殺風景なスタジオの楽屋、ぽつんと置かれた椅子に、ルンが座っている。
予定分の収録も終わって、本来なら、引き払っているべき時間なのだが、
制作に話を通して、しばらくの間、一部屋を占領することにしたのだった。
この楽屋に、今夜、リトが来る。
キョーコのサインをもらっておいたのを、リトが受け取りにくるという話で、
ララを喜ばせる結果になるのは気に入らなくても、口実としては悪くない。
スタジオに来てほしい、と持ちかけてみたら、リトは二つ返事で承知した。
人目の多いところに違いない、と考えて、特に警戒もしなかったのだろう。
しかし、収録後の楽屋裏にはマスコミも局員もいなくて、制作だけだから、
変な噂も立ちにくいし、局と違って来客に甘いので、密会には向いている。
そう、今夜の約束は、まさに密会だった。
強引なことになってもいいから、思いを遂げてしまおう、と心に決めている。
何しろ、眺めるだけの時間が長過ぎた。
思えば、この星へ来てから、ずいぶんの間、表に現れずに過ごしたわけで、
銀河の果てだから怖かった、ということもあるが、主な原因はレンにあった。
地球へ行きたい、とレンが言い出したのは、ララに会うために決まっていて、
王宮の暮らしを離れたくて、同意はしたものの、ララのことは虫が好かない。
レンがララを追いかけている様子が不快だったので、ひきこもってしまった。
ストレスを溜めこんでいるうちに、ララの隣りの男子に目が行くようになって、
レンがその人に敵意をむきだしにしたから、それで、本当に気になり出した。
ララ本人に対する反感と、ララを追いかけるレンに対する反発が合わさって、
リトに好意を抱くようになったわけで、恋だとすれば、理詰めの恋ではあった。
しかし、あの秋の午後、カラオケボックスの廊下で、皮肉なアクシデントから、
レンとリトの唇が衝突して、不意打ちの感触は、したたかに意識を酔わせた。
長い間、表に現れず、他人にふれる機会がなかったから、あれは刺激的で、
だからこそ、レンの五感を通しての経験だったことが残念で、疎ましく思える。
ふう…… と、ルンはため息をつく。
メイク用の6連の電球のスイッチを入れて、鏡の中の顔を、じいっと見つめる。
それにしても、レンの五感を疎ましく思うようになったのは、いつ頃からだろう。
幼い頃は、レンはまさに自分の一部で、それを疑問に思うこともなかったのだ。
それが、年頃になって、体に差が出るようになってから、違和感を覚え始めた。
月の障りで寝こんでも、何のいたわりも見せてくれないレンには腹が立ったし、
レンの声が、太くて低いものに変わっていくスピードは、どうも気味が悪かった。
そして、あの冬の夜、風もふるえる王宮の寝殿で、レンの姿で眠っていたとき、
変な息づかいに気がついて、まどろみの中から意識が呼び戻されたのだった。
それ以来、レンのことが汚らわしく思えて、会話を避けるようになったので、
レンはとまどっていたようだが、すねて見せるさまも、いやらしく感じられた。
しかし、あの夜に伝わってきた感覚は、胸を騒がせて、落ち着かなくさせる。
春先になって、自分の姿で寝殿に入った夜半、体がざわついて休めなくて、
レンの意識が眠っているのを見さだめてから、体の芯に、指をふれてみた。
ドロワーズの上からでも熱いのがわかって、かすかに湿り気を帯びている。
ひらいた唇の尖端から、はしたない声が飛び出して、あわてて袖を噛んだ。
あれは何というか、忘れ難い経験だった。
それまで、おいしいものを食べても、虫に刺されても、走り回って転んでも、
レンの味わう感覚と、自分の感覚とで違いはなかったのに、あれは違った。
自分自身というものを、あんなに鋭く、徹底的に思い知らされたことはない。
ぐっ…… と、ルンは唇を噛む。
照らされた鏡の中の顔の、目のふちが青磁に透いて、眉の根に皺が寄る。
思えば、あれ以来、自身で体験することに、強くこだわるようになったのだ。
リトの唇も、自分で味わいたい、と思った。
強引にレンを押しのけて、学校にいる間は、ずっと自分の姿でいようとした。
しかし、挑んでみても、リトは無闇にあわてて、逃げようとするばかりだった。
そんな風に邪険にされたのがショックだったせいで、レンに対する反発など、
どうでもよくなってしまい、意地でもリトを振り向かせたくなって、気が焦った。
まるで、恋のようだった。
でも、恋というのは、もっと楽しい、心の晴れるようなものじゃないのだろうか。
あの日、保健室のベッドでリトに抱きついたが、何のときめきも感じなかった。
何というか、自分の影を抱きしめているような味気なさで、それはリトの体が、
レンの体格に近かったからで、そればかりか、声の質まで似ているのだった。
砂を噛むような思いを押し殺しながら、誘惑の演技を続けるのは骨が折れた。
その夜、レンの意識が寝静まるのを待ってから、昼間の一件について考えた。
結局のところ、レンがこっちの体について、隅々まで知っているのと同じように、
こっちも、男の体を余すところなく知っているので、そこに問題があるのだった。
いやになるほど知っているものに、ときめきを感じろ、というのも無茶な注文で、
親しみや慣れから、何かを引き出そうとしても、よりどころになる実体験がない。
さらに考えるなら、こんな理屈をこねること自体、男の体質の影響かもしれない。
とまどいの果てに、ふいにリトの匂いを思い出して、それだけはレンとは違った。
その一点にすがって、悪い指を動かした。
体の熱くなるのを感じて、だから、リトの体も熱くなっているに決まっていた。
ルン… カワイイよ… まるで、銀河に咲く一輪のカボチャの花のようだ…
来て… 私… リトくんのためなら、どんな恥ずかしいことだってできるよ…
手が伸びてきて、髪を撫でられると、髪の根元から背中まで気持ちよくなる。
――――リトの手も、ふんわりした感触を楽しむはずだ。
吐息が鼻をくすぐって、唇と唇が合わさり、控えめな舌がじわりと入ってくる。
――――リトの舌は、何よりも唾液の熱さを感じるだろう。
胸をまさぐられると、鈍い痛みの中に、くすぐったいような感じが浮きあがる。
――――リトの手は、やわらかさにとまどうかもしれない。
体のあちこちが、指と舌とにさらされて、澄んでいきながら、ぼんやりと霞む。
――――リトの舌は、弾力を感じ取って、焦りを覚える。
へその周りで遊んでいた手が、急に茂みに分け入って、思わず息が止まる。
――――リトの指は、せっかちに小さな突起を探す。
その部分に体中の血が集まっていき、もてあますように、太ももがほぐれる。
――――リトは、指先を動かすことに熱中していく。
炎の走るように、熱が隅々まで這っていき、肩に残った硬さを溶かしてしまう。
――――少しの間、ためらってから、腰を寄せる。
ゆっくりと先端が押し入ってきて、それから、肌を裂かれるような痛みが走る。
――――ひとまずの間、達成感を味わう。
動き出し、擦れ合って、無理にひろげられる痛みはひどいもので、涙が飛ぶ。
――――足のほうから、快感が這いあがる。
耐えていると、抱きしめられている感じから、かすかに喜びが染み出してくる。
――――感覚のすべてが、先端に集中していく。
喜びと痛みが混じり合い、体の奥がしびれて、遠くのほうへ引っぱられていく。
――――快感が急激に押しせまってきて、次の瞬間。
中で跳ねたのが、なめらかになって、擦れる感覚が消え、ふるえが伝わって、
背中に爪を立てると、頭の中に白いもやが広がって、意識がつつまれていく。
ああ、ひとつになった……
と思ったとたん、妄想を破って浮かんできた顔は、リトではなくて、レンだった。
その一瞬、レンの顔に、殺意に近い憎しみを覚えて、自分の本心に直面した。
ふう…… と、ルンは再び、ため息をつく。
鏡の中の顔は白けきっていたが、目元はほんのりと赤く、瞳が濡れている。
思えば、相手とひとつになる、という言葉を覚えたのは、地球に来てからだ。
地球人の観念からすると、恋というのは、自分の片割れにめぐりあうことで、
だから、そういう相手とめぐりあったら、ひとつになりたい、と思うのだそうだ。
くだらない、と思った。
自分にとって、自分の片割れは、自分の中にいる。
だから、他人と結ばれるということは、自分の半分を殺すことに他ならない。
レンとリトが向き合うシーンが、脳裏に浮かんだ。
背景も大道具もない、空っぽの舞台の上、スポットライトに照らされた二人。
昔の宮廷の剣術家のような、白い衣装を身にまとい、睨みあって動かない。
張りつめた空気が、殺気に変わっていき、剣が抜かれ、足が舞台を蹴って、
リトの剣が一瞬早く、レンの胸を貫き、白い衣装が真赤な血に染まっていく。
ゆっくりと倒れこんで、動かなくなった横顔は、レンではなくて、自分の顔だ。
その幻像に、激しい情欲が一気に背中を駆けあがって、太ももがふるえた。
この心地よい感じは、親しみ深くも疎ましい分身に対する、残酷な楽しみか、
あるいは、鏡が反転して、自分自身が貫かれた光景に、快感を覚えるのか。
たぶん、両方なのだろう。
もっとも、実際には、自分とリトが結ばれたところで、刃傷沙汰にはなるまい。
リトはレンの存在に慣れていって、レンと自分の関係も、表面は変わらずに、
お互いの人格は、遠慮を残しながら、無難な付き合いを続けていくのだろう。
そういうポジティブな見通しを持つことは、レンに対して過酷かもしれないが。
しかし、リトに対してはどうだろう。
自分がリトに、レンに対する以上の親しみを覚えるということがあるだろうか。
いや、あり得ない。
仮に、何年、何十年を共に過ごしても、物理的には隔たったままなのだから。
たぶん、自分がリトに求めているのは、親愛ではなく、情熱というものなのだ。
あの剣の一閃のような。
そう考えれば、奇妙なほど純粋な話で、そんな情熱が長続きするわけはなく、
変わってしまうものならば、この恋に似たものも、本物の恋かもしれなかった。
トントン…… と扉を叩く音がした。
椅子から立ちあがって、満面の笑みを浮かべると、ルンは静かに扉を開けた。
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