ウィーン体制

ウィーン会議によってつくりだされたヨーロッパの新秩序に基づく政治体制。

ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争で破壊されたヨーロッパの国際秩序の回復を目的として、メッテルニヒの司会の下で開催された。この会議の主導権を握ったのは、イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの4大国。

ウィーン会議に参加した列国の利害は複雑で話し合いはまとまらず、オーストリア政府は、各国代表を宴会、舞踏会で接待し、その合間をぬって大国間の駆け引きが進められた。

舞台は踊る、されど進まず
  • 繰り返される舞踏会とは反対に本題の会議は全く進まなかったことから。

フランスのタレーランは、列国の対立を利用して正統主義を唱え、敗戦国フランスを戦勝国並に向上させることに成功。ウィーン議定書が調印され、ヨーロッパの新体制が成立。


ウィーン会議の原則
正統主義
  • 1972年(ナポレオン台頭前)の領土、秩序に戻すという物。

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最終更新:2007年04月03日 19:40