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STS-51L

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giselle

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STS-51L

Tracking and Data Relay Satellite-B(TDRS-B:データ中継衛星)とスパルタン203衛星の放出と一般人出身のクリスタ・マコーリフによる宇宙からの授業等が主な任務だったが、発射から73秒後にSRB(Solid Rocket Booster:個体ロケットブースター)のOリングの凍結により気密性が低下した為高温のガスが漏れだし爆発事故を起こした。
このためクルー7名全員が死亡し、搭載された衛星も失われた。



打ち上げ日

アメリカ東部時間:1986年1月28日午前11時38分
日本時間:1986年1月29日午前1時38分

打ち上げ場所

フロリダ州ケープカナベラル
NASAケネディ宇宙センター39A発射台

飛行期間

1分13秒

使用オービタ

スペースシャトル「チャレンジャー(Challenger)」
チャレンジャーとしては10回目の、シャトルとしては通算25回目の飛行。

主な搭載品

データ中継衛星TDRS-B
スパルタン203衛星


クルー

コマンダー
フランシス・スコビー(Francis R. Scobee)
84年STS-41Cのパイロットとして飛行。
パイロット
マイケル・スミス(Michael J. Smith)
MS
ジュディス・レズニック(Judith A. Resnik)
84年STS-41Dに搭乗。
MS
エリソン・オニヅカ(Ellison S. Onizuka)
85年STS-51Cに搭乗。
アメリカ初のアジア系宇宙飛行士だった。
彼の妻ローナさんは宇宙開発事業団(当時:現JAXA)のヒューストン事務所で働いていた。
MS
ロナルド・マクネイア(Ronald E. McNair)
84年STS-41Bに搭乗。
アフリカ系アメリカ人初の宇宙飛行士の1人だった。
PS
グレゴリー・ジャーヴィス(Gregory B. Jarvis)
PS
クリスタ・マコーリフ(Sharon Christa McAuliffe)
NASAの教育イベントである宇宙授業の計画の為に選ばれた元教師出身の宇宙飛行士。
この当時、シャトルの打ち上げから世間の注目が離れており、もう一度世間の注目を引きつける為に宇宙授業の計画が考えられた。
彼女のバックアップだったバーバラ・モーガンは後年MSの資格を取り07年STS-118に搭乗、彼女が叶えられなかった宇宙からの授業を行った。




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