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「湯むきの桃」(2009/05/31 (日) 17:15:22) の最新版変更点
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春の宵は千両というが、湯の中なら、それ以上の価値があるにちがいない。<br /><br />
結城家の風呂場は湯気が立ちこめて、窓は宵の口の藍色に染まっている。<br /><br />
浴槽の縁へ首をもたせかけ、あごまで湯につかったリトは、実に幸せそうだ。<br /><br />
昼は桜の公園に遊んで、ララの弾丸スマッシュと戦い、頭から土に埋まって、<br />
自宅の風呂場へ直行し、汗と泥を落として、ようやく湯舟につかったところだ。<br /><br />
しかし、それにしても―――― とリトは思う。<br /><br />
今日という日を思い返してみれば、朝からろくな目に遭わなかった気がする。<br /><br />
「リトさんったら、昨夜のコト、何も覚えてないみたいですね」<br /><br />
そんな思わせぶりを言われても、記憶にないのだが、何かやったのだろうか。<br /><br />
うつらうつらと考えているうちに、まぶたが重くなって、眠りの中へ落ちていく。<br /><br />
「……目覚めはいかが?」<br /><br />
まぶたを開けると、桃色の髪が目を奪い、紫色の瞳がいたずらっぽく輝いて、<br />
思わず息を吸いこめば、せっけんの香りと一緒に、女の匂いが鼻を満たした。<br /><br />
あわてて起きると、モモが浴槽の縁にひじをつき、こっちを見て微笑んでいて、<br />
白いタオルを巻きつけた体は、洗い場の床にぺったりと座りこんでいるようだ。<br /><br />
「な、何してんだ!」<br />
「お背中でも」<br />
「いや、もう洗った!」<br />
「……ほんとに?」<br /><br />
モモは手を伸ばすと、やんわりと曲げた指をリトの耳の中へ入れ、くすぐって、<br />
耳の裏側から、粉のような砂つぶがポロポロとこぼれて、湯舟の中へ消えた。<br /><br />
「そういうところも、きれいにしないと……」<br /><br />
そう言って、モモは浴槽の縁にひじを戻すと、上目遣いに視線をからませる。<br /><br />
「わ、わかった、洗うから…… 出てってくれ」<br />
「おかまいなく、どうぞ、こっちへ出てらして」<br /><br />
首をかしげて目をそらさないものだから、湯舟から立ち上がることもできない。<br /><br />
どういうつもりなんだ――――<br /><br />
とにかく、リトは平静を装い、洗い場を見ないようにして、モモはだまっていた。<br /><br />
そのまま、時間が経って、いつしか窓は黒一色、ひやりとした静寂に満たされ、<br />
くしゅん、という声が聞こえて、見れば、モモが鼻のつけ根にしわを作っていた。<br /><br />
「……風邪引くぞ」<br /><br />
声をかけると、モモは鼻の下を指でこすり、小さな肩をすくめてクスッと笑った。<br /><br />
「お優しいですね」<br /><br />
そう言ったかと思うと、あっさりと立ち上がり、おどろくリトを尻目に脚を上げた。<br /><br /></dd>
<dd><br />
ちんまりと丸まった足の指が、ちゃぷんと音を立てて、湯の中へ沈んでいく。<br /><br />
白いタオルが目の前を横切って、そこから伸びた太ももは影を秘めていた。<br /><br />
見上げれば、なよやかな腕を胸元へ寄せながら、夭夭として灼灼たる様子、<br />
目は伏せられて、はにかみの中に誇らしげな色をたたえ、頬はぽっと赤い。<br /><br />
そんな風に、そこに立った少女が、以前にも――――<br /><br />
「つめていただけます?」<br />
「え? あ、ああ……」<br /><br />
リトは素直に後退し、脚をたたむと、湯から膝がしらが、ぽこりと突き出して、<br />
ふたつの膝に挟まれた空間の彼方に、純白の繊維につつまれた体が沈む。<br /><br />
あふれる湯に逆らって、モモは背筋を伸ばし、リトに向き合って正座をした。<br /><br />
足の親指にやわらかい肌が触れて、それはモモのふくらはぎのようだった。<br /><br />
「いい気持ち……」<br /><br />
そう言ったきり、モモは両目を閉じて、熱っぽい息づかいだけが耳に届いた。<br /><br />
リトはそっぽを向くのもアホらしく、かといって目をつむるのも危険に思えて、<br />
どうしたもんだろう、と途方に暮れながら、化粧っ気のない眉を眺めていた。<br /><br />
桃色の髪の間に、ひとふきの汗が浮いて、頬を伝い、あごのほうへ流れる。<br /><br />
あごの先でしずくになって、しばし持ちこたえてから、胸のほうへ落下したが、<br />
行く先を目で追えば、胸のタオルも、すべてを覆い隠しているわけではない。<br /><br />
はんなりとした胸の、ふくらみの間が汗ばんで、涙の谷どころではなかった。<br /><br />
「あ、あのさ」<br />
「え……?」<br /><br />
長いまつ毛がゆれて、リトはあわてて話題を探す。 ――――順序が逆だ。<br /><br />
「あの、昨夜のコトって、何?」<br /><br />
気にかかっていたことだから、つい口をついて出てしまったというところだが、<br />
さすがに軽率のそしりをまぬがれず、モモの微笑たるや、悠然としたものだ。<br /><br />
「リトさん、本気にしたんですか?」<br />
「え? あ、なんだ、嘘か」<br />
「半分は嘘で、半分は本当です」<br />
「……」<br /><br />
その言葉さえも、嘘か本当かわからず、こういうのを、術中に陥った、と言う。<br /><br />
モモは舌を覗かせて、ちろっと上唇を舐めてから、目を細めて言葉を継いだ。<br /><br />
「朝は、あんなになるんですね」<br />
「へ? あんなって、どういう……」<br /><br />
聞き返そうとして、すぐさま意味するところに思いあたり、リトは顔を赤らめた。<br /><br />
モモは慈しむような目をして見ていたが、やがて、膝の間へと視線を落とした。<br /><br /><br /></dd>
<dd>
<p><br />
それに気がついて、あわてて膝を閉じようとすると、モモの手が伸びてきた。<br /><br />
リトの膝がしらの一方に、両の手のひらを重ね、つつみこんで正座をくずし、<br />
重心を移して、流れるように体を寄せると、あごを膝がしらの手へ乗っけた。<br /><br />
「こ、こら!」<br /><br />
リトは肩をゆらしたが、膝の上に顔があっては、跳ね上げることもできない。<br /><br />
「お、おい、モモ、ちょっと……」<br />
「もう、いけないところは見えません」<br /><br />
それはそうかもしれないが、こっちから見れば、細いあごの斜め下あたりで、<br />
白いタオルが乱れて、胸から腋の下まで、ゆったりとした空間を作っていた。<br /><br />
「お顔なら、見ていても?」<br />
「勝手にしろ!」<br /><br />
リトは言い捨てると、顔を上げて、モモの背後の濡れた壁面をにらみつけた。<br /><br />
そのまま、時間が経っていって、意地の張り合いとしか思えない様相を呈し、<br />
本来、前屈みで膝に体をあずけるというのは、楽な姿勢ではないはずだった。<br /><br />
やがて、モモはうつむくと、指の間へ舌を伸ばし、膝の窪みをぺろりと舐めた。<br /><br />
やめさせようと思って、手を伸ばしたが、叩いたりするわけにもいかないから、<br />
指先の白くなったところを、遠慮がちに撫でると、くすぐったそうに指がくねる。<br /><br />
爪を伸ばしていない、子供っぽい指先のくせに、おそろしく敏感なようだった。<br /><br />
そうして、指先を合わせていると、モモの唇がめくれ、こっちの指先を咬んで、<br />
引っこめる間もなく、口の中を指が泳いでいって、小さな八重歯を探りあてる。<br /><br />
やっぱり、姉妹なんだな――――<br /><br />
その時、ふいに鼻の奥がムズムズするのを感じ、鼻孔から赤い線が落ちた。<br /><br />
「リトさん、鼻血が……」<br />
「ん、いや、のぼせたんだ」<br /><br />
言わずもがなのことを言いながら、リトは唾液にまみれた指先で鼻をつまむ。<br /><br />
「ちょっと、オレ出るから」<br />
「ダメ…… です……」<br /><br />
なまめいた声が押し出され、紫色の瞳は陰を含んで、じっとりとうるんでいた。<br /><br />
「だって、血が出るの、いやだろ」<br />
「私はべつに…… かまいません」<br /><br />
そう言って、目の端で婉然と笑い、リトは女のそういう表情を見た経験がない。<br /><br />
もはや、どうしたらいいかわからなくて、リトは鼻をつまんだまま、天を仰いだ。<br /><br />
モモはだまっていたが、やがて、あごを浮かせると、片方の手を引き抜いて、<br />
ひっそりと湯の中へ沈んだ手のひらは、ふたつの膝の間をすべり降りていく。<br /><br />
「!」</p>
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<dd><br />
リトは反射的に膝を合わせ、湯の面が波打って、モモの顔に飛沫がかかる。<br /><br />
「ダメですよ、リトさん、離してください」<br /><br />
モモは笑い、肩がゆれたのは、笑ったせいか、もぐらせた手を動かしたのか。<br /><br />
「よせよ、モモ……」<br />
「あら、どうしてですか?」<br /><br />
どうして、と言われても、こうしている以上、どんな言葉も空々しいことになる。<br /><br />
「だって、お前…… まだ子供じゃないか」<br /><br />
その通りだが、言った本人も未成年者だから、説得力があるとは思えなくて、<br />
しかし、リトの物云いに、こんな厳しい調子が含まれるのは珍しいことだった。<br /><br />
モモは、探るようにリトを見つめてから、そっと腕を引き上げて、膝が開いた。<br /><br />
その刹那。<br /><br />
「わっ」<br /><br />
バシャン! と激しい音が響いて、モモの全身が、膝の間に割りこんできた。<br /><br />
「お、おい、モモ!」<br /><br />
しなやかな腕が首に巻きつき、頬と頬がしっとりと寄りそって、微熱を伝える。<br /><br />
「子供じゃダメなら、リトさん……」<br /><br />
唇の先が、耳に触れる。<br /><br />
「大人に、してください……」<br /><br />
やわらかな胸が、ぎゅうっと押しつけられて、震えているのが伝わってくる。<br /><br />
そして、モモのお腹を圧迫しているのは自分で、それは抑えようもなかった。<br /><br />
水滴が、ポツンと落ちた。<br /><br />
やがて、髪がゆらめき、白い喉が反りかえって、ふたつの唇が這い寄ると、<br />
息が混じり合って、鼻と鼻をこすり合わせれば、ぬるりとした感触があった。<br /><br />
妙に思って、顔を離してみると、モモの鼻がトナカイのように赤くなっている。<br /><br />
それで思い出して、リトは自分の鼻をつまみ上げ、モモは鼻を指でこすって、<br />
血塗られた指を見つめていたが、おっとりと目を閉じて、先端に唇をつけた。<br /><br />
浴槽の縁へ手を置き、ため息をつくと、リトの目を見て、とがめるように笑う。<br /><br />
そして、胸元のタオルを無造作にはだけ、リトの鼻のまわりを優しくぬぐって、<br />
端の朱色に染まったタオルを、ふたたび巻きつけると、モモは立ち上がった。<br /><br />
「部屋で……」<br /><br />
そう言い置いて、浴槽から出て行き、リトは呆けた顔で、うしろ姿を見送った。<br /><br />
しっぽがゆれ動き、尖端から水滴が垂れて、風呂場の戸が静かに閉まった。<br /><br /><br /></dd>
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<p> </p>
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