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一迅の風邪が吹いた。



うだるような蒸し暑さは夕方になっても続いていて、肌がじっとりと汗ばんでいた。


しかし喉はからからで、音を発することはなかった。




いや、発することが出来なかった。


私の口はぱくぱくと、ただ空気を食べるだけだった。





「物凄く驚いてらっしゃるのですね。そんなに意外な事でしたか?」



人を殺したと今現在自白している紅葉には微塵の焦りや後悔の念は見られなかった。




それどころか楽しそうだった。




まるで動揺している私が自分の罪を問いただされているようだった。



黙ったままでいる私を紅葉はとても愉しそうに見つめていた。




その瞳にはいままで感じたことのない狂おしいほどの情がつめこまれているのを


私は見てしまったのだ。




私は後退った。


さもないと喰われてしまいそうだった。



彼女の目は、捕食者の目をしていた。



ずっと陰に隠していた獣を彼女は解き放したのだ。


その目は、鷹のように私をしっかりと捕らえて離さなかった。




「やっぱりお気付きにはならなかったのですね」




彼女の顔に変化が現れた。

思わず震えるため息を吐く。


「気づかなかった…お前たちは愛し合って結婚したのではなかったのか…?」



声を取り戻した私を、紅葉は一変人間らしさを取り戻したような寂しい笑みを見せる。




「やはり…あなたはやはりあたしをみていなかったんね」



さみしいが、しかし何処か自分を自嘲した言い方。




私は今まで異常に困惑した。



紅葉の今まで見せたこともない素に驚いていたこともあるが、なにより紅葉が何を言いたいのか、何を私に求めているのか分からない。




いや、解りたくなかったのかもしれない。






「あたしはあんたが好きやった。」


世界が一変した。



あたりは暗くなり、蝉が力一杯叫びはじめた。



もう飲み込むつばは口の中に残っていなかった。




「でもアンタはいつも違う方ばっか眺めてやってちぃとも私の想いになんか気づいとらんかった」




「お前は…あいつを愛していなかったのか…?」




「えぇ。一時も愛したことなんてなかった。」




そして彼女は話し出した。






鷹女side



いつから好きになったかなんて覚えていない。



気づいたらただあの人の姿を目で追いかけていた。




あの人はいつも冷めていた。




皆が笑っているときでも笑おうとはせず、寧ろそれを冷ややかに見つめていた。



他の友達はそれをみて彼のことを無愛想だ、とあざけった。あたしも否定はしなかった。




しかしあたしはそんな彼の生き方が羨ましかった。




何にも縛られず、ただあるがままに生きるその姿が。




陸軍の隊長の娘であったあたしには許嫁もいた。



自由なんてものは想像しなかった。




誰にでも優しく、気立ても器量もよい女を演じなければならなかった。



あたしはいつの間にか自分の持っていない物を持っている彼が好きになっていたのだ。


ある時、彼が長い間帰って来ないときがあった。




次男坊だった彼は遠縁の商売を営む親戚の手助けにいっていたようだ。



有能な彼はそうやって居場所を得ていた。



その時あたしは始めて恐怖を覚えた。




このまま彼が帰って来なかったら私はどうすれば良いのだろうかと。



18に行けと言われた嫁入り近くなってあたしはとても戦慄したのだ。




彼が私に会う理由は無いのだと。






それはまだ若いあたしにとってはとても危惧すべきことだった。





      • もう彼に逢えない。





そんなのはあたしに絶えられなかった。





彼はあたしの想いなど気づいてはいないだろうし、応えてもくれないだろう。




そしてあたしは考えた。




彼が帰ってくる場所。



そこにいればよいではないかと。




それはあの人が唯一つるんでいた鬼城という男のそばだった。




鬼城があたしに好意を寄せていたのは知っていたし、後は簡単だった。




こうして私は夜逃げし、鬼城の妻に成り下がった。



そして彼が来るたびに精一杯のおもてなしをした。 そして少しでも私に気づいてくれるよう流し目をおくった。




彼が来るだけで私の心は満たされた。



しかし彼はとんと気づく素振りも見せなかった。




相変わらず誰にも縛られず、冷ややかに世界を見つめていた。




彼の目には私はただの良き友人の妻としか映っていなかった。




そうこうしている内に、遂に彼と鬼城のもとにも赤紙が届いた。

      • 私は泣いた。




彼をただを失うのが怖かった。




今度はもう戻って来ないかも知れない彼の身を必死で案じた。




もう夫などどうでも良かった。




そして私の心に邪悪な感情が芽生えた。





彼を私に縛り付けてしまえばいいのだと。




準備は簡単だった。


昔実家から持ち出していた鉄砲に細工し、自爆するようにした。



そして彼にいつも飲むようにと持続する毒を渡した。




私が最期に夫に「私を置いてかないで下さい。帰ってきて下さいね」と言った言葉をきき、夫は最期まで私を信頼して戦争に行った。



彼と共に。




彼は独りで帰ってきた。



最早その瞳には誰にも映していなかった。



私は目論見がこんなに上手くいくなんてと狂喜した。



      • 邪魔な夫は死んだ。



私の手によって。


こうして私は穢れた。



彼は「すまない…」といっておもむろに夫の親指の骨を私に渡した。



そうして私と彼は一緒に暮らしはじめた。




彼は何も言わなかったが、私に対する罪悪感だけはひしひしと感じてたのだろう。
私を養い、そして妻にしてくれた。



いつしか私達は夫婦になった。


形だけでの夫婦であってもわたしは狂喜した。



彼の目にはやはり何も映していなかったが、私は毎日それを見て安堵していた。



私が自分の夫を殺したと言う時、彼はその瞳に私だけを映すのだろう。



その時が待ち遠しくて仕方がなかったのだ。