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ダイジェスト:SLOとの邂逅


逃亡(1619/Fire34)


 こめかみに鈍い痛みを感じながら、タニアはまた後ろを振り返った。カーシーから立ち上る煙はいまはもう細く、夕闇に紛れようとしている。いまにも崩れ落ちそうになるレイを腕をつかんで支えると、さらに先へと進む。雲の影からわずかに照らすイェルムもまもなく去り、ゼンサが空に闇を塗りこめる。早く休めるところを見つけないと、彼女の体力ももたない。
 ゆるい斜面を上りきったところで、道の横に馬車が落ち込んでいるのが見えた。戦火から逃れる途中で道を踏み外したのだろう。横倒しになって軸は折れ、車体も歪んでいるが、とりあえず屋根はある。オーランスの司祭達が呼んだこの雨から逃れる役には立ちそうだった。トレイシーに肩を貸しながら、ゆっくりと道をはずれる。耳をそばだてても特に人の気配はない。ゆっくりと中を覗いて誰もいないことを確かめると、レイを押し込んで、自分も倒れるように転がり込んだ。

 まぶしさに顔をしかめながら目を開けると、見慣れぬ床の上で寝ている……それが馬車の壁であることを思い出すと同時に、全身を鈍い痛みが襲った。徐々に昨日の記憶が蘇る。
 カーシーはルナー帝国の海軍によって奇襲を受けた。海上からの攻撃を予想していなかったカーシーは、なすすべもなく帝国軍の前に陥落した。タニアはアーナールダの寺院で匿われていたが、聖域を護るバービスタゴアの戦士達はルナーの海兵のシミターの前に次々と倒れていった。
 混乱と喧騒の中、まったく反応しようとしないトレイシーを、腕をつかんで引きずった。逃げ出す途中で幾度も転び、突き飛ばされ、踏みつけられた。昨日は逃げ出すのに夢中で気がつかなかったが、服は裂け、打ち身と擦り傷が全身にできている。慣れない痛みに震えながら、タニアは泣いた。

 「レイ?」
 トレイシーの息が荒いのに気がついたタニアは、どうにかしゃくりあげるのを止めると、歯を食いしばりながら身体を起こして、トレイシーをゆすった。レイの身体もタニアと同じように傷だらけで、途中何度も倒れたぶん、上半身の怪我が酷かった。しかし外傷よりも、雨に打たれたためか、怪我の影響か、かなり熱がある。
 「レイ!、レイ!」
 激しくゆすってもほとんど反応を示さない。もともと透けるほどに白い膚は血の気を失って、蝋のように生気がない。医術の心得がないタニアには、とても手の施せる状況ではなかった。
 タニアは自分のものとは思えないほど重い身体を引きずりながら、丘の上まで戻ると周りを見渡した。人影らしき者はどこにも見えない。カーシーの方角だけはわかるが、自分達がどこにいるのか、どちらに行けば人が住んでいるのか、彼女にはわからなかった。
 せめてカーシーに向かって走ろうとしてみるが、それもかなわずタニアはくずおれてしまった。十五歳の少女には、もう動くだけの力は残っていなかった。

 次にタニアが目覚めたのは、固いベッドの上だった。口に少しづつ流し込まれる暖かいスープを飲むうちに、意識がはっきりしてきた。灰色の瞳の中年の婦人がタニアの目を覗きこんでいる。
「ありがとう……。助けていただいたのですね」
 女性はただ優しく微笑むと、もう一口タニアにスープを飲ませようとした。
「そうだ、レイは!……、私の連れは!」
 タニアが起き上がろうとするのを女性は押し止めると、奥の扉を指差して腕を胸の前で交差させて、大丈夫、というように肯く。その動作でタニアはその女性が口が聞けないのだということに気がついた。
 タニアは自分の身体が丁寧に治療されているのを確かめて、ゆっくりと起き上がった。婦人はタニアの手を取ると、奥の部屋へと招き入れた。ベッドに横たわったトレイシーが全身に受けていた傷には包帯で処置がしてあるが、顔色はあいかわらず死人の様だった。
「この治療はあなたが? レイはどうなんですか」
 女性はゆっくり肯くと、トレイシーの身体を優しく撫でてから、また大丈夫というような動作を繰返した。そして、トレイシーの下腹部を撫でてから、またタニアに微笑んだ。タニアは最初その意味をはかりかねたが、何度も繰返されるその動作はひとつのことを意味しているとしか思えなかった。
「……トレイシーは、妊娠しているの?」
 タニアは自分の声が震えるのを聞いた。女性は嬉しそうに肯いて、再び「大丈夫」を繰返した。しかし、タニアはどうしていいのかわからなかった。そのまま立ち尽くして、まったくどうしていいのかわからなかった--。


姉妹(1619/Fire36)


 トレイシーはその日の夜にいちど目を覚ました。かろうじて食事は取れるようで、何杯かのスープを飲み、また眠りについた。次の朝には血色も戻り、口数は少ないながらも、彼女達を助けてくれた婦人--彼女は身振りで自分の名前がサイレンであると示した--に礼を言った。
 タニアはトレイシーに何を言ったら良いのかわからなかった。レイは呪われる前に受けた陵辱が元で、二度の自殺を図っている。それがこの妊娠という結果につながっているのを知ったら、彼女はどうするだろう? いまのトレイシーは抜殻同然だが、それは生きることへの苦痛を深く押し殺しているからにすぎない。ひとたび堰が崩れれば、彼女が何をするか、考えるのも恐ろしい。それでも、いつまでも隠しておける類のことではない。もう一月もすれば人の目にも明らかになるだろうし、いくら呆けているといっても、その前に彼女が気がつくだろう。
 タニアはもう自分で何を考えたら良いのかもわからなくなってしまった。ついにはレイの姿を見ているのも苦痛になり、食事もそこそこに立ち上がると外に出た。

 この家はタニア達が倒れていた丘を一巡りしたところにあった。サイレンがなぜこのようなところにひとり離れて住んでいるのかはわからないが、遠くないところに集落があるようだった。丘陵地に広がる畑は彼女がひとりで耕せる広さではなかったし、

(執筆中)

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