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>『Dear ミズキ様    4月6日  今日もつまらない一日だったよ。 まあ私にとってはそれが日常だけど。  人間ってホント面白い生き物だよね。  口では「親友だよ。」っていってるくせに腹の探り合いしてるんだよ。ほんっとくだらないよね。  ミズキもそう思わない?  って言っても無駄だけどね。  この手紙がミズキに届かないことなんて分かってるけど、つい書いちゃうんだ。これも私の日常のうちかな。 あはは。』  普段の執筆を終えた私は、ゆっくりと机の引き出しにその手紙をしまいこむ。こうやってミズキに手紙を書くのを、私は何年も続けている。お母さんが死んで、ミズキがいなくなった日から。引き出しの中に入った色とりどりの封筒。この中には私のつらい過去がいっぱい詰まっているのだ。 『まるでパンドラの箱みたいだね』  小さい頃、友達に話すとそう言われた。 『わるいものがいっぱいつまってるんだよ。みずきちゃんは、パンドラの箱をつくっちゃったんだね。なんだかかみさまみたい。』  そういってその子はうふふ、と笑った。  それが理由なのか知らないが、私は一度も自分が書いた手紙をもう一度開いて読んだことは無い。いいや、開けてしまったら私はもう立ち直れないだろう。  でもきっと、と私は思ってしまう。    きっと、ミズキが助けてくれる。 ---- あの日、お母さんは小さな壷に入れられて帰ってきた。 『これがお母さんよ』と、親戚の伯母に言われて持った壷は、とても軽くて、もう母はここにいないのだ、という現実感をいっそう引立たせた。 母の骨壷を小さな手で撫でている私を、皆が哀れんだ。 『可哀想にねぇ、あんなにすみれさんに懐いていたのに。』 『父親もいないんでしょ、誰が引き取るのかしら。』 『えっ、うちは子どもが四人もいるから無理よ・・・』  私はもうあの頃から『私』ではなかった。  私は仮面を被りはじめた。人に哀れみの目を向けられないために。 「私は強いんだよ。だから助けなんて要らないんだよ。」  いつも皆の前ではニコニコと笑っていた。 『まだ小さいから死って言うものが分からないのかしらねぇ。』 『まぁそれはそれで幸福なことなのかもしれないわよ。』  反対されていたお父さんと結婚したことで、実家から勘当されていた母の子の私を引き取る人は誰一人と名乗り出なかった。仕方がなく祖母が引き取ることになった。私はその時初めて母の実家が歴史ある由緒正しい家であることを知った。つまり、大富豪だったのだ。名字がすでに変わっていた私はちっとも気づかなかった。  着物を専門とする橘呉服店、橘グループの跡取りであるはずだった私の母は、父と駆け落ち結婚し、父が失踪してからも一度も祖母に会わなかった。 「ここが今日から貴方の家ですよ。」  言われるままについてきた高級住宅街には、とても大きな和風のお屋敷があった。  入った瞬間、なぜ母が此処から逃げ出したのかが分かった。 ----  ここの住人は、『完璧』を好む。  一寸のずれもなく敷かれている敷石。  枯れた花や虫食いの葉などない植木。  どこまでも続いていそうなまっすぐな廊下。  身の回りのものは全て『完璧』なのに、自分だけ『完璧』ではない。  この息の詰まるような空間に、母は耐えられなかったのだろう。  足音を一切立てず、滑るように果てのない廊下を歩く祖母の背中は、『完璧』でない私を静かに拒絶していた。
>『Dear ミズキ様    4月6日  今日もつまらない一日だったよ。 まあ私にとってはそれが日常だけど。  人間ってホント面白い生き物だよね。  口では「親友だよ。」っていってるくせに腹の探り合いしてるんだよ。ほんっとくだらないよね。  ミズキもそう思わない?  って言っても無駄だけどね。  この手紙がミズキに届かないことなんて分かってるけど、つい書いちゃうんだ。これも私の日常のうちかな。 あはは。』  普段の執筆を終えた私は、ゆっくりと机の引き出しにその手紙をしまいこむ。こうやってミズキに手紙を書くのを、私は何年も続けている。お母さんが死んで、ミズキがいなくなった日から。引き出しの中に入った色とりどりの封筒。この中には私のつらい過去がいっぱい詰まっているのだ。 『まるでパンドラの箱みたいだね』  小さい頃、友達に話すとそう言われた。 『わるいものがいっぱいつまってるんだよ。みずきちゃんは、パンドラの箱をつくっちゃったんだね。なんだかかみさまみたい。』  そういってその子はうふふ、と笑った。  それが理由なのか知らないが、私は一度も自分が書いた手紙をもう一度開いて読んだことは無い。いいや、開けてしまったら私はもう立ち直れないだろう。でもきっと、と私は思ってしまう。  きっと、ミズキが助けてくれる。 ---- あの日、お母さんは小さな壷に入れられて帰ってきた。 『これがお母さんよ』と、親戚の伯母に言われて持った壷は、とても軽くて、もう母はここにいないのだ、という現実感をいっそう引立たせた。 母の骨壷を小さな手で撫でている私を、皆が哀れんだ。 『可哀想にねぇ、あんなにすみれさんに懐いていたのに。』 『父親もいないんでしょ、誰が引き取るのかしら。』 『えっ、うちは子どもが四人もいるから無理よ・・・』  私はもうあの頃から『私』ではなかった。  私は仮面を被りはじめた。人に哀れみの目を向けられないために。 「私は強いんだよ。だから助けなんて要らないんだよ。」  いつも皆の前ではニコニコと笑っていた。 『まだ小さいから死って言うものが分からないのかしらねぇ。』 『まぁそれはそれで幸福なことなのかもしれないわよ。』  反対されていたお父さんと結婚したことで、実家から勘当されていた母の子の私を引き取る人は誰一人と名乗り出なかった。仕方がなく祖母が引き取ることになった。私はその時初めて母の実家が歴史ある由緒正しい家であることを知った。つまり、大富豪だったのだ。名字がすでに変わっていた私はちっとも気づかなかった。  着物を専門とする橘呉服店、橘グループの跡取りであるはずだった私の母は、父と駆け落ち結婚し、父が失踪してからも一度も祖母に会わなかった。 「ここが今日から貴方の家ですよ。」  言われるままについてきた高級住宅街には、とても大きな和風のお屋敷があった。  入った瞬間、なぜ母が此処から逃げ出したのかが分かった。 ----  ここの住人は、『完璧』を好む。  一寸のずれもなく敷かれている敷石。  枯れた花や虫食いの葉などない植木。  どこまでも続いていそうなまっすぐな廊下。  身の回りのものは全て『完璧』なのに、自分だけ『完璧』ではない。  この息の詰まるような空間に、母は耐えられなかったのだろう。  足音を一切立てず、滑るように果てのない廊下を歩く祖母の背中は、『完璧』でない私を静かに拒絶していた。

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