「リトと唯 第八話 スキ×チョコ 前編」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
<p>二月十三日<br />
寒い寒い、冬の帰り道――――<br /><br />
「うぅ…さむー…」<br />
交差点で信号が青に変わるのを待つ間、ポケットに両手を入れながら、リトは肩を震わせた<br />
口からこぼれる吐息は白へと変わり、空のどこかへと流れていく<br />
そんな凍てつく夕暮れ時、隣りに並ぶ唯は白い息を吐きながら、寒がるリトの横顔に鋭い目を向けた<br />
「もう、しっかりしなさいよ! いつまで体を丸めてれば気がすむのよ!」<br />
「そ、そんな怒んなくたっていいだろ…」<br />
「誰も怒ってなんかいないわよっ! 私はもっとシャキっとしなさいっていってるの!」<br />
「唯って寒いのへーきだったっけ?」<br />
「何よ…私は別に…」<br />
唯は両手を握りしめた。白い手はいつにもまして、さらに白く見える<br />
冷たい風にさらされた頬も、白さをましている<br />
「寒かったら手袋とかしてこればいいのに」<br />
「う、うるさいわね…!」<br />
「別に手袋は校則違反じゃないだろ?」<br />
「そうだけど…。もぅ、いいでしょ! 別に…!」<br />
握りしめた両手をブンブン振りながら唯の抗議は続く<br />
「だいたい、あなたは寒がり過ぎるのよ!」<br />
「あ…!」<br />
視線の先、信号が赤から青に変わる<br />
唯の抗議はまだ続く<br />
「…ポケットに手なんか入れて! マフラーまでしちゃったら顔だってよく見えな…」<br />
「えっと…、信号変わったし、行くぞ?」<br />
「え…」<br />
冷たい手に、少しあったかい手が重ねられ<br />
抗議の声を後ろに残しながら、唯は少し引っ張られるようにしてリトに続いて歩き出す<br />
「ちょ…ちょっと…」<br />
横断歩道を渡る途中、すれ違う人たちの視線も、信号で停まっている車の中から感じる<br />
視線も、頭の中に入ってこない<br />
あるのはただ一つ、リトの手のぬくもりだけ<br />
ただそれだけで、顔どころか身体中が熱くなる<br />
「……ッ」<br />
抗議の言葉も忘れ、怒った表情もいつの間にか消え、唯はリトの手を握り返した<br /><br />
「ハァ~、危なかった…。もう少しでまた信号待つとこだったぜ」<br />
横断歩道を渡りきったところで、リトは白い息を吐いた<br />
その隣で、唯は繋いだ手を離すことなく、身体をそわそわとさせる<br />
「あのさ。もう手、離してもいいんだけど?」<br />
「え…!?」<br />
「つかいつまでも出しっぱなしだと寒いだろ?」<br />
「……」<br />
「…あれ?」<br />
パチパチと瞬いていた目をジト目に変えて睨みつけてくる唯に、リトの頬に冷や汗が伝う<br />
「え、えっと…何かオレ、怒らす様なこと言った?」<br />
「…知らないわよ! バカ!」<br />
唯は言われるままに手を離すと、ツンとそっぽを向き、腕を組んだ<br />
木枯らしで揺れる黒髪の間から見える唯の横顔は、怒っているというより、拗ねているように見える<br />
(…なんか…また余計なこと言ったのか? オレ…)<br />
今までの経験上、唯の機嫌が悪い=自分が何か余計な事を言ったorした、の法則がなんと<br />
なくわかってきたリトは、この状況をなんとかすべく、必死に頭を巡らせる<br />
キョロキョロ彷徨う視線は、すぐそばのコンビニへ</p>
<dl><dd>「えっと、その…、オレ、そこのコンビニで何か買ってくるけど、唯はなんかいる?」<br />
「別に…。お構いなく」<br />
「そっか…」<br />
ツンとそっぽを向けたままの唯にしゅん…、と肩を落としながら、リトはコンビニへと入って行く<br /><br />
その後ろで唯は、ほっぺを膨らませながら、ジッとリトの後ろ姿を睨みつけた<br />
(もぅ! 何なの!? 私のことよりも自分のことばっかりじゃない!)<br />
冬の冷たい風が、唯の手からさっきのぬくもりを徐々に奪い取っていく<br />
(ホントにどうしていつもいつも…)<br />
寒空の下、一人ほっぺを膨らませていると、唯の目に、コンビニの入口に大きく掲げ<br />
られた"バレンタインデー"の文字が飛び込んでくる<br />
「…バレンタイン? そっか…。そういえば明日…」<br />
今まで、バレタインとは無縁だった唯<br />
その存在もつい忘れがちになってしまう。その大切さも――――<br />
「だからって…」<br />
唯は冷たくなってしまった両手を握りしめると、ぷいっとコンビニから目を背けた<br />
「…ふ、ふん。私には関係ないんだからっ!」 <br />
リトの鈍感さと、いつまで経っても素直になれない自分への苛立ちとで、胸の中が締め付けられる<br />
「関係…ないんだから…」<br />
口ではそう言っていても、頭の中は、さっきからバレンタインとチョコの単語がグルグルと廻り続けている<br />
特別な日に贈る、特別なチョコ<br />
好き、大切、大事、大好きって想いを、いっぱいいっぱい込めて好きな人に贈る<br />
女の子の日<br /><br />
今だってこんなに想って<br />
胸が締め付けられて…<br />
頭の中にずっといるくせに<br />
私の心、いつも一人占めしてるくせに<br /><br />
「何で気づかないのよ…」<br />
はァ…、と白い息が街の中にとけていく<br /><br />
マフラーで顔を隠さないで<br />
ポケットに手なんかいれないでよね<br />
体を丸めたり、情けないカッコしないでよ<br />
結城くん…<br /><br />
ムスっとした顔で悶々と考えていた時、ふいに唯の頬にあたたかいモノが触れた<br />
「え…!?」<br />
キョトンとした顔のまま視線を動かすと、いつの間にかリトが隣に立っていた<br />
「な、何…? あ…ったかい…」<br />
「だろ? ホラ、コーヒーでよかった?」<br />
「え…、あ…ありが…」<br />
お礼も満足に言えず、唯はリトから缶コーヒーを受け取る<br />
そんな唯に苦笑を浮かべながら、首に巻いていたマフラーを外すと、唯の首にそっと巻いていく<br />
寒さで白くなっている唯の顔に、少しずつ赤が灯り始める<br /></dd>
<dd>「ちょ…えっ…?」<br />
「ホラ、これでちょっとはマシになったろ?」<br />
「…えっ…ぁ…!?」<br />
缶を持つ手に、リトの手が重なる<br />
コーヒーの温かさよりも、リトの手のぬくもりの方が温かく感じるのは、気のせいなのだろうか<br />
「お前、やせガマンしすぎだって! こんな冷たくなってるじゃん」<br />
「だ、だってコレは結城くんが…」<br />
「オレが?」<br />
「結城…くんが…」<br />
すぐ目の前で、呆れつつも屈託ない笑顔を見せるリトに、唯の声はどんどん小さくなって、消えていく<br />
冬の寒さも、冷たい風も、かじかむ手の感触も、気にならなくなってしまう、リトの笑顔<br />
いつも自分に魔法をかけてしまうその"とっておき"に、唯は長い睫毛を揺らした<br />
「…なんかくやしいわ…」<br />
「へ? 何が?」<br />
「何でもないわよ…!」<br />
またぷいっと視線を逸らしてしまう唯。そんな唯にリトは眉を寄せつつも、マフラーの隙間を埋めていく<br />
「よくわかんねーけど、コレで寒くないか?」<br />
「え…ええ」<br />
「そっか。安心した!」<br />
ニッと歯を見せながら笑うリトに、唯の胸の音がどんどん高くなっていく<br />
(だ、ダメ…! やっぱり勝てない)<br />
顔を背けても一秒後には、また目を合わせてしまう<br />
この気持ちから逃れられない。逆らえなくなってしまう<br />
「やっぱりズルイわよ…。こんなの…」<br />
唯の呟きは、車の喧騒に紛れてリトには届かない<br />
そして、そんな唯の気持ちにまったく気づかないリトは、缶の蓋を開けると、遠くに目を<br />
向けながら白い息を吐く<br />
「にしても今日、ムチャクチャク寒いよなァ。天気予報じゃ雪降るとか言ってたしさ。<br />
……そーいえばさ、風邪はもう大丈夫なのか?」<br />
「…え?」<br />
「前、引いたばっかじゃん?」<br />
「……心配してくれるの?」<br />
「なっ…当たり前だろ!」<br />
心外だ! と言わんばかりに、顔をムッとさせるリト<br />
そんなリトに、唯はマフラーで隠れた口に、淡い笑みを浮かべる<br />
「うん」<br />
「ったく…」<br />
顔を隠したままの唯に溜め息を吐くと、リトは肩をぶるっと震えさせた<br />
背筋におかしな寒さが走り、全身を駆け巡る<br />
「ちょっと、あなたこそ大丈夫なの?」<br />
「うん。まァ…大丈夫だろ? コレ飲んだらちょっとはあったかくなったし」<br />
「そんないい加減な…」<br />
眉を寄せながら、悩むこと十数秒<br />
唯は、リトにピトっと体を寄せた<br />
「え…!? ちょ…ちょっ…」<br />
「こ、これで少しはマシになったでしょ…!?」<br />
抱き付くわけでも、腕を組むわけでもなく、ただ体を寄せるだけ<br />
だけど、それでも、胸と背中、触れ合う部分が妙にあったかい<br />
体の体温と、お互いの気持ちの温かさが溶け合って、なんとも言えないぬくもりを二人に伝える</dd>
<dd>「え、えっとその…」<br />
「もぅ! ジッとしてなさないよね! ……私だって結城くんが風邪なんか引くのイヤなんだから…」<br />
「唯…?」<br />
「そ、そのほら…、学校の授業にも遅れちゃうし、みんなだって心配すると思うし、だから、その…」<br />
息がかかる距離で、顔を赤くしながらもごもごと言葉を濁す唯の頭に、リトの手がポンっとやさしく触れる<br />
「サンキューな」<br />
「だ、だから私は……ってもぅ…うん」<br />
リトの手の下で、恥ずかしそうに真っ赤になりながら、唯は小さく頷いた<br />
冬の寒さも吹っ飛ばすあったかい雰囲気に包まれていると、風でカサカサと揺れるコンビニの<br />
袋の音に、リトはハッとなる<br />
「―――あ! そだ。コレ買ってたの忘れてた」<br />
「え…」<br />
リトが袋から取り出したのは、熱々のあんまん<br />
あんまんから立ち上る湯気が風にのって唯の鼻孔を刺激する<br />
「ごめん…。ホントは、二つ買いたかったんだけどさ、一個しかなくて」<br />
「べ、別に私は頼んでなんか…」<br />
ツンと返事を返そうとした時、唯のお腹から、ぐぅぅ~っ、と可愛い音が鳴りだす<br />
「へ…?」<br />
「う…ウソ!?」<br />
慌ててお腹を手で押さえても、もう遅い<br />
「もしかしてハラ減ってたのか?」<br />
「ち、ちち、違っ…! コレはそんなんじゃなくてっ」<br />
顔を真っ赤にさせながら身振り手振りで言い訳をする唯に、リトはあんまんを半分に<br />
分けると片一方を唯に差し出した<br />
「ホラ、半分こ」<br />
「う…うん」<br />
真っ赤になった顔でぽそぽそと呟きながら、唯はあんまんを受け取る<br />
「あ…ありがと」<br />
「やっぱ外であったかいモノ食べるのっていいよな!」<br />
「……ッ」<br />
顔をほころばせるリトの胸に、唯はトン、と背中をくっ付けた<br />
コーヒーよりも、あんまんよりも、あったかいモノ<br />
リトの胸の音を背中に感じながら、唯はあんまんに口をつけた<br />
「うん。おいし…」<br /><br />
「ふ~ふ~」<br />
あんまんの湯気と白い息が混じり合う様を、リトはジッと見つめていた<br />
「はふはふ…んっ…く」<br />
まだ十分、冷めていなかったのか。口に入れたあんまんの熱さに、その場で足踏みをする<br />
唯の様子を、リトは追い続ける<br />
「あふっ…でもおいひい」<br />
熱々のあんまんでほっぺを赤くさせる唯は、本当に幸せそうで<br />
甘い餡の様に、その目をとろけさせていた<br />
そんな唯のすぐそばで、リトは少し気になっていた事を口にしてみる<br />
「…なァ、唯」<br />
「何?…ん…あふいっ…今、急がひいのっ!」<br />
あんまんに夢中な唯<br />
リトはさらに突っ込んでみる<br />
「…もしかして唯ってさ…」<br />
「だから何?」<br />
「ネコ舌?」<br />
「…ッ!!?」<br />
あんまんの熱さとは違う理由で顔を赤くさせながら、唯は慌ててリトに向き直る<br /></dd>
<dd>「な、何よっ!? 別にいいでしょ! 私がネコ舌だと何か都合が悪いわけっ!?」<br />
「い、いや、誰もそんな事いってるんじゃなくてオレは…」<br />
「…フン」<br />
さっきまでの気持ちはどこにいったのか。唯はリトから背中を離すと、ぷいっと顔を背けた<br />
(ヤバ…。またオレ、唯のこと怒らしちまった…)<br />
(もぅ! ホントにデリカシーないんだから)<br />
コンビニの前で流れる微妙な雰囲気<br />
そんな中、唯の目にまた、コンビニの前に飾られた大きなバレンタインのタペストリーが飛び込んでくる<br />
(な、何よ…!?)<br />
唯は思わず目を背ける<br />
けれど、少しするとまた見てしまう。気になってしまう<br /><br />
――好きなあの人に想いを込めて――<br />
(そ、そんなの私には、関係ないわよ…!)<br />
――一番大切な気持ちをのせて――<br />
(だ…だから…)<br />
――とっておきのチョコを…――<br />
(う…うぅ…)<br /><br />
あんまんを手に、一人そわそわしている唯の様子に、リトは眉を寄せた<br />
「どしたんだ? …もしかして口、ヤケドしたとか?」<br />
「そ、そんなワケ…」<br />
"ないでしょッ!"と最後まで言えない<br />
頭の中がクルクルと廻り、胸の奥がキュ~と締め付けられる<br />
「唯?」<br />
「…ッ」<br />
心配そうなリトの視線から、唯は逃げる様に目を逸らした<br />
「…もしかして…」<br />
ふいにすぐそばに感じるリトの気配<br />
一歩こちらへ近づいてきたリトから、同じ距離だけ唯は後ろに下がる<br />
「な…何よ?」<br />
「い、いや。ひょっとしてまた風邪でも引いたんじゃないかと思ってさ…ハハッ」<br />
もしかしておデコの熱を手で測ろうとしたのか。役目を失って宙を彷徨う手を誤魔化す<br />
様に、リトは頭を掻きながら苦笑いを浮かべた<br />
カバンを持つ手に力がこもる<br />
(別に誤魔化さなくたって、あのまま触れてくれても…)<br />
なんて事をついつい想ってしまう自分にハッと気付くと、唯は頭をふるふると振った<br />
唯は一度、コホン、と咳ばらいをすると、話しを切り出す<br />
「あ、あのね。結城くん…」<br />
「ん?」<br />
そして、再び出会う、二人の視線<br />
そのせっかくの出会いを、唯は一瞬で終わらせてしまう<br />
(もぅ…どうして顔見るなんて簡単なコトもできないのよッ!)<br />
(…うっ、まだ怒ってる…)<br />
ほっぺをポリポリ掻きながら少し困っている様子のリトを、チラチラ見ること数秒<br />
唯はすっかり冷たくなったあんまんを急いで口の中に入れると、モグモグしてから<br />
コクンと呑み込んだ<br />
それからカバンを持ち直し、姿勢を正し、そして――――<br /><br /></dd>
<dd>
<p>「結城くん!」<br />
「お、おう…」<br />
三回目の出会い<br />
今度は、唯は逃げなかった<br />
もじもじと揺れる体に、相変わらず顔を赤くさせたまま、唇をキュッと結び、長い睫毛<br />
を揺らしながら、いっぱい時間をかけて、やっと一言<br />
「あ、甘いモノって好き?」<br />
「何だよ急に…」<br />
「いいから答えて!」<br />
いつにない真剣な唯の視線に戸惑いながらも、リトは考える<br />
少しするとリトは、ポケット中から財布を取り出して、中身の確認をし始めた<br />
(何で…?)<br />
疑問符を浮かべる唯に、リトは申し訳なさそうに声を落として謝る<br />
「ごめん…。今日、あんまり金持ってきてねーんだ…」<br />
「え…? ちょ、ちょっと待ちなさい! 何言ってるのよ?」<br />
「いや、だから、これからケーキでも食いに行こーってことだろ? 甘いモノ好きかってことはさ」<br />
「……」<br />
「え? 違うの?」<br />
冬の冷たい風よりも冷たい、凍えるような唯の視線を受けるリトに、次第に冷や汗が浮かび始める<br />
「え、えっと…唯? も、もし違ってたら謝るっつーか…」<br />
すでに逃げ腰状態のリトの弁解を遮る様に、唯は声を張り上げた<br />
「そんなワケないでしょっ!! 何でそうなるのよ!? 結城くんのバカッ!!」<br />
「うわっ!? ご、ごめ…」<br />
リトの言葉を最後まで聞かずに、唯はその場から走り出してしまった<br /><br />
はぁ…はぁ…、と息が切れかけたところで唯は足を止めた<br />
足が止まるとさっきの事が鮮明に頭の中に蘇ってくる<br />
「どうしていつも、いつも、あんなに…」<br />
ギリギリと握り拳を作りながらも、ふとリトの言った言葉が浮かぶ<br /><br />
"これからケーキでも食いに行こうって事だろ?"<br /><br />
結城くんとケーキを食べる<br />
テーブルに向かい合って、あったかい紅茶でも飲みながら<br />
お互いのケーキを食べ比べてみたり<br />
今日、学校であったこととか話したり<br />
あ~んとかして食べさせてあげたり、もらったり<br /><br />
道の真ん中でそんな事を考えている自分に気付くと、唯は真っ赤になりながら、頭をポカポカ叩いた<br />
最近は、家でも学校でも、コレが日課になってきているのかもしれない<br />
唯は後ろを振り返る<br />
もう見えなくなってしまったリトの姿に、胸の奥がズキリと痛んだ<br />
「ふ、ふん。あんな人しらないわよ!」<br />
口からでる言葉は、気持ちとは裏腹のトゲばかり<br />
揺れる瞳をギュッと瞑ると、唯は歩き出した<br />
街の中は、相変わらず、バレンタイン一色<br />
どの店もウインドウの中は、チョコやチョコ菓子でいっぱい<br />
そして、その周りには唯と同じ年頃の女の子たち<br />
"誰にあげるの?"とか"何個用意する?"とか"今年はガンバるつもりなんだ!"とか<br />
女の子たちの黄色い声を聞いている内、ふいに唯の足が止まる<br />
頭の中にはっきりと浮かぶリトの顔 </p>
</dd>
<dd>「…な、何で私があんな人なんかにっ」<br />
ふいっとウインドウの中のチョコから目を逸らして歩くこと、数歩目<br />
唯の足がまた止まる<br />
「…別に関係ないわよ! バレンタインなんて…」<br />
と、一人呟き、また歩き出す<br />
冷たい風が向かい風となって唯に吹き付ける<br />
「そうよ! 関係ない。関係ないんだから…」<br />
繰り返されるひとり言<br />
しばらく進むと、唯はピタッと歩くのをやめた<br />
冷えきった体の中で、唯一あたたかいところ<br />
唯は、首に巻いたマフラーに触れた<br />
「そ、そっか…! 忘れてた…。借りっぱなしになっちゃった…」<br />
マフラーを握りしめた手が少しあったかく感じる<br />
首とマフラーの隙間を埋めようとした手が止まる<br />
「結城くんの匂いがする…」<br />
自分の顔がぽっと熱くなるがわかる<br />
いつの間にか寒さも平気になっていた<br />
「……し、仕方がないからチョコ…作ってあげてもいいかな…。マフラーのお礼にね」<br />
誰への言い訳なのか。マフラーの下でそう呟くと、唯は歩き出す<br />
頭の中は、すでにチョコのことでいっぱい<br />
帰ってなにをするのか? どんなチョコにするのか? 材料は? レシピ本は?<br />
唯の顔はすっかり恋する女の子に顔になっていた<br /><br /><br />
「ただいま―――」<br />
玄関で靴を脱ぐと、お腹の空いた遊はキッチンへ向かった<br />
キッチンへ続くドアの前で、違和感<br />
廊下に甘い匂いが立ちこめていたからだ<br />
「何だこの匂い…」<br />
訝しげにドアを開けると、キッチンの中には、エプロン姿に髪をアップにした唯がいて<br />
テーブルに並べたいっぱいの材料を前に、難しい顔をしていた<br />
「唯? 何やってんだ?」<br />
「お兄ちゃん!?」<br />
肩をビクンとさせ後ろを振り返りながら、唯は後ろ手で、テーブルの上の材料や本を隅に追いやる<br />
「何やってんの?」<br />
「え…えっと…」<br />
口籠る唯の肩越しに見える、開きっぱなしのレシピ本や、板チョコ、ハチミツの入った小瓶<br />
等に、遊は口の端を歪ませた<br />
「へ~、バレンタインのチョコ作りかよ!」<br />
「う、うるさいわね! いいでしょ別に!」<br />
「やっぱ、大好きな"ゆうきくん"にあげるワケ?」<br />
「…ッ!?」<br />
あからさまに声のニュアンスを変えて話す遊に、唯は自分の顔がありえないぐらい熱くなっていくのを感じる<br />
「ち…違っ! これはその……そうよ! お、お菓子作りなんて試しにしてみよ~かな~って<br />
急に思っただけで! べ、別にバレンタインとか、結城くんへの手作りチョコってわけなくてっ…」<br />
尚も続く、唯の熱い語りをボケ~っと訊きながら、遊は深い溜め息を吐いた<br />
(何でこー素直にいえないんだ? コイツは…)<br />
まだまだ続きそうな気配に遊は、クルッと背中を向ける<br /><br /></dd>
<dd>「…ま、ガンバってみろよ!」<br />
「な、何よ…? 急に…」<br />
「バレンタインでもなんでも、女から手作りチョコもらって喜ばねーヤツなんかいない<br />
からよ。だから、ガンバってみな。ゆうきくんのためにもな」<br />
「お兄…ちゃん」<br />
最後の一言に眉が上がりそうなってしまうが、それ以上に、遊のさりげない優しさが唯の<br />
堅くなっていた気持ちを溶かしていく<br />
「…うん。ガンバる!」<br />
こうして、唯にとって初めてのチョコ作りが始まった<br /><br />
「…えっと…まずは板チョコを…」<br />
銀紙を剥がした板チョコをまな板に乗せ、包丁を握りしめる唯<br />
お菓子作りはもちろん、ホントは、料理もあまり得意ではない<br />
さりげなく訊いたリトの好きなモノも何回か作ってみたり、日々、お母さんの手伝いをし<br />
て腕を磨いていたりするのだが――――<br />
「…次に生クリームとハチミツを入れて…火にかけながら…」<br />
おぼつかない手つきで、何度も本と睨めっこをしながら、鍋を掻きまぜる<br />
眉間に皺を寄せながら、恐る恐る、木ベラの先に付いた溶けたチョコをチロっと舐めてみる<br />
「ん~……にがっ!?」<br />
思わず顔を顰めながら、唯は火を弱くした<br />
計量カップ片手に、難しい顔をする唯のチョコ作りはまだまだ続く<br /><br />
――――その頃、結城家では――――<br /><br />
「じゃ、セリーヌと出かけてくる」<br />
「まう~♪」<br />
「いってらっしゃい。気をつけてね。セリーヌ」<br />
リトに手を引かれて、散歩に出かけるセリーヌの後ろ姿を見送ると、美柑は急いで<br />
エプロンに着替えた<br />
向かう先はキッチン<br />
夕食の仕度――――はもちろんなのだが、今日のメインは別にあるのだ<br />
「―――よし!」<br />
エプロンの結び目をキュッと強く結び、腕を捲くると、美柑はテキパキと調理の準備にかかる<br />
まずは、アーモンドプードル二種類に、粉糖、卵に――――<br />
「美柑!」<br />
「ん? ララさん」<br />
卵を割る手を止め、キッチンの入口を見ると、両手いっぱいに袋をさげたララが立っていた<br />
「美柑もチョコ作るんだ?」<br />
「うん。と言っても、私のはマカロンだけどね。みんなで食べられるように」<br />
「おお~!」<br />
完成したマカロンを頭に思い浮かべたララは、瞳を輝かせた<br />
「ララさんは?」<br />
「私?」<br />
ララは何が入っているのか、パンパンに膨れた袋を両手に掲げながら、ニッコリと笑った<br />
「じゃ~ん♪ 今年は私もチョコ作ろーって思ってるんだ!」<br />
「あれ? 今年はどこかの星で取れる、何とかってモノじゃなかったんだ? 去年みたいな」<br />
「うん。それはもうやめたの。去年は大失敗しちゃったしね」<br />
チロっと舌を見せながら照れくさそうに笑うと、ララは表情を真剣なものに変えた<br />
「それに…」<br />
「それに?」<br />
「…今年は、一からちゃんと作ってみようと思うの! ちゃんと自分の手で! 気持ちを込めて!」<br />
「ララさん…」<br />
いつになく真剣なララの顔に、美柑は、テーブルに広げた材料を整理していく<br /><br /></dd>
<dd>
<p>「じゃー、一緒にがんばろっか! 私も手伝うよ」<br />
「ホントにっ? さすが美柑だね」<br />
テーブルの上にドサッと置いた山盛りの袋から転げ落ちる黄パプリカに、美柑は言い知れぬモノを<br />
頭に浮かべ、顔を引きつらせた<br /><br />
――――再び、古手川家のキッチン――――<br /><br />
鍋の中からコトコトとおいしそうな匂いが湯気となって、キッチンの中に満ちていく<br /><br />
『ありがとな! 唯』<br />
『いいわよ別に…。これぐらい』<br />
腕を組みながらツンとそっぽを向く唯のほっぺに、リトの手が触れる<br />
『え…』<br />
『お礼、考えなきゃ』<br />
『べ、別にそんな大げさだわ…』<br />
『だって唯がオレのためにガンバって作ってくれたモノなんだろ?』<br />
いつの間にか、息がかかりそうなほどに顔を寄せてきているリトに、唯は顔を赤くさせた<br />
『へ、ヘンな勘違いしないでよ? そんな深い意味とじゃなくて…。だ、だって私たち、<br />
その…つ、付き合って…だからその…日頃のお礼と言うか…』<br />
『…それでもスゲーうれしいよ! だって、唯がくれたチョコだからな』<br />
『…ッ!?』<br />
二人の顔は唇と唇が触れ合う寸前<br />
長い睫毛が重なる度に、唯の胸の音が一つ一つと大きくなっていく<br />
『結城…くんっ』<br />
『お礼…何がいい?』<br />
『お礼…とか』<br />
腰に回っているリトの腕のせいで、唯はその場から動けないでいた<br />
それ以上に、リトの視線から逃れられない<br />
『エンリョーなんかしないで、何でも言ってみろって。何でも言う事聞いてやるからさ』<br />
『何でも…?』<br />
『そ、何でも! 唯の望みならなんだって!』<br />
唯の喉にツバがコクリと落ちていく<br />
『唯は何が欲しい?』<br />
『それはっ…』<br />
何も応えられないままの唯に、リトは――――<br /><br />
「!!?」<br />
ハッとなって唯は目をパチパチさせる<br />
妄想の世界からキッチンに帰って来たことがわかると、唯は湯気が出そうなほど、顔を真っ赤にさせた<br />
「は、ハレンチすぎるわっ!? 私のバカ、バカ」<br />
木ベラを手に頭をポカポカと叩いていると、鼻におかしな臭いがし始める<br />
「た、大変っ!?」<br />
鍋から漂う焦げた臭いに、唯は大慌てで火を消した<br /><br />
――――またまた結城家――――<br /><br />
「ミカンー! コレどーするの?」<br />
「ん? それは…」<br />
マカロンの生地が入ったしぼり袋を、等間隔に天板の上にしぼっていきながら、美柑は、<br />
ララの手元に目をやる<br />
すぐ隣では、ほっぺや鼻の頭にチョコパウダーを付けたララが、シャカシャカと生クリー<br />
ムを泡立てている</p>
<p> </p>
</dd>
<dd>美柑はララに応えながら、チラッと時計に視線を向けた<br />
(あと少しか…)<br />
美柑の視線は時計から冷蔵庫。そして、想いは冷蔵庫の中へ<br />
冷蔵庫の中には、たった一つだけの、美柑お手製のハート型のチョコが入っている<br />
(いつも何かと助けてもらってるし、そのお礼ってことだけどね…)<br />
リト"だけ"に贈る、手作りチョコの出来ばえを意識の外に追い出すと、隣でまた悲鳴を上げる<br />
ララに、美柑は慌てて向き直った<br /><br />
――――焦げた匂いが充満する、古手川家のキッチンでは――――<br /><br />
冷蔵庫から取り出したチョコを前に唯は、難しい顔をしていた<br />
硬さは、OK<br />
じゃあ、味は――――?<br />
「……うっ」<br />
あからさまに顔を顰める唯を見れば、一目瞭然<br />
唯は、出来たばかりのチョコの欠片をテーブルに置くと、椅子に腰掛け、深い深い溜め息を吐いた<br />
「どうしてウマくいかないのかしら…?」<br />
ちゃんと本を見ながら作ったし<br />
材料だって、分量だって間違ってはいない<br />
何度も読み返して、何度も確かめながら作った<br />
それなのにどうして――――?<br />
チョコまみれのエプロンに、テーブルの上に散らばった材料の残り<br />
ところどころ、服も汚れ、顔にもチョコクリームが付いている<br /><br />
いっぱい想いながら作っているのに<br />
いっぱい顔を思い浮かべてガンバってるのに<br />
いっぱいいっぱい気持ちを込めているのに<br /><br />
「何でよっ!?」<br />
ギュッと握りしめた手からは、苛立ちが滲み出る<br />
それは、うまく出来ない自分への怒り<br />
時刻は、すでに夜の九時を廻っている<br />
唯は、椅子から立ち上がると、腕を捲くりながら、再び気合いを入れ直した<br />
「次こそ…!」<br /><br />
――――静かになった結城家のキッチンはというと――――<br /><br />
あんなにたくさんあった材料を全部使い切ってしまったララは、出来あがった? チョコを<br />
手に、なぜか自室の研究室に籠ってしまい<br />
キッチンには、美柑が一人残っていた<br />
「そろそろかな」<br />
タイマーが鳴ると、美柑は椅子から立ち上がり、オーブンへと向かう<br />
「よっと。ん~どれどれ?」<br />
オーブンから取り出した熱い天板の上の生地は、定番の形から、ハートや星に動物と<br />
いった、美柑オリジナルの形のモノまで様々<br />
形が崩れてないか、さっと目を通して確認<br />
熱々の生地を指でツンツン突きながら硬さを確認<br />
初めてのマカロン作りとはいえ、その出来の高さに、美柑はうんうんと満足そうに頷いた<br /></dd>
<dd>「うん。カンペキ! あとは…」<br />
生地が冷たくなるのを待ち。別に作っておいた、ヴァニラやストロベリーやチョコの<br />
クリームを、生地と生地の間に挟めば完成。なのだが――――<br />
美柑はキッチンの入口に目をやり、誰も入ってこないことを確認すると、冷蔵庫に向かい、<br />
扉を開けた<br />
美柑の視線は、冷蔵庫の一番上の棚<br />
隅っこに置かれたソレは、律儀にも総菜や調味料等で見えないようにブロックされている<br />
美柑はうんと背伸びをすると、冷蔵庫の奥から目当てのモノを取りだした<br />
美柑の両手の中には、お皿にのったハート型のチョコが一つ<br />
「どーかな…?」<br />
何日も前から思考重ね、用意して、作り終えたチョコを見るのは、これで何度目になるのか<br />
「大丈夫…よね?」<br />
結城家の小さなパティシエがかわいい眉を寄せて悩む理由は、チョコの出来よりも、他の理由<br /><br />
『おにーちゃんっ。チョコだよっ』<br />
体のサイズに合ってない大きなエプロンを翻しながら、キッチンから出来たてのチョコを<br />
手にリトの元にやってきた美柑<br />
『おー! サンキュ美柑』<br />
リトの前に出されたチョコはお世辞にも「おいしそう」とは言えない、形も不格好な星型<br />
ココアパウダー塗れの両手をそわそわさせながら、リトを見つめる美柑は、不安で<br />
いっぱいになっている<br />
リトはお皿の上のチョコを手に、一口ぱくっ<br />
もぐもぐ口を動かしながら、時折、小首を傾げる様子に、美柑のまだ幼い瞳がゆらゆらと揺れる<br />
(うぅ…ダイジョーブかな? おいしーっていってくれるかな…おにーちゃん)<br />
チョコをキレイに食べ終わったあと、リトは美柑に向き直ると、ニっと笑顔を浮かべた<br />
『う~ん…最初はなんか苦かったけどさ、うまかったよ! 去年よりスゲーうまくなってるじゃん』<br />
手についたココアパウダーを舐めながら、明るくそう言ってくれるリトに、美柑の小さな<br />
胸の中は、驚きとうれしさで溢れてしまう<br />
『また作ってくれよな』<br />
『ま、また…!?』<br />
リトの言った言葉の意味を、胸の中で何度も噛み締めると、美柑は赤くなった顔を慌てて<br />
ぷぃっとリトから逸らした<br />
『ふ、ふ~ん…。そ、そこまでいうなら仕方がないからまたつくってあげるよ』<br />
『別にムリしなくてもヒマな時でいいよ! あんまり甘いモノばっかなのもイヤだし』<br />
『なッ!?』<br />
せっかくの気持ちを挫く、リトのあまりの言い草に、美柑はエプロンをギュッと握りしめ<br />
ながら声を震わせた<br />
『もうわたしのチョコいらないってこと!?』<br />
『そーじゃなくて…』<br />
『いらないってコトなんだ…』<br />
美柑の大きな目がうるうると揺れ、浮かんだ涙が今にもこぼれそうになる<br />
『わ…わたし以外からチョコなんかもらった事ないクセにっ!! もういいよ! 来年は<br />
ひとつももらえずに泣いてればいいんだよ!』<br />
『お、おい。美柑?』<br />
『…ふん。もーおにーちゃんなんかしらない! チョコもつくってあげないっ!』<br />
ほっぺをぷくっと膨らませながら、足音をいつも以上に立てながら、美柑はキッチンの<br />
ドアを勢いよく閉めた<br /><br />
(あの頃は私、ホントに子どもだったな…。でも、あの時からかな…。リトのうれしそうな<br />
顔、見たくてガンバるようになったのって…)<br />
あれから何度失敗を繰り返し、何度泣いたか<br /><br /></dd>
<dd>「…いらないとか言ったら許さないからね! リト」<br />
手の中の想いのたくさん込もったハート型のチョコに、美柑はそう呟いた<br /><br />
――――そして、唯の手作りチョコの行方はというと――――<br /><br />
冷蔵庫の前で唯は、不安そうに瞳を揺らしていた<br />
もう泣きそう、と言ってもいいのかもしれない<br />
何度も失敗して、何度もくじけそうになった初めてのチョコ作り<br />
おいしくないかもしれない<br />
形だってわるいかもしれない<br />
割れちゃったり、ヒビが入っちゃったりしているかもしれない<br />
「それは何かイヤだけど…」<br />
唯は自分に向かってそう一人ごちた<br />
手にはリトから借りたマフラーが握られている<br />
キレイに折りたためられたマフラーを、唯は胸に当てた<br />
お守り――――ではなく、こうやって胸に当てると、なんだかリトがすぐそばにいてくれる様な気がして<br />
くじけそうになる弱い気持ちにほんの少しの力をくれるようで<br />
(神様―――!!)<br />
祈りというより切望に近い想いを胸に、唯は冷蔵庫の扉を開けた<br /><br />
そして夜遅く<br />
明かりの付いているキッチンへやって来た遊は、キッチンに入るなり溜め息を吐いた<br />
唯が机に突っ伏しながら、寝ていたのだ<br />
「ったく何やってんだよ…」<br />
テーブルの上には、何度も読み返したのか、チョコで汚れた本<br />
計量カップの中には生クリームの残りが入ったまま。まな板の上の包丁に焦げ目が付いた鍋<br />
ホワイトパウダーが舞っているキッチンの惨状に、遊は二回目の溜め息を吐き、そして、<br />
淡い笑みを浮かべた<br />
あまりにも唯"らしく"ない<br />
「ま、それだけ一生懸命なんだろうな…」<br />
スースーと、気持ちよさそうな寝息を立てる唯の手には、本人のモノじゃない、マフラー<br />
そして、すぐそばに出来たばかりのチョコが置いてある<br />
「結城…くん…大好き…なんだからね…」<br />
夢の中でようやく言えた素直な気持ちに、唯は幸せそうな笑顔を浮かべた<br />
「はいはい、お楽しみの最中ってわけか」<br />
遊は苦笑を浮かべると、上着を脱ぎ、そっと唯の背中にかけた<br />
視線は唯の寝顔と、出来たての少し不格好なネコの形をしたチョコ<br />
「…お疲れ。とりあえず今はゆっくり寝てろ」<br />
と、唯の頭をそっと撫でると、遊はキッチンをあとにした<br /><br />
そして次の日――――<br /><br />
昼の一時過ぎ<br />
まだ半分以上寝ている頭を起こしながら、遊は重たい瞼を持ち上げた<br />
眩しい太陽の光に眉間に皺を寄せると、見慣れないものが目に映る<br />
「…ん?」<br />
部屋の真ん中にあるテーブルの上に、小さな箱が置いてある<br />
ボリボリ頭を掻きながら箱を手に取ると、箱の下に引いていた紙がヒラヒラと落ちていく<br />
「何だ?」<br />
ダルそうに床に落ちた紙を拾い上げると、紙にはたった一行、見慣れた字でシンプルな<br />
文章が書かれていた<br /><br />
「ありがと。お兄ちゃん」<br /><br />
テーブルの上に置かれたキレイに畳まれた昨日の上着と手紙を手に、遊はその日、最初の<br />
笑みを浮かべた<br /><br /></dd>
<dd>
<p>「…で、結城くんには手作りチョコで、オレのはコンビニで買ったチョコかよ」<br />
手の平サイズのチョコは、全国どこのコンビニでも買える、なんの変哲のないモノ<br />
「ま、ありがたく貰っといてやるよ」<br />
と、苦笑を浮かべつつ、遊はチョコを口に入れた<br /><br /><br />
はぁ…はぁ…、と息を切らせながら、唯はいつもより急ぎ足でリトの家に向かっていた<br /><br />
昨日、いつ寝てしまったのか、目を覚ますとすでに朝<br />
大慌てでチョコの出来ばえを再確認した唯は、急いでラッピングの仕度に取りかかった<br />
ただし、愛情に妥協はなく。箱からリボンに至るまでラッピングには、いつもより多めの、<br />
300%増しの好きの気持ちを込めて<br />
お風呂は、いつもより一時間以上長め<br />
シャンプーも石鹸も、みんな新しいモノ<br />
ネイルのお手入れは、いつもの二倍の時間をかけて<br />
髪のキューティクルは、今までで最高の気合いを入れて<br />
服は、結城くんが「かわいい」って言ってくれたモノを<br />
仕度を整え、鏡の前で深呼吸。そして、小さく気合いを入れ<br />
家を出た頃には、すでに昼の一時を回っていた<br /><br />
「ってもぅ…、いったい準備に何時間かけてるのよ! 私は…」<br />
もう何度も通った見慣れた道<br />
次の角を曲がれば、すぐそこはリトの家だ<br />
唯は曲がり角の手前で一度足を止めた<br />
カバンから取り出したのは、携帯用の化粧鏡<br />
髪のチェックを終え、カバンに戻す時、チョコの入った箱が目に映る<br />
(喜んでくれるかな…。結城くん…)<br />
リトの顔を想い浮かべながら、唯はチョコにそっとふれた<br />
そして、表情を改めると、リトの家へ向かう<br /><br />
インターホンの前で、まずは深呼吸<br />
気持ちを落ち着かせて、呼び鈴ボタンに指を伸ばす<br />
不安や緊張は拭えないけれど、昨日、あんなにガンバったのだ<br />
「そうよ! ガンバったじゃない! あとはチョコを渡すだけなんだから」<br />
唯は小さく気合いを入れると、インターホンに指を伸ばし、ボタンを――――押せなかった<br />
ボタンに触れるか、触れないかの距離で、指先がプルプルと震えて、それ以上、前へは進めない<br />
緊張と、不安。乱れた気持ちが、唯の手におかしな汗を滲ませる<br />
「うぅ…」<br />
ふるふると震え続ける指<br />
中々、進むことができない自分と格闘する事、十数秒。唯はインターホンから手を離した<br />
「もう! これじゃ、なんのためにココまで来たのかわからないじゃないっ!」<br /><br />
失敗を重ねながらも一生懸命ガンバって作った、想いのいっぱい込もったチョコレート<br />
自分の気持ちを、ちょっとだけでもわかってほしくて、知ってほしくて<br />
大好きな結城くんに届けたくて<br /><br />
「結城くん…」<br />
頭の中で溢れるのは、リトの笑顔<br />
胸の中をいっぱいにしてくれるのは、リトの声<br />
ギュッとカバンを持つ手に、力がこもる<br />
冬の冷たい風で、すっかり冷たくなった唯の手が、ほんのりと赤くなる<br /><br />
インターホンの前で、もう一度、深呼吸<br />
なんて応対するか、頭の中で予行練習<br />
「今度こそ…」<br />
と、唯がインターホンのボタンを押そうとした、その時――――<br /><br />
「あれ? 唯?」<br />
「まうー!」<br />
「え?」<br />
三人の声がハモリ、そして、視線が交わる<br />
「ゆ、結城くん!? と、セリーヌちゃん…!?」<br />
「まう♪」<br />
リトに肩車をされながら、セリーヌが元気な声で応える<br />
「どしたんだ? 何か用?」<br />
「そ、その…」<br />
「ん?」<br />
?マークを浮かべるリトとセリーヌの二人に、うまく言葉が出てこない<br />
さっき決意したはずなのに、焦った気持ちが、唯の冷静さをうばっていく<br />
「うっ…ぅ…」<br />
心なしか、さっきよりもカバンが重く感じられる<br />
リトは、セリーヌを下に下ろすと、門柱を開けながら、唯の方を向いた<br />
「とりあえず、ウチ入れよ? こんなトコにいるとまた風邪引くかもしれねーだろ?」<br />
「わ、私はっ…」<br />
「ん?」<br />
「う…っ…」<br />
やっぱり言葉が続かない<br />
それは緊張のせい? 不安だから? <br />
理由は明白<br />
(って、もぅ…。結城くんの顔、見ただけでなに舞い上がってるのよっ!?)<br />
「唯?」<br />
「え…!?」<br />
俯いていた顔を上げると、そこにはキョトンとしたリトが待っていて<br />
唯は顔を真っ赤にさせると、ぷいっと顔を逸らした<br />
「…ホントに大丈夫か?」<br />
「…なっ、何でもないからその…」<br />
「え?」<br />
心配なのか、ジッと見つめてくるリトに、唯の心拍数がどんどんと上がっていく<br />
(うぅ…もぅ! そんなに見ないでよねっ)<br />
目の前でもじもじしだす唯にリトは、どうしていいのかもわからず、ほっぺを掻きながら眉を寄せた<br />
(何だ…? オレ、唯に何かしたっけ?)<br />
(だから、そんなに見つめないで…! どーしていいのかわからなくなるの…!)<br />
二人の気持ちは噛み合わず、すれ違ってばかり<br />
そんな二人を動かす、きっかけが訪れる<br />
「まう、まう」<br />
「え?」<br />
クイクイと、スカートを引っ張るセリーヌに唯は、視線を落とした<br />
「セリーヌちゃん?」<br />
「まう、まうー」<br />
唯の顔をジッと見つめたまま、何度もスカートを引っ張るセリーヌ</p>
</dd>
<dd>「ど、どうしたの?」<br />
「まう…」<br />
セリーヌは唯の足にギュッと抱き付いた<br />
「え!? ちょ…」<br />
「まうぅ」<br />
戸惑う唯にリトは苦笑を浮かべながら、話し始める<br />
「セリーヌのヤツ、ずっと唯と会えなかったのを寂しがってさ。たまにすごい駄々こねたり<br />
して、困った時があったんだ」<br />
「セリーヌちゃんがそんな事を…」<br />
「セリーヌのためにも、よかったらウチに上がってってほしいんだ。頼むよ!」<br />
「う…ぅ」<br />
ギュ~っとしがみ付く、小さなぬくもりに、唯は膝を屈めると、そっとセリーヌを抱き寄せた<br />
「そうだったんだ…。ごめんね。セリーヌちゃん」<br />
「まう…」<br />
唯に頭をよしよしと撫でられている内に、セリーヌの曇っていた顔が、お日様のように輝く<br />
「じゃあ、おじゃましようかな。セリーヌちゃんのおウチに」<br />
「まう♪」<br />
唯に抱き付くセリーヌは、どこまでもうれしそうで、そんな二人にリトは笑みをこぼした<br /><br />
「おじゃま…します」<br />
靴を揃えて、玄関に上がると唯は、そわそわしながらそう挨拶をした<br />
リトの家<br />
来るのは、今日が初めてではない――――はずだが<br />
(何なの…コレは)<br />
いつも感じる、緊張と恥ずかしさとうれしさが、ごちゃまぜになった感情<br />
それが、今日は特別大きく感じる。唯は胸のあたりを手で押さえた<br />
家の中はし~んと静まり返り、いつもの喧騒がまるでない<br />
「そ、そういえば美柑ちゃんたちは?」<br />
「美柑? 美柑だったらララと一緒にどっか出かけたけど? なんか買いたいモノがあるんだってさ」<br />
「そう…」<br />
結城くんの家で、結城くんと二人きり<br />
うれしいけれど、恥ずかしい状況に、唯は一人頬を染めた<br />
そんな唯の手に小さな手が重なる<br />
「ん? セリーヌちゃん?」<br />
「まう…」<br />
セリーヌを忘れないで! と言っているかの様に、セリーヌの大きな目が寂しげに曇る<br />
唯はセリーヌの手を握りしめると、ごめんね…、と謝った<br />
(そうよね! 何を焦ってるのかしら私ったら。バカみたい…。今日はチョコを渡すだけじゃない…)<br />
乾いた笑みを浮かべる唯だったが、次第に思考が一つの事実を紡ぎ始める<br />
(チョコを渡す…?)<br />
そして、ある問題を唯に与える<br />
とても大切で大事な問題を<br />
(そ、そうか…!? チョコを渡さなきゃダメなんだった…! か…考えてなかった…。<br />
ど…どうやって結城くんに渡せばいいの…!?)<br />
少し前をいくリトの背中を見ながら、唯は声にできない声をあげた<br /><br /></dd>
</dl>