欧州の水の入口、ロッテルダム。
EU戦線で制海権を抑えたのは数年前だが、海岸沿いの防衛線を崩すことは未だ叶わず、神聖ブリタニア帝国にとって、この街を押さえて水路網を叩く足がかりにすることは、悲願であった。
飛燕
遠めにようやく街を点で確認できる距離。
幅の無いドーバー海峡。ナイトオブラウンズ第二席、元皇女ヴィクトリアの指揮する艦隊は、既に3日、海上に静かに展開したまま街を睨んでいた。
ブリタニア東海岸のニューアムステルダムを出港してから、途中プリマスに寄港する以外は、寄り道らしい寄り道もせず、悪天候にも関わらず、ここにたどり着くまでに10日とかかっていない。
それだけの速度で戦場を押さえたにも拘らず、彼女は動こうとはしなかった。
艦橋にいるわけでもなく、別命あるまでの待機を命じたまま、彼女は自室に閉じこもっていた。
「………一体3日間も」
「何を待っているのか、か?」
押し留めていた言葉を先に言われ、せっかくの決意が挫かれる。
挫いた本人は、ベッドに寝そべりながら分厚い本を読んでいる始末だ。戦争をしに来たとはとても思えない。
「シュナイゼル兄上の特使がロッテルダムの背後、ネーデルラント州代表と極秘会談中だ。そちらがうまくまとまれば、背後を押さえられる」
「向こうの時間稼ぎでは?」
「そうだな、その線も捨てがたい予測だ。だから、敢えてこの時期に来た」
艦内の安定する場所にありながら、揉まれる波が余程なのか、テーブルに置かれたティーカップで、紅の液面が揺れていた。
「時期?」
「この時期はまだ、バルト海のEU連合艦隊主力は冬季武装のままで、ここまで早足ではたどり着けない。その上ここ半年間の戦線維持で、西部戦線の要、フランス州軍の士気は落ちていて、とてもネーデルラント防衛に加勢はできない。だから、この時期だ」
つい数ヶ月前まで、ジノやアーニャらがEU南部・西部戦線をしきりに突いていたのは記憶に新しい。
ラウンズが入れ替わり立ち替わり、断続的に戦線に現れて恐怖を煽り、その銃後を帝国宰相の切り崩し工作が脅かす。
EUの団結が崩壊するのは時間の問題。しかし、皇帝自らが積極的とは言えず、ラウンズの出動も宰相からの進言という形で、皇帝の勅命を引き出しているのである。
それを好戦的なラウンズの一部が不満を感じて、度々戦場で暴走していることに気がついてはいた。
「あまり長引かせるつもりも無いが、宰相閣下の切り崩し交渉がうまくいけば、ネーデルラントがほぼ無傷で手に入る。足並みが乱れれば、長期戦で疲弊した西部州は、ラウンズがいれば一ヶ月で瓦解するだろう。兄はそれを期待して、私をここに置いている」
「本格的な侵略になるとは、誰も思っていない今、一ヶ月でおちるかな?」
「誰も思っていないから、おちるんだ。欧州の戦いは、いつもそんなものだ」
とっておきの楽しみを披露するときの子供のように、笑う。
「EUは早晩落ちる。それは間違いないよ」
スザクと毎日顔を合わせていて、考えるようになったことがある。
『力に気がつかず、皇女として平穏に過ごしていた自分は、どんな風になっていたか』ということ。
それは即ち、『マリアンヌ皇妃が存命で、ルルーシュが皇室に残っていたらどんな風だったか』ということに他ならない。
そうなっていれば間違いなく、スザクはいないのだ。
ブリタニア最強の剣であったマリアンヌ・ヴィ・ブリタニアが、他国に生きる血族に生存権を与えたとは到底思えない。
つまりは、スザクはここに生きては居ない……
スザクとルルーシュとの出会いもなく、自分とスザクとも、勿論出会っていなかったはず。
こうして、半ば騙し、その力を利用することもなかったはずだ。
『利用される“力”ほど、惨めなものは無い、か…』
利用されるように仕向けている自分が感じている気持ちほど、本人には焦燥はないのかもしれないが……
「…そんなに、うまくいくのかな」
懐疑的。
自分が自信を持って告げた言葉すら、全く信じていない。
「あまり前だ。相手はここに私とお前が着ていることを知っている。私たちがいて、相手の脅威にならないはずがない。これは既に、刃を交えぬ戦いだ。我々がここにいることが、相手の戦意を削いでいる。持久戦とは、こういうものだ」
「ラウンズの名前が、敵の心理に響くと?」
「…当たり前だろう。ほかに何がある」
すぐには肯定できなかった。
どこかで、自分たちが本当の意味でラウンズではないと、知っていたから。
そしてスザクがじっと自分を見てくることに耐え切れず、寝返りを打って背を向けた。
ほか。
寝転んだまま、視線すら合わせてくれなくなったヴィクトリアを前にして、その“ほか”を考え込んでいた。
自分たちはナイトオブラウンズ。そして、そのほかはあるのか。
無い様におもえた。だが、納得できない何かが心の底で渦巻いていた。
そう、それはルルーシュを、愛していた彼を、ゼロではないかと疑い始めた時に感じた、少しの違和感に似ていた。
ゲットーでの再会から、ブラックリベリオンまでの数ヶ月、確かにそこに穏やかさはあった。戦いなどどこか遠い場所にあるのだと、錯覚させるような生活がそこに在った。
今を髣髴とさせるような、彼と同じ部屋で会話を楽しむ時間も、そこにはあった。
だからだろうか。どうしても…今が平穏な時間だと、信じられなかった。
「ヴィクトリアは…皇女殿下、だったんだよね?」
「そうだが?」
「皇族の方は…相手を裏切っているのに、相手と二人きりで居るとき、どんなことを考えているとおもう?」
「はぁ?」
怒りの篭った視線が肩越しにふりかえってくる。
読んでいた本を乱雑に放り出して、彼女は上半身を起こしてきた。
「スザクは、私がお前に嘘をついていると言いたいのか?」
「そんなんじゃ、ないんだ。そんなんじゃ…ただ、そういうことをしたことがあったら、教えて欲しいな、って…他意はないんだ」
怒らせてしまった。
身を硬くして、返事を待つ。
じっと睨まれること数秒。
「……相手を害することがわかっている裏切りだとすれば、それは相手との信頼関係次第だ」
静かだが、重い言葉だった。
「相手が根本的に、自分と敵対する相手だとすれば、容赦なく叩き潰すだろう。思うことは何も無い」
「相手が…敵じゃなかったら?」
「…それが相手の為でなければ、心の中で詫びる。何度も」
声が真剣だった。
そして、寂しそうだった。
「皇族であれば、誰かを裏切り、蹴落として先に進む。それが推奨されているのが、良くも悪くも、今のブリタニアだ。父の庇護を受けて育った私でさえ、その庇護を得たという時点で、多くの年の近い兄弟たちを蹴落としたようなものだ。彼らを憎んだことは一度もなかったが、彼らの末路を考えれば、裏切りにも値するだろう」
今も尚、かつての専属騎士から帝位を嘱望される。
それほどの権勢を誇った彼女だ。父親の庇護だけでそこまで巨大であったとは考えにくい。自発的に、踏み台にした相手も数多いことだろう。
そして、その舞台から降りるという裏切り。そこで裏切った人々。
今も尚…そのときの痛みを忘れられないジノ。
夢であって欲しいと願うジノ。
ルルーシュのことを、諦められない自分。
彼がゼロであったことなど、悪夢にしておきたい自分。
似ていた。似ていたから、寄り添いたくなった。
そして、似て非なるヴィクトリアに、自分は…
「…これで、満足か?」
あまり話したくないことだったのだろうか。少し顔が青ざめていた。
緊張したままの空気で、告げねばならない言葉を捜す。
「ヴィクトリア、僕は……」
ルルーシュに告げられなかったことを、告げなければならないと心の中がざわめいていた。
混沌とした心の中から、光を掬い出そうとしたそのとき。
じりりりっ。
「…ごめん、電話だ」
ヴィクトリアの枕元に置いてあった彼女の携帯が、けたたましく音を立てて着信を知らせた。
「はい。ヴィクトリアです」
あっけなく電話に出てしまう彼女に、救い出そうとしていた何かが見えなくなる。
気が抜けてしまった間にも、電話の相手に対し、ヴィクトリアが相槌を打っている。それも相当苛立っている様子で。
「…まさか。彼女が我々の巫女を一人倒したとでも?馬鹿馬鹿しい。あちらにやったのは少なくとも自覚のある者で……わかった。仔細は改めて聞く。あぁ…戻るまでの対処はお前に任せる。艦隊はプリマスまで引き上げさせるから、宰相にはその旨お前から事情を説明しておくように。私はすぐに、スザクを連れて戻る」
ぽかんとしている間に、全ての会話は終わっていて、携帯を閉じたときには既に電話に出る前の悲壮な表情は一片もなかった。
「スザク。すぐに支度を」
「え」
「本国に戻る。事情が変わった」
ベッドから飛び起きると、壁にかけてあった濃紫のコートを手早く羽織る。
「船で戻る猶予はない。ブリュンヒルテとランスロットを出す」
「何があったの?」
「……」
彼女はすぐには答えなかった。
部屋の入り口で立ち尽くした彼女に、椅子にかけておいたコートを持っておいつく。
そこでやっと、ヴィクトリアは口をひらく。
「…ルルーシュにつけられていた護衛のひとりが殺害された」
心臓が鷲掴みにされた気分だった。
やっと次回からジノを出せる(ノД`)
ジノスザじゃなかったのかよ、自分!
ジノをスザクがイイコイイコするお話……
イイコイイコされたジノがスザクを押し倒しちゃうお話……
そ、そういうのを最初想定してたんだけどな、、、
ヴィクトリアはあくまでジノの傷、みたいなもので…
ただ、展開の路線は決まったので、あとはどうにか書いてスザクとジノの切ないラブストーリーを書ければいいな、と。。。
最終更新:2009年03月22日 01:04