1950年1月、アメリカで対ソ戦略構想が発表。この戦略網に台湾と韓国は入っていなかった。
これは、この2つの地域にソ連のような支配体制ができてもアメリカは関わらないと解釈が出来た。

このことで金日成が調子に乗って朝鮮戦争をケツイ~絆地獄たち~。
スターリンは開戦に慎重だったが、毛沢東が金を支持。開戦許可が下る。

1950年6月、朝鮮戦争が開戦。

冷戦、熱戦に

北朝鮮軍は凄い勢いで南侵。半島の統一は時間の問題に。
↓ここで、北朝鮮軍を38度線まで押し戻すため、国連軍の派遣が決議される。
アメリカは朝鮮半島に介入。
1950年2月に中ソ条約が結ばれ、それを受けてアメリカの東アジア政策は変化していた。

1950年9月、国連軍は北朝鮮軍の補給を切断。北朝鮮軍は敗走を始める。
国連軍は38度線を北進し、北朝鮮軍を一気に押し戻した。

しかし。
1950年10月、北を支援するための中国義勇軍が抗米援朝を掲げて参戦。
米中戦争の様相になり、ソ連が中国に武器援助、さらに空軍を派遣。

1951年、ソ連代表マリクが停戦案。休戦会議は捕虜交換問題で長引いた。

1953年、朝鮮戦争は終結。

⇒朝鮮戦争の時にフィリピン・台湾・韓国がアメリカと相互防衛条約を結んだ。

時、同じくして

ベトナムではホー・チ・ミンを指導者とするインドシナ戦争が行われていた。
ベトナムは激戦の末、フランスを敗退させるが、ジュネーヴ休戦協定で北緯17度線での分断を強いられる。

一方、その頃の日本は連合国軍の占領支配を受けていた。
1951年、日本はサンフランシスコ平和条約を結び、日本の国際社会復帰を実現。
しかし、日本の独立条件は日米安全保障条約がセットだった。
日本は米軍に基地を貸し与え、アジア軍事同盟の一翼を担うものとされた。
当時のソ連はこれに反対。北方領土問題も重なって、日本はまだロシアと第二次世界大戦の終結条約を結んでいない。
最終更新:2007年04月14日 17:27