そして、私たちは出会った。始めの印象は可愛い子だな、ということだけ。どんな子であるかも、どこから来たかも知らなかった。
 だから、知りたかった。
 この子のその悲しげな雰囲気のわけを。

 あの出会いから暫く経ったある日、宰相府より一つの通達が出された。
 『小笠原旅行社開設』
 小笠原リゾートへいけるようになったのである。最初はあまり行く気は無かったのだけれど、裕王のすすめにより私たちは二人で初夏の小笠原へ遊びに行くことにした。

夕暮れの海岸にて


「うわぁ……」
 思わず声を上げる。私、こと風杜神奈は現在小笠原の海岸に来ている。裕王からトラナ王女とあそんでやってくれ、と頼まれたからである。
 個人的なことを言わせてもらえば、このトラナ王女という少女をもっと知りたいと思っていたので、良い機会と思い受けることにした。
 でも遊んでやってくれと言うくらいなら自分で遊んであげればいいのにと思ったのも事実で、その昔私が遊んでもらっていたことを思い出しつつ遊ぶことにした。

 小笠原の海はこの時刻がもっとも綺麗と言われている。金色に輝く海原は稲穂が実る秋の野原のようでもあった。
トラナ王女は私の隣で帽子をとって胸に寄せ、わぁと口をあけている。私はトラナ王女に微笑みかけた。
「……素敵なところに来たね」
 うんうん、と頷くトラナ王女。砂浜の上を歩く二人は手に靴を持ち、足跡をつけている。
 優しい風が潮の香りを運んで、鼻腔をくすぐった。
「綺麗。海の匂いが、六合と違う」
 トラナ王女はこの時には、遠い故郷に思いをはせはじめていたのだろう。
「みんなも来ればよかったのにね」
ぽつりと、こぼす。
私も確かにそう思った。
「……うん、そうだね。私達だけで独占するの、何か悪い気もする……」
トラナ王女は手を広げて、浜風を浴びている。
一際強い風が吹いた。
あわてて帽子が飛ばないように押さえるトラナ王女。長い、長い風が揺れる。
「……ああ、いい風ね」
 私はいつの間にか見つめていた視線を外し、顔を上げる。風が本当に気持ちいい。
 トラナ王女の頬を透明な涙が伝い落ちる。
「どうしたの?」
 急に涙を流すトラナ王女に心配になって問いかける。
「遠くまで、来たなと思って」
 郷里を思い浮かべているのだろうか。のぞき込む私ではなく、遠く海の向こうをトラナ王女の視線は捉えていた。
「ここは、どこも水没していない」
 水没、と言う言葉に戸惑う。
「トラナ王女……いや、トラナって呼んでいい?」
私は思いきって切り出した。
「うん」
 私の覚悟とは裏腹にあっさりと承諾するトラナ。拍子抜けではあったが、素直にうれしかった。
「私の国は、もうないから」
 それは、王女と呼んだ私の言葉を受けたものかもしれない。私には掛ける言葉が見つからなかった。
「……そうなんだ」
「うん……」
そう言ってトラナは海を見た。亡国の王女は、私の知らない物語をいくつも演じてきたらしい。それを見て私の中に少しでも共有したい、そんな願いがもたげてきた。
「……トラナのいた国って、……どんな国だったの?」
トラナは悲しみを風に飛ばすと目を細め、ゆっくりと海に近づいていった。
「レトロライフが一杯あって、お父様がいて。ファンタジアがいて……そして戦争があって。いいことより悲しいことが多かった」
 トラナは一呼吸置いて言葉を紡ぐ。
「……六合なんてそんなところ」

 寂しげな印象が私の中に去来する。
「……そっか」
「ファンタジア、元気かな」
 静かに聞き役に努めていた私は、せめて、今だけで良いからトラナに楽しんで欲しかった。
 そして、私はあるいたずらを思いついた。
「ねぇ」
「?」
私の掛けた声に、トラナは首をかしげて振り向いた。

 パシャッ

「今日くらいは楽しもうよ」
私は水を手ですくいトラナに向かってかける。その水は放物線を描き、トラナに直撃した。帽子と靴を手に持っていたせいだ。不意を打たれたトラナは私の所行に激怒した。
「騙された」
そして怒りにまかせて思いっきり足で水を蹴り上げると、私は水浸しになる。そして、怒りに任せて蹴りあげた衝撃でトラナは転び波に攫われていく。
ごめんね、と謝ろうとしたが、既に時は遅し、引き潮に流されてすごい勢いで沖合に姿を見つけた。
あとでわかったことだが、トラナの体重は羽より軽い。私は濡れるのも、気にせず初夏の海に飛び込んだ。流石に小笠原の海といえども夕方の海である。流石に泳ぎやすいものではない。すでに足はつかない場所に来ている。
決して泳ぎが得意なわけではない。
私は無我夢中で泳ぐ。足の甲で水を蹴りつつ体を前に進めていく。当然ながらまとわりつく服は重い。服を着たまま泳ぐというのは非常に難しいのである。次第にトラナの姿が近づき、遂には助けることが出来た。
「……トラナ、トラナっ」
私は必死にトラナに呼びかける。手繰り寄せたトラナの身体は軽すぎて、もろい。非常に罪悪感に苛まれる。
トラナは泳げない。流されているうちはよかった。服の中にふくまれていた大量の空気で浮き袋の役割を果たしていたのだ。だが、トラナは気づいてしまった。ここは足の付かない場所だと。私ににむちゃくちゃに抱きつこうとしている。
 このままでは私まで溺れるだろう。その抱きつこうとする手を掴み首に回させて体を交差させるようにする。そして私は姿勢を安定させつつトラナの頭側に移動するように泳ぎ始めた。この姿勢は常にトラナの顔は水面に近く息継ぎしやすい。
陸に向かって泳いでいるうちにトラナはうまく息継ぎする方法を覚えた。自分で泳げるわけじゃないけど、トラナの顔に笑顔が戻ってきた。陸に近づくに頃には本格的に笑っていた。
「神奈、見て。あの岩」
トラナが横に見えていた奇妙な形の岩を指さした。侵食のせいなのか、なんだか丸身を帯びている。
「あそこまでいこう」
「うん」
 このときは気づかなかった。この岩が私たち二人をこんなに結び付けるものだとは。

その岩は藻につつまれて、いささかとっかかりがない。丸い岩ではあるが、やはり小笠原の海で遊ぶときにはよく使われる場所なのだろう。手をかける場所があって上に登れるようになっている。上からトラナを背負いながら私は登った。

……そこには先客(カニ)がいた。

これが、私たちとカニを繋ぐ最初の縁。これが後々まで続くとは夢にも思わなかった。