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「第28回九鼎会九州漢方合宿研究発表「傷寒と温病」解説」(2007/12/05 (水) 21:34:28) の最新版変更点
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*温病の成り立ち〜伏気温病
-「温病」という言葉はもともと「伏気温病」のことを指していた
--伏気温病:冬に受けた邪が潜行して春や夏に発病すること
*『黄帝内経』における「傷寒」
-『黄帝内経』の『素問熱論』における「傷寒」の定義は「急性感染性発熱性疾患の一群」
--黄帝内経には『素問』編と『霊枢』編がある
-成立年代は後漢(今から2000年ほど前)
*『難経』における「傷寒」と「温病」
-『難経』は『黄帝内経』の解説書
-『難経』における(広義の)「傷寒」の定義は「伝染性発熱性疾患の総称」
--広義の「傷寒」は五つに分類され、その中に狭義の「傷寒」と「温病」が含まれる
-古典に「傷寒」とある場合、広義と狭義の二つの意味を持ちうる
*『傷寒論』と「温病」
-現在の意味の「温病」という概念が使われだすのは今から300〜400年前
--それ以前は、全てを狭義の「傷寒」の方法論で治療
-『傷寒論』について
--今から1900年ほど前、後漢の張仲景が書いたと言われる
--今から500年ほど前に、研究されはじめた
---「傷寒」に関する書物は『傷寒論』以外にも諸々見られる
---それらの本では、現在の「温病」治療に似たようなことも行われている
*現在の意味での「温病」の始まり〜江南の諸師
-『傷寒論』研究グループの中から生まれた「温病」
--長江流域(上海から南方)で活動(「江南の諸師」と言われる)
---温暖・湿潤で衛生状態が悪く、伝染病が多い
--急性発熱性疾患を『傷寒論』をベースに研究
---『傷寒論』の方法論では治療できないケースが出てくる
-呉又可『温疫論』
--新しい温病の概念:新感温病の提出
---最初から温熱の邪に当たって起こる病気
---それまでの温病は「伏気温病」
--衛気営血弁証の提出
*衛気営血弁証
-衛分証
--風熱の邪によって侵された表証
---冬より春夏に多い
---悪寒期が短い
---最初から激しい熱が出て、主症状はのどの痛み
-気分証
--激しい熱
--内臓の諸症状
-営分証
--意識障害
-血分証
--出血傾向
*衛気営血弁証の問題点
-現在見られる病気には、これほど速い転帰をとるものはほとんどない
--当時はそういう病気があって、傷寒六経では解決できなかった
-衛気営血弁証はある特定の強烈な伝染性疾患にしか適用できない
--当時既にそのことはわかっていた
--同時にその有用性も認められていた
-一番長いのは気分証
--気分証の分析が必要となった
*三焦弁証
-呉鞠通『温病条弁』
--気分証を分ける形で三焦弁証を開発
|上焦|肺衛・肺|衛分証に近い|
|中焦|脾・胃・大腸|病気が進行|
|下焦|肝・腎|意識障害・痙攣→血分証に近い|
*逆伝心包
-なぜ“逆伝”か
--逆伝:普通じゃない状況で病気が進行すること
--本来は上焦→下焦に向かって病気は進む
---邪が心包経に入ると、上焦にもかかわらず意識障害が起き、「営血の中に邪熱する」
---初期なのに重篤なので、“逆伝”という
*六経弁証と三焦弁証の相違点
-六経弁証は主に足の経絡を侵す
--傷寒は陰邪ゆえに足を襲う
-三焦弁証は主に手の経絡を侵す
--温病は陽邪ゆえに手を襲う
----
(編集者:宮崎大学)
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*温病の成り立ち〜伏気温病
-「温病」という言葉はもともと「伏気温病」のことを指していた
--伏気温病:冬に受けた邪が潜行して春や夏に発病すること
*『黄帝内経』における「傷寒」
-『黄帝内経』の『素問熱論』における「傷寒」の定義は「急性感染性発熱性疾患の一群」
--黄帝内経には『素問』編と『霊枢』編がある
--成立年代は後漢(今から2000年ほど前)
*『難経』における「傷寒」と「温病」
-『難経』は『黄帝内経』の解説書
-『難経』における(広義の)「傷寒」の定義は「伝染性発熱性疾患の総称」
--広義の「傷寒」は五つに分類され、その中に狭義の「傷寒」と「温病」が含まれる
-古典に「傷寒」とある場合、広義と狭義の二つの意味を持ちうる
*『傷寒論』と「温病」
-現在の意味の「温病」という概念が使われだすのは今から300〜400年前
--それ以前は、全てを狭義の「傷寒」の方法論で治療
-『傷寒論』について
--今から1900年ほど前、後漢の張仲景が書いたと言われる
--今から500年ほど前に、研究されはじめた
---「傷寒」に関する書物は『傷寒論』以外にも諸々見られる
---それらの本では、現在の「温病」治療に似たようなことも行われている
*現在の意味での「温病」の始まり〜江南の諸師
-『傷寒論』研究グループの中から生まれた「温病」
--長江流域(上海から南方)で活動(「江南の諸師」と言われる)
---温暖・湿潤で衛生状態が悪く、伝染病が多い
--急性発熱性疾患を『傷寒論』をベースに研究
---『傷寒論』の方法論では治療できないケースが出てくる
-呉又可『温疫論』
--新しい温病の概念:新感温病の提出
---最初から温熱の邪に当たって起こる病気
---それまでの温病は「伏気温病」
--衛気営血弁証の提出
*衛気営血弁証
-衛分証
--風熱の邪によって侵された表証
---冬より春夏に多い
---悪寒期が短い
---最初から激しい熱が出て、主症状はのどの痛み
-気分証
--激しい熱
--内臓の諸症状
-営分証
--意識障害
-血分証
--出血傾向
*衛気営血弁証の問題点
-現在見られる病気には、これほど速い転帰をとるものはほとんどない
--当時はそういう病気があって、傷寒六経では解決できなかった
-衛気営血弁証はある特定の強烈な伝染性疾患にしか適用できない
--当時既にそのことはわかっていた
--同時にその有用性も認められていた
-一番長いのは気分証
--気分証の分析が必要となった
*三焦弁証
-呉鞠通『温病条弁』
--気分証を分ける形で三焦弁証を開発
|上焦|肺衛・肺|衛分証に近い|
|中焦|脾・胃・大腸|病気が進行|
|下焦|肝・腎|意識障害・痙攣→血分証に近い|
*逆伝心包
-なぜ“逆伝”か
--逆伝:普通じゃない状況で病気が進行すること
--本来は上焦→下焦に向かって病気は進む
---邪が心包経に入ると、上焦にもかかわらず意識障害が起き、「営血の中に邪熱する」
---初期なのに重篤なので、“逆伝”という
*六経弁証と三焦弁証の相違点
-六経弁証は主に足の経絡を侵す
--傷寒は陰邪ゆえに足を襲う
-三焦弁証は主に手の経絡を侵す
--温病は陽邪ゆえに手を襲う
----
(編集者:宮崎大学)
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