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介護

 私は起き出すと、布団をたたみ、身支度を整えて、みんなと一緒に朝食の準備をします。寺院での朝の食事は、パン屋が届けてくれる焼き立てのパン、同じくチーズ屋が届けてくれるその朝に絞ったミルクとヨーグルト、そしてジャムか蜂蜜が付いているのが普通です。この朝の食事もそうでした。準備が済むとみんなで早課式に参加し、夜明けを喜ぶ鳥たちとともに早祷を捧げ、朝食をいただきます。しかし、私は昨晩もお茶とお菓子しかお腹に入れていないのに、すっかり体が弱っているようです。パンをいくら細かくちぎっても、のどを通すことができません。今朝のジャムは山葡萄でしたが、これをヨーグルトにかけてのどに流し込み、ミルクを飲んで食事を終えました。パンは他の娘にあげました。
 朝食が終わると、これを片付けた後は、午睡までは労務です。いまは地の季の終わり、仕事は葡萄踏み(7)か、きのこ狩り(8)か、それともブタの屠殺(9)か。きのこ狩りはサボりやすいので人気が集中します。

「セレン姉さん、あてはどの班に着いていったらええですか?」
「あ、エミーネ? そうね、スィベル姉さまに聞いてくるわ。」
そう言うと、セレンはスィベル侍祭の執務室へ歩いていきました。そしてすぐに、彼女はスィベル侍祭をそのまま連れてきました。スィベル侍祭は私に向かって口を開きます。

「エミーネ、あなた自分の立場が分かってないでしょ?」
「立場って?」
「あなたは病気が治ったらルナー当局に出頭しなければならないの。病人が表で労務なんかできないでしょ?」
「あぁ、せやった。」
「そういうわけだから、病人は部屋で寝てなさい。」
「せやけど、あて、じっとしてとぅないんどす。」
「まったく、働き者ねぇ。」
「そうやのぅて、不安なんどす。」
「ふむ、よろしい。エミーネ、あなたにはフィリシアさんの看護を命じます。」
「看護?」
「まずは身体を拭いておあげなさい。おっとその前に、あなたにも入浴の許可を与えます。あなた、昨晩は顔しか拭いてないでしょう? 顔の縁が旅塵で黒いままよ。」
「えへ。労務の後にみんなで水浴びすればいいかなって。」
「看護人は清潔が第一。薬局(10)から石鹸(11)を出させますから、それで耳の裏まで綺麗になさい。」
「わ、ありがとうございます。」
 火山地帯にあるエスロリアでは、貴族は温泉を自らの邸内に引き、富裕な市民も各自の家に浴槽を持ち、貧民ですら湯屋に通いますが、ここパヴィスでは温浴はまったく一般的ではありません。この寺院でも、蒸し風呂と冷たい水の浴槽があるだけです。浴場の入り口には脱衣場があり、ここで服を脱いで手ぬぐいだけを持って、備え付けの下駄を履き、浴場に入ります。脱衣場にはスィベル侍祭が用意してくれた石鹸が置いてありました。浴場は、脱衣場も入れて三部屋が続いた構造になっており、脱衣場から入ると次は水浴の間です。浴槽の周りには石のベッドがいくつかあって、蒸し風呂から上がると、ここでおしゃべりしたり、身体を拭いたり、仲間同士でマッサージしたり、毛抜きをしたりします。そして水浴の間を抜けると、蒸し風呂の間になります。こちらにあるのは石のベンチで、汚れた体液を出し切るまでここに座ります。出し切る前にふらふらしてきたら、水浴の間に戻って水に浸かり、もう一度ここに座るのです。今日は何と、この広い浴場を独り占めです。一人なので、蒸し風呂で我慢比べ、などという不毛なことをしないでも済みます。私はいったん蒸し風呂に入って肌をふやかしてから、水浴の間で身体を石鹸を使って綺麗にすると、心いくまで蒸し風呂と水浴を往復しました。このように自由に楽しめるなら、蒸し風呂も温浴に比べてそう悪いものではありません。でも、一人で入るとマッサージを楽しめないのが残念と言えば残念です。毛抜きは、ここパヴィスでもエスロリアと同じく松脂の塊を使います。私がさんざん蒸し風呂に入ったのも、楽しみのためばかりでなく、少しでも毛穴を広げておこうとの心積もりからでしたが、さすがに十日以上も怠っているとかなり辛いものがありました。最後にもう一度、石鹸で身体を洗い、身体に石鹸の椰子の香り(12)をまとって、私は浴場を出ました。

 続いて、私はお湯を満たしたたらいと清潔な布を持って、フィリシアが寝かされている部屋を訪れました。フィリシアは相変わらず、目を閉じたまま、静かな呼吸音だけを立てて眠っていました。眠っていた、というのは語弊があるかもしれません。血の気がなく、息をしていなかったなら、まるで死人です。刹那、私は自分もこんな生きているか死んでいるか分からない、哀れな状態になるのでは、と寒気を伴う想像が沸き起こりました。いいえ、いいえ。私は首を振ります。彼女はただの病気。生きていて、魂も穢れていない。私が、癒し手が彼女の回復をあきらめ、己の身のみを案じていてどうするのです。私は彼女が普通の病人であるかのように彼女に話しかけることにしました。

「フィリシア、具合はどない? あんたの身体、拭きに来たったで。」
もちろん返事はありません。

「今日は風が穏やかやから、窓、開けるで。」
パヴィスの建物の窓は、エスロリアの田舎のそれのように格子窓で、内側から板の蓋をはめることで窓を閉めます。私はそれをはずしました。すでに暖められた空気が部屋の中に忍び込んできます。

「さてと、覚悟はええか? フィリシアちゃん。」
まず、布の綺麗なうちに顔を拭きました。予想通り、唇が乾燥してひび割れているので、持ってきた油を指でとって塗ります。耳の裏にも塗っておきましょう。一回ゆすいで、今度は汗をかきやすい首、腋を拭きます。そして、今度は紐を解いて衣の前をはだけさせます。旅を続けているという割には綺麗な肌で、正直感心しました。胸や腹を拭きながら、その弾力にも感心します。

「あなたの立ち姿はなつめやし、乳房はその実の房。
なつめやしの木に登り、甘い実の房を掴んでみたい(13)、か。
でも、なつめやしに取り掛かりの枝はないんよね。勿体ない。」
そして、次は先に足を拭いてしまいます。足首を持ち上げて見ると、足の爪が割れて内出血を起こしていました。それはそうでしょう、彼女は自分の意思ではなく3日間も歩き続けてきたのですから。脛にもぶつけたあざが散見されます。足首にはなにか、アンクレットと呼ぶには余りに無粋な足輪がありました。これの周りにもあざがついていましたが、はずすことはできませんでした。私は、彼女の足を指の股まで丁寧に拭きました。最後に、腰布を解きズボンを引き下ろします。予想通りすえた匂いがしました。でもここが肝心。古い下着を解いて丸めてしまうと、まずいままで使ってた布でお尻を一拭きしてしまい、新しい布を取って、下腹部から腿にかけて丹念に拭きました。汚れがこびりつかないよう、すでに剃毛は昨夜なされていたようなので、それはやらずに済みました。もっとも、自分がやっていたらずいぶん傷を負わせていたでしょうが。さて、身体を拭くのはこれでお仕舞い。あとはシーツを換えなければいけません。でも、あの脛のあざを見たあとでは、彼女を立たせるのは酷に思われました。そこで、彼女と布団の間にあるシーツを抜き取ってしまえば、とひらめき、そうしました。

「いっせーの、せ!」
私がシーツを引っ張ると、坂になったシーツの上を素裸のフィリシアはごろごろ転がっていき、壁に頭をぶつけました。

「う…、ま、まぁ」
まあ、新しいシーツを敷くならどうせフィリシアにはどいてもらわざるを得なかったのです。新しいシーツを敷いて、私はフィリシアを布団の上まで再び転がしました。さてと、服を着せてあとは終わりなんですが、どうせ午睡まですることもありません。私は彼女の腰に掛け布団である綿布をかけると、彼女の頭の方であぐらをかき、彼女の頭を乗せて、彼女の髪を櫛で梳いてやることにしました。彼女を裸のままにしておいたのは、普段は服に覆われている部分に何らかの変化があっても見つけられる、という医者の判断もあったのですが、窓から漏れる光に照らされた彼女の裸体が美しい、と思ってそうしておいたのも事実です。

 昼過ぎ、寺院のみんなが帰ってきたようでした。みんなはこれから水浴で汗を落とし、午睡して、そのあとでお茶です。ですが私はそれに参加できないようでした。フィリシアの部屋にセレンが来て、私に言づてしたのです。

「エミーネ、起きなさい。大女祭補様がお呼びよ。」
うわ、私はフィリシアの髪を梳きながら居眠りしていたようです。フィリシアを裸のままにしておいたのはまずかった、と思いましたが、見れば、綿布は彼女の身体をすっかり覆い、肩のところで留められていました。どうしたのでしょう? 彼女が起きて自分でやった? ともあれ、私は涎をぬぐって復命しました。

「はい、大女祭補様のところへ伺います。」
 フィリシアの頭をそっと枕の上に置くと、私は大女祭補様の執務室へ伺いました。

「大女祭補様、お呼びと伺いましたが。」
「えぇ、呼びましたよ。午睡を邪魔して申し訳ないけれど、あなたはもう十分休息したからかまわないでしょう?」
「休息って、まさか…?」
「えぇ、一刻ほど前に私、自分で呼びに行ったんですけど、あなたが余りにも気持ち良さそうでしたから。でも、お友達、あれじゃあ風邪を引かせてしまいますわね。」
「も、申し訳ありません。」
「そうねぇ、私に謝られても仕方ないのだけれど、彼女に謝ってもいまは意味がないし。じゃ、あなたも裸体をさらす、ということで。」
「だ、大女祭補様…。」
「冗談ですよ。でも、この寺院はパヴィスの往来に面していて、好き者どもが隙あらばと中を覗いているんだから、あなたも冗談は程ほどにね。」
「はい、もう致しません。」
「よろしい。さて、あなたを呼びつけた理由なんですが、あなたの同部屋の方々から不満が出ています。あなたが夜に騒々しい、と。」
「そうなんですか?」
「うーん、やっぱり意識的ではないみたいね。あなた、一晩中呻いたり喚いたりしていたそうよ。あなたとフィリシアさん、状態は違うけど、2人とも同じ状況に遭遇して同じくおかしくなったのだとしたら、あなたはいま過渡的な状態にあって、あなたもいずれフィリシアさんのようになるだろう、と私たちは見ているのだけれど。」
「それは、それはあてもそう思います。」
「でもね、昨晩はフィリシアさんを調べたのだけれど、いまいち原因が分からないのよ。混沌も精霊も検出できなかったし。それであなたに事情を聞こうと思ったのだけれど。できそう?」
「分かりません。あのときのことを思い出そうとすると、うっ!」
「だ、大丈夫?」
「ま、まだ…。思い出そうとすると、身体がだるくなってきて、頭が真っ白になって、何も分からなくなるんです。」
「やめとく?」
「いえ、いいえ。このままやと、あても何も喋れなくなってしまいかねません。できるうちにできることをしとかんと。ちょっと、頑張ってみます。う…、うぐ、ぐぐっ…。」
「しっかり!」
「ぐぬぬぬぬ…、うわぁー!」
 その後、私は大女祭補様の書見台をひっくり返して、大女祭補様に傷を負わせたそうです。私は気付くと、フィリシアの部屋で彼女の横に寝かされていました。そして私は暴れないようにでしょう、手首と足首を縛られていました。


負い目

 私が手首を縛る紐を歯で噛んで解こうとしていると、扉が開き、大女祭補が入ってきました。

「どう? 落ち着いた?」
「あて、何でこんなところに縛られて転がされてるんですか?」
「あなたはねぇ、あのあと暴れて、ほら見て、この傷。」
見ると、大女祭補の額には包帯が巻いてありました。

「それ、ひょっとして?」
「そう、あなたがやったのよ。」
「ひぇーっ、申し訳ございません。」
「ま、わざとじゃないんだから怒ってはいないけど、あなたを自由にしておくのもねぇ…。あの書見台、アルダチュール製の逸品だったんだけど。そんなわけで、またあなたに話を聞くんだけど、手は縛ったままでいいよね。」
「はい、構いません。」
大女祭補は私の足首を縛る紐を解き、私を立たせると、再び彼女の執務室へと私を連れて行きました。

「あなたたちの身柄に関して、あの組織から督促状がきてるんだけど。」
「あの組織? あぁ、赤くない方ですね。」
「そう、その赤くない方の組織から、あなたとフィリシアさんを引き渡してほしいって。信用ないわね、うち。」
「それで、どない答えはったんどす?」
「保留中よ。医学的に言って、とくにフィリシアさんを安静にできないようなところに送るのは感心できないけど、あちらさんが落ち着かないのも分かるわね。心神喪失者が2人も組織の外にいるんだもの。というわけで、答えはあなた方の、まあ実質的にあなたの考え次第で決めようと思ってるわけ。」
「あての考え…、どすか? 治療法が分からないうちは、その…、安静にしていた方がいいと思います。でも! そう、じっともしていられないんどす。」
「そうね。あなたまでフィリシアさんのようにならないうちに治療法を突き止めないとね。」
私は自分の耳朶が熱くなるのを感じました。

「あの…、見抜いてはったんどすか?」
「見抜く? 何を?」
「その、あてがフィリシアみたいになりたくない、って思っとったのを。」
「見抜くも何も。当然じゃない?」
「当然って…。フィリシアは、ともかくも、あてを助けてああなったんどす。せやのにあて、自分だけ助かったのを喜んで…。」
「ふぅん、なるほどね、あなたが負い目を感じる気持ちも分からないでもないわ。でも、あなただって楽してるわけじゃないじゃない。思わず机をひっくり返しちゃうくらい嫌な記憶と向き合って、治療法を見つけ出そうとしているんでしょ? それに、もしあなたまでダメになってたら、フィリシアさんの努力は無意味なものになっていただろうし、助けられる見込みもなかったと思うわ。もし負い目を感じているなら、あなたが生きて、自分とフィリシアさんを治して、二人で笑う、これが彼女の負債に報いる正しい道だと思うんだけど。」
「あてが…、生きる。」
「そう。それにせっかくあなたは最近、生きる喜びを見つけたんでしょ?」
「そ、それは…。」
「そうそう、その生きる喜びの君、さっきここに来たわね。」
「え? アルヨンはん? 何か言うてはりました?」
「あなたとフィリシアさんに会いたい、ってことだったんだけど、もう旅立ったって嘘ついて、追い返しちゃった。」
「は?」
「だってあのとき、あなた縛られながらもキーキー金切り声上げて暴れてたのよ。それでも会わせたほうがよかった?」
「そ、それは…、ちょっと…。」
「それに、彼、尾行されてたし。」
「尾行? 誰に?」
「さぁ? 前の彼女じゃない?」
「はいはい。当局の手の者どすか?」
「多分ね。勘違いかもしれないけれど、用心にしくはないわ。大丈夫よ、私がとっさについた嘘、まぁ当然だけど、彼、信じてなかったみたいだわ。折を見て、事情を伝えましょう。」
「はい、お願いします。お願いついでにもう一つ、」
「何かしら?」
「あてやフィリシアのような症状に陥った者の伝承や記録が過去になかったか、調べられませんか? 大ばばさまやお向かいのランカー・マイの学者さまに聞いて。」
「う~ん、じゃ、晩餐のあとに会合を持ちましょうか。でも、大ばばさまや学者さまを呼ぶのはいいけど、あなた、晩餐までに心を落ち着けておきなさいよ。人を集めておいて証言できませんでした、なんていうのは困るんだけど、もっと困るのがあなたがまた暴れること。机なんかぶつけたら、大ばばさま、死んでしまうわ。」
「はい。あてはもう睡眠はとったので、午睡の時間はお香を焚いて瞑想し、夜に備えたいと思います。」
「それがいいわね。部屋を用意するわ。」
「お願いします。」
 私は大女祭補の執務室を辞すと、薬局に行って香炉を借り、大女祭補にあてがわれた部屋にこもってお香を焚いて、晩祷まで瞑想にふけりました。

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