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2限目・ハイコンテクストを狙え!!


ハイコンテクストが一番面白いに決まってる。
内輪ウケが一番面白いに決まってる。
じゃあ、ハイコンテクストの内輪ウケを作れ!


、、というと、ハイコンテクストの押井守と、ローコンテクストのハリウッド映画では
ハリウッド映画の方が正しいだろと反論するだろう。

ならば言い直そう。


映像はローコンテクスト、テキストはハイコンテクストを狙え!!

映像は分かりやすく論理的なローコンテクスト。
テキストは、ハイコンテクストで構わない。

押井守は、映像もテキストもハイコンテクスト、だからまずいのだ。


ハリウッドで分けわからないシナリオが通じるか?

というのは、映像のインパクトさえ抑えてたら全く問題ない。
良い例が「マトリックス」だ。



あれのテキストはかなりハイコンテクストかつ、2部、3部になると
日本のオタクでもついていけなくなるほどだが、
映像が徹底的にローコンテクストになってて、
観てるだけでヒャッハーできる。

元ネタのひとつとなった押井守の攻殻機動隊の絵は
分かりやすい見せ場のあるローコンテクストよりだったが、
その続編のイノセンスとなるともう、映像まで徹底的ハイコンテクストで、
美麗な映像を挟んでトグサとバトーさんが立ち話してるだけになる。
1作目の攻殻と比べていったいなんなんだこれは、、、





素子の裸どころか、女の肌ひとつもでてきやしない。
しかも、格闘や銃撃シーンも1作目と比べかなり控えめで
ハイコンテクストの世界ではなくとめ成り立つシーンである。

もしマトリックスの映像をテキストハイコンテクストに合わせると、
イノセンスと同じように、
あの世界でのエージェントとの銃撃や格闘が無意味になってしまうだろう。
ネオが覚醒して無敵になってからの2部、3部はなおさらのことで、
その概念を分かりやすすぎるイメージ映像にしましたという形でしか無い。
だから、

マトリックスぐらい極端に映像のローコンテクストと、
テキストのハイコンテクストを切り離す必要がある。


こう考えると押井守は、
ストーリーとはあまり関係ない無駄な見せ場で観客を退屈させない
ジョン・ウーや、ローランド・エメリッヒにあたるような人材を
「映像副監督」として雇って映画を作ったらいいということになる。
(押井守をプロデュースする、鈴木敏夫や石川光久はその辺わかってない。まあ押井本人が言うこと聞かないんだろうけど。)


ハリウッド映画は英語が分からなくても観れなくてはいけない。

多民族国家で、識字率の問題もあったという歴史がある。
だからこそ、テンプレートで丸めてローコンテクストに寄せろと教える。

だがちょっとまってほしい。
英語よくわからんのなら、何しゃべってもいいだろ?
映像のみでメインシナリオが語れるなら、テキストが難しくてもいいだろ?



自分の限界のハイコンテクストをちょっと超えた時、
人は、センスオブワンダー を体験する。

センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)とは、
一定の対象(SF作品、自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、
または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉である。


マトリックスやエヴァではこれが起こったわけだ。
理解限界のハイコンテクストは、センスオブワンダーを引き起こす可能性がある。

押井守の映像にもついていける人も、これに触れてるかもしれないのだ。

分かりやすい映像に、分かりやすいテキストでは何も残らないし、押井守のような
ハイコンテクスト映像に、ハイコンテクストテキストでは、ついていける人が限られるが、
分かりやすい映像に、ハイコンテクストテキストならば、
多くの人にとがった楔を打ち込むことが可能だ。


2限目はここまで。
3限目は「日本的コンテクストが本当に世界に通用しないのか?」を検証しよう。
その前に、みんな日本発のヒットコンテンツについて考えて欲しい。