「サライェヴォ事件」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「サライェヴォ事件」(2007/04/03 (火) 16:10:46) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
1914年6月28日、サラエボを訪問中のオーストリア皇太子夫妻が、セルビアの青年に暗殺された事件。
**背景にあったもの
>-大セルビア主義
>--ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、かつてセルビア王国が支配していた。
>--セルビアが併合して当然という考え
しかし、実際はオーストリアが併合。青年の怒りは暗殺計画へと向かう。