夏侯惇




「ゥハッ!!!」

  夏侯惇 (かこうとん、かこうじゅん、ピンイン: XiaHou Dun(シア ホウ・ドゥン)? - 延康元(220)年4月25日)は、
 後漢末~三国時代の武将、政治家。
 字(あざな)は 元譲 (げんじょう、yuan rang(ユェンラン))。
 豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の出身。

 夏侯氏は、前漢建国の功臣である夏侯嬰の末裔を自称する一族(本家は前漢末には途絶えている)。
 曹操の父・曹嵩は夏侯氏から養子に出て曹姓となったものとみなされており、
 夏侯惇は、曹操と夏侯淵の従兄弟に当たる。

正史『三国志』の本伝には目立った戦功がなく、曹操遠征中の後詰めを任された程度の記述しかない。
どちらかといえば、民政官や留守司令官としての功績が多く記されている。
当代きっての戦術家で陣頭指揮を好む曹操にとって、安心して後方を任せられる親族は貴重であり、
さらに、時宜によって曹操の意向や法律を気にせず行動するよう許可されていることから、
曹操がその能力や判断を深く信頼していたことがうかがえる。

また、曹操からの信頼が最も厚かった武将で、車への同乗や曹操の寝室への自由な出入りが唯一許されていた
(同じく信頼されてた典韋や郭嘉ですらここまでの待遇はされていない。ちなみに典韋を紹介したのも夏候惇)。
他にも曹操は『不臣の礼(配下として扱わない特別待遇)』を取ろうとした(夏侯惇は拒否)。
曹操の死後僅か数ヶ月で後を追うように死去。彼の亡骸は後の曹叡の時代に曹操と同じ廟園に祀られた。
この辺のくだりもなにか運命じみたものを感じざるを得ない。

人となりは清廉で慎ましく、軍中にすら師を招き講義を受けるなど、教養深い一面を持つが、
若い頃は師を侮辱したという理由で相手を殺しており、気性の烈しさで知られた。
呂布との抗争中に流れ矢で左目を失っており、従弟の夏侯淵と区別するため「盲夏侯」とあだ名されたが、
儒教の初学書『孝経』に「身體髮膚は之を父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の始めなり」とあるように、
儒教圏には「体を欠損することは親不孝」という通念もあり、当人はこれを不名誉として嫌がっていたようである。
隻眼になった当初は片っ端から目に付く鏡を叩き割っていたというあたり、彼の心の傷の深さは相当なものだったと思われる。

『演義』では上記の逸話が誇張され、「父母からいただいた体を無碍にはできぬ」と
射抜かれた自分の目玉を喰うという猛将っぷりが描かれる。・・・・すごい漢だ。
また、恋姫無双でもしっかりと再現されている眼球を抜き出す一枚絵付きで。  無論主君共々女性である。誰得だそれ。

現在では、「眼帯」「NO.2」といったわかりやすい要素からか人気も高く、
例によって『真・三國無双』シリーズの影響で「惇兄ぃ」「トニー」などと呼ばれ、
いかにもゴツい猛将というよりは、ダンディーなオヤジキャラとして認知されているようである。
ちなみに近年のシリーズでは、衣装差分で眼帯のない両目の揃った顔を拝む事も出来る。
何の因果か、無双の夏侯惇は戦国BASARA伊達政宗とは中の人も一緒で隻眼キャラという点でも共通していたりする。 流石に六爪流ではないが

ニコニコ動画歴史戦略ゲーにおいては、
何かにつけてキャラブレイクする曹操(もしくは自軍武将達)のブレーキ役として常識人ポジションに落ち着く事が多いようだ。

格ゲーにおける夏候惇

格闘ゲームとしては1993年に台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム、
SangoFighter(正式名『三國志 武將爭霸』)』、
および1995年に発売された続編の『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』に登場。
鱗の様な鎧に身を包んだ眼帯+悪人面の髭オヤジ。
わりと悪党ヅラだが、SANGO自体が伝統的な演義解釈に則った、
「正義の五虎将を操作して、悪の曹操をブッ殺せ!」というゲームなのでしょうがない
まぁ今じゃなんだかんだシブカッコいい眼帯の帝王も初代じゃ相当の悪役ヅラだったしね。


MUGENにおける夏候惇

『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在する。
性能的にはガンガン前に出て攻撃を当てていく超接近戦タイプ。
奇想天外な動きと突進技で相手を壁に追い詰めていく戦法が主体。
重力を無視した空中逆さダブルラリアットを繰り出し、多段ヒットで体力をごっそり持っていく。
従弟の夏侯淵とタッグを組ませたときのダメージたるや凶悪の一言である。
また、北斗ばりのバク宙キックも繰り出す。


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