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金曜のホームルームの後

「う~ん…」
クラスのみんなが帰る中、リトは腕を組みながら席を立ちことなく難しい顔をしていた
実は六時間目の授業が始まる直前、数学の先生に呼び止められたのだ
理由は今日返ってきたテストの結果について

『結城、最近たるんどるぞ! もっと勉強するよ~に!!』

リトは自分のテストをもう一度思い返してみる
結城リト 数学Ⅱ 14点
「はぁ~~」
重い重い溜め息が自然と出てくる
「マジでヤバいよなァ……勉強しねーと」
心なしか顔を青くさせているリト。そんなリトの様子に一人気付く者がいた
「結城くん」
「へ?」
俯いた顔を上げて目に映ったのは、同じクラスメイトでもある唯の姿
「何してるの? 用もないのに放課後残ってたら減点よ?」
「そ、それがさ…」
リトは先生に言われた事を包み隠さず唯に話した

「そんなの全部、結城くんがわるいんじゃない!!」
唯はリトから事情を聴き終えると、腰に手を当てながら捲し立てた
「いつも私、勉強しなさいって言ってるでしょ!!」
「うぅ…」
唯の一言一言にどんどん体を小さくさせるリト
「それなのにあなたはっ! だいたい、普段家に帰って何してるの? どーせゲームとか
テレビとかばっかりなんでしょ?」
全て図星なため、何も言い返せないリトはただただ、しゅんと項垂れた
「まったく! いつもいつも遊んでいるからこうゆう事に…」
と、そこまで言ってふと唯は気付く
(う…私ちょっと言い過ぎたかしら…)
視線をリトに向けると、リトは叱られた子供の様に小さくなっており
「……ッ!」
唯の胸がズキリと痛んだ
(って、どうして私がこんな気持ちになるのよ!? いけないのは結城くんなのに!!)
だけど、リトの様子が気になって気になって仕方がない
チラチラ視線を向けては、何度も胸の前で腕を組み変えて
唯は小さく溜め息を吐くと、カバンの中からゴソゴソと何やら取り出した
「……はい。コレ」
「え?」
リトの前に差し出されたのは一冊のノートだった
「使って! 私の数学のノートだから」
「使ってって……でも、お前はどーすんだよ?」
唯は再び腕を組むと、ふいっとリトに体を背けた
「私は別にいいわよ。それよりも、今はあなたの方が心配だし…」
「心配?」
その一言で唯のほっぺは夕日よりも真っ赤に染まり、大慌てで、身振り手振りと言い訳を始める
「か、勘違いしないでよね! ホ、ホラ、結城くんはクラスメイトだし、勉強で困ってる様だし
困ってるクラスメイトがいたら助けるのが当たり前でしょ?」
「そりゃまあそーだけど……でもやっぱ悪いって! 古手川が勉強できなくなるじゃん?」
そう言うと、リトはノートを唯に返す
「だ、だから、私は別にいいって…」
差し出されたノートを前に唯は目をギュッと瞑ると早口で捲し立てた
「う…うぅ…だ、だって、だって、いつもいつも私が結城くんに助けてもらったり、守ってもらったり…
私だって結城くんに何かしたいわよ! でも、私、こうゆう事しかできないし……
あなたに使ってほしいの! 私のノート! これぐらい私にさせてくれたっていいじゃない!!」
「古手川…」
赤くなった顔を隠す様に唯はふぃっとリトにそっぽを向いた
「……ありがとな! そんな風に思ってくれてるなんてオレ思ってなかったからさ」
「……」
「じゃあこれ、大事に使わしてもらうな?」
「……げ、月曜日にでも返してくれたら私は…」
ゴニョゴニョと恥ずかしそうに話す唯に新鮮さを覚えたのか、ニッコリ笑うリトに、唯の顔はとろけそうなほど赤くなる
「と、とにかく! それ見てもっと勉強がんばりなさいよ! わかった?」
「ああ。古手川のノートもあるし、もう怖いものなんかねーよ!」
「ちょ、調子に乗らないの! もぉ…」
リトに釘をさすも、いまいちいつもの調子がでない唯だった

そして帰り道

トクン、トクン……と、胸を高鳴らせながら唯は家路に着いていた
やけに顔がポォっとする
そればかりか、体までなんだか火照った様に熱くなっている
原因は言うまでもなく教室でのやり取りだ
思わず言ってしまった本音
そして、今、自分がいつも使っているノートがリトの手にある
そんな些細な出来事ですら、今の唯にとってはとても大きな事だった
「結城くん」
リトの名前を口にするだけで、教室で見たリトの笑顔が頭に浮かぶ
それだけで、顔は赤くなり、ニヤけてしまう
(ハ、ハレンチだわ!! こんな事っ)
そんないけない自分の頭をポカポカ叩いていると、家の門柱から出てくる遊の姿に唯は慌てて表情を切り替えた
「お兄ちゃん」
「ん? 何だよお前かよ」
素っ気ない遊の態度に唯は頬を膨らませた
「何だとは何よ!? って、またどこかに行くつもり?」
「あーあー、またうるさいお説教の始まりかよ」
「お兄ちゃん!! 私は…」
「あーはいはい、わかったわかった」
そう言いながらポンポン頭を撫でる遊に唯は複雑な顔をする
「それはそーと、今日、ウチお前しかいねーから、ちゃんと大人しく留守番しとけよ?」
「もぉ! またどこかに遊びに行くつもりなの?」
手を払いのけながら、口調をキツくさせる妹に遊はニッと笑みを浮かべた
「そー怒ンなって! ちゃんとお前の好きなケーキ買ってきてやるからさ」
「そ、そんなコト言ったって誤魔化されないんだからね! いい加減遊ぶのをやめてもっとマジメに…」
これ以上ここにいたら長くなりそうだと感じた遊は、もう一度唯の頭をクシャっと
撫でるとそのまま逃げる様に背中を向けた


「ホント! 帰ってきたら今度こそちゃんと話しをしないと!!」
遊に乱された髪を整えながらそう愚痴る唯だったが、遊の背中を見つめる目に寂しさの
様なものがあるのは気のせいか
唯は小さく溜め息を吐くと、誰もいなくなった家のカギをガチャリと開けた

部屋に着くなり、唯はそのままベッドに大の字になって寝転んだ
制服がクシャクシャになるのはわかっていたが今はこうしていた気分だった
家に一人きり
いつもと変わらない日常
小さい頃から繰り返される毎日
「はぁ~……」
ボーっと天井を見ていると、頭に浮かぶのはリトの事だ
リトと出会ってからは、毎日がお祭り騒ぎの連続
いつも問題を起こされて、そして、お説教して
時にはわけのわからない世界に行ったり、わけのわからない連中に連れ去られたり
思い返すだけでドッと疲れが込み上げてくる
だけど、そんな毎日にいつもあるやさしい笑顔
唯はリトの笑顔が大好きだった
あったかくって、やさしくて、そして、いつもそばにあって
「結城くん…」
あの時、教室で最後の最後で言えなかった本音

私が勉強を教えてあげてもいいわよ

リトがどう返事をするのかはわからない
だけど、もしいい返事をくれるならそうしたら────

その時間だけ二人きりになれる。結城くんと一緒にいられる
結城くんと

そこまで考えて、唯は自分の胸がどうしようもないほどドキドキしてるのに気付くと、慌てて頭をブンブン振った
「ダ、ダメよ! ダメ!! こ、こんな事ハレンチだわっ!!」
なんて言うも頭の中はリトでいっぱいだ
「う…うぅ……もう! 私がおかしくなってるのは結城くんのせいだわっ! 結城くんが悪いんだからっ!!」
身も蓋もない事を言いながら、唯はゴロンと体を横にした
「……ホントに結城くんのせいなんだから……だから…ちゃんと責任取りなさいよね……」
机に上に飾ったクラスの集合写真
それは、毎日、穴が開くほど見続けた唯がただ一つ持っているリトの写真
その一か所を見つめながら唯はそう小さく呟いた
そして
………
……

ピンポ~ン♪
その音に唯はハッと目を覚ました
どうやらいつの間にか眠っていたようだ
重い体を起こした時、玄関から再びチャイムの音が鳴る
「もう…何なの……」
眠い目を擦りながら階段を降りると、唯は玄関のドアを開けた
「どちら様…」
最後まで声が続かない、そればかりか唯の顔はポカンとなってしまう
「えっと…結城だけど……その、お邪魔だったとか?」
「……」
「古手川?」
ジッとリトの顔を見つめる事、数秒
唯はバタンとドアを閉めると、そのドアにもたれながら息を整えていく
(ど、ど、ど、どうして結城くんが家に来るのよ!?)
だけど、今は余計な詮索は後回し
逸る気持ちと、ドキドキと鳴り響く胸を無視しながら、唯は玄関の鏡の前で急いで身なりを整えていく
外れかけの胸元のボタンを正し、ズレかけのソックスをきちんと履き直し、手グシで髪を整え
もう一度鏡の前で深呼吸
「コホンっ! お待たせ結城くん。それで何の用事なの?」
軽く咳ばらいをしながら、いつもの毅然とした姿で現れた唯に、今度はリトの方がポカンとなってしまう
「い、いやその…ノート返しに来たんだけど」
「ノート?」
見ると、確かにリトの手には放課後に渡したノートが握られてある
「もう書き写したからさ。それで」
「か、書き写したって……ちょ、ちょっと待って。どれだけページ数あったと思って…」
「まーかなり大変だったけどな」
苦笑いを浮かべるリトに唯は思わず声を荒げてしまう
「ど、どうして……どうして? 言ったじゃない! 月曜日でいいって!! それなのに…
…私は本当に結城くんのためを想って…」
「うん。それはわかってる。わかってるからこそ早くしようと思ってさ」
「え?」
「オレ、普段、古手川がすげーマジメに勉強がんばってるの知ってるからさ、だからその…
…迷惑になるんじゃないかって思ってさ…」
「そんな…」
迷惑だなんて思ったことなんかない
そればかりか、普段、助けて守ってくれて、そのお礼がちょっとでもできるんじゃないかって思ってるほどで
唯はリトから受け取ったノートに視線を落とした
「とりあえずすげー助かったよ! 次はテストで赤点取らねーようにもっとがんばらねーとな!」
「……」
「…またわかんないトコあったら質問とかさせてくれよな。じゃあな古手川」
「ま、待って!」
そう言って帰ろうとするリトの服の袖を唯は反射的に掴んでしまった
「へ?」
キョトンとした顔のまま自分の方を振り返るその顔を唯はまともに見られないでいた
真っ赤になった顔で、それでもリトの服を離そうとはしない
「古手川?」
「……帰っちゃ嫌…」
「え?」
「帰っちゃ嫌! も、もう少しここにいて」
リトはただ目を丸くして唯の事を見つめた
その視線に気づいたのか、唯は慌てて服から手を離すと、身振り手振り大急ぎで口を開いた
「そ、その……ホ、ホラ、結城くんの家ってここから遠いじゃない? す、すぐに帰ったら疲れるというか……
うぅ……す、少しぐらい上がってお茶でも飲んで行ってくれてもいいじゃない…」
最後の方は声のトーンも落ち、リトの顔をチラチラと見つつぽそぽそ話す唯
「い、いいのかよ……だって家族の人に迷惑になるんじゃ…」
「し、心配ならいらないわ! だって今日ウチには誰もいな…ぁ…」
そう。今、家の中は唯一人だけ
そこにリトが来れば当然、二人っきりになるわけで……
唯の顔が知らず知らずの内に赤くなっていく
「やっぱ問題あるんじゃねーか…」
「ち、違うわ!! 問題なんてあるわけないじゃない! で、でもやっぱり問題というか…」
一人問答を始めてしまった唯に、置いてけぼりをくらってしまうリト
「あ、あのさ、やっぱオレ帰った方が…」
「そんな事ないわよ!! あ、上がって結城くん! 早くっ!!」
「え…あ、ああ。じゃあ、おジャマします」
こうしてリトは、半ば急かされる様に唯の家に入っていった

初めて男の子を家に入れた唯
初めて女の子の家に入ったリト

二人だけの時間が始まる


リビングのソファの上でリトは緊張でガチガチになっていた
女の子の、それも同い年の同級生の家
普段よく話したり(主にお説教だが)しているだけに緊張の度合いも上がったりする
唯は今、奥のキッチンでお茶の用意をしている
唯が奥へ消えて、まだ数分しか経っていないのに、今のリトにとっては数分が数時間にも及ぶ
永劫の時の様な感じすらしていた
まだかまだかと、首を伸ばしていると、奥からトレイを持った唯が現れる
「遅くなってごめんなさい」
「べ…別に気にする事ねーよ」
内心の動揺を悟られない様になんとか平常を取り繕うと姿勢を正すリト
テーブルに置いたカップから香りのいい湯気が立ち上る
可愛らしい白の陶器に淹れた紅茶と、ハートや星型をしたクッキー
さっきまでの緊張はどこにいったのか、リトのお腹がぐぅ~っと鳴る
「あ…あははは」
頭に手をやりながら照れくさそうに笑うリトにつられて唯はクスっと小さく笑う
「もぉ、お腹空いてるなら空いてるでちゃんと言いなさいよね! そしたらもっと別の物を…」
「あ! いいっていいって! オレはこれで十分だからさ! って、コレ食べてもいいのか?」
もう辛抱たまらないと言った様子のリトに唯はますます笑みを深めると、どうぞとリトにお茶を勧める
「いっただきま~す」
リトは早速クッキーを数枚手に取ると口の中に放り込む
「ちょ…ちょっと慌てたら…」
「うっ!」
唯の思ったとおり、クッキーを喉に詰まらせてしまうリト
「もう! 何やってるのよ!?」
ソーサーごとカップを持つと唯はリトに紅茶を手渡す
熱い紅茶を我慢しながら喉の奥へ流し込むリトの横で、唯は心配そうにその横顔を見つめながら
リトの背中を優しく撫でていく
「…ん……んん…ぷはぁ…はぁ~~死ぬかと思ったァ」
「まったく! 誰も取ったりしないんだからもっとゆっくり食べなさいよね!」
「ごめん…」
お母さんに叱られた子供の様に小さくなるリトをしばらくジト目で睨むと、唯は安心したのかそっとリトの背中から手を離した
(あ…)
その時、背中から離れるあったかい感触にリトの中で何かが声を上げた
「ん? どうしたの? まだノドの奥に残ってるとか?」
「いや違…えっとその……あ、ありがとなって思っただけで…」
様子のおかしいリトをしばらくキョトンと見つめた後、まあいいわと、唯は自分のカップを手に取ると紅茶に口を付ける



おいしい紅茶とクッキーを味わう事十数分
お腹が膨れたのかリトは何気なく話題を切り出した
「にしても古手川のノートすげー助かったよ!」
「え?」
「だって、すげえ見やすい上によくまとめててさ、さすがだなァって」
「そ、そんな事…」
うれしさを誤魔化す様に唯はほとんど残っていない紅茶に口を付ける
「それに古手川ってすげーキレイな字書くんだな」
「私の字?」
「うん。なんつーかすげーキレイなんだけど、その中にカワイさがあって、それが古手川らしいとゆーか…」
「……」
みるみる赤くなる頬とは裏腹に唯はリトから目を逸らす事ができなかった
「オレ、好きだよ! 古手川の字! もちろんノートの書き方とかまとめ方とかいろいろあるけどさ
今日、ノート見ながらそんな事思っちゃってさ」
まるで今日あったうれしかった事でも話しているかの様なリトに、唯の心拍数が急上昇を始める
今まで自分の字を褒められた事などない唯
人生初の出来事が想いを寄せる相手からだというダブルでうれしい出来事に、唯の顔が自然と綻んでくる
それは、学校では見せる事のない唯の本当の姿だった
リトの目が大きく見開かれる
「ん? 何よ? 私の顔に何かついてる?」
ジッと見つめるリトに何を思ったのか、ポットから茶こしを使いながら紅茶をカップに注ぐ唯の顔は赤く染まる
「いや…その……古手川ってそんな顔するんだなァって思ってさ」
「え?」
「ホ、ホラ、なんつーか、古手川っていつもオレに怒ってばっかだから、そんな風に笑ってるトコがすげー新鮮だなって思って」
「へ!?」
カップを持つ手がピタリと止まる
「今日やっぱ古手川のウチに来てよかった! だって、こんな良い顔の古手川に
会えたんだもんな! なんかすげーうれしい」
ニコっと満面の笑顔を浮かべるリトの顔と、その言葉をダイレクトに見て聞いてしまった唯の顔は一瞬で沸騰してしまう
恥ずかしさとうれしさがごちゃ混ぜになった感情にカップを持つ手がプルプルと震え、唯は思わず大声を上げてしまう
「な、ななな何おかしな事言ってんのよ!?」
その瞬間、手から離れたカップは真っ逆さまにリトのズボンへと落ちていく
あっと言う間もなく熱々の紅茶をズボンにぶちまけられたリトは思わずその場から飛び上がってしまう
「あっっっっちぃぃっっ!!!!」
「結城くん!?」
唯は慌ててタオルを手に取ると、急いでズボンの濡れた部分を拭いていく
「ごめんなさい…」
「別に気にすることないって! はは…」
「でも…」
顔をくもらせながら一生懸命タオルを動かすが、しばらくすると唯のその手がピタッと止まってしまう
間近に迫るリトの股間部分にみるみる顔が紅潮をし始める
「う…」
だけどリトをこのままにしておくなんてできるはずもない
ましてこうなったのは他ならぬ自分のせいなのだ
指先まで真っ赤にさせながら唯はゴシゴシとズボンを拭いていった
「だ、大丈夫? 結城くん…」
「ん? ああ。まー熱いの最初だけだったから平気だけど…」
リトはチラリと視線を下げる
ソファに腰掛ける自分の下腹部を、タオルを手に唯が一生懸命拭いている姿
嫌がおうにも邪まな気持ちがふつふつと湧き上がる
顔を真っ赤にさせているのはもちろん、どこか不安そうな、心配そうなその顔が、リトの気持ちに拍車をかける
ゴクリ────!!
唾を喉の奥に流し込むその音に唯は何を思ったのか、その動きをピタリと止めると、
ゆっくりと上目遣いでリトの顔を見つめた
その時、ゾワッと背中に電気が走ったのをリトは確かに感じた
その感触を無理やり押し込めると、どう見ても引きつっているとしか思えない笑顔を浮かべながら、リトは口を開いた
「そ、そのさ……も、もう大丈夫っつーかえっと…」
だけど言葉が思う様に出てこない
それは唯も同じだった
さっきから胸のドキドキが止まらない
プルプル小刻みに震える手をギュッと握りしめながらも、目線はリトの顔と下腹部を行ったり来たり
好きな相手。それもこんな形といえ急接近中
どんなに隠しても気持ちが後から後から溢れ出して止まらない
「……」
「……」
とろけそうな空気の中、おもむろに立ち上がった唯にリトの目は吸い込まれる様に引き付けられる
どっちも顔を真っ赤にさせたまま無言の時間が流れる
やがて唯が小さな声でぽそぽそと声を出した
「そ…その……シミになっちゃうから……結城くんズボン脱いで。洗濯するから」
「へ? で、でもそこまでする事ないんじゃ…」
「だ、だってこうなったのは私のせいだし……そ、それにこのまま結城くんを帰すだなんてできないわ」
「だよな…」
なんとも言えない微妙な空気の中、どちらも気持ちを押し込めるように、唯はカップや皿の後片付け
リトは奥でズボンの履き替えと、進みそうで進まない二人の話しはまだまだ続く



「それ兄のなんだけど、サイズとかどう? やっぱり大きい?」
「ん? まあ…ちょっとな。でも助かるよ! ズボン乾くまでどーしよかって思ってたからさ」
と、冗談っぽく笑うリトに唯は申し訳なさそうに顔をくもらせた
「本当にごめんなさい…」
「も、もういいって! そんな気にする事でもないしさ」
「でも…」
「ホ、ホント! シミとか取れなくても別に気にならないのだし」
いつもとは違う弱々しい感じの唯に、リトもいつもの様な調子がでない
(……古手川がオレにこんな謝るのもなんか新鮮だよなァ)
口に出したらまた唯がテンパってしまう恐れがあるため心の中だけでそう呟くリト
さっきまでのやわらかい顔はどこに消えたのか、小さくしゅんと縮こまっている唯に、リトはクスっと笑った
「ま、まあ、乾くまでもうちょい時間もあるし、その……ココで待たせてもらってもいいかな?」
「え? そ、それはもちろん! というか結城くんがいたいだけいてくれれば…私もいて欲しいというか…」
「へ?」
「そ、そのそういう意味じゃなくて! わ、私の責任でこうなったからって意味で決して
結城くんと一緒にいたからとかじゃ…」
また、もごもご口調になる唯にリトは眉を寄せた
(……やっぱ、今日の古手川って変だよな…)
不思議そうな顔をしているリトに唯はまた言い難そうにぼそぼそと呟く
「そ、それでその……結城くんお腹空いてるんじゃない? よ、よかったら一緒に夕ごはんでも…」
「え? いいのか!? だって、オレ、急に来たし、食事の都合とかいろいろあるんじゃないのか?」
「それは平気よ! だって今から作るんだし」
「作るって古手川が?」
「当たり前じゃない! ほかに誰がいるのよ?」
「だ、だよな。えっとじゃー……ホント、ご馳走になってもいいのかな? オレ」
「もちろんよ! ちょうどいい時間だし、それにズボンの事もあるしね」
どこまでもこだわり続ける唯にリトは苦笑した
(ホント、律儀っつーか、マジメっつーか)
だけど、そんなところが唯のいいところでもあるとリトは気付いていた
「じゃあお言葉に甘えて古手川の手料理ご馳走になります!」
手料理の部分に笑みを深くした唯は、いつも以上の気合いを入れて頷いた
「うん!」



美柑に今日の夕ごはんはいらないとケータイで告げたリトは、キッチンへとやってきた
キレイに整頓された調味料に、シンクの中にはすでに洗った後なのか、野菜が瑞々しく光っている
(へ~やっぱキレイなキッチンだな。さすがは古手川ってゆーか…)
自分のウチのキッチンと見比べるリトの目にふと唯の姿が映る
その瞬間、リトは何とも言えない気持ちに陥ってしまう
エプロンを付け、髪をアップスタイルにした唯の姿
心拍数は跳ね上がり、顔に熱が帯びてくる
「……」
思わずその後ろ姿にボーっと見惚れてしまうリト
その気配に気づいたのか、くるっと後ろを振り返った唯はその形のいい眉を寄せた
「そんなところで何してるのよ? いいから、あっちで座って待ってて」
「あ…ええ……っと、オ、オレも手伝おうかと思ってさ、はは」
「え? 手伝ってくれるの?」
「あ、ああ。こーゆーのは一人より二人の方が楽だし、それに楽しいだろ?」
「そ、それは…」
今までずっと一人でやってきた唯にとって、誰かと料理をするだなんて初めての経験
まして相手はリト
(こ、これって何か新婚…)
ドキドキと高鳴る気持ちに急かされる様に、唯は野菜へと向き直る
「じゃ、じゃあお願いするわ! と、とととりあえずニンジンとかじゃがいもの皮むき任せても平気よね?」
「おう! 任せとけって!」
唯の心の中など微塵もわからないリトは唯の隣に並ぶと、ピーラーを手にせっせと皮をむいていく
「……」
その横顔に唯の鼓動はますます大きくなっていく
(ケッコンしたらこんな感じなのかな…)

毎日献立を一緒に考えて、二人並んで、味見をしながら料理をして
「あ~ん」ってしながら結城くんに食べさせてあげて、それから、それから……

と、そこまで考がいった時、唯の頭が限界を迎えてしまう
(わ、私ったらいったい何考えて……だ、だいたい結城くんが私の…私の…)
また想像の世界に旅立とうとした時、隣から「いてっ!」と、小さく声がした
目をパチパチさせながら隣を見ると、リトが指を押えていて、その指の間からポタポタと血が落ちていて────
唯の顔が一瞬で赤から青に変わる
「結城くん!?」
「ってぇぇ…。ちょっと切っちまったみてーだな」
「切ったって……ちょ、ちょっと見せなさい」
急いでリトの指を診るとピーラーで切ったのか、薄く切れた肉の間からどんどん血が溢れていた
唯はすぐに水で傷口を洗い落としていく
「別にそんな大げさにしなくても大丈…」
「何言ってるの!? 破傷風にでもなったらどうする気よ!!?」
「それはいくらなんでも…」
リトの言葉をよそに、唯は傷口の血やバイ菌を洗い落としていく
けれども後から後から血が滲み出て止まらない
唯はリトの指を自分の口に近づけると、おもむろにパクっと指を咥えた
「!!!!!??」
声にならない声をあげるリト
そんなリトと対照的に、唯はどこまでも真剣だった
本当に心配そうに不安そうに顔をくもらせながら、それでもリトの血を止めようと必死に口を動かしていく
舌を指に這わせながら、チュパチュパと唾液を絡ませる唯
(古手川…)



相変わらず心臓はバクバクと破裂しそうになっているが、唯のそのなんとも言えない表情に
リトは次第に落ち着きを取り戻していく
しばらくして、ゆっくりと口から離れた指には、血に混じって唯の唾液が妖しい輝きを見せながら糸を引いていた
リトの喉が再びゴクリと音を立てる
「とりあえず血は止まったみたいだから、後はもう一度消毒ね! ちょっと待ってて! 今、救急箱取ってくるから」
そう言うと唯はパタパタと小走りにキッチンから出て行った
その後ろ姿をリトは半ば茫然と見つめていた
「指切っただけなのになんつーか…」
大袈裟だと思う半分、取り乱すほど心配してくれる唯の優しさがリトはうれしかった
廊下の奥からパタパタと小走りに戻ってくる足音にリトはクスっと笑みを浮かべる
「結城くん、救急箱持って来たわよ!」
「ありがと古手川」
にっこりと笑うリトに唯の胸が音を立てる
「べ、べ、別にこんな事当然というか……ふ、風紀委員として当り前の事をしているだけで私は…」
そっぽを向きながらぼそぼそ話す唯にリトは笑みを深くした
ますます顔が赤くなってしまう唯
「でも、古手川のそんなトコがオレすげーうれしいよ」
「バ! バカな事言ってないで早く指診せなさいよ!!」
急に怒り出す唯に驚きながらも、リトは唯に指を差し出した

「はい。これでもう大丈夫でしょ」
キレイに貼られた絆創膏にリトは申し訳なさそうに頭を垂れた
「ホント、ごめんな古手川。手伝うとかいいながら余計な事やっちまって…」
「…だから別にいいって言ってるでしょ? でもまァ…」
唯はチラリとボールに入っている野菜に目を向けた
形が歪で、皮もところどころ残ったままのニンジンやじゃがいも
唯はリトに向き直ると、いたずらっぽく声を尖らせた
「結城くんには別のことを手伝ってもらわないとね」
「別の事?」
「そ、野菜の皮むきも出来ない様な人にはテーブルを拭いたり、お皿を並べたりする方がいいでしょ?」
「う…うぅ…マジでごめん」
吹き出しそうになるのをグッと我慢すると、唯は立ち上がった
「それじゃあ続き始めるわよ」
「お、おう」
リトの意外な? 弱点を見つけた事に唯は意気揚揚とまな板に向かった

トントントンと包丁の軽快な音を聞きながら、リトは椅子に座ったまま黙って唯の後ろ姿を眺めていた
唯の料理をしている姿もめずらしいと感じたが、それ以上に、その手捌きにただただ感心してしまう
慣れもあるのだろうが、とにかく手際がいいのだ
包丁の扱い方、調味料の出し入れ、味を確認するその仕草一つ一つにリトはただ関心してしまう
美柑とはまた違う唯の料理の仕方
それはリトに新鮮さを与えるに十分なほどだった
(古手川ってなんか…)
後ろ姿しか見えないが、エプロン姿が妙に様になっていると感じる
髪をアップにしているため、普段隠れている白いうなじに心臓がドキドキと高鳴る
(なんか…)
長い黒髪を耳の上にそっとかけ直すその仕草が
おたまで味見をしようとふ~ふ~とダシに息を吹きかけるその横顔が
リトの気持ちをざわざわと揺らす
「古手川ってさ、なんつかーか良いお嫁さんになるんじゃないかな」
何気なく発したリトのその言葉に唯は肩をビクンと震えさせると、次の瞬間、小さく「いたっ」と声を上げた
「へ?」
その声に横から唯の手元を覗き込んだリトの目がみるみる大きくなっていく
包丁を握りしめる反対の手、左手の薬指から血が滲み出ていたのだ
「ちょ…大丈夫かよ!?」
「ん、平気よ。ちょっと切っただけだから」
そう言いながら先ほどと同じ様に自分の指を口に咥えながら、恥ずかしそうに唯は顔を染めた
「へ、平気ってでも…」
「大丈夫よ! 薄く切っただけだから。それより絆創膏取ってくれる?」
リトに心配かけまいといつもと同じ淡々と話す唯だったが、逆にその事がリトを苦しくさせる
「ホントごめん! オレが変な事いったからだよな?」
「……」
「はぁ~オレ、なんか今日、古手川のジャマしてばっかだな…」
絆創膏を取りながらも、ガックリと肩を落とすリト
「…………そう思うなら、残さず全部食べなさいよね?」
「え?」
「私の作った料理! 残したりしたら許さないんだからっ!」
上目遣いに白いほっぺたをサクラ色に変えながら、ぽそぽそと話す唯にリトは力強く頷く
「そ、そんなの当たり前だろ! 古手川が作ったものならオレいつでも全部食べるって!」
「…そ…そう」
大袈裟とも取れる言葉だったが、リトの言葉というだけで唯にとっては十分すぎるほどうれしく感じる
「それより指大丈夫か? 痛みとかは?」
「うん。平気よ」
「そっか。じゃあ指出して。オレが貼ってやるよ」
「ぇ…あ…」
唯が応えるより先に傷口に絆創膏を貼っていくリト
指と指。その小さな触れ合いが唯の胸をときめかせる
「……」
「……っと、これで大丈夫だと思うけど、痛みとかあったらちゃんと言えよ? 古手川」
「……」
「ん? 古手…」
なんの返事もないことに不思議そうに顔を上げたリトの体が固まってしまう
至近距離同士。おまけに指同士とはいえ、まるで手を繋いでいるかの様なその体勢に、湯気が
でるほどリトの顔は赤くなってしまう
「こ、これはその…そーゆーんじゃなくて…えっと…」
それでも決して指を離さないリトに唯の顔も溶けてしまいそうなほど赤くなっていく
「あ…ありがと」
「お、おう」
おいしそうな湯気を立ち上がらせる鍋の横で、二人はしばらく真っ赤になりながらも束の間の繋がりを感じていた


あれからしばらくドキドキが続いて、中々調子を取り戻せなかった唯だったが、今はテーブルの上にならんだ
自信作にうんうんと頷いていた
「よし! これで完成よ! お待たせ結城くん」


唯同様、テーブルの上に並んだおしそうな匂いのする料理の数々にリトの目が輝く
今日のメニューは、肉じゃが、ほうれん草のおひたし、ご飯に味噌汁、そして、お漬物
シンプルだが、男心をくすぐるメニューのチョイスにリトのお腹は早くもぐぅ~ぐぅ~と鳴りだす
「その、結城くんの好きなものとかわからなくて、一応、私の得意料理なんだけど…」
「全然いいって!! すげー好きだよ肉じゃが!!」
二カッと歯を見せながら笑うリトに安心したのか、唯は一先ず胸をホッと撫で下ろした
「とにかく冷めない内に早く食べましょ?」
待ってましたと急いで椅子に座るリトに自然と笑みがこぼれる
「それじゃあいただきます!」
「いただきます」
早速、肉じゃがに箸をつけるリトを前に、唯は黙ってその様子を見つめていた
はっきりいって今日は腕によりをかけて作った自信作だ
腕だけじゃない、愛という名の調味料もたっぷりといれてある
だから逆にその自慢の味が不安で不安で
結城くんの口に合うか、おいしいと言ってくれるか、ちゃんとおかわりしてくれるのか
リトの一挙手一投足を見つめる唯の目は真剣だ
勉強や風紀活動をしている時より、どんな時よりも真剣だ
もぐもぐとじゃがいも噛み締めるリトに、唯は白い喉をコクンと鳴らした
(どうなんだろ? おいしいのかな? こ、これでもしおいしくないとか言われたら…)
嫁失格なのか、はたまた彼女すら失格になってしまうのか
唯は自分のものには箸すら付けず、黙ってリトの感想を待ち続ける
口の中のものを飲み込んだリトの第一声は唯の想像の範疇を超えるものだった
「す……げーーうまいって古手川!!! こんなうまい肉じゃがオレ初めて食うよ!!!」
「え?」
唯の見つめる先、どんどん皿の中の肉じゃがは減っていく
「うまい! うまい! マジでうまいって!! 古手川すげーじゃん! オレ、ちょっと感動した」
「そ、そんな大げさな…」
「全然大げさとかじゃねーって! うわ! このほうれん草とかもすげーうまい」
あっという間に平らげてしまったリトに唯はうれしさが隠しきれなかった
「お、おかわりする?」
「うん! 頼むよ! って、今度はさっきよりも多めにいれてほしい」
「はいはい」
皿を受け取って鍋に向かう唯の足は今にも小躍りしそうなほど軽やかになっている
顔だってずっと笑顔全開だ
ルンルン気分で鍋から肉じゃがを装う唯の背中に、リトは声をかけた
「にしても肉じゃがが得意とか古手川って家庭的なんだな」
「そ、そんな事ないわよね! これぐらい誰だって…」
なんて言ってしまうが胸のドキドキは大きくなる一方
「そっかー? ん~じゃあさ、他なんか得意なのあったりする?」
「他? ん~そうね……ハンバーグとかシチューとかかな」
菜箸を片手に悩む後ろ姿にリトは顔を輝かせた
「マジで!? それって全部オレの好きなやつじゃん!」
「え? そうなの?」
くるっと後ろを振り返った唯を出迎えたのはニコニコ顔のリト
まるで作ってと言わんばかりのその顔に唯の胸がトクンと音を立てる
唯はぷいっと顔を背けると、黙々と肉じゃがをお皿に盛りつけていく
(ちょ…ちょっとは落ち着きなさいよっ!! こ、これじゃホントに…ホントに……)
もうドキドキは止まらない
顔だって真っ赤っかになってしまっている
(でも……でもでも、結城くんが作ってって言ってくれるなら私…)

幸せいっぱいの中、二人だけの食事タイムは進んでいく

結局、肉じゃがどころかホウレン草のおひたしも残さずキレイに食べたリト
満腹感に包まれながらも、一人洗い物をする唯の姿に立ちあがると、すっとその隣に並んだ
「結城くん!? いいわよ! 座って待っててくれれば…」
「いいからいいから! あんなおいしいの食べさせてくれたお礼もあるしな」
「そんな…」
「えっと……これが洗剤でいいのか?」
「う…うん」
ガシャガシャ、バシャバシャと音を立てながら、リトと唯、二人は並んで洗い物をする
リトが洗った食器を唯が受け取りタオルで拭いていく
初めての事なのにまるで流れる様な作業
いっぱいリトに褒めれた唯はずっと顔がほころび
いっぱいおいしい食事をご馳走になったリトは満腹感でいっぱいで
思わず鼻歌でも歌いたくなるこんな時間こそ幸せと呼ぶべきなのだろう

食器を一通り洗い終えると、どこからか時間を知らせるタイマーが鳴りだした
「あ、ズボンが乾いたんだわ」
「ホント! よかったどーなる事かと思ったぜ」
「もぉ、大げさなんだから。ちょっと待ってて。取ってくるから」

唯は乾燥機のある部屋まで来ると、蓋を開け、ちゃんと乾いているか確認する
「……うん。大丈夫ね。これで結城くんちゃんと…」
そこまで言ってふと気づいてしまう
このズボンを受け取ったらリトはもう帰ってしまうという事実に
ズボンを握りしめる唯の手に力がこもる
「結城くん…」
最初は急な事でいろいろ慌ててしまったけど、一緒にお茶をして、料理をして、そして、一緒に食事して
いつの間にかリトがこのままずっと一緒にいてくるんじゃないかという想いに唯は駆られていた
ホントはそんな事あるはずないのに……
唯はズボンに顔をうずめるとギュッと自分を抱きしめた
まるで崩れ落ちそうになる自分を堪える様に

「古手川?」
いつまで経っても戻ってこない唯を心配して、リトはひょいっとドアから顔を覗かせた
「どしたんだ? 何かあったのか?」
「え、ええ。何でもないわ…」
「そっか? ならいいんだけどさ…」
少し目の周りが赤くなっている唯に怪訝な顔をするも、リトはそれ以上聞けなかった
「で、オレのズボンは?」
「あ、ごめんなさい。はいコレ! ちゃんと乾いているわよ」
「おお! サンキュー古手川」
ズボンを広げながらうれしそうな声を出すリトに唯は苦笑した
本当は自分が悪いのに、いつの間にか感謝される立場になっている事に
(…結城くんらしいな……)
そう心の中で呟くと、何かがズキリと痛んだ
さっきまであんなに楽しくてうれしかった気持ちがどんどん消えて行っている事に、心が小さく震えていた
「古手川? どーしたんだ? やっぱお前さっきから変だぞ?」
「……何でも…ないわよ…」
「でも…」
「いいから早く着替えなさいよ! これ以上遅くなったら家の人が心配するでしょ?」
なんだよそれは!? とブチブチ文句を言いながらもリトは言われたとおりに隣の部屋に着替えに行った


ドアを閉めると、唯はそのドアに背中を預けて小さく溜め息を吐いた
「……帰っちゃうんだ…」
いつになく弱々しい心の声がつい口に出てしまう

私、どうしちゃったんだろ……?
前はこんな事思わなかったのに……
……こんなの…こんなの結城くんの…………結城くんのせいなんだからね…

ドアにもたれながら、唯は胸に手を当てながら何度も気持ちを反芻させた


「お待たせ!」
部屋から出てきたリトはこちらの気持ちなどまったく気づきもしないほどいつもと同じ調子だ
(もぉ…)
いろいろ言いたい事はあるが、面と向かって言えるはずもなく
代わりに唯は、ぷくっと頬を膨らませた
「あ、あれ? なんか怒ってる?」
「知らないわよ!」
ぷいっとそっぽを向ける唯にリトは頭を掻くしかない
(ったく、何なんだ? オレなんかやったのか?)
まったく女の子心がわからないリトは溜め息を吐くしかなかった
そして別れの時は、刻一刻と迫る

トントンと、靴を履き終えると、リトはくるりと唯に向き直った
「じゃ、オレ帰るな」
「…うん」
やっぱりどこか様子がおかしいと感じるリトは眉を寄せる
が、考えても考えても答えが出てこない
何かを言ったわけでも、何かをしたわけでもない
だけど、無性に気になってしまう
リトはこの雰囲気を変えようととりあえず唯に話題をフッた
「あ、あのさ、今日の夕ごはんホントにうまかったよ! だからその…今度また…」
「また?」
「えっと……また古手川の料理が食べたいなって」
「え?」
唯は目を丸くさせた
(結城くん私の作ったのそんなに…)
リトの顔は誰が見てもわかるほど赤くなっている
その姿に唯は思わず小さく笑ってしまう
「…仕方ないわね」
「へ?」
「作ってあげる! その代わり今度来る時はちゃんと前もって言いなさいよね! わかった?」
「あ、ああ。で、でもホントにいいのか? 迷惑とかじゃないかな?」
迷惑なわけない
それどころかうれしすぎてどうにかなっちゃいそうなほどだ
「…そう思うなら、学校で少しでも私を怒らせない様にしなさいよね!
怒った分、私だって疲れるんだから!」
腕を組みながらどこか明後日の方を見ながら話す唯にリトは申し訳なさそうに頭を掻いた
いつもの二人の戻ったような、戻ってないような
あるいは少しだけ進んだのか
モジモジとした時間だけが流れ、少しすると、ガチャリと玄関のドアが開いた
「お!」
「あ」
「へ?」
三人が三人一同に違った表情で互いの顔を確認し合う
「なんだよ……男連れこんでたのかよ! それならそーとちゃんと言えよな! オレすげーマヌケじゃねーか」
「お、男!?」
目を丸くさせるリトに構わず唯は声を荒げる
「ちょ、ちょっと! 何おかしな事言ってるのよ!? そ、そんな事より早く挨拶してよ!! すごく恥ずかしいじゃない!」
「あぁー?」
面倒くさそうに振り向く遊にリトは息を呑む
身長は確実に向こうの方が上。おまけに男の自分から見てもイケメンだ
「あ、あの…えっと」
ジッと見てくる遊にリトの額に冷や汗が浮かぶ
「へ~! これが『あの』ゆうきくんかよ? なるほどね~」
「お兄ちゃん!!」
「お兄ちゃん?」
いつものクセでいつもと同じ様に呼んでしまった事に唯は顔を赤らめた
「と、とにかくちゃんと結城くんに挨拶してよ」
「へいへい」
心底うっとうしそうに肩を竦めると、遊はガバッとリトの肩に腕を回し顔を近づけた
「で、唯のヤツとはもうヤッたんだろ? いつアイツの事もらってくれるんだ?」
「ヤ、ヤッた!? も、もらうって何を…」
よくわかっていないリトに遊はさらに顔を近づける
「つーかアイツかなり頑固だろ? おまけにすぐ怒るしグジグジうるせーし」
「は…はは」
「……でも、まーいいトコもあるから、よろしく頼んだぜ」
「え…」
リトはチラリと横目で遊の顔を見た
その顔は、どこか自慢の妹をうれしそうに語っている様に思えて
リトは内心、小さく笑った
「ちょっと! 二人して何話してるの!!」
慌ててリトから離れた遊は意地悪そうに顔に笑みを浮かべた
「何っておまえの話しだよ?」
「え? 私の?」
「おまえがいつも結城くん結城くんってうるさいって教えてやってたんだよ!」
「な!?」
唯の顔が火が付いた様に真っ赤になる
「な、何言って…」
「ホントの事じゃねーか! 毎日毎日、今日は結城くんとこんな事話したとか、結城くんがこんな事してたとか
聞いてもいねーのにうれしそうに話して…」
「お兄ちゃん!!?」
唯は沸騰寸前の顔のまま大声を出して遊の声を遮った
「なんだよ? そんな大声出さなくてもちゃんと聞こえるっつーの」
「うぅ…」
肩をぷるぷるさせながら声を震わす唯に何を思ったのか、リトは遠慮がちに声をかけた
「そ、そのオレそろそろ……帰ろーかなって…」
「ん? 何だよ? もー帰るのかよ! てっきり泊まると思ってたのによ!」
「そんなわけないでしょ!!」
すっかり口を尖らせてしまった唯にリトは情けない笑みを浮かべる
「そ、それじゃーな古手川。今日はありがと! また学校でな」
「え…え…ぁ……」
何かを言おうにも中々声に出ない様子の唯に背中を向けると、リトは玄関のドアを開けた
バタンと閉じたドアの音が本当にお別れを感じさせるようで
唯の胸の中にズシリと重く響いた


「……」
黙ったまま玄関で立っているだけの唯に遊は溜め息を吐くと、ポリポリと頭を掻きながら口を開いた
「何やってんだよ?」
「え?」
「いいのかよ? 送っていかなくて?」
「お…送るって……さっき送ったじゃない…」
自分でもどこが? と思ってしまうほどのバカな言い訳
遊はもう一度溜め息を吐くと、唯の頭にポンと手を乗せた
「ちょ、ちょっと!?」
「いいから送ってこいって!」
「だから…」
「ちょっとそこまででもいいじゃねーか。男はそれだけでもうれしいもんなんだぜ」
「…え…」
「早く行って来いって!」
クシャクシャと頭を撫でながらニッと笑みを浮かべる遊に頬を膨らませるも
唯は小さくありがとうと言い残し玄関を飛び出していった
「ったくいつまで経っても世話のかかる妹だねェ」
その背中に向かって、遊は楽しそうに声を投げかけた

「結城くん」
「え?」
立ち止まって後ろを振り返ると、唯が一生懸命走りながら近づいてくる姿が見える
「古手川!?」
びっくりしているリトの前で立ち止まると唯は肩で息を整えていく
「はぁ…は…ぁ…はぁ…」
「大丈夫か? ってなんかオレ忘れものでもしてたっけ?」
「そうじゃなくて」
「え?」
息を整えながらゆっくりと顔を上げた唯の頬は夜道でもわかるほど赤くなっている
「そ、そのちゃ…ちゃんと送ってあげないとって思っただけで…」
チラチラと顔を見ながら話す唯にリトはニッと笑みをこぼす
「そっか。ありがとな! なんかすげーうれしいよ」
「う、うれしいとか別に……私はそんなつもりで…」
「はは…そー…だよな」
「…ぁ」
リトの声のトーンが下がったことに胸がギュッと締め付けられる

違うのに
こんな事を言うために来たんじゃないのに

「じゃあ……オレもう行くな? 古手川も風邪引かない様にしろよ? じゃーな」
今日見たどの笑顔をよりも寂しそうだと感じたその顔に、唯は両手を握りしめる
(結城くん…!!)
唯の手は思うよりも先にリトの服の裾を握りしめていた
「え────?」
「……」
振り返ったリトの目に月の光にほのかに照らされた唯の顔が映る
真っ赤になっていて、肩なんか震えていて、唇をキュッと噛み締めていて
初めて見る唯の必死な顔とその純粋な想いにリトは固まってしまう
「古手…川」
「…………」
奥歯を噛み締めている唯は何かを一生懸命伝えようとしているみたいで、リトは唯の手を取ると体を唯に向けた
「どしたんだ?」
「…ぃ…行か……」
「え?」
唯は俯いていた顔を上げると無理やり笑みを作った
「…………またね。結城くん」
「お、おう! 古手川もな」
「うん」

遠く遠く、リトの背中が見なくなるまで見送った唯
リトの姿が小さくなるにつれて自分の中の気持ちが大きくなっていく事に唯はもう気付いていた
何気なく視線を落とすと、ふいに薬指に巻かれた絆創膏が目に入る
「……また…また来てね結城くん。今度はもっともっとおいしいの作って待ってるから」
もう見えなくなったリトの背中に向けて、唯はそう呟いた


帰り道
リトは複雑な気持ちになっていた
初めての女の子の家でずっとドキドキして、初めて食べる女の子の手料理に感激して
だけど、一つどうしても引っかかる事があったのだ
唯の手料理はすごくおいしい! それはもう美柑に匹敵するぐらいの腕前だった
「けど、アイツいつも一人で食ってんのか…」
料理のおいしさと同じぐらい感じた唯の寂しさ
その寂しさをリトはどうにかしてやりたいと思った
そして、うんうんと唸りながら考える
自分にあって今の唯にないものそれは────


そして一週間後
「ねぇねぇリト! 早く早く」
「だからそんな引っぱんなって!」
ララにぐいぐい腕を引っ張られる横で美柑が意味ありげに笑みを浮かべる
「それにしてもあんたが女のコのウチに行こう! なんて言った時はビックリしたけど、
まさかこーゆー事だったとはね! 優しいじゃんリト」
「うっせーなー」
ぶっきら棒に口を尖らせる兄に美柑は心の中で溜め息を吐く
(あ~あ、古手川さんきっとガッカリするだろうなァ…。せっかくリトと二人きりになれるはずだったのにさ。
ホント、そーゆートコだけはいつまでたっても鈍いんだから)
そんな美柑の気持ちとは裏腹にリトは手に持った紙袋を大事そうに握りしめた
今日行くことが決まった日から、今日までの間。何軒も回って選びに選んだもの
それはノートと食事、そして、自分の純粋なありがとうの気持ちを込めた唯へのプレゼントだった
美柑の見えないところでリトだってちゃんと成長しているのだ

その頃唯は────
料理の下拵えはすでに終わり、部屋の掃除、テーブルの上の後片付け、服のチェックに髪の手入れも完璧にすませた
ソファに座りながら、頭の中で今日の一通りの予定を何度も繰り返す

まずは笑顔でお出迎え(なるべく頑張って一生懸命普通に自然に出すのがポイント!)
リビングに連れて来て、お茶でも飲みながら他愛もない会話をする
「お腹空いた?」とさりげなく聞く(さりげなくがポイント!!)
キッチンで料理の準備(結城くんまた手伝ってくれるとうれしんだけど…)
メニューは結城くんの好きなものフルコース
二人、向かい合って座って笑顔を交わすと、二人きりの食事の始まり
私は黙って結城くんの感想を待つ。すると……

『すっげーうまい!!』『さすが古手川だよな』『やっぱ古手川見たいな料理が得意なコと結婚できたらなァ』

そ、それからそっと私の両手を握りしめると────

『オレ、料理が得意なコが好きなんだ! 古手川、オレとケッコンしてくれ』
『な、何言ってるのよ!? 私なんて…』
『違う! そんな事ねーって! お前でなきゃ古手川じゃなきゃダメなんだ! 好きだ古手川』
『ダ、ダメよ結城くん! そんないきなりっ! 私たちまだ学生で…』
『古手川っ』
『ゆ…結城くんっ』
そうして私たちは……

と、そこまで考えて唯はハッと我に返る
「私、何考えてるのよ!? ハ、ハレンチだわ!!!」
なんて大声で叫んでいると玄関のチャイムが鳴った
パタパタと玄関に向かうと、備え付けてある鏡の前で最後の服装&髪のチェック
「よし」
小さく気合いを入れると、唯はドアノブに手をかけた
(笑顔…笑顔……自然に落ち着いて……大丈夫! それぐらい私にだってできるわよ!)
唯は一度深呼吸をして自分を落ち着かせると、ガチャリとドアを開けた
「いらっしゃい! 結城…く……ん…」
そのがんばった笑顔とは対照的に、目の前の光景に唯の声はどんどんしぼんでいく
「やっほ~唯~♪♪」
「どうも…」
弾ける笑顔全開のララと、どこか申し訳なさそうにペコリとおじぎする美柑
「ごめん。ちょっと遅れたちまった」
あははと愛想笑いを浮かべるリトに対して唯は彫像の様に動かない
「それと、急にララたち連れてきてごめんな。ビックリさせようと思ってさ。そのホラ、
みんなで食べた方が絶対うまいし、古手川だってみんなとの方がうれしいだろ?」
「え、ええ…そうね…」
引きつった笑顔の下に隠れた怒りの顔と、ぷるぷると震える唯の手を美柑は見逃さなかった
(ホラね。だから言ったのよ? ホント、バカリトなんだから)
成長しているようでまるでしていない兄に美柑は深々と溜め息を吐くしかなかった

結局、急に増えた人数分を急遽作るはめになった唯
もちろん美柑は全力で手伝いをしつつ、ダメな兄を必死にフォロー
怪しげな発明品で手伝おうとするララを必死に止めるリトだったが
まったくといっていいほど口を聞いてくれない唯に実はかなり落ち込んでいたりもしていた
そうこうしてる内に帰って来た遊がララと遭遇して目の色を変えてしまって、それを唯が怒ったりと

こうして古手川家はかつてないほどの大賑わいを見せたのであった

帰るまぎわ、やっと渡せたプレゼントを唯はそっぽを向きながら受け取った
「じゃあ…な。古手川」
「……」
唯はまだ怒っているのか無言。それにリトは寂しそうに溜め息を見せながら玄関をくぐった
「…ぁ…りがとう……また来てね」
それは美柑の耳に偶然聞こえた小さな声だった
兄の背中を寂しそうに見つめるその姿に、美柑はリトの脇腹を小突いた
「ってぇ。何だよ?」
「バカ」
「は?」
「……ま、そんなあんたが良いんだろうけどね」
ますますわからないリトは一人眉を寄せると、何気なく後ろを振り返った
すると、唯が玄関先まで見送りに来てくれていたのだ
その腕の中に大事そうにリトからもらったプレゼントを抱いて
リトは声に出さず、ブンブンと手を振って唯に挨拶をした
ビクンと肩を震えさせながら、赤くなった顔を隠す様にそっぽを向ける唯に苦笑しながらリトは古手川家を後にした
「また……今度はもっとゆっくり来るよ」
と、心の中でそう約束しながら

リト達が帰った後、家の中はまるでお祭りが終わったかの様な静けさが生まれていた
リビングの後片付けが終わると、どっと疲れが湧いたのか、唯は自分の部屋のベッドに寝転んだ
ボーっと天井を見つめていると、想うのはリトの事
「もぉ、せっかく今日は…」
口が尖ってしまうが本当はわかっていた
リトの優しさと気遣いが
唯は天井に設えた蛍光灯にそっと左手を翳してみる
外せなかった、外そうと思わなった、リトに付けてもらった絆創膏
それが今、淡い光に包まれて、まるで結婚指輪の様に輝いてるみたいで
唯はクスッとほほ笑んだ
「今度はちゃんと一人で来なきゃダメだからね! 結城くん」

その日から唯の枕元には、プレゼントのクマのぬいぐるみが置かれることになる
唯の一番の宝ものとしてずっと────