ある日の放課後――。「ざぶーん」――という謎の言葉を発しながら、古手川唯は誰も居ない教室で謎の行動を取っていた。教卓の上に真っ直ぐうつ伏せに寝て、手足を規則的にバタつかせ、時々顔を上げてぷはーっと大きく息を吐いてはすぐに吸い込んで顔を下げる…。この一連の動作を、彼女は休む事無く延々と続けていた。端から見てると怪しさ爆発な事この上無いのだが、本人の目はいたって真剣だ。何か大きな…、とても大事な事を成し遂げようという決意が表れている様にも見える。『ガラッ』「ふー、いっけね~。教室にノート忘れて来ちゃってたよ~」だがここで、突然誰かが教室に入って来た。その人物とは言わずもがな、『都合が悪い時に限ってのエンカウント率100%』を誇る我らが主人公、結城リトである。「………って、古手川?」「……へ?」『ピシッ!!』ふと視界に入って来た異様な光景を目撃してしまったリトと、自分の恥ずかしい行動を目撃されてしまった唯。あまりの衝撃に両者その状態のまま十秒程フリーズし、そして…。「み……………見ぃーーたぁーーわぁーーねぇぇぇ~~~!!!」「ひ…、ひぃぃぃっ!!?」顔を真っ赤にして凄まじい殺気を放つ唯。リトは、そんな唯の背中に怒り狂った不動明王が確かに見えたと後に語ったとか…。――――――「ぁー…なるほど…。つまり今年こそ泳げる様になりたくて、ここでこっそりイメージトレーニングしていたと…」頭に出来たでっかいたんこぶをさすりながら、ちょっと涙目でリトが尋ねる。「わ…悪い!?私だってカナヅチだって事は一応気にしてるんだからねっ!」いつものノリで反射的に(理不尽な)鉄拳制裁を加えてしまい、その罪悪感からぷいっと目を逸らして言い訳めいた事情説明をする唯。「生徒の模範となるべき存在である風紀委員が泳げないんじゃ、他の生徒に示しが付かないでしょ?風紀委員がナメられたら益々この学校の風紀が悪くなっちゃうわ」「ぃゃ…、それ考え過ぎだって…」「………そうでなくったって、私自身何時までも泳げないままじゃ情けない気がして…」そう言って唯は力無く沈んでしまった。若干暗~いオーラが周りを覆っている様に見える。「……結城くんは…………泳げるのよね…」そしてちょっと拗ねた感じでリトに質問する。「へ?まぁ、そこそこは…」「そう…」『ズーーン…』「あ、あれ?」質問に答えただけなのに、更に唯がヘコんでしまって焦るリト。「どうせ結城くんも心の中じゃ私が泳げない事を嘲笑ってるんでしょ…?あーあー羨ましいわねぇ…。流石泳げる人は余裕綽々って事…?私だって好きでカナヅチになった訳じゃ無いんだっつーの…!そもそも人間が水に浮く事自体、非常識極まりない事なんじゃないの…!?大体…(ぶつぶつ)」完全にやさぐれちゃってる古手川さん。教室の隅っこにうずくまって、床に『の』の字を書きながらリトに八つ当たりする。本気で悩んでるからなのか、いつもと大分キャラが違う。「…………ぅ゛ーん…」『この状況、どーしたものか…』と、頭をポリポリ掻きながら改善策を考えるリト。別に自分には直接的な関係は無いのだが、このままほったらかしにするのも何か不憫だ。思考を巡らす事数秒間、ふとリトの頭にピーンと豆電球が点いた(古い)。「古手川、今度の休みヒマか?」「………へ?」――――――数日後――。燦々晴れの休日、唯はスイミングバックを片手に街の広場に居た。その様子はどこかソワソワ落ち着きが無く、時々腕時計をちらちら見ては周りをキョロキョロ見回す…。ここに来て約十分程経つが、さっきからずっとこの調子である。(まだかな……、結城くん…)実はあの時、こんなやり取りが――。『古手川、今度の休みヒマか?』『………へ?』リトの質問に顔だけ振り向かせる唯。心なしか、目尻にちょっと涙が溜まってる。『まぁ、取り立てて用事は無いけど…、それが何か――?』『じゃあさ、今度の休みにプールに行かないか?』『………………は?』一瞬リトの言葉が理解出来ず、キョトンと目が点になる。『ぁの……、今何て…』『だから、今度の休みの日に一緒にプールに行かないか?泳ぎ方教えるからさ』『へっ!?』聞き間違いじゃ無い事に気付いた途端、みるみる内に唯の顔が赤くなっていき慌てふためる。『ぁ…あのっ…!どどどどど…どう…して…!?』『どうしてって…、こーゆーのは一人でやっても効率が悪いだろ?それに友達がそこまで深刻に悩んでるトコ見ちまったら何とかしてやりたくもなるってもんだし…』『友…』『?、どした?』『えっ!?な…何でも…』『友達』という言葉に、ちょっと胸の辺りがチクッと痛んだ。が、そんな事は今はどうでも良かった。何故なら、それよりも重要な事に気付いたからだ。『ぁの…結城くん…。それって……つまり…』『あ…、やっぱり迷惑だったか?いきなりこんな提案しちまって…』『う、ううん!迷惑なんてそんな事無い…!むしろ…嬉しぃ――』『は?』『な、何でもないっ!何でもないからっ!』『そ…そうか…』必要以上に焦る唯に少し唖然となったが、リトはそれほど気に止めなかった。そして唯は、リトの提案によってある単語が頭の中を支配していた。【結城くんと……………休日に………プール……。それって……やっぱり――】(デート………なのよね…?)心の中でそう呟いた瞬間、徐々に唯の顔が赤らんで熱を帯びていく。約束の時間までは、まだかなりの余裕がある。流石に早く来すぎたとちょっと反省。けど、家に居たら居たで兄・遊に茶化されるだけだろうし、何より唯自身、少しでも早くリトに逢いたかった。唯はおもむろに目を閉じる。と、すぐさま笑顔のリトが目の前に浮かんでくる。ほんのついこの間までは訳が分からず高鳴る鼓動を無理矢理抑えて慌てて掻き消していたけど、最近はその鼓動が心地良く感じられて、自然と笑みが零れてしまう。心の中はリトに逢える嬉しさと幸せな気分で一杯になる…。自分の気持ちを自覚してまだ間も無く、そういう事に関しては意識的に距離を取ってきたから良くは分からないけど、この気持ちは理屈なんかじゃない…。あぁ…、『人を好きになる』って、こういう事なのかなぁ…と、唯は胸に手を当ててそう思った。(こんな事なら、早めに新しい水着買っておけば良かったなぁ…。結城くんてば、急にあんな事言い出すんだから…)「古手川さん」(ま、多分結城くんにしてみたら、純粋に私が泳げる様になる為に気を使ってくれただけなんだろうけど…)「古手川さんっ」(でもなぁ…、折角二人だけなんだから、もっとこぅ……可愛い私を見てほしい…っていうか…)「古手川さんっ!」「……へ?」突然誰かに呼ばれてようやく現実に引き戻される唯。ちょっと不快感を感じつつ、声がした方を振り返ると…。「………西連寺さん?」今日の天気みたいに爽やかな笑顔を浮かべた春菜が立っていた。「どうしたの?何か嬉しそうだったけど、良い事でもあったの?」「なっ、何でも無いわよっ!何でも――ん?」慌てて誤魔化そうとする唯。が、ここで春菜が右手に持っている物――自分と同じスイミングバックに気付いた。「ぁの…、西連寺さん、それは…?」「ああ、私もプールに誘われたんだ。一緒に行こうって…」「……『も』?」「古手川さんも…なんだよね?確か泳げる様になる為の練習とかで」「ぃゃ…ぁの…、何でその事……」さっきと打って変わって、途端に嫌な予感が唯の全身を駆け巡る。――と、その時。「春菜ー♪唯ー♪ごめーん、待った~?」「コ、コラ、そんなに引っ張んなってぇ!」毎度お馴染みの元気っ子ボイスとお日様スマイルと共に、ララがリトの腕を引っ張りながらやって来た。「えへへ…、お待たせ~♪」「こんにちはララさん、……結城くん…」「よ、よお…、西連寺…」「……」「プール♪プール~♪」「ふふっ、楽しそうだねララさん」「いつも暑いからね~。こーゆー日はプールが一番だよ~♪」「だからって急に『プール行こ~♪』なんて言い出すなってーの」「……」「私、いきなりだったから新しい水着用意出来なかったよ…」「あれ?そーなんだ。えへへ、私すぐにペケに新しいのインストールしたよ~♪」「ったく…、こーゆー事に関しては行動が早いんだから…」「…………結城くん」「ん?何だよ古手が――ぅおぉっ!!?」呼ばれて振り向くと、バックから『ゴゴゴゴゴ――』ていう重低音が聞こえてきそうな位に、唯がこめかみをピクつかせながら有無を言わさぬ怒気を放っていた。一体何が起こったのか、訳が分からずたじろぐリト。「あのさ結城くん…、私、ララさんや西連寺さんも来るなんて聞いてないんだけど…」(こっ、怖えぇぇーー!!)唯のプレッシャーに圧倒されるリト。何が何だか分かんないけど、ここで逆らったらきっと命が無いと本能的に感じ取り、一言一言誠意を込めて丁寧に説明する。「ぁ……ぁー、そーいや言ってなかったな~…。実はこの間、ララの奴が突拍子にプールに行きたいって言い出してさ…、それで最初はオレと西連寺との三人で行く事になって…」「ふーん」「で、たまたま古手川が泳げない事に悩んでるトコ見たから、せっかくだから練習がてら一緒に行こうと思った次第で…。ホラ、やっぱりこーゆーのは大勢で行った方が楽しいし、みんなで教え合ったりもできるしさ…」「へー」「……」「……」終始ジト目でリトを睨む古手川さん。そのおかげで冷や汗が全く止まらない。例えるなら今のこの状況、母親に悪い点数のテストを見つけられて必死で言い訳している子供の図と言った方が分かり易いか?「ぁの…………古手川サン…?」「何?」恐怖心に煽られてゴクリと生唾を飲み込むリト。そして一言…。「もしかして…、いや、もしかしなくても……………………………怒っていらっしゃいます?」すると唯は…。『(^-^)』ニッコリと、それでいてどこか戦慄を覚えそうな位不敵に微笑んで、そして…。「いーえ、別に怒ってなんかいないわ――よっ!!!♪」「い゛ぃぃぃぃーーーーー!!?」足を思いっ切り踏んづけられてしまった。「ふんっ!!」すっかり不機嫌モードにシフトチェンジしてしまった古手川さん。悶え苦しむリトを一瞥もせずに、唯はそのままスタスタ歩き出して行った。「……何で?何で?何でオレ怒られてんの??」「唯、どーしたんだろーね~。またぷんぷんしてる…」「ぁの…結城くん…、また何か古手川さんを怒らせる様な事したの?」「ぃや…、オレは多分何にもしてない……ハズ…。うん、何にもしてない…」「ホラ、いつまでそんな所でボーっとしてるのよ!!行くんなら早く行くわよ!!でないと置いて行っちゃうから!!」「「「はっはい、ただいまぁ!!」」」唯の怒声と怒りオーラに圧倒された三人は、慌てて先を歩く唯を追い掛けて行った。期待を裏切る様で悪いが、そう簡単にラブラブになれる雰囲気になるはずがない。それもまた、一つのお約束…。「やかましい、黙れ!!!」………はぃ。
――――――――という事で、やって来ました市民プール。どうやら考えている事はみんな同じらしく、休日という事も重なって家族連れやらカップルやらで溢れ返っていた。「きゃー♪」『ザブーン!』そんな大盛況の中、プールの一角にある人気スポットのウォータースライダーでララの楽しそうな声が響く。「もっかい行ってこよ~♪」プールから上がって嬉々としながらパタパタとスライダーの階段を登っていくララ。もう何回(二桁は軽く超えてる)も滑っているにも関わらず全く飽きる気配が見られない。すっかりプールのアトラクションを満喫しています。「こらー、走んなー!コケても知らねーぞー!」「くすっ、ララさんってホント子供みたい」「てゆうか、子供より子供よね」その様子を見ながら、リトは注意を飛ばし、春菜はクスクス微笑んで、唯は少し呆気に取られていた。ハシャぐちびっ子を見守る保護者というのは大体こんな感じではないだろーか?(ちなみに、皆さんがどんな水着を着ているのかは読者の皆さんの想像任せで)「さてと、じゃ早速オレ達も始めるか。古手川」「へ!?あ…う……ぅん…」リトの呼び掛けに身体が一瞬ビクッと硬直する、なんとか機嫌を直してもらえたらしい古手川さん。今日は泳げる様になる為にココに来たはずなのに、いざその時になるとやはり少し怖くなる。ちなみに、リトがどーやって唯のご機嫌を直したのかは面倒臭いんで割愛。(ただ、かなり命懸けだったらしい…)「大丈夫だよ古手川さん。ちゃんと足も着くし私達も付いてるから」小刻みに震えてガッチガチになってる唯に、春菜は優しく話し掛けてリラックスさせようとする。「わ、分かってるわよ。今のは……ぇーと……………た、ただの武者震いよ」((何もそんなに強がんなくったって…))『ま、古手川(さん)らしいっちゃらしいけど…』と思ってしまったリトと春菜だが、言ったらまた怒られそうなので心の中に閉まっておく。「…………………………深呼吸していい?」「「どうぞ♪」」おどおどしながらの唯の申し出を二人は笑顔で許可。「すーはー、すーはー」緊張の所為なのか、ちょっとオーバー気味な動作で深呼吸。これで落ち着けるのかは些か疑問だが、本人はいたって大真面目である。だから、端から見てると妙に面白いこの光景をリトと春菜は笑ったりせず見守っている。時々顔を伏せて何かを必死に堪える動作が見えるのはきっと気のせいだ。太腿の辺りを思いっ切りつねって何かを痛みで誤魔化そうとしてる動作が見えたのは目の錯覚だ――と思いたい。「ょ……ょし……、それでは……」「頑張ってね古手川さん」「…………………あ、その前に準備体操を…」「いいから早く入りなさい」「はぃ…」往生際悪く長引かせようとしてリトにツッコまれてしまった、普段ツッコミ属性なのに何故か今日は妙にボケ倒しな古手川さん。意を決して、片足の爪先を恐る恐る水面に。そのままゆっくりとプールの中へ入っていく。少し震えているのはプールの水が冷たいからなのか、今から始める練習に対する緊張からなのか…。とにもかくにも、今年こそは絶対泳げる様になってやる――!そんな固い決意と共に、唯は正面に立っているリトを見据えて指導を仰いだ。「結城くん、最初は何をすればいいの?」「そーだな…。んー…………………古手川って水中で目開けれる?」「………………ぃぇ」「良し。んじゃまずはそっから練習するか」「はぁああっ!!?」「ぅおぉっ!!?」突然、驚愕全開の声を上げる唯におもわずビクッとなるリト。「ちょっ、待っ、あっあのっ、い、いきなりそんなハイレベルな事から始めるの!!?」「いや…、ハイレベルも何も基本中の基本だろ…。コレ出来なきゃ泳げる訳ねーだろーが…」「そっそんな事言われたってさ…!もし万が一溺れたりしちゃったらどうするのよ!!?」「いやいや溺れる訳ねーだろ。ちゃんと足着いてるじゃねーか」「だ…大丈夫だから古手川さん。何かあったら私と結城くんが必ず助けるから」「ぬ……ぅ゛ーん…」「泳げる様になりたいんだろ?だったら頑張ってみようぜ?な?」「ゎ…………分かったわよ…。その代わり、何かあったらちゃんと助けてよ?」覚悟を決めた唯。再び大きく深呼吸して気持ちを落ち着ける。「じゃあ…………行くわね…?」「ああ」「……………ホントに行くわよ?」「ああ」「ホントのホントに行くわよ?」「ああ」「ホントにホントにホントに行くわよ?」「ああ」「ホントにホントにホントにホントにホントにホントにホントに行くから――」「早よせい」またしても、ツッコミがツッコミにツッコんだ極めて貴重な瞬間だった…。「リトー、一緒にすべり台滑ろ~♪」「え?のわぁあっ!!?」「きゃあっ!!?」『ドボーン!!』「ラッララさんっ!!?」そんなやり取りをやってる中で、いきなりララがリトに向かってダイブ。勢い余って傍にいた唯も巻き込んで、豪快な水しぶきを上げて沈めてしまった。プール内で人に向かって飛び込むのは大変危険です。良い子も悪い子も絶対に真似しちゃ駄目だゾ。「ぶはぁっ!!危ねーだろララぁ!!」「だってリトと一緒にすべり台滑りたかったんだもん~。一人で滑るのも飽きちゃった」「だからって人に向かって飛び込んで来る奴がいるか!!万一の事があったらどーする気だよ!?」「ぁ……ぁははは…………………って結城くんっ、古手川さんが――!!?」「へ?――ぅおぉっ!?古手川ぁ!!?」「わー、唯ー!?」「ぶくぶくぶくぶく…」この後、このカナヅチ少女は直ぐに救出されて事なきを得た…。そして、何故かリトに対して泣きじゃくりながら八つ当たりのギャラクティカマグナムをぶちかましたのは言うまでもない…。――――――「そうそう、その調子だよ古手川さん」「うぅぅ…」「ぃちちち…」バシャバシャ規則的に水しぶきを上げながら、今度は春菜に両手を引いてもらってバタ足の練習。まるで幼稚園児みたいな自分のこの状況に、顔を赤らめてすっかり縮こまっている。その様子を、リトはプールサイドに座って殴られた方の頬をさすりながら見学していた。ちなみにララは、今度は流れるプールの方へのんびりと流されに行っていたりする。(時々逆走してみたりして)「う~…、何かこの状況、すっごく恥ずかしいんだけど…」「でもこの方が一人で練習するよりもずっと早く上達出来るはずだよ?真心を込めた指導が上達への近道♪」「それは…そうなんだろうけど……、けど…高校生にもなって…、こんな幼稚園児みたいな事…」「古手川泳げねーんだから仕方ねーだろ。それに、上手くなりたいなら恥ずかしがってる場合じゃねーと思うけど?」「ぐ……」(人事だと思って~…)ジト目でリトを睨む唯。が、リトの言ってる事も的を射ているのであまり強く出られない。そもそも『泳げない』という恥を忍んで二人(正確にはリト一人)に指導を仰いだのは自分なのだから、今更恥ずかしがったってしょうがないのも一理ある。(分かってはいるのよ…。私だってそれ位は分かってはいるんだけど……………流石に…)そんな風に心の中で悶々としていたその時――。「それじゃあ古手川さん、私手離すね?」「……は?」「いくよ。せーの「ちょちょちょちょちょっと待ってぇ!!?」きゃっ!?」突然手を離そうとする春菜。唯は慌てて春菜の手首を掴んでそれを阻止する。「西連寺さん、いきなり何するのよぉ!!私を殺す気!!?」「ご……ごめんなさい…。で、でも……、いつまでも手を引いてたままじゃ練習にならないし…。あくまで自分の力で泳げる様にならなきゃ…」「ほ、ほらアレだよ。自転車の練習でも最初は支えてしばらくしたら離したりするだろ?アレと同じ様な感じだと思えば――」「簡単に言わないでよぉ!!泳げない人間が水中でいきなり手を離されるのがどれだけ怖いか分かってんのぉ!!?」「こ、古手川さん落ち着いて」「分かる、分かるぞー古手川。その気持ちは良ーく分かるけどさ――!」うがーっと今にも噛みつきそうな勢いで二人に猛然と抗議する唯。しかもちょっと涙目。必死に説得するリトと春菜だが全く聞き入れてもらえない。よっぽどさっきの出来事が怖かったらしい…。「唯~!それだったらコレ使ってみたらどーかな~?」「……ぇ?」いつの間にか戻って来てたララが、片手に何か持って唯にそう言う。「ララ…、それって…」「ビート板?」「えへへ、私が作った特製ボードだよぉ♪コレ使えば唯もすぐ泳げる様になるよ♪」「本当に!?ララさん」「うんっ♪ささっ、早速使ってみて」「ええ、有り難く使ってもらうわ!」「お、おい古手川――」リトの制止の声など耳にも入らず、嬉々として改良ビート板を受け取る唯。唯とてララの発明品には度々ロクな目にしか遭ってないはずなのに…。ララの発明品の危険性は充分理解しているはずなのに…。正に藁にも縋る想いというのはこの事では無いだろうか?(何かすっげー嫌な予感…)特に被害履歴が多いリトはこれから起こりそうな事に不安を隠せない。そして、その不安は的中する――。「ララさん、コレどうやって使うの?」「右側にスイッチがあるでしょ?それを押してみて」「え?コレ?――きゃあっ!!?」ララに言われた通りスイッチを押すと、突然ビート板がジェット噴射を上げながら急発進した。あまりの猛スピードに身体が吹き飛ばされそうになりながら、唯は恐怖に染まった悲鳴を上げる。「きゃあぁぁぁーーー!!!助けてぇぇぇーーー!!!」「こっ、古手川さぁーーん!!」「ほら見てリト~、唯がちゃんと泳げてるよ~♪」「バカ!!アレは『泳いでる』んじゃなくて『引きずられてる』って言うんだよ!!!」「いやあぁぁぁぁ!!結城くん何とかしてぇぇぇーーー!!!」「わわっ!!?ま、待ってろ古手川ぁ!!今助け『ドカッ!!』どわあぁぁっ!!?」「ゆっ、結城くーーーん!!?」唯を助けにプールに飛び込んだリトだが、プール内を縦横無尽に走り回る唯(onビート板)に逆に吹っ飛ばされてしまった。「ララさんっ!!どうにかして止められないの!!?」「……………………ぇ?」「だから、ララさん止めてあげて!!このままじゃ古手川さんと結城くんが――!!」「ぇ……えーと~……それがね~…、アレ大分前に作ったヤツでね~……」「え?」「…………………止め方ド忘れしちゃった」「えぇぇぇーーーー!!?」そしてこの後、ビート板の電池が切れるまで唯はプール内を暴走しまくり、リトはその度に持ち前の不幸体質の所為(?)で唯に挽かれまくったという…。――――――。「うぅぅぅ…、やっぱり私には水泳の才能なんて有るわけが無いのよ…。私はドジでノロマな亀なのよ~…」「だだ、大丈夫だよ。たまたま不幸が重なっただけだから…」プールサイドに突っ伏して、ズーンと暗い影を落とす唯。すっかり意気消沈気味になっている。春菜も頑張って慰めようとするもまるで効果ナシ。完全に自虐モードに入ってます。「唯~、元気出しなよ~」「きっ!!」「ひ~~ん(泣)」それでも、落ち込む一方でララが話しかけると、何も言わずにしっかりと睨み付けてビビらせていた。ツッコミ――いや、風紀委員の意地というヤツでしょーか?(う゛ーん…、どーしたもんかな~…)一方、リトはプールにぷかぷか浮かびながら打開案を考えていた。――このままじゃますます古手川が泳ぐ事を嫌いになってしまう…。――そうなったらますます唯はカナヅチから脱する事が出来なくなってしまう…。それだけは何としても避けたいと、普段使わない頭を最大限に働かせて思考を巡らせていた。しかし、散々唯に(正確にはララの改造ビート板に)跳ね飛ばされてあちこちボロボロになっていたはずなのに、リトの傷はもう完治している。頑丈だという事は前々から証明されてはいたが、まさか不死身スキルも備わっていたとは…。流石、伊達に金色の闇の猛撃を受け続けている訳じゃ無いと言った所か。「………………うっ!!?」などと言ってる間に、突然リトに異変が起こった。その場で、パッと見大袈裟と思える位に両手をバタつかせてもがき始めたのだ。「あれ?リト?」「ちょっと…、何か様子が変よ」岸にいた三人も、リトのただならぬ様子に不安感がよぎった。あれはそう………、まるで溺れてるみたいな――。「結城くんっ!どうしたの!?」「あ……足がつって…!こ……古手川助け――うわっ!?」切迫した状況の中、何とか春菜からの問い掛けに答えようとしたリトだが、とうとう力尽きて水の中に沈んでしまった。「リトぉ!!?」「いやぁぁーーーっ!!」「待ってて!!今助け――!!」「結城くんっ!!」 『ザブーン!!』「唯!?」春菜の悲鳴が響く中、助けに飛び込もうとしたララよりも先に唯が飛び出した。「ぶはぁっ!はぁっ!結城くんっ!結城くんっ!!」必死にもがきながら、少しずつリトが沈んでいる場所へ近付いていく唯。ヘタをしたら自分まで溺れてしまいそうな、そんなイメージが一瞬頭をよぎる。けど、今目の前で自分の好きな人が危険に晒されてる…。そして、自分に助けを求めている…。一刻も早く助け出してあげたい…。その想いだけが唯を奮い立たせてリトの元へと導く。それこそ、自分が『カナヅチ』だという事をすっかり忘れてしまう位に…。そしてとうとう、唯はリトが沈んでいる地点まで辿り着いて…。『ザパァ!!』「やったじゃねーか古手川!!」「……………………へ?」その瞬間いきなりリトが浮き上がってきて、嬉々としながらそんな事を言ってきた。しかもさっきまで溺れていた人物とは思えない位、割と平気そうに。一体何が何だか訳が分からず、数秒間放心状態に陥る唯。そして岸で見ていたララと春菜。「古手川、お前泳げたんだよ!!自分の力だけでここまで――!!」「ぇ……?」リトに言われてようやく唯は気付いた。自分がついさっき岸から飛び込んで、たった今プールの真ん中に立っている…。無我夢中になって気付かなかったけど、ここまで自分の力だけで泳いでこれたという事に。「私…、あそこからここまで泳いで来たの…?」「ああ、そうだよ!やりゃ出来んじゃねーかよ古手川♪」まるで我が身の事の様に、唯の肩に手を置いて喜ぶリト。しかし唯は、せっかく泳げたというのに妙に釈然としない表情をしていた。泳げた事は当然嬉しい…。嬉しいんだけど何故か素直に喜べない…。いや、それ以前に一つ疑問が…。「……結城くん、足は大丈夫なの?」「…………………へ?」「いや『へ?』じゃなくて、さっき足がつったって…」「……ぁー、そりは……」唯からのツッコミにさっきまでと一変、プールで身体じゃなく目を泳がせてしどろもどろになるリト。その反応を見て唯は…。「……………まさか結城くん」「なな…、何………デスカ…?」「足がつったっていうのは………………嘘?」さっきまでの心配満面の顔はすっかり消え失せ、氷点下並みの冷たーい視線をリトに向ける。「ぃ………ぃや~…ホラ…、世の中にはショック療法という物があってデスネ…?人間、極限状態になったら割と何でも出来る様になるモンだから……。ま……まぁ良いじゃねーか、これでカナヅチ克服の糸口が見えたんだからさ。は……はははは…」「……」「は……」必死の言い訳と乾いた笑いで誤魔化そうとするリトだが、唯の極寒のオーラに圧されて黙り込んでしまった…。身体をプルプル震わせ握り拳に力が込もる。古い言い方をすればいわゆるMK5ってヤツですか?「つまり…、あれだけ心配して死ぬ様な思いをしてまでここまで来たのに…、結城くんは私を騙してたという訳…」「ぃ…いや…、別に騙すつもりは…。あ、結果的にはそーなったけど…」「結城くんっ!!!」「ごっ、ごめんなさーーーい!!!」「こらぁ!!待ちなさーーーい!!!」そして、リトと唯の鬼ごっこが始まった…。今度は本当に命の危険が伴っておりますが…。「なんだぁ~…。良かった…」事実を知って、こちらは怒りよりも安心感の方が先に来て、その場にへなへな座り込む春菜。「リト…、唯の為にあんな事したんだ~。やっぱりリトって優しい♪」そしてとにかくリトびいきのララは、怒るどころか益々リトに好感を持った模様。「ほら見て春菜~、唯ってばあんなに気持ち良さそうに泳いでるよ~♪ちょっと泳ぎ方ヘンだけど」「ぁ……ぁははは…」「助けてーーー!!!」「待てぇーーー!!!」この後しばらく、この命懸けの鬼ごっこは続いたという。とりあえず、唯のカナヅチは克服の兆しが見えたと言って良いのだろーか?
おまけ
数日後――。
『バシャバシャ――』「おぉ、泳げてる泳げてる」「う…うん、確かに泳げてるけど…」「やったね、唯♪これでカナヅチ克服だね♪」「そ……そう?」「いや…、コレ克服って言うのかな…?西連寺」「ぅーん…、微妙…?」「な……、何よ二人とも…」「あれ~?どっか問題あるの?」「まぁ……確かに泳げてはいるぞ…。泳げてはいるんだけど…」「ぅん…。ただ強いて上げるなら…」「「犬掻きだもんな(ね)~……」」どうやら、古手川唯のカナヅチ完全克服はまだまだ先になりそうです…。
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