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第28回九鼎会九州漢方合宿研究発表「傷寒と温病」解説
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kuteikai
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温病の成り立ち〜伏気温病
- 「温病」という言葉はもともと「伏気温病」のことを指していた
- 伏気温病:冬に受けた邪が潜行して春や夏に発病すること
『黄帝内経』における「傷寒」
- 『黄帝内経』の『素問熱論』における「傷寒」の定義は「急性感染性発熱性疾患の一群」
- 黄帝内経には『素問』編と『霊枢』編がある
- 成立年代は後漢(今から2000年ほど前)
『難経』における「傷寒」と「温病」
- 『難経』は『黄帝内経』の解説書
- 『難経』における(広義の)「傷寒」の定義は「伝染性発熱性疾患の総称」
- 広義の「傷寒」は五つに分類され、その中に狭義の「傷寒」と「温病」が含まれる
- 古典に「傷寒」とある場合、広義と狭義の二つの意味を持ちうる
『傷寒論』と「温病」
- 現在の意味の「温病」という概念が使われだすのは今から300〜400年前
- それ以前は、全てを狭義の「傷寒」の方法論で治療
- 『傷寒論』について
- 今から1900年ほど前、後漢の張仲景が書いたと言われる
- 今から500年ほど前に、研究されはじめた
- 「傷寒」に関する書物は『傷寒論』以外にも諸々見られる
- それらの本では、現在の「温病」治療に似たようなことも行われている
現在の意味での「温病」の始まり〜江南の諸師
- 『傷寒論』研究グループの中から生まれた「温病」
- 長江流域(上海から南方)で活動(「江南の諸師」と言われる)
- 温暖・湿潤で衛生状態が悪く、伝染病が多い
- 急性発熱性疾患を『傷寒論』をベースに研究
- 『傷寒論』の方法論では治療できないケースが出てくる
- 長江流域(上海から南方)で活動(「江南の諸師」と言われる)
- 呉又可『温疫論』
- 新しい温病の概念:新感温病の提出
- 最初から温熱の邪に当たって起こる病気
- それまでの温病は「伏気温病」
- 衛気営血弁証の提出
- 新しい温病の概念:新感温病の提出
衛気営血弁証
- 衛分証
- 風熱の邪によって侵された表証
- 冬より春夏に多い
- 悪寒期が短い
- 最初から激しい熱が出て、主症状はのどの痛み
- 風熱の邪によって侵された表証
- 気分証
- 激しい熱
- 内臓の諸症状
- 営分証
- 意識障害
- 血分証
- 出血傾向
衛気営血弁証の問題点
- 現在見られる病気には、これほど速い転帰をとるものはほとんどない
- 当時はそういう病気があって、傷寒六経では解決できなかった
- 衛気営血弁証はある特定の強烈な伝染性疾患にしか適用できない
- 当時既にそのことはわかっていた
- 同時にその有用性も認められていた
- 一番長いのは気分証
- 気分証の分析が必要となった
三焦弁証
- 呉鞠通『温病条弁』
- 気分証を分ける形で三焦弁証を開発
上焦 | 肺衛・肺 | 衛分証に近い |
中焦 | 脾・胃・大腸 | 病気が進行 |
下焦 | 肝・腎 | 意識障害・痙攣→血分証に近い |
逆伝心包
- なぜ“逆伝”か
- 逆伝:普通じゃない状況で病気が進行すること
- 本来は上焦→下焦に向かって病気は進む
- 邪が心包経に入ると、上焦にもかかわらず意識障害が起き、「営血の中に邪熱する」
- 初期なのに重篤なので、“逆伝”という
六経弁証と三焦弁証の相違点
- 六経弁証は主に足の経絡を侵す
- 傷寒は陰邪ゆえに足を襲う
- 三焦弁証は主に手の経絡を侵す
- 温病は陽邪ゆえに手を襲う
(編集者:宮崎大学)
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