張遼




「アァ~~イ」


 張遼(ちょうりょう、ピンイン: Zhang Liao(ジャン・リァオ)169年 - 222年)は後漢末~三国時代の武将。
 字(あざな)は文遠(ぶんえん、wen yuan(ウェンユェン))。
 雁門郡馬邑県(現在の山西省朔州市朔城区)の出身。


仕えていた丁原が呂布に殺されたため董卓に、呂布が董卓をも殺したため呂布に従う。
呂布が敗れると降伏して曹操に仕えた。

合肥の戦いでは、7000の兵で10万を号する呉軍と対峙。普通ならまず勝ち目が無い戦のはずなのだが……
同僚の李典と共に精兵800人を将いて呉の大将・孫権の本陣に朝駆けし、自ら将2人・兵30数人を斬る。
所詮少数だと気がついた孫権軍に幾重にも包囲されるが、その武力でもって強行突破。
さらにとり残された兵士達が「我らを見捨てるのか!」と叫ぶのを聞くなり再突入、
またも包囲を切り崩して全員を救出するというチートぶりを発揮。
気勢を挫かれた孫権は一時撤退を決めるが、なおも張遼に追撃され、部下の命がけの奮戦でかろうじて逃げ延びた。

後にまた魏を攻めた孫権だが、張遼が病を押して前線に来たことを知ると
「張遼は病めりと雖も当る可からざるなり、之を慎め(張遼が病んでいるのだとしても、軽々しく挑んではならず、これには危機感を持って当たらなければならない)」
と諸将に命じている。
これは正史『三国志』張遼伝・呉主権伝・淩統伝に記載されている。
この時のトラウマから、呉では「遼来、遼来(張遼が来るぞ)!」と言うと泣く子も黙ったとか。
人外魔境っぷりでは本多忠勝といい勝負である。

『演義』では、傲慢な性格ながら義理堅く、義理堅い仲間の関羽と親交があったことになり、いい場面を回してもらえている。
次に紹介するのは曹操に降伏した第十九回、二十回での一コマ。
敗れながらなんだかんだと命乞いする呂布を「死ぬ時は死ね!」と一喝、進んで刑に臨んだことから曹操に気に入られるが、
曹操に対して「この国賊を焼き殺せなかったのが残念だ」と暴言を吐いたため、手ずから処断されそうになる。
しかし劉備が「彼は赤心の人です」と慌てて止めに入り、関羽も「文遠は忠義の士です」と助命を乞うたので、曹操も許し中郎将に任じた。
以降張遼は、曹操の元で呂布の騎馬軍団を引き継ぎ活躍することとなる。

演義では割と美化されているが、元来は傲慢な性質であったと伝えられる。
呂布軍の降将であることとその性格から、夏侯惇夏侯淵・于禁など曹操の旧臣とはことごとく仲が悪かった。
ただし武将としては非常に優秀なことを曹操も認めていたので、不仲の夏侯一門が主に押さえていた西方ではなく、
東方の孫呉との要である合肥に着かされる事になった。
だが一緒に赴任していた楽進・李典ともやっぱり仲が悪かった。
李典の場合、伯父が呂布軍に殺されているため、仇扱いされるのも仕方のない話なのだが。

曹操の魏軍は『演義』における敵役なため、主人公サイドの蜀将たちと違って活躍を削られることが多く、
合肥の戦いが描かれる第六十七回「曹操 漢中の地を平定し 張遼 威は逍遙津に震ぶ」では、
兵数の極端な不利には触れず、「楽進を囮にして引きつけた孫権本隊を、李典とともに2000の騎兵で襲撃し散々に打ち破った」
程度にしか書かれていない。
関羽の親友ということで比較的好待遇の張遼でこれだから、他の連中は推して知るべし。
創作である『演義』より正史の記述の方がよっぽどチートというのは実は珍しい例。
ただし「正史」とて「正確な記述がなされた歴史書」という意味ではなく、
正統王朝である魏と西晋を賞賛する目的で作られた「正統な歴史」にすぎないので、歴史的事実という保証は当然ない。
あれが全て史実だったら、生物進化論の研究が振り出しに戻りそうだしね。

+ 真・三國無双シリーズにおける張遼


格闘ゲームとしては台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム
SangoFighter(正式名『三國志 武將爭霸』)』の正統続編『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』にて、
魏の武将の追加キャラクターとして登場。

MUGENでは、『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在する。
整った髭をたくわえた理知的な印象を受けるキャラクター。
勝利時にはアァ~~イというやけに耳に残るボイスと共に相手をやれやれといった感じで見下してくる。
性能的には滑るように高速移動しながら回転足払いを繰り出すかなりトリッキーなキャラクター。
お覇王ばりの強力な飛び道具も持ち、ハマればかなりの強さを発揮する。
必殺投げ→落ちてきたところを足払いで拾うコンボを主体としてガンガン攻めていこう。
  • 三国スルー実用例
7:11から


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