テーブルトーク談義


テーブルトークについて語ろう

テーブルトークについてなにかいいたくなったときはここへ。

けーめー さん 98年 11月 10日 20時 47分 07秒

しかし、ロールプレーってどんなゲームだかわからなくなっております。昔もアドベンチャーとしてしか楽しんでなかった気もしますが。

なゆた さん 98年 11月 11日 01時 55分 44秒

たまにはロールプレイ論というのも面白いですね。

むかしはともかく今は?
以下は「私にとって」という前提で読んでください。

欲求不満の遊びだということは確かです。
自分がこうありたいという理想やこうできたらいいのにという欲望がロールプレイの根っこにあります。昔はこれが一番でした。

もうひとつの柱はコミニュケーションということですね。
人に向かって何かを表現したい、違う人格について論じ合う中で、自分の体験、嗜好、思想を共有できる仲間が欲しい。

そしてなお加えれば、私がマスターをするのは
「楽しんで欲しい。私を必要として欲しい」
という望みです。必要とされるということは何にもまして私を喜ばせます。
あるがままの自分が誰かに求められるなら、それは私にとって快感です。


以上から好奇心や知識欲(読書や旅行)、狩猟本能(アウトドア&スポーツ)、繁殖行動(グルメやセックス)と比較するならば、「社会的欲求を満たす遊び」と定義できると思っています。どれもくっきり分けられるわけじゃないですけど。

んでシナリオの中で他の欲求を満たすようなシチュエーションを提示するわけですね。特に実生活で得られにくい戦闘の部分に偏る傾向もあります。


以上の裏を返せば、自己実現がうまくいっていたり、あまりそうした欲求がないときはロールプレイの意味は失われます。仕事や家庭で忙しくなってコミューンに組み込まれると社会的欲求が満たされて情熱は失われると思います。

実生活の刺激に仮想世界が勝つのは難しいことですね。
でも私は今は続けていきたいと思ってます。素敵な仲間もいるしね。

azatoth さん 98年 11月 11日 02時 37分 07秒

遊びとして好んでいる理由・・・

日々の仕事に追われつつ仕事自体をRPGとして遊んでいるAzatothです。

会社の中と外のパワーゲームは実際に多数の人と多額の金が動いているだけに楽しいですね。
自分の特性(能力値や知識や技能)から、会社の中での役割(戦士、盗賊、僧侶、はたまた魔法使いか?)などを考え、活躍の場をプロットしてみたりして・・・。
そういう点で、なゆたさんのおっしゃっている「実生活の刺激に仮想世界が勝つのは難しいことですね。」という点には納得してしまいました。

しかし、自分がロールプレイを遊びとして好んでいる理由は、なゆたさんほど明確になっていないことに気づきました。
このテーマについては、ゆっくり考え直してみようかと思います・・・。


■ 5 名前: BiSHOP :2001/08/09 21:05:30

Biっす。
このスレッドに書きたいことがあって文章を書いていたら、
とてもヘビーかつ陰気なものになってしまったので、廃棄しようと思ったけれど、もったいないので抄録を書きます。
(うろ覚えだけど)深淵にはプレイヤーがかならず悲惨な宿命を1つ保有するシステムになっていたと思うのですが。
  戦下手、ゲーム下手という宿命の刻印を
  受けてしまったプレイヤーはどーすれば
  良いのでしょーか?

勝敗のないTRPGならまだしも救いがありますが、昔ボードSLGなどやっていたときも、どうやっても勝てないのでその付き合いからフェードアウトしてしまったことがあります。
(まあ、負けてもそれはそれで楽しい、という雰囲気のあるサークルでなかったというのもありますが)

ゲームなら降りることも出来ますが、生活というアリーナからは降りることが、あれ? 降りようと思えば

 まあそれはそれとして、

どうやらBiは知性の構造が人と違っているようです。
(あえて劣っているとは言いたくありませんが)
互いに相反する目的を達成するため、知識を深め相手の出方を読み、ときに共闘ときに妨害、という路線がそもそも人格にないのですね。

ふう、こまったもんだ。

この書き込み、結論はありません。では!

■ 6 名前: azatoth :2001/08/10 01:58:13

何故RPGなのか
上の書きこみはずいぶん前の記事の転載なので、現在の私の考え方はもうすこし進んでいます。(たしか上の書きこみ後にも何か書いたような気がします)
私にとってのRPGは、最近微妙な変化をとげてきています。

端的に言うと「物語や人格の仮想体験による自己強化」が主な目的になっているようです。ただし、副次的な目的も多いので渾然とはしているのですが…。(単に人間とのコミュニケーションが好き、というだけかも)

▼ BiSHOPさん
戦下手、ゲーム下手という宿命の刻印を
受けてしまったプレイヤーはどーすれば
良いのでしょーか?
RPGにはたくさんの楽しみ方があります。自分なりのポイント(ツボ?)を見つけて、それが周囲の人の許容範囲内なら続けられるのではないでしょうか。
戦闘処理や、勝利を目指すのが苦手なら、そういう民間人や知識人や宗教人として参加するようにしてはどうでしょう。マスターが認め、周囲のプレイヤーにも容認されるだけのキャラクターである必要はありますが、無理してやりつづけるよりはずっとよいと思います。
私は短所をつぶす努力より、長所をより伸ばす努力をした方が、その人の力が生きる機会が増えると思っています。それに本人も楽なはずだし。

▼ BiSHOPさん
ゲームなら降りることも出来ますが、生活というアリーナからは降りることが、
あれ? 降りようと思えば
降りるな降りるな。
あと人生から降りるのも無しね。

▼ BiSHOPさん
互いに相反する目的を達成するため、知識を深め相手の出方を読み、
ときに共闘ときに妨害、という路線がそもそも人格にないのですね。
それって「ディプロマシー」ってゲームの事ですか?(笑)

ってのはさておき、それって単に「軍師にはなれないし、長期の展望も立てられないが、だからどうした、俺は俺、お前はお前、目の前の状況に対して俺はむかついたからお前を殴る」って事でもよいのでは?

RPGは、戦いでも、アートでもなく、単にゲームなのです。シミュレーションゲームでも、格闘技ゲームでも、勝つことが「目的」として定義されているかもしれませんが、それだけが「楽しみ」ではないと思います。ゲームなのですから、気楽にゆったりと時間をかけて「楽しみ」を探すってことで良いのはないでしょうか。

何故RPGなのか、それは人間が相手で、人間がテーマで、そこに楽しみがあるから、ってことかな。

■ 7 名前: なゆた :2001/08/06 07:59:55

祭のあと、他つれづれ

内容が多岐にわたるのでどこに書こうか迷ったけど、とりあえずここに。

  • 祭のあと
このサイトを開設してから、人が何を書いてるのか気になるようになったのでWeb上をふらふらしている。

サイトは残っているけど更新されていないところが多い。
まあRQ関係がそうなるのは必然でもあるけど。

情熱が失われて更新しなくなるんだからわかる気もするけど、なぜ更新しなくなったのか、いつ最後に更新したのか、これからどうするのか、せめて書いておいてほしいと思う。
(最終更新日も何月何日としか書いてなくて、年が書いてないところおおいよね)

みんなの見えるところに掲示したんだから、もう必要ないなら消すなり、凍結を明言するなりやり方があるだろうに。

那由他の狭間がいつまでつづけられるかはわからないけど、きっちり幕を引こうと決意する。

  • グローランサの終わりと始まり
HWでグローランサは再生するんだろうか?
これは疑問だ。
テーブルトーク人口との関わりもあるけど、HWは「グローランサがやりたい人」向けかもしれないけど、「テーブルトークがやりたいひと」向けではないと思う。まあRQも熟練したマスターが必要だった点は同じだけど、HWは熟練したプレイヤーを要求するぞ?
ま、システムはどうでもいいんだけどね。

問題はグレッギングだ。個人として気にする気にしないというのは決められるけど、たとえば仲間がみなそうだとは限らない。
マスターとしては指摘されればできる限りすり合わせていくわけだけど、限界もあるわなぁ(笑)。
とはいっても、自分でつくった設定より、オフィシャルのほうが面白い。まだまだ甘いな>オレ(あたりまえ)。

で、結論はというと「グレッグが死んで(すみません^-^;)グローランサは永遠になるんだろうなぁ」と思ってみたり。
あらゆる物語がそうであるように、世界は不完全な情報が固定された段階から、はじめて読者のものになる、と思う。
それまでグローランサがみんなの心に息づいていればね。

  • テーブルトークという遊び
まあグローランサの終りを考えたついでに、テーブルトークの終りも考えた。
とりあえず30歳まではつづけてきた。まだしばらくはいけそうな気がする。

このサイトを立ち上げたことが吉とでるか、凶とでるか。
凶とでる可能性は高い、と思っている。安定したところに波風を立てたわけだし。

プレイスタイルも変わっていかざるを得ないと思う。

  • マスターの才能
執筆中


■ 9 名前: なゆた :2001/07/13 19:06:47

マスターのカン(苦)

 最近、たまたま「あそこで成功してたらどうしたの?」とか「マスターは脱出方法があると思ってるんですか?」と続けて聞かれたので、その話。

 その場でも書きましたけど、「ああいうときは失敗する」んです。もちろん成功してしまうときもありますけど^-^;。
 成功されたときの二の手も考えてはありました。というか、あれだけデッドリーな場所に「辿り着いた」ことにマスターの恣意があるので、あそこから帰る行程をきっちりやれば、降りられることが奇跡です。それでも降り切ったなら、それはプレイヤーとキャラクターを称えるのみ。でも時間はマスターの味方です。

 脱出方法があるかないかでいえば、「かなり高い確率で脱出できる方法」があることは知っていました。ただ、勘違いしてほしくないのは、「脱出方法があるから、降りてこないうちに火の海にした」わけではなく、あそこで起こった出来事はタイムテーブルも含めて、すべて必然だった。たまたま、ナーシュが降りられなかっただけだということです。降り損なったのがシャガであれ、レイクであれ、同じ事態になっていたでしょう。私はこの3人の中なら、ナーシュの生還確立が最も高いと思います(当然、バセラードが降りていない場合は、違う方向に話が流れるので、起こったかもしれないし、起こらなかったかもしれません)。

 今日、RQの有名な(?)マスターであるALFさんのサイトをふらふらと見に行って、「システマティックなワールドビルダー」という記事をみつけて、ふむふむと読みました(参考:http://members.aol.com/Alfsaito/HomePage/RPG04.htm)。
 こうした定義をするとするなら、私は確実にシステマティックなワールドビルダーであり、かつ、システマテックなシナリオ(?)ビルダーです。どんな行動をしてどんな結果が生まれるかはおおよそ決めてありますが、キャラクター(NPCも含む)達がそれに成功するか失敗するかは、すべてその場の判定によります。そうでなければ、シナリオの流れがマスターの意図した方向にしか行かないということになり、他のマスターがどうかは知りませんが、私は面白くありません。
 シナリオをコントロールしてプレイヤーを楽しませるべきだという意見ももっともですが、他のプレイヤーがどうかは知りませんが、私はマスターにコントロールされるのは(ちょっと)面白くありません。

閑話休題

 ま、そういう建前論は別にして、マスターが恣意的にコントロールするものがひとつだけあります。冬の峰登攀がそうですが、「ロールの回数」です。
 90%の技能というのは、一見、成功しそうに見えますが、10回すべてに成功する確率は、30%でしかありません。
 10%の技能は成功しなさそうですが、5人のパーティーで誰か一人が成功する確率は50%。2回づつロールさせて、誰かが一回でも成功する確率は95%です(計算が間違っていたら指摘してね^-^;)。

 これがマスターのカンのもとといえばもとですね。どの場面でどの程度ロールをするのかわかっているわけですから、少なくともプレイヤーよりは先は読めます(あたりまえ)。
 それ以外にも、自分でもなぜそうしたかわからないけれど、結果がついてくることがありますが、それはやはり自分の意識しないところで計算しているのでしょう。そうでなければ、アラクニー・ソラーラのお導きです(=_=)。


 ・・・ダイス目でも行動でもマスターのカンを大幅に裏切ってくれる人はいますけどね。○○ーとか(笑)。

■ 10 名前: なゆた :2006/03/16 21:03:27

物語のフレーム

 強力な『物語のフレーム』というものがある。

 西遊記でいえば、実は旅の途中の出来事や、天竺へ到着するかどうかはどうでもいい。西遊記というのは『何かを求めて、3体の特殊能力者と旅をする話』で、まあ、お供が猿・豚・河童(これは日本のみ)なら、なおよい。
 桃太郎なら『捨て子が育ての親から旅立って、お供を増やし、鬼を倒して宝を持ち帰る』、あかずきんなら『狼と無垢な娘』、タッチなら『できのよい弟と怠け者の兄の双子と幼馴染の美少女』、車田正巳なら『ギャラクティカ・ファントム!(技の名前はなんでもよい)』という具合だ。

 このフレームを守っている限り、登場人物の性格をどう変えようが、時代をどう変えようが、話の流れをどう変えようが、その話は一種のパロディとしての影響力を受け手に与える。
 例え孫悟空が三蔵法師を叩き殺そうが、南が車に轢かれようが、それは元の話のヴァリエーションであり、原点を知るものには暗黙の情報を与えることになる。

 何が要だろうか。

■ 11 名前: 和泉屋 :2006/03/16 22:47:59

Re:物語のフレーム

ま、構造論の原点な訳だが。
構造論のわかりやすいテキストは「文学部只野教授」、出発点のウラジミール・プロップ「昔話の形態学」は学生時代のバイブルだったが。

何が要だろうか。

エンタテインメントで言えば「時間」だろう、多分。

具体的なテクニック論でいえば、「フレーム」に気付かせるまでの時間が長いほど(途中で飽きない限り)カタルシスが大きい。
整合性さえ取れていればミスディレクションは極めて有効。
あるエロゲのシナリオライターの大ファンだったが、当人の小説を読んでがっかりした記憶が有る。全ては媒体、特に絵と音以上に読むペースが重要だったという反省。

新しい「フレーム」という話であれば、「即時性」だろう。
夏目漱石からガルシア・マルケスまで、新しい物語を創造する文学家は常に「現代の苦悩」を描こうとする所から始まる。

まぁ個人的には「フレームのぶつけ合い」が最も楽しいのだが。
フレームとはその個人の神話=世界観=価値観=哲学に他ならないので、(マスター/プレイヤー全員による)物語の主導権争奪戦こそ、人間と遊んでいる実感がある。

■ 12 名前: なゆた :2006/03/23 21:38:12

Re2:物語のフレーム

他の人のレスがつくかな、と様子見してたら、1週間放置しちまいました。申し訳ない。
構造論のわかりやすいテキストは「文学部只野教授」、出発点のウラジミール・プロップ「昔話の形態学」は学生時代のバイブルだったが。
「文学部只野教授」筒井康隆か。読んでないな。読もう。

何が要だろうか。
エンタテインメントで言えば「時間」だろう、多分。
 自分でも何が書きたいのか書ききれずに「何が要だろうか」とぼんやり書いてみたんだけど、「様々な要素がある中で、なぜその部分を私たちは『フレーム』と認識するんだろう。」ということを書きたかったようだ。
 時間というか、テンポ、というのはフレームうんぬんに限らず、エンタテイメントとして重要だなぁ、と。連載時にリアルで読む漫画と、完結してからまとめ読みする漫画って、ぜんぜん違うよね・・・。最近こどもが私の漫画を読んでるのを見てそう思う。

フレームとはその個人の神話=世界観=価値観=哲学に他ならないので、(マスター/プレイヤー全員による)物語の主導権争奪戦こそ、人間と遊んでいる実感がある。
にゃるほどね。そういう遊び方かー。まあ、そうでなければ他のエンタメを選んだほうが時間効率いいしな。

■ 13 名前: 竜田久緒 :2006/03/28 21:25:54

ああ、なるほど。和泉屋氏らしい意見だ
フレームとはその個人の神話=世界観=価値観=哲学に他ならないので、(マスター/プレイヤー全員による)物語の主導権争奪戦こそ、人間と遊んでいる実感がある。
わしの場合はその「場」に自分の構築する「場」を浸透させることに意味を見出す、かな。そこに「自分の場」を存在させることを周りに受け入れさせるというか。その上で他人(マスターを含む)の「場」と干渉しあいつつ補強する関係になるのが理想。

イメージ的にはブラスバンドでフリーセッションするような感じが一番近いのかも。
あの一体感。

■ 14 名前: Vampire.S にいさま :2006/04/23 02:51:00

Re:物語のフレーム
▼ なゆたさん
強力な『物語のフレーム』というものがある。
……(中略)……
何が要だろうか。
こちらでは、はじめまして。
浅学なので文学は全く門外なのですが、一応 wikipedia の該当部分を貼り付けてみます。何かのご参考にでもなれば:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%AE%E9%A1%9E%E5%9E%8B

■ 15 名前: なゆた :2006/04/23 23:06:33

あい。はじめまして。ご来訪、ありがとうございます(^o^)
wikipedia、危険です。読み始めたら、あっというまに何時間も経っていくんですが・・・。
それはともかく、ご紹介ありがとうございました。とっても参考になったにょ。


名前:
コメント:

すべてのコメントを見る