意識に基づいているということです。
いや基本的人権は顕在意識の本性そのものと言っても良いかもしれません。

人間は肉体的に生きていること、ただ生活していることが目的ではありません。
生活は人間の命を支えるつっかえ棒でしかありません。
顕在意識、つまり常識だけが人間の精神ではありません。
本当の目的は、目に見えない領域の自分を見つけ出すことです。
言い換えると、潜在意識の人間を見つけ出すことです。

人間が考えている人間は存在しません。
『人間が考えている人間』というのは目に見える人間、個人のことです。
そこには空っぽで虚しい流れ、エネルギー、電気現象、パワーの変化があるだけです。
人間は空っぽで虚しい流れ、エネルギー、電気現象、パワーの変化の一部です。
ですから人間の一部である感情、理性、良心、精神、心理機能、生理機能も、
空っぽで虚しい流れ、エネルギー、電気現象、パワーの変化の一部です。

基本的人権は『人間』にエネルギー、力、パワーを無理やり集約すること、
エネルギー、力、パワーを人間自らの欲望、肉欲を満たして自己満足するために用いることを
認めてそれを煽ってしまっています。
『人間』はただの空っぽで虚しい流れ、エネルギー、電気現象、パワーの変化の一部でしかないのにです。

基本的人権は人間を現世の生活という一点に釘づけにしてしまう悪質かつ巧妙な考えなのです。
顕在意識を発展拡大させる考え方なのです。
確かに基本的人権をある程度尊重するのは構いません。
ですがそれが行き過ぎった結果、家庭内暴力、学校内暴力、犯罪が横行しているのです。
顕在意識、常識があらゆる犯罪、害悪、破壊を引き起こしているのです。

何のために生きているかという人生の目的が分からないままで
ただ基本的人権だけを強調して主張することは、返す見込み無しにデタラメに借金するのと同じことです。
もし人間の基本的な権利を主張するならば、基本的な責任をもはっきり自覚しなければならないのです。

人間に、もし基本的人権があるのだとすれば、
基本的な原理、人間が存在することの命の原理に立たなければいけないはずなのです。
ですが今の基本的人権の仕組みは、それらの原理が全く不明です。明示されていないのです。
日本国憲法やアメリカ合衆国憲法、国連憲章に全く記載されていないのです。

顕在意識、基本的人権という意識で、
現世に生まれてきた人間、肉体的に生きている人間、目に見える人間は救われるべきだ、救われるはずだと考えるのです。
顕在意識がそう考えるのは、理由があります。
ですが、顕在意識で考えている救いと、潜在意識が求めている救いは内容が違います。
潜在意識は人間が生きている事柄の全ての全てを捉えることを求めているのです。