トラブル38『闇晴れる?』あるいはプロローグ
「全裸決定――!!」(しまっ…)
リトに気を取られ、イロガーマから目を切った瞬間。金色の闇はイロガーマの口から飛び出た粘液を避けられないことを悟った。
「あうっ…」
ビチャァァ!!粘着質な音と共に気色の悪い感触が体全体を覆い、少女は不快さに顔を顰めた。同時に、粘液をモロに浴びる形になった漆黒の戦闘衣がジュゥゥという音とともに溶け落ちていく。
「い!!」「い、いやっ…!」
顔を爆発させながら後ろを向くリトに構わず、金色の闇は胸を両手で抱えるようにしてしゃがみ込む。宇宙でもトップクラスの知名度を持つ戦闘者である彼女も、一人の年端も行かぬ少女であることには変わりはない。羞恥と屈辱に震え、両腕をかき抱く姿は直前までの凛々しさも相まって、可愛らしさを見る者に感じさせた。
「おおっ! いいザマだもん金色の闇!」
一方、惨状の仕掛け人であるラコスポは喜色満面であった。自分に逆らう小娘をすっぽんぽんにひん剥き、追い詰めたのだから無理もない。もっと近くで少女の恥態を見てやろう。優越感とエロ根性全開で少女に近寄ろうとするラコスポ。だが、彼は勝利を確信していたが故に気がついていなかった。自分が今隙だらけであるということを。そして、その隙に乗じて背後に迫ったララが拳を振り上げていたということを。
「さあて、ガマたん。もっと近くによ」「ラコスポ」「れ…って、へ? ラ、ララたんっ!?」
ラコスポはかけられた声に振り向き、戦慄した。目に入ったのは怒気を漂わせているララの姿。
「ガ、ガマたん! ララたんを――」「ヤミちゃんに、なんてことするのーっ!!」「ちょっ…ぶ、ぶぎゃああああ!!??」
ドゴバギドガボゴメキャズドン!!すっかり油断しきっていたラコスポはなすすべもなく騎乗していたイロガーマ共々ララのラッシュをくらう羽目になる。目にも留まらぬ高速連打、そしてトドメの右ストレートによって彼は空の彼方へと吹き飛ばされてしまうのだった。
(き、気持ち悪い…っ!)
ドロッとした感触が真っ白な肌をトロトロと滑り落ちていく。肌にまとわりつくようにへばりついた粘液に金色の少女は不快さを隠せずにいた。とはいえ、衣服が溶け落ちた今、少女はそれを拭う術を持たない。だが、どうしようもなく蹲っているだけの彼女に近づく一つの影があった。
「つーか強すぎだろララ…」「え…?」
ふわり。金色の闇は自身を覆う優しい布の感触に目をきょとんと瞬かせた。ゆっくりと振り向く。そこには、飛んでいったラコスポを見ながら冷や汗をたらしている少女のターゲットの姿があった。
「結城、リト…?」「こ、これも着とけ」
肩にかけられたのはジャンバー。そして、戸惑いに揺れる瞳の向こうではリトが上着を差し出していた。リト自身は顔を真っ赤にしてあらぬ方向を向いているため表情を窺うすべはない。だが、雰囲気から伝わってくる気配に邪なものは一片も見当たらず、金色の闇は僅かに感情の波を揺らした。
(どうして…)
少女にはわからなかった。肩にかけられているのも、差し出されたものも彼の服である。つまり、結城リトは自分の服をこの寒さの中自分に提供しようとしているのだ。勿論、裸の女の子に対する行動としては納得できる。しかし、自分に対して行う行動ではない。何故なら、自分は掛け値なしの本気で彼を殺そうとしたのだから。
「なんのつもりですか」
軽く殺気すら込めて問う。優位な立場を確信しての施しならば受けない。そういった意思を込めての声音だった。
「な、なんのって…だってお前、その……は、はだか…じゃんか!」
だが、リトは怯えるでもなく、ただ慌てた声でそう返した。そんな少年の姿に金色の闇はまるで珍獣を居つけたかのようなポカンとした表情を作る。――そういった表情をするのは初めてであるという自覚もないままに。
「…それだけですか?」「そ、それだけで十分だろ!」
まるで聞き分けのない子を叱り付ける様なリトの怒声。ナンセンスな発言に少女の思考は混乱した。しかし、裸のままでいられないのも事実である。金色の闇は半ば機械的に服を受け取り、それを身につけていく。
(暖かい…)
つい先程までリトが着ていた服は、彼の体温が残っていた。その服は戦闘衣とは違い、耐久性も機能性もないただの服に過ぎない。当然、背丈も合っていないためサイズもぶかぶかだった。けれど、そのぬくもりはどこか安心を与えてくれる。少女は無意識の内にぎゅっと服の裾を握り締めていた。
「あとこれ、気休めだけどないよりはマシだろ」
そんな少女の様子を真っ赤な顔のまま視界の端で確認したリトは、やはり明後日の方向を向いたままハンカチを差し出す。少女はそれを大人しく受け取るとゆっくりと肌にこびりついている粘液をふき取り始めた。
「…感謝は、しておきます。結城リト」「恩に着せるつもりはないからそんな神妙にしなくてもいいって。あ、でもお前これから」「リトーっ!!」「ど――ぐえっ!?」
どうするんだ?そうリトが問おうとした時、彼は飛びついてきたララに容赦なく押しつぶされた。当然、リトはすぐさまララを跳ね除け立ち上がり憤慨する。
「いっ、いきなり飛びつくなララ! 危ないだろーが!」「あはっ、ごめんねっ」「ったく…けどお前、大丈夫だったのか?」「え、何が?」「手とか…いや、なんでもない」
一方的なフルボッコを見ていたリトはララが怪我をしているなどとは欠片も思ってはいなかった、が、あれだけ殴れば手が傷ついていてもおかしくはない。そう心配しての言葉だったが、ララの表情は元気そのものであり、手も傷ついているようには全く見えない。まあ、ララだしな…すぐにそう結論を下したリトは順調に非現実に染まっていた。
「ところで、ヤミちゃんは大丈夫?」「ん? ああ、ケガとかはない…んだよな?」
こくり、と頷く少女にリトはほっとしつつすぐに目をそらした。リトの服はしっかりと少女の小柄な体を覆っていたのだが、逆にそれが背徳的な色気を醸し出していた。正直、根が純情なリトには目の毒以外の何者でもない光景だったのである。幸い、ララも金色の闇もそんなリトのリアクションを不審には思わなかったのだが。
「そっか、よかった! じゃあラコスポもやっつけたし、これで一件落着だね!」「ちょっと待ってくださいプリンセス」「へ?」「まだ終わっていません。私の処遇が決まっていないでしょう?」「処遇って…なんでヤミちゃんを?」
心底不思議そうなララの表情。金色の闇はそんな王女の姿に溜息を抑えることが出来なかった。
「だまされていたとはいえ、私はそこの結城リトの命を狙い、あまつさえプリンセスと敵対すらしました」「そういわれても、私は別に気にしてないし…ね、リト?」「そこでオレに振るのか…まあ、もうオレの命を狙うとかそういうのはないんだろ?」「ええ、ラコスポが契約違反を行っていた以上、これ以上結城リトを害する気はありませんが…」「それならいいよ、もう過ぎたことだし…こんなことにも慣れてきたしな」
後半はぼそっと言ったリト。だが、彼の苦笑と共に発せられた言葉に金色の闇は大きく目を見開き、呆れた。先程のことといい、お人よしにもほどがある。地球人は皆こうなのか。いや、少なくとも目の前の少年のような人間は見たことがない。金色の少女は戸惑い、結局は
「あなたは変人ですね」
と憎まれ口を叩くしか他はなかった。
「いや、せめて変わった人とか言ってくれないか?」「自分の命を狙った人物をこうも簡単に許すような人を変人以外どう呼べと? それとも、何か下心でもあったのですか?」「し、下心!? な、ないない!」「顔が赤いです。やはりえっちぃことを…」
ギロリ、と睨んでくる少女にリトはうろたえ焦った。勿論、リトにそんな気はないし、金色の闇もそれをわかっているのではあるが。
「あれれ? なんか二人とも仲良しさんだね?」「プリンセス、あなたの目は節穴ですか」「えーでも地球のことわざにケンカするほど仲が良いって…」「私は地球人ではありませんから」「むう…」
少女の屁理屈(?)にぷくっと頬を膨らませるララ。無表情にスルーする金色の闇。そんな光景にリトはついさっきまでの騒動を忘れ、くくっと笑った。
「…何を笑っているんですか」
無論、それを見逃さなかった金色の闇に睨みつけられるのはお約束ではあったが。
「うえ!? あ、いや…そうだ! ララ。何だよ、さっきから『ヤミちゃん』っての」「え? だって金色の闇って名前なんでしょ?」「いや、それは本名じゃないと思うけど…」「いいですよなんでも…名前になんか興味ないですし」
咄嗟に話題をそらすべくリトが問うた一言にララはあっさりを答えを返す。だが、金色の闇は言葉通り興味なさげにラコスポが飛んでいった方向を見つめていた。なお、ペケが至極まともな突っ込みを入れるが、誰もそれを気にするものはいない。
「いや、興味ないってお前…あ、そうだ。ララ、服を取ってきてくれないか? オレの分とコイツの分」「あ、そうだね。二人ともそんな格好じゃあ風邪ひいちゃうもんね!」
リトの上半身はシャツ一枚。金色の闇も上着とジャンバーだけ。季節的にこのまま放置しておけば確かに風邪を引きかねないのは間違いない。
「蜜柑に言えばオレの分は用意してくれるだろ。コイツの分は…まあちょっと小さいかもしれないけど、蜜柑のを借りてくれ」「りょーかいっ! じゃあ超特急で取ってくるね!」
リトの頼みを受けたララはびゅーんと擬音を残してその場を去っていく。そして、場にはリトと金色の闇が残された。
(やべ…どうする?)
リトは寒さに震える体を抱きしめつつあからさまに狼狽した表情で視線をさまよわせる。もう危害を加えないとは言っていたものの、ついさっきまで自分の命を狙ってきた相手と二人きりである。これで緊張しないはずがない。まあ、リトの場合はどちらかというと男物の上着だけとう格好の美少女と二人という部分が強い原因となってはいるのだが。
「結城リト」「な、なんだ!?」「そう身構えなくてもいいですよ。とりあえず今日のところはもう何もする気はないですし」「そ、そうか…って、え? 今日のところは?」
リトは不吉な台詞に一歩後ずさった。金色の闇は後ろを振り向いたまま微動だにしない。
「プリンセスの手前、ああいいいましたが…一度受けた仕事を途中で投げ出すのは私の主義に反しますから」「から…?」
更に不吉さが増した言葉にリトは更に後ざさる。だが、それゆえに彼は気がつかなかった。目の前の少女が服の裾を握り締めながらチラリとこちらを窺うように視線を向けたことを。
「結城リト。あなたをこの手で始末するまで、そしてこの服の借りを返すまで私は地球に留まることにします」「へ?」
ぽかーんと目と口を開くリトを余所に少女はもう言うことはないとばかりに口を閉じた。かくして、結城リトの周囲にまた一人宇宙人が定住することになり――そして、彼を巡る恋のトラブルを彩るヒロインが一人追加されたのだった。
なお、余談ではあるが、リトのジャンバーと上着は帰ってこなかった。リトとしては貸しただけのつもりだったのだが、それを口に出そうとするたびに大事そうに裾を握っていた少女の姿を思い浮かべてしまったからだった。
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