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アトリエの窓から見える野原の上空は清々しく晴れており、スケッチ日和と言えた。
小さな花が点々と咲き誇り、その周りで蝶が踊っていた。
クレイマンの邸宅は小高い丘の上。周囲に人家は無く、一軒だけぽつりと立っていた。
しかし、寂しそうには見えない。よく手入れのされた庭と、傍に一本だけ生えた大きな木。
そして時折やってくる鳥達。これらは全て、クレイマンの家族と言えた。

クレイマンは、美術・芸術に造詣が深いだけでなく、自身も彫刻を嗜んだ。
秀逸な彫刻を彫るためには、その設計図となる絵を描き上げる画力も、相当なレベルが求められる。
だがクレイマンは、およそ美術に関する事では不得手とするものはなかった。
かつて蛮に依頼されて作り上げた数々のラバードールを見ても、その実力は窺い知れる。
あの赤屍蔵人の目すらも欺いたのだから。
更に彼女の寝室には、彼女の手によって作り上げられた小さな彫像が、いくつも並んでいた。
それらはどれも見事な出来栄えで、もし彼女に名声を求める欲が人並みにあれば、それらの作品は
今頃は美術館に展示され、また彼女自身も、それらの彫像の作者として
美術専門誌に幾度と無く取り上げられていておかしくない作品ばかりだった。

だが、そうしてありとあらゆる作品を作り上げてきた彼女にも、
一つだけ、未だ作る事の出来ないものがあった。
それは、自分自身をモチーフにした彫像である。
自画像ならいくらでも描いた事がある。だが、彫像となると話は別だ。
何故なら、どんな人間も自分の背中を見る事は出来ないからだ。
鏡を使えば可能ではあるが、正確に作るためにはそれなりのサイズの鏡が何枚も必要だった。
勿論、それだけの鏡をアトリエに取り揃えるだけの資金の余裕はある。
だが、そうまでして自分の体を彫像に起こすよりは、他に彫りたいモチーフが山ほどあった。
家族とも言える鳥達に、自宅の傍の木。
街に下りれば、その美しさで人気を誇る、パン屋の娘。
古書店には年輪とも呼べる皺を刻み込んだ、厳かな老人。
頼まれて、ある酒屋の店先の吊り看板を作成した事もあった。
それらをモチーフに絵を描き、彫像を彫るうちに、自分自身をモチーフにする事は、後回しになっていたのだ。
機会があれば、本格的に自分の姿を彫る事に、没頭してみたい……。
その思いは日増に強くなっていった。
そうだ、彼に依頼してみよう……。
クレイマンは街に車を走らせ、ホンキートンクへと入店した。
「よう、いらっしゃい。……あれ、あんたは……」
波児は新聞から顔をあげて、何度か見た覚えのあるその顔を眺めた。
「こんにちわ、マスター。美堂君は、こちらにおられますか?」
クレイマンは、以前見た時と違って、男物のスーツを着用してはいなかった。
薄いピンク地のレディスーツ。スカートからのそかせる生足は、彼女にしては新鮮だった。
「生憎ゲットバッカーズの二人は、今日はまだ来てないね。多分歌舞伎町あたりで宣伝でもしてんだろう。
 ケータイで呼べば来ると思うが……もっとも、ケータイが止められてなければ、の話だがね」
「いえ、お構いなく。特段に急ぎの用事というわけではないんですよ。
 マスターのコーヒーでも頂きながら、ゆっくり待たせてもらう事にしましょう」
波児は、蛮や銀次などの年下の人間と話す時と違って、目上の者である自分には敬語を使う目の前の女性に
以前にも増して、一流の気品を感じる事が出来た。

意外にも、蛮と銀次は程なくしてホンキートンクにやってきた。
「よう、お二人さん。お客さんがお待ちだぜ」
「あ? お前……」
「あー! クレイマンさん!」
「やぁ。元気だったかい、二人とも」
蛮と銀次はそれぞれツケでコーヒーを注文すると、クレイマンの座っているテーブル席に向かって歩いた。
「……依頼か?」
「あぁ。けれど今回は、ゲットバッカーズへの依頼ではないよ、美堂君」
「どういうこった?」
「君個人に依頼したい事があるんだ」
ゲットバッカーズへの依頼ではなく、あくまで蛮一人への依頼という事で、銀次は途端に除け者にされたような気がした。
「どういう、依頼なんですか?」
「それは……すまない、出来れば他の人には聞かれたくは……」
蛮以外の者は席を外してほしいとばかりに、クレイマンは銀次に目配せした。
「ちょっと待てよ、クレイマンよぉ。俺らは二人一組の奪還屋だぜ?
 その俺達に、ゲットバッカーズへの依頼ではなく、あくまで俺個人への依頼?
 しかも俺の相棒の銀次は不要ってか?」
ある意味蛮は、銀次以上に不機嫌になったようだ。
「落ち着いてほしい。今回の依頼は、芸術に関する事でね。
 芸術を深く愛する君に、是非とも動いてもらいたいんだ」
だが、蛮はなおも食い下がる。
ゲットバッカーズへの依頼ではないという日本語は、二通りの意味にとれる。
一つは、蛮と銀次の二人ではなく、あくまで美堂蛮に、奪還してもらいたいものがあるという事。
もう一つは、そもそも今回の依頼が、奪還ですらないという事。そのどちらかだ。
そしてどちらも、ゲットバッカーズとしてのプライドを持つ蛮には、神経を逆撫でされるようなものでしかない。
しばらく押し問答が続いたが、このままでは埒が明かないので、銀次は自主的に席を立つ事にした。
カウンター席に座りなおして、飲みかけのコーヒーを啜る。
テーブル席からは微かに二人の声が聞こえたが、内容まではわからなかった。
しかし、蛮が少々苛立ちながら話しているのはわかった。
「……今、何つった?」
「女性に、二度もこんな事を言わせるのかい?
 ……もう一度言おう。私の裸をスケッチしてくれ。出来るだけ正確に。細部に至るまで」
サングラスの奥でクレイマンの発言の裏の意図を深読みしようとする蛮に、クレイマンは事情を説明した。
「……なるほど、自分じゃ見えない背中側を、俺に描いてほしいって事か?」
「あぁ、そうだ。君に絵心がある事は知っている。以前自由の女神を、私の前でスラスラと描いてみせた事があったろう?」
「あんなもん、ただの走り書きみたいなもんだぜ」
確かに走り書きだったが、それ故に描き手の実力が多いに反映されていた。
十代であれ程の絵を描けるなど、パブロ・ピカソ程でないにしろ、かなりの画力の持ち主である事の証明だ。
本気で、時間をかけて、丹精をこめて描けば、相当なレベルの作品が、蛮には描ける筈だった。
「言っとくがな、クレイマン。俺らは奪還屋だ。何かを取り返すのが仕事だ。
 それ以外の副業をする事は、プライドが許さねぇよ」
「駄目かい?報酬はそれなりに支払うつもりだよ。
 君の画力になら、例え鉛筆だけのスケッチでも、十万から数十万、支払って惜しくない」
「鉛筆画に十万たぁ、随分気前の良い話だな? 鉛筆画なんてのは、多くの場合ただの下書きだ。
 プロは完成した絵に対して対価を貰う。まして俺みたいな、画家でも何でもない無名の男に……」
「不服かい?」
「何度も言わせるなよ。俺らは奪還屋だ」
「そうか……」
クレイマンは、諦めて席を立とうとした。プロの持つプライドの高さは、彼女自身にも理解出来る。
しかたがない、鏡を買おう。彼に依頼するより、姿見をいくつも購入した方が、元々安上がりだ。
ただ……彼に頼めば、ただ単に鏡を見て描くよりも、趣きの深いスケッチを、描いてもらえそうだと思ったのだけれど。

「待ちな、クレイマン」
クレイマンが完全に席を立つ前に、蛮が引き止めた。
「俺らは奪還屋だから、奪還以外の依頼は引き受けない。
 けどな、依頼料の発生しない、ただの手伝いなら、当然引き受けるぜ」
さすがに、クレイマンは目を丸くした。
普段は凛としてある意味力強い彼女のキョトンとした表情は、不覚にも可愛らしかった。
「……良いのかい? タダ働きは君の最も嫌いとするものだろう?」
「仕事に関係の無い、個人的な付き合いの延長なら、断る道理は無ぇよ」
正直な話、美術に造詣の深い蛮自身、久しぶりに絵を描いてみたいという気持ちもあった。
ここのところ貧乏暇なしで、ゆっくりと絵を描く時間がとれなかった。
また、スケッチブックや画材を購入するような金も、殆ど持ち合わせていなかった。
しかしクレイマンなら、画材も何もかも用意してくれるだろう。そんなケチな女性ではない。
銀次には「絵を描いてほしいってだけだから、仕事ですら無ぇよ。ちょっくらクレイマンの家に行ってくらぁ」
とだけ説明して、裸婦スケッチをするという点は伏せておいた。
銀次にとっては、クレイマンの家に行けば、かつて自分が感銘を受けた名画に並ぶ程の美術品に
お目にかかれるかもしれない、という考えもあったが、蛮の作業の邪魔になってはいけないと思い
二人についていく事を自重した。
クレイマンの自前の赤いミニクーパーに乗せられて到着した先で、蛮は感嘆の溜息を漏らした。
「……こいつぁ、中々の景色じゃねぇか。裏新宿から車で小一時間程のところに、こんな場所があったとはな」
「気に入っていただけたかな? この土地を買うには、少値がはったよ」
クレイマンは車を降りてそのままアトリエに向かおうとしたが、蛮はずっと庭に立ち尽くしていた。
景色に見とれているのもあるが、それ以上に、この景色をスケッチブックの上に再現してみたいという思いが強かった。
芸術家肌の血が騒ぐ。勿論クレイマンの美貌をスケッチする事も、美術の観点から見て非常に価値のある事だったが
その頼み事を反故にして、この景色を描く事に没頭しようかとさえ、思いかけていた。
しかし、単に女性の裸をスケッチするのと違い、風景画を描くのには相当な時間がかかる。
鉛筆だけで終了する今回のスケッチとは違い、風景画は絵の具による作業工程が入るのだ。
製作日数は何十日にも及ぶ。今日のところは諦めるしかなかった。
「……何なら、この原っぱで、私をスケッチしてみるかい?」
後ろからクレイマンが話しかけてきた。
「……ここでか? お前、露出の趣味でもあんのか?」
「ここには君と私以外に誰もいないし、誰も来ない。幸いこの陽気だ、風邪はひかないだろう。
 この景色に興味があるんだろう?」
「だが、今日は描いてる時間無いぜ。また今度の機会にでも、ゆっくりと……」
とは言うものの、正直クレイマンが全裸でこの野原の上に佇むというのは、非常に見栄えしそうだ。
ただ裸婦スケッチする以上のインスピレーションが沸いてきそうで、
一人の美術を志す者である蛮にとって、非常に興味をそそられる。
「遠慮する事は無い。君の好きな場所で描いて構わないよ。
 依頼料を払わないのだから、他の見返りを与える事に、私も吝かではない」
蛮の返事も待たずに、クレイマンは自宅にスケッチブックと木炭鉛筆を取りに向かった。
次に現れた時、クレイマンは薄いシーツ生地の布を胸のあたりから足元まで巻いていた。
直前まで着用していたレディスーツは脱いできたようだ。
「さすがに……いきなりは恥ずかしいからね」
生娘ではないだろうが、さすがに男に裸を見られるのには若干の抵抗があるようだ。
クレイマンは蛮に、最もインスピレーションを掻き立てられる構図はどのようなものかと聞いた。
「そうだな、あの木が映るようにしてぇ。眠れる森の美女のイメージで描きたい」
クレイマン自身も、自らの顔立ちと見事なボディラインに、それなりの自身があった。
この体そのものが既に芸術品のようだと密かに自負していただけに、美女と形容されると一層気分が良かった。
「それじゃ、お前の彫りたい通りのポーズをとってくれや。それをスケッチするからよ」
「いや、止そう。むしろ君が、私に自由にポーズをとらせてくれて構わない。
 スケッチする君自身の趣向にあわせた方が、この場合は良いものが作れそうだからね」
それならば、という事で、蛮はクレイマンに、腰に片手をあてて、若干腰をひき、顎を少しだけ突き出すように頼んだ。
彼女が体に纏っていたシーツを恥じらいつつ脱ぎ捨てると、流麗なボディラインがそこに現れた。
豊かな胸から引き締まった腰へと伸びる、女性美の極致のような流線。
その腰から下半身へと更に線は伸び、股間と尻を経由して太腿、そして膝、脛、踝へ。
最終的に踵と土踏まず、そして指先の一本一本までその線は伸び、見事としか言いようのない肢体を形作っていた。
肩から肘を経由して手首へと伸びる線も、小川のせせらぎのように美麗だった。
その指先は、フォークさえ持てないのでは、と思わせる程に細かった。
クレイマンは地面にしいたシーツの上に、すこし腰をくねらせて立った。
元々麗しかった瞳は、恥じらいと春の陽光がブレンドされた事で、一際輝いていた。
蛮は、かつてルーブルでミロのヴィーナスを初めて見た時のように、畏れの溜息をはいた。
「すげぇな……これ程たぁ……」
「……照れる。それに恥ずかしい。早くスケッチしてくれないか……」
だが、蛮は一つ、彫刻を作るに際して問題となる点に気がつくと、そこをクレイマンに指摘した。
「なぁ、アソコの毛はどうすんだ? 彫刻でも再現すんのか?」
「そう言えば……」
クレイマンは逡巡した。確かに、陰毛までも再現した彫刻はいくつかある。
しかし大半の彫刻は、無毛の姿で形作られている。
もっともそんなものは、例えスケッチの時点は生えていたとしても、普通は彫る段階で除外して考えるものだ。
しかし今回自分は蛮に対して、出来るだけ正確に描いてほしいと頼んだ。
そのスケッチから寸分違える事無く彫像を彫る予定だったので、陰毛は最初から無い方が、良いと言えば良い。

「そ……剃った方が、良いか……?」
「いや、別に……無理して剃らなくても、スケッチする段階で、俺が毛を描かなけりゃ良いだけだろ?」
「だが、それでは……毛で隠されている部分のラインまで、正確にとる事は……」
「大丈夫だって。そんかわし、なるだけ近づいて、細かく見せてもらう事になるけどよ」
背に腹は変えられない。クレイマンは剃毛プレイと、陰部を至近距離でじっくり見られる事を天秤にかけた。