国語の教科書

国語

国語は、その国家を代表する言語で、公の性格を担った言語の事を指す。
国民国家形成の必須条件である。

日本の学校教育における教科の一つでもある。
日本語および言語表現の理解、言語による表現方法の獲得などを目的として行われる教科であり、
小学校の段階から中学校・高等学校の段階に設けられている。

おおまかには次のような内容が取り扱われる。文字(表記)・発音・文法・語彙等の体系、言語そのものの特質などの指導。
教科「国語」の学習内容については、「漢字を覚える事」「語彙・ことわざ・慣用句などを覚える事」「文学鑑賞」「説明文の読解」が、
学習内容の全てまたはメインのように思われる事も多い。

初等教育段階においては、日本語の読み書き、読解能力の育成、作文教育など、狭義の国語が主となっている。
確認できる範囲では2014年頃からは俳句のような伝統的な内容が早期に導入される傾向が見られる。また、初等教育では書写も含まれている。

教科書

教科書は学問などを学ぶ時に、主たる教材として用いられる図書の事。
日本の初等教育(小学校などにおける教育)と中等教育(中学校・高等学校などにおける教育)では、
文部科学大臣による検定を経た教科用図書(文部科学省検定済教科書)や、
文部科学省が著作の名義を有する教育用図書(文部科学省著作教科書)が殆どの場合で用いられている。
これらは、学習指導要領に準拠したものである。
教科用図書は、教科書供給所を経て流通する事になっており、歴史教科書問題として問題視されるのは、社会科の教科用図書である。
この他、文部科学省の検定を受けない準教科書・検定外教科書などが使われる場合もある。
国語の教科書には、主に、日本の古典的な小説や詩などが書いてあり、その作品に出る漢字の説明などがある。

(以上wikipediaより一部引用、改変)


MUGENにおける国語の教科書

工場長2621氏のキャラクター?が存在。何故作った
立ち絵はトップ絵にある光村図書の「国語1」のキャプチャが使用されている。
国語の教科書に掲載されている話に関連する人物や道具に変身したり、召喚したりする。
ダッシュ時にはメロスに変身し走れメロスのように、パワー溜め時には三年とうげのおじいさんになる。
やられアニメはエーミールの強烈な台詞「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな。」で有名な、
『少年の日の思い出』のクジャクヤママユ。*1
音声には朗読されているものの他、足りない部分はSoftalkが使用されている。

AIもデフォルトで搭載されており、二種類から選択可能。
通常AIは並性能であるが、発狂AIはあのエルクゥを倒してしまうほど凶悪である。

+ 元ネタ一覧
技名 作品タイトル 作者 備考 朗読者
走れメロス 同左 太宰治 メロスは激怒した 大塚明夫
スイミー 同左 レオ・レオニ 訳:谷川俊太郎 softalk
やまなし 同左 宮沢賢治 クラムボンはわらったよ 弟:夏目奈奈 兄:池辺久美子
えんびフライ 『盆土産』 三浦哲郎 べおん softalk
羅生門 同左 芥川龍之介 言わぬと、これだぞよ 日高徹郎
ちからたろう 同左 岩手県の昔ばなし 武田真治
大造じいさんとガン 同左 椋鳩十 また堂々と戦おうじゃあないか softalk
ルロイ修道士 『握手』 井上ひさし おまえは悪い子だ softalk
山月記 同左 中島敦 臆病な自尊心と尊大な羞恥心 日高徹郎
三つのお願い 同左 ルシール・クリフトン レナ softalk
モチモチの木 同左 斎藤隆介 切り絵:滝平二郎 softalk
三年とうげ 同左 李錦玉 えいやら、えいやら、えいやらや softalk
クジャクヤママユ 『少年の日の思い出』 ヘルマン・ヘッセ エーミール softalk
スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピン 地球儀 牧野信一 2013年センター試験 softalk

出場大会



*1
友達エーミールから以前に珍しい蝶の標本について酷評された経験のある「僕」は、
エーミールが貴重なクジャクヤママユの羽化を成功させ標本を作っていると知ってしまい、
嫉妬のあまりその標本を盗もうとした末、思い留まったものの誤って標本を無惨に潰してしまう。
罪悪感から母にその罪を告白した「僕」は、母に促されて渋々とエーミールのもとに謝罪へ訪れる。
しかし標本の修復を行っていたエーミールが、溜め息交じりに冷淡な口調で述べたのが上記の言葉である。

「僕」の記述ではエーミールを軽蔑するような内容となっているが、二人は互いの部屋に遊びに行けるほど親密な間柄である。
にも拘らず「僕」は相手の宝物を盗んだ末に破損し、渋々謝罪に訪れ、賠償として二束三文の中古玩具と下手な自作標本を提案している。
エーミールは友人だと思っていた「僕」の底の浅さを知って、軽蔑と共に、罵倒するでもなく正当な評価を下したのだ。

「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。
 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ」

「僕」に感情移入して読んでいた読者の心を抉りながらも、エーミールにそれを言わせるだけの行為を働いたのも事実な上、
「何をしても謝ったら許してもらえる」という浅はかさを見抜かれた「僕」のこの述懐は、「僕」が大人になった後のものである。
つまり「僕」は大人になってもグチグチと、過去の悪事の責任をエーミールに押し付けて、恨みがましく思っているのだ。
学生時代に「僕」同様「謝っても許してくれないなんて酷い」と思った人は、大人になってその事実に気づいた瞬間、ニ度心を抉られる事になる。

「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな」

この台詞はインターネット上の構文としても使いやすい事もあって、2012年頃からは結構頻繁に使われるフレーズとなっている。
ちなみに日本では教科書に載った事もあって知名度が高いが、本国では割とマイナーな作品らしい。


最終更新:2024年03月29日 18:27
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