松村邦洋


太田プロダクション所属のお笑いタレント。1967年生まれ。名前の読みは「まつむら くにひろ」。
伊集院光氏、ホンジャマカの石塚英彦氏と肩を並べるデブタレントの「御三家」、
さらにパパイヤ鈴木氏(もしくは内山信二氏)を加えた「四天王」の一角である
(本気で言ったのかは不明だが伊集院光氏曰く、高木ブー氏は「デブタレの神」だそうである)。

ビートたけしとんねるずの石橋貴明、掛布雅之等といった物真似を得意としており、
高校生の時から地元山口や広島のラジオに出演。
その後得意のものまねを片岡鶴太郎に見出され上京。
フジテレビの『オールスター・ものまね王座決定戦』の常連となり、
「バウバウ」と言って手を叩くギャグでブレイクする(ちなみにこのギャグは元々構成作家の高田文夫の物真似である)。
「本人がしそうな(実際に本人がしているかは関係ない)」情景模写タイプの物真似で、その実力はベテランの域に達している。

その後1992年に松本明子氏と共に『進め!電波少年』のメイン司会に。
「渋谷のチーマーを更生させたい!」「村山富市首相(当時)の眉毛を切りたい!」等といった、
様々な「アポなし突撃取材」を敢行し、社会現象となった。
時に砂漠で遭難しかける等、それらのロケはとてもハードであった事は想像に難くない。*1
また、そのため当時警察からは松本明子氏と共に色々目を付けられていたらしい。

またラジオでのパーソナリティとして、テレビとは違った「喋り」の面白さを持っており、
『松村邦洋のオールナイトニッポン』では数多くの名コーナーを生み出した人気番組となり、
ここでも松村氏は非凡な才能を発揮していた。
特に「木村卓球哉のホップステップスマッシュ!」のコーナーは、
投稿方法がまだ葉書が主流だった時にも拘らず、最高で2000通以上のネタ投稿の葉書が寄せられ、
2時間の放送で1時間45分丸々、同コーナーの葉書紹介に使われたほど、オールナイトニッポン史上に残る「伝説」の一つを築き上げた。

2009年3月22日の東京国際マラソンにおいては、出走中に突然心筋梗塞で倒れてしまった事が話題となった。
一時心肺停止に陥ってしまい病院に搬送されるものの、
周囲の早急な処置もあってその後無事に退院、翌月に復帰会見をした。

その様な事もありその後デブタレントを「卒業」すると宣言。
今やすっきりとした痩身になっている。

(以上、wikipediaより一部抜粋・改稿)


ゲームにおける松村邦洋

1994年にはショウエイシステムから、松村邦洋を前面に押し出した格闘ゲーム『松村邦洋伝 最強の歴史をぬりかえろ!』がSFCで発売された。
何故作った。

キャラクターは顔が実写で約2.5頭身の体にリアルな顔という独特なもの。
また、所々に『電波少年』を思わせるSEが使われている。
『松村の挑戦』(所謂アーケードモード)では、ある日マネージャーに「自分を最強にしたゲームを作ってもらえ」と言われ街に繰り出した松村氏が、
何故か不良や女子プロレスラー婦警、果ては超人等と戦う羽目になりながら、
ゲーム会社を目指していくというストーリーとなっている。
相手に勝利する事で相手の肩書きを奪う事ができ、文字通り最強を目指していく。
その他のキャラクターは「マツムラ・ファイター」(所謂VSモード)で使用する事が出来る。ただし松村氏の顔で。
ちなみに松村以外のキャラクターは『松村邦洋のオールナイトニッポン』やファミ通で募集された一般の読者及び視聴者であり、
対戦モードでもRボタンを押しながらキャラ選択する事により使用する事が出来る。

ゲームシステムとして特徴的なのがガードが無い事である。
キャンセル必殺技等も存在しない。
代わりに攻撃避けになる「バウバウ」・体力回復技「ピロピロ」があり、
これを駆使する事が攻略の鍵となっている。
二つとも松村氏の持ちネタが元になっているが、何故か松村以外のキャラクターも使う事が可能である。まあ共通システムだからしょうがない。
何気に『餓狼伝説3』よりも先にオーバースウェーシステムを採用したゲームでもある(体力回復もハイデルンより先)。



MUGENにおける松村邦洋

MASA@DAS氏によるものが存在する。最新版はMUGEN1.1以降専用。
2017年2月のJ:COMのWebspace終了によるサイト消滅以降は、マムル氏によって1.1版が代理公開されている。

外部AIはguykazama氏による1.1版用のものが公開中。
また、WinMUGEN版にもサクラカ氏によるAIが存在していた。

出場大会



最後に、当然の話だが松村邦洋氏は
MUGENを含む二次創作を他所に持ち出し、当人やその関係各所に迷惑を掛ける事は絶対に許されない行為である事を忘れてはならない。
使用する場合はネタをネタとして楽しみつつ、失礼の無いよう節度を持った振る舞いを心がけよう。


*1 
ただ松村氏自身は番組を卒業して以降(『進ぬ!電波少年』時代)に行われた企画に対して、
「昔は自分のしたロケがものすごくきついものだと思っていたが、猿岩石(かつて有吉弘行が所属していたお笑いコンビ)のヒッチハイク等を見ていたら、
 自分のしたロケなんて大したこと無かったんじゃないかと思う様になった」
という旨の発言をしている。
・・・・すごいタレントだ。

…実は「ヒッチハイクの旅」は後にズルをしていた事が判明している(一応、どうしようもない時の最低限の措置だったと言う話だが)。
なので松村氏のロケもどこまで本気だったかは不明である。
なお、この騒動で取材を受けた番組プロデューサーの秋元康氏は「電波少年は報道番組ではなくバラエティですが?」と返したと言う。


最終更新:2023年06月11日 22:45