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うん。半分賛成。半分疑問。
問題点の一例を上げれば、死後の世界と精霊。
現代の(少なくとも私の)死生観というものは、死後の生がないことを基準になりたっているわけで、たとえば「神の御許へ送った」ことが正当化される社会はない(はず^-^;)わけです。
ですが、Efendiさんが盾のルールのところで書いてましたが、「ルールが世界を既定する」のであれば、(文面どおりにとれば)神も祖霊も実存しますし、地上界での死を必ずしも犯罪にする必要はない・・・。
これに対してそういう空想世界の心情を「想像しがたい」私たちは、プレイ上の違和感を和らげるために「精霊は生前の記憶をほとんど持たない」とか「現実界での生をまっとうしたものが神の御許で高い位を占める」とか、後付で勝手な理屈をつけていくわけです。
で、「どうしたってモデルが必要」なんですが、私はそれに合わせて「世界法則を捻じ曲げる」のにも抵抗があるわけです。
そうじゃなくて、本当に過去に死んだ誰とでも話せる、とか、現実界での行いによって神界での地位が決まってそっちのほうが現実界より重要だとか、魔術で犯罪がすべて暴露されるとか、そういう世界を本気で想像できないかなぁ、と。
最近の端的な事例で言えば、アルコスの設定を隅から隅まで本気でうけとめるかどうかでしょう。
ここもちょっと解釈が違います。「発展」と「野蛮」を対比させていますが、その視点自体が(仕方のないことですが)我々の驕りではないか、と。実はグローランサの社会というのはいきつくところまで発展しているのかもしれません。
どうもルーンが物理法則のように扱われがちなんですが、ルーンというのが思考レベルによってエネルギーの生成を変動させるとしたらどうでしょう。
例えば、三段論法も文明の技術だと思いますが、三段論法を理解したら無秩序のルーンの出力が落ちる――例えば《熱狂》が使えなくなる、としたらどうでしょう。生産力が増大して人口が大増すると、精霊界とのトラフィックが落ちて、祖霊と対話できなくなるとしたら?
果たして唯物論的な進歩とどちらがエネルギー効率がいいのか疑問です。
まあ、この事例で言えば、病の神との断絶が実は《治癒》の力を弱めるとかね。
もちろんそういう風に直接認識されるものではなく、「それは神に禁じられている」とか、なんらかの神話で抽象化されるのでしょう。ルーンの相関関係の直接認識がルーンの操作能力を弱めるかもしれないし(笑)。
なんにしろ「たられば」の話なので、本気にしないでください(笑)。
ネタです。ネタ。
ま、どのみちゲームなので、プレイヤーが想像しがたいものを無理に押し付けてもしかたないのです。そういう意味で「モデルが必要」だと思います。
ヴァリエーションも深みも段違いだし(尊敬してますよEfendiさん)。
あとはそのモデルをどうグローランサナイズして、どうプレイに使うかですね。
精進精進T_T。
たわむれに、ルナーはその教義の中に自滅要素を恣意的に含んでいると考えたり。
まあマルキオンの話で言えば、魔術支援はあると思います。魔道なりに。ルールに記載されている魔術は「冒険者向け」のものでしかない、と考えていますが。
このへんはルーン基調で考えるか、歴史基調で考えるか、好みでしょう。前半の社会モデルの話でいっても、全体的にEfendiさんは歴史基調、古竜さんはルーン基調ですね。
こういう論調をいろいろ抱合できるのがグローランサの優れたところだと思います。論戦も楽しいし(笑)。
ps.「再演」がグローランサの基本法則だと思っているので、文明は進歩しない、と端的にいうこともできます。もし進歩したとすれば、それはすでに演じられた進歩であって、再演にすぎない。というより、
「本当は進歩したのだとしても、それは過去に演じられたことになる。」
▼ なゆたさん
書き切れないので、個別に。スレッド増やしてごめんなさい。
多くの宗教で死後の世界を説いていますが、喜んで死ぬ、というのはやはり狂信者くらいなものでは。十字軍物語などで、異教徒に屈するくらいなら死ぬ、みたいな人々が出てきますが、私が史料に接する限り、勝ってるときには神の正義を唱えるけど、負けると、かなり節操なく改宗したりしてます。
もっともグローランサでいえば、確かに《祖霊召還》もヒーロークエストもあるわけで、「死後の世界について、死んだこともないやつの言うことを信じるのか?」と問われれば、信じる根拠は十分にあるんだよね。
でもそうすると、ドラゴニュートの楽天的な生き方はどう説明されるのか? 彼らが死を喜んで迎えるように見えるのは、やはり人間には死後に多少の不安があるからでは? 地球人より若干ないにしても。
そもそも、死後があるからといって、現世を快適に暮らそうと努力しない、ということにはならないのでは? (その点、私の書き方もよくないけど)
グローランサでも、魔道社会は大丈夫ですね。彼らには死後の保証はないから。
▼ なゆたさん
知力精霊を外付け HDD のように見なしたり。
私個人に限れば、そういう話は嫌いじゃないけど得意でもないです。RuneQuest がヒーロークエストを避けたように、大掛かりな神話・魔術は背景としては使うけど、プレイにはもってきません。
グローランサ世界で考えると、たとえば、水上交通で水の精霊や風の精霊を呪縛して船が高速で移動するなら、17世紀あたりから現出する大量消費社会が実現するのではないか、などとも考えてしまいますが、やはりそれは「そぐわない」という一点の理由のために、そういうことはヒーローのみができる、ということにしてしまいます。
私の想像できる範囲に収めて、かつ神話・魔術を導入するとすれば、魔法瓶のような極小のものか、神々の戦いのような極大のものにのみ当てはめ、政治・経済に影響を及ぼす中規模の魔術は考えないようにしています。
戦場での魔術の使用も、詐術か火薬のようなもの、という位置づけです。
幸い、西方でしかプレイしてないので、死後の問題には直面しないで助かってます。が、基本的には、死者は生者に常に関心を持っている(マイモニデス)、と考えています。これは私がいいな、と思っている考え方で、ここでも私は自分の思考範囲から抜けていません。
楽しくない設定は受け入れないわけですが、それはたとえば Reaching Moon の海特集のときに紹介された日本刀とか。
ともあれ、自分がマスターをしたとき、何を聞かれても大丈夫なように、自信のある範囲で世界を構築するよう心がけています。私自身が成長したときが、私の世界の広がるときです。精進、精進。
■ 53 名前: なゆた :2002/05/26 23:43:56
グローランサって楽しいねぇEfendiさん
まず、いかなブリソス人であろうとも、人たるもの子供のためにより多く稼ごうとするであろうし、仮に、多く稼ぐことが罪、とされるような社会でも、子供を死なせたくない、という思いが医学を発展させ、その結果幼児死亡率が下がって人口が増大し、彼らは人並みの生活を送ろうとするであろうから、いずれにせよ社会全体の生産力が向上し、それに合わせて社会様式も変化するであろう、ということ。この、子供のために人一人が生きる以上に努力をする、というのではない人間の歴史は想像しがたいし、あるいはそれが「人」のルーンではないか、とも思う。(中略)
それでも、グローランサはやっぱり空想世界なので、どうしたってモデルが必要で、それはやはりよく知られている旧世界の文明の流れに求めるしかないです。
うん。半分賛成。半分疑問。
問題点の一例を上げれば、死後の世界と精霊。
現代の(少なくとも私の)死生観というものは、死後の生がないことを基準になりたっているわけで、たとえば「神の御許へ送った」ことが正当化される社会はない(はず^-^;)わけです。
ですが、Efendiさんが盾のルールのところで書いてましたが、「ルールが世界を既定する」のであれば、(文面どおりにとれば)神も祖霊も実存しますし、地上界での死を必ずしも犯罪にする必要はない・・・。
これに対してそういう空想世界の心情を「想像しがたい」私たちは、プレイ上の違和感を和らげるために「精霊は生前の記憶をほとんど持たない」とか「現実界での生をまっとうしたものが神の御許で高い位を占める」とか、後付で勝手な理屈をつけていくわけです。
で、「どうしたってモデルが必要」なんですが、私はそれに合わせて「世界法則を捻じ曲げる」のにも抵抗があるわけです。
そうじゃなくて、本当に過去に死んだ誰とでも話せる、とか、現実界での行いによって神界での地位が決まってそっちのほうが現実界より重要だとか、魔術で犯罪がすべて暴露されるとか、そういう世界を本気で想像できないかなぁ、と。
最近の端的な事例で言えば、アルコスの設定を隅から隅まで本気でうけとめるかどうかでしょう。
グローランサの人々には、私が上述したような「発展」へと向かうベクトルと、「野蛮」へ向かうベクトルが並存している、と解釈します。
このような相反する性向を抱えている、というのは「ハレ」と「ケ」の説明を持ち出すまでもなく、我々にも当てはまるので、非常に理解できることです。
ここもちょっと解釈が違います。「発展」と「野蛮」を対比させていますが、その視点自体が(仕方のないことですが)我々の驕りではないか、と。実はグローランサの社会というのはいきつくところまで発展しているのかもしれません。
どうもルーンが物理法則のように扱われがちなんですが、ルーンというのが思考レベルによってエネルギーの生成を変動させるとしたらどうでしょう。
例えば、三段論法も文明の技術だと思いますが、三段論法を理解したら無秩序のルーンの出力が落ちる――例えば《熱狂》が使えなくなる、としたらどうでしょう。生産力が増大して人口が大増すると、精霊界とのトラフィックが落ちて、祖霊と対話できなくなるとしたら?
果たして唯物論的な進歩とどちらがエネルギー効率がいいのか疑問です。
逆に、オーランス人といえど、自分や子供が伝染病で死ぬのは嫌でしょうから、下水道を作る必要があってその技術があるなら、施設するでしょう。
まあ、この事例で言えば、病の神との断絶が実は《治癒》の力を弱めるとかね。
もちろんそういう風に直接認識されるものではなく、「それは神に禁じられている」とか、なんらかの神話で抽象化されるのでしょう。ルーンの相関関係の直接認識がルーンの操作能力を弱めるかもしれないし(笑)。
なんにしろ「たられば」の話なので、本気にしないでください(笑)。
ネタです。ネタ。
ま、どのみちゲームなので、プレイヤーが想像しがたいものを無理に押し付けてもしかたないのです。そういう意味で「モデルが必要」だと思います。
ヴァリエーションも深みも段違いだし(尊敬してますよEfendiさん)。
あとはそのモデルをどうグローランサナイズして、どうプレイに使うかですね。
精進精進T_T。
古竜さんん^-^? 安定のルーン起源のほうが幅が狭いのでは。安定性が高い、ってことですかね。私は安定のルーンは、許容幅が狭い、とも読めますが。
また、人のルーンに起源を有するブリソスと安定のルーンの起源を有するモスタリでは安定性が異なるのでモスタリの方が許容幅は広いかもしれません。
それにしても
よく「どうやってオーランシーがルナーに立ち向かう?」と考えます が、此処で人口を良く考えます。 ここで?が付くのがマルキオン社会です。 君主社会だが、ルナーや東方と違い、魔術的農業加護の無いこの社会 では生産性が不安定な筈なのです。 なゆたさん、Efendiさんどうお考えですか?
たわむれに、ルナーはその教義の中に自滅要素を恣意的に含んでいると考えたり。
まあマルキオンの話で言えば、魔術支援はあると思います。魔道なりに。ルールに記載されている魔術は「冒険者向け」のものでしかない、と考えていますが。
このへんはルーン基調で考えるか、歴史基調で考えるか、好みでしょう。前半の社会モデルの話でいっても、全体的にEfendiさんは歴史基調、古竜さんはルーン基調ですね。
こういう論調をいろいろ抱合できるのがグローランサの優れたところだと思います。論戦も楽しいし(笑)。
ps.「再演」がグローランサの基本法則だと思っているので、文明は進歩しない、と端的にいうこともできます。もし進歩したとすれば、それはすでに演じられた進歩であって、再演にすぎない。というより、
「本当は進歩したのだとしても、それは過去に演じられたことになる。」
■ 54 名前: Efendi :2002/06/02 16:32:33
死後の保証▼ なゆたさん
問題点の一例を上げれば、死後の世界と精霊。
現代の(少なくとも私の)死生観というものは、死後の生がないことを基準になりたっているわけで、たとえば「神の御許へ送った」ことが正当化される社会はない(はず^-^;)わけです。
ですが、Efendiさんが盾のルールのところで書いてましたが、「ルールが世界を既定する」のであれば、(文面どおりにとれば)神も祖霊も実存しますし、地上界での死を必ずしも犯罪にする必要はない・・・。
書き切れないので、個別に。スレッド増やしてごめんなさい。
多くの宗教で死後の世界を説いていますが、喜んで死ぬ、というのはやはり狂信者くらいなものでは。十字軍物語などで、異教徒に屈するくらいなら死ぬ、みたいな人々が出てきますが、私が史料に接する限り、勝ってるときには神の正義を唱えるけど、負けると、かなり節操なく改宗したりしてます。
もっともグローランサでいえば、確かに《祖霊召還》もヒーロークエストもあるわけで、「死後の世界について、死んだこともないやつの言うことを信じるのか?」と問われれば、信じる根拠は十分にあるんだよね。
でもそうすると、ドラゴニュートの楽天的な生き方はどう説明されるのか? 彼らが死を喜んで迎えるように見えるのは、やはり人間には死後に多少の不安があるからでは? 地球人より若干ないにしても。
そもそも、死後があるからといって、現世を快適に暮らそうと努力しない、ということにはならないのでは? (その点、私の書き方もよくないけど)
グローランサでも、魔道社会は大丈夫ですね。彼らには死後の保証はないから。
■ 55 名前: Efendi :2002/06/02 18:02:24
できる範囲でこつこつと▼ なゆたさん
これに対してそういう空想世界の心情を「想像しがたい」私たちは、プレイ上の違和感を和らげるために「精霊は生前の記憶をほとんど持たない」とか「現実界での生をまっとうしたものが神の御許で高い位を占める」とか、後付で勝手な理屈をつけていくわけです。
知力精霊を外付け HDD のように見なしたり。
で、「どうしたってモデルが必要」なんですが、私はそれに合わせて「世界法則を捻じ曲げる」のにも抵抗があるわけです。
そうじゃなくて、本当に過去に死んだ誰とでも話せる、とか、現実界での行いによって神界での地位が決まってそっちのほうが現実界より重要だとか、魔術で犯罪がすべて暴露されるとか、そういう世界を本気で想像できないかなぁ、と。
私個人に限れば、そういう話は嫌いじゃないけど得意でもないです。RuneQuest がヒーロークエストを避けたように、大掛かりな神話・魔術は背景としては使うけど、プレイにはもってきません。
グローランサ世界で考えると、たとえば、水上交通で水の精霊や風の精霊を呪縛して船が高速で移動するなら、17世紀あたりから現出する大量消費社会が実現するのではないか、などとも考えてしまいますが、やはりそれは「そぐわない」という一点の理由のために、そういうことはヒーローのみができる、ということにしてしまいます。
私の想像できる範囲に収めて、かつ神話・魔術を導入するとすれば、魔法瓶のような極小のものか、神々の戦いのような極大のものにのみ当てはめ、政治・経済に影響を及ぼす中規模の魔術は考えないようにしています。
戦場での魔術の使用も、詐術か火薬のようなもの、という位置づけです。
幸い、西方でしかプレイしてないので、死後の問題には直面しないで助かってます。が、基本的には、死者は生者に常に関心を持っている(マイモニデス)、と考えています。これは私がいいな、と思っている考え方で、ここでも私は自分の思考範囲から抜けていません。
最近の端的な事例で言えば、アルコスの設定を隅から隅まで本気でうけとめるかどうかでしょう。結局のところ、私自身が扱えるかどうか、という問題なので、他人が作った楽しい設定はすべて受け入れるものの、私が描くものではアルコスから来た人・アルコスに訪れた人は登場するかもしれないけれど、アルコス自体は描かないだろうな。あと、私にとってカジノタウンからシーポリスまでは立ち入り禁止。
楽しくない設定は受け入れないわけですが、それはたとえば Reaching Moon の海特集のときに紹介された日本刀とか。
ともあれ、自分がマスターをしたとき、何を聞かれても大丈夫なように、自信のある範囲で世界を構築するよう心がけています。私自身が成長したときが、私の世界の広がるときです。精進、精進。