ボリシェヴィキ派の革命家レーニン

1917年、ロシア革命を知り、スイスに亡命していたが帰国。
帰国後すぐに、4月テーゼを発表する。

「権力をソヴィエト(労働者)に集中させようぜ!」

11月革命

7月に社会革命党のケレンスキー政権が誕生(4月テーゼはスルーされた)
ボリシェヴィキ派はこれに対抗、11月に武装蜂起を起こし、政府を打倒。

その後、11月下旬の国民議会選挙で過半数の議席を獲得したのは社会革命党だった。
レーニンはこれに不満を抱き、1918年、議会を弾圧し、ボリシェヴィキ派による独裁を行った。
後に、ロシア共産党へ改組される。
最終更新:2007年04月03日 16:25