ソ連は4カ国でハジマタ\(^o^)/

ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ザカフカース(現グルジア)の
4ソヴィエト共和国で構成された。

ヴェルサイユ体制(1919)

第一次世界大戦の敗戦国であるドイツが再び脅威となることを防止。
反ソ・反共、植民地の現状維持。議会主義化の促進。
世界恐慌(1929)までは機能していた。
ゴロ合わせが下ネタにしやすかったことはあまりにも有名。

会議の指針となったのは、ウィルソンが唱えた民族自決主義、
国際平和主義を盛り込んだ十四ヶ条の原則だった。
しかし、出来上がってみると、ドイツに対する報復の条約になっていた。

国際連盟

ヴェルサイユ条約で国際連盟の設立も決められた。
十四ヶ条の原則に基づいた国際安全保障機構である。
常任理事国はイギリス・フランス・日本・イタリアだった。
資本主義的秩序の維持が目的とされたため、社会主義国は排除された。
設立の立役者となったアメリカは不参加。孤立主義の立場を取る共和党が上院を構成していたため、加入を拒否した。

ドイツの賠償問題~国連加入

1921年、敗戦国ドイツに、「1320億金マルク(42兆円程度)」の賠償命令が下る。
その半分以上はフランスの取り分だった。
ドイツの支払い延期の申し出に対し、フランスがマジギレ。
1923年、フランスはベルギーと組み、ドイツの工業地帯ルールを占領(ルール出兵)
賠償金を支払ったことにより、ドイツの経済は悪化、独仏関係に緊張が走った。

1924年、アメリカがドーズ案を提案。
アメリカがドイツに経済支援を行い、フランスに賠償金を払うという案だった。
これにフランスも納得し、緊張は解ける。

1925年12月、スイスでロカルノ会議が開かれ、ラインラント非武装化が確認される。
ドイツも出席した上での合意だったので、同時にドイツの国際連盟加入が決まる。










最終更新:2007年04月14日 12:58