甘寧





 甘寧(かんねい、ピンイン: Gan Ning(ガン・ニン)? - 215年)は、
 中国の後漢末、孫権に仕えた武将。字(あざな)は興覇(こうは、xing ba(シーンバ))。
 益州の巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)出身で祖先は南陽の人。甘瓌・甘述の父。曾孫の甘卓は東晋に仕えた。

10代前半(甘寧伝に在る「少」の表記は、10代前半を意味する字句)から今で言う暴力団の組長の様な事をしており、不良の若者を集めて武装させていた。
弓や弩で武装して強盗したり、地方の役人と癒着して治安維持などもやったというので、かなり本格的な暴力団だったようだ。
羽飾りを背負い、鈴を常に携えていたので、民衆は鈴の音を聞いただけでそれが甘寧だと分かり恐怖したという。

だが20年あまりも経ってから乱暴狼藉をパッタリ止め、勉強して(恐らく数年からは要したか)字も読めるようになった。
一時期は益州に仕官して会計報告係に取り立てられたが、ほどなくして職を辞している。
194年、劉璋に謀叛するも失敗し荊州へ逃走、部下800人と共に劉表に仕えたが、前職ヤクザで謀叛未遂という前歴のため重用されなかった。
その後も劉表配下で江夏太守の黄祖に仕えるが食客扱いされ、江東に移ろうとするも黄祖の軍勢が邪魔で通れず3年の時を過ごす。
その間に劉表と対立していた孫権と激突し(203年)、凌操を討ち取る活躍を見せるが待遇は何も変わらなかった。
甘寧の実力を認めていた黄祖配下の都督、蘇飛が黄祖に重用するように進言していたが、黄祖は逆に甘寧配下の食客を引き抜くなどしたため、関係は悪化した。
甘寧の待遇に見るに見かねた蘇飛は策を練り、甘寧を江東へ脱出できるように手助けし甘寧は呉の孫権に仕える。
この時、呉の将軍であった周瑜・呂蒙が連名で推薦したため、孫権は旧臣同様に甘寧を遇する事にした。
甘寧はこの待遇に感激し困難な任務を自ら進んで引き受け、時には戦場で兵達の先頭に立ち、様々な戦功を立てた。
対劉表戦でも活躍して元上司である黄祖を倒し、処刑対象の一人だった蘇飛の助命を頭を打ちつけ泣きながらお願いするなど、
いわば非常に義理堅く、恩義には命がけで報いる好漢であった。

なかでも合肥の戦いで張遼相手に呉が大敗した後、曹操が濡須へ侵攻した際には、
100人の決死隊を率いて曹操の陣営に夜半奇襲をかけた。この奇襲で曹操軍は混乱し、動揺して引き下がった。
この活躍に孫権は「魏には張遼がいるが、呉には甘寧がいる」と甘寧の武勇と豪胆さを賞賛し、大いに愉快がったという。

また爽快な人柄で優れた計略を持ち、財貨を軽んじて士人を敬い、手厚く勇者たちを育てたので、彼らの方でも「甘寧殿の御役に立ちたい」と願った人が多かった。
一方で粗暴で殺人を好み、上司の呂蒙の意に反したり孫権の命令を違えたこともあったとされており、失敗した部下が甘寧を恐れて逃げ出したこともあった。
ちなみにその部下は甘寧が呂蒙に対し彼を殺さないことを約束した上で解放されたのだが、
その後甘寧は堂々と部下を縛り付けて射殺した。約束なんか知った事ではないと言わんばかりである。
当然呂蒙はキレた。兵を動かして討ち取ろうとするくらいキレた。だが、母親に説得されてなんとか収めた。
『正史』を読む限り甘寧は以前にもこんなことをしていたか周囲にこういう奴だと思われていたらしく
(はっきりと「粗暴にして殺を好む(乱暴で人殺しが好きなヤバい人)」とか書かれてるし。一応フォローはされてるけど)、
更に孫皎(孫権の従兄)など他の武将と喧嘩した事例は他にもあるので、就職してからも色々とヤクザをしていたようである。

『演義』でも、勇猛かつ粗暴だが決して脳筋ではない兄貴分的なイメージは変わらない。
劉表配下の時に射殺した凌操の息子である凌統に孫権軍に下った以降も殺意を抱かれるぐらいに恨まれるも、
後の戦いで彼を救い互いに深い親交を結ぶ。
但し『正史』では親交を結んだ記述はない……どころか刀を持って舞い始めた凌統に対し
自分も戟を持って舞おうとして呂蒙に止められるという鴻門之会じみた逸話が残っている。
さすがに孫権も見かねたらしく、配置換えをして二人が接触しないようにしたという。
これを見る限り仲直りしようとする気は見られない、むしろ悪化している気さえする…。
でも、会っただけで殺し合おうとしてしまうのだからこれで良かったのかも知れない…。
恩には恩を返すが仇は仇で返さないと気が済まないタイプらしい。
そして『真・三國無双7猛将伝』からは↑のタイプそのままにインテリヤクザこと法正が無双武将化してきた訳だが

『正史』では合肥戦直後の215年冬に没しており、使い勝手の良い鉄砲玉なヤクザ者を喪い孫権は痛惜した。享年60代後半。
『演義』では、夷陵の戦いにおいて病床の身を押して出陣し、敵の矢を受けて戦死している。享年40代後半。

しかし、何といっても甘寧といえば横山版三国志の


このシーンが有名だろう。
両手に持った鉄球を振り回しながら梯子を昇って城壁に駆け上がった姿があまりにもインパクト抜群だったようで、今になってもネタにされている。
その影響か、『真・三國無双』シリーズでは『6』から鎖鎌または鎖分銅を得意武器とするようになり
(『8』では最も形状の近い双流星が追加されたが、そちらは甘寧ではなく同作でPC化した徐盛の得意武器に設定されている)、
ニコニコ歴史戦略ゲーでは上記のセリフのほかに
自分の武器にメアリーと名付けたりと割とフリーダム(しかし、それら以外は至ってまとも)。

三国志の人物を性転換させた『恋姫†夢想』シリーズにも登場している(真名は思春)。


格闘ゲームにおける甘寧

台湾の「熊猫軟體股扮有限公司(Panda Entertainment)」によって制作されたPCゲーム、
SangoFighter(正式名『三國志 武將爭霸』)』の正統続編『SangoFighter2(『武將爭覇2』)』にて、
呉の武将の一人として黄蓋、太史慈、孫策の三人と共に登場。


MUGENにおける甘寧

『武將爭覇2』の韓国語版を元に、General Chicken氏の製作したものが存在。
海外サイト「Mugen Storehouse」内の「Old Mugen Storehouse」というコーナーにて氏の他の武将達とセットで代理公開されていたが、
サーバーに問題が発生したらしく、現在は正規入手不可。

呉の武将の中ではただ一人作られているキャラクター。
一見すると真面目な印象を受けるが、その実馬超ばりに変なポーズをとるお茶目なオッサンである。
とくにゲージ溜めのポーズは馬超に負けず劣らずの開放感に満ち溢れている。
そしてなにより勝ちボイスがどう聞いても呪いの館です、ほんとうにありがとうござい(ry

性能的にはエドモンド本田ばりの連続掌底と、超巨大飛び道具を併用して戦うキャラクター。
彼もまた素手波動の使い手である。
ハメ技はないが代わりに優れた対空技を持ち、全体的に隙がない。
最大威力の飛び道具はヒットすれば五割は持っていく最も強力な技である。

+ 大会ネタバレ
またヘンテコなネタとかで男女タッグトーナメントでは、ルビィ・ハートと共に「江海賊」というタッグで参戦。
甘寧が所属した呉という国は長江という自然境界線を抜きには語れない国であり、演義の甘寧のように「江賊」「河賊」などと呼ばれることがままあった。

当初はその存在のマイナーさから名前を認知してもらえなかったが、
相方とのワンチャンスからの怒涛のラッシュ力を見せつけるにつけ、徐々に存在感を発揮するようになる。
やがて必殺の連続掌底には「んぱ んぱ んぱ んぱ んぱ んぱ」というコメントが張られるようになり、最終的に三位入賞という好成績を収めた。
またパートによっては勝利ポーズでルビィの海賊団に見事に馴染んでいる彼の姿が見られる。

ちなみにこちらのおまけパートでは馬超との間にマニアックすぎる三国志会話を聞くことが出来る。
三国志の知識に自信のある人は一度挑戦してみたらどうか。

出場大会



最終更新:2021年04月28日 13:26