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「べ、べつに、アナタのことなんて好きでも何でもないんだから!」
 鏡を前にした唯は、意識せずにこんなセリフを吐いてしまった自分の口を恨めしげに見た。
「うう、もう! なによその言い方!」
 オレンジ色のパジャマに身を包んだ唯はかれこれ一時間、鏡の前でこうしていた。
傍から見れば一人漫才というこの上ない滑稽なものでしかない。しかし彼女にとって、死活問題と言っても過言ではないのだ。
「ハァ……もうこんな時間だわ……」
 時計の針はすでに頂点を回ったところだ。普段の彼女ならその生真面目な性格ゆえに、最低でも十時には床に就くはずだった。
しかし、今の彼女にその余裕はない。なぜなら――
「明日、なのよね……」
 つぶやく唯の視線は壁にかけられたカレンダーを射す。可愛くデフォルメされたネコのキャラクターが並ぶ、
ある意味で彼女らしいそのカレンダーには赤く囲まれた日付がある。二月のカレンダーのほぼ真ん中に位置するその日。
「……バレンタインデー」
 俗に言う『乙女の日』だ。
 男子のことを汚らわしい俗物だと見下してた唯にとって、このイベントはお菓子会社を黒幕に置いた不純異性交遊促進日でしかなかった。
今までは。そう、あくまで今までは。
 今の唯にとって男子は、それほど嫌悪すべき存在ではないといえないこともなくはなかった。
 実際に接してわかったが、それまで思っていたほどの無神経さや下心は感じられない。あくまで突発的な事故が多いだけ、と思いたい。
少なくとも意図的ではないだろう。むしろその対極。誰にでも当たり前に振り分けられる気配りと優しさがそこにはあって、
だからこそ彼の周りにはいつも他の女性が集まってきていて――
「って、彼って誰の事よ!」
 気が付くと唯の頭では、漠然としていた「男子」のイメージが徐々にとある人物に固定されていた。
彼女はモヤモヤとした気持ちを抱えながら、その人物の名前を呟く。
「……結城、リト」

 言葉にすると、自分の心が揺れる気がした。揺れた拍子に漏れる甘酸っぱい気持ち。
粘性を持ったそれは、心とは違う、もっと胸の奥底にあるなにかに強く絡まっていく。
そして、強い力でそのなにかを締め付けるのだ。締め付けられる痛みで、胸の前で組んだ手をギュっと強く握る。
近頃、痛みが強くなっている気がした。
「なんで、こんな風になるのよ…………」
 ――これじゃあまるで。
 口のなかで音になる前に消えた言葉、憶測でしかない。あくまで推論にすぎないのだ。結論付けるには早すぎる。
 確証を得るための明日だ。
 唯は自分の机に目をやる。そこには可愛らしくラッピングされたチョコレートが載っていた。買ったものではない。
今日、学校から帰った唯はすぐさま制服に着替え制作に取りかかり、初めてのことで戸惑いながらも、なんとか完成させたものだ。
初めてにしてうまくいった、かと。わざわざ作ったのは、買ったものを渡すのは不誠実だからとかなんとか理由づけている。
誰がどこから見ても手作りオーラ全開なそれは、「オレは本命なんだゼ」と全身で主張しているのだが、当の唯はそれに気付かない。
あくまでこれは――
「私の気持ちをハッキリさせるだけなんだから」
 手段とか目的とかをいろいろ履き違えた唯は、そんな訳でチョコレートを用意した。
で、彼女が今行っているのは渡す際の予行練習、という八十年代の少女漫画を彷彿とさせるようなことなのだが。
「なのに、どうしてうまくいかないのよ……」
 鏡に結城リトの写真を張り付けて練習台にした。そのせいか、口上を述べる際にどうしても彼の顔が脳裏をよぎり、
気が付けば冒頭のような有様になっている。唯は意識しているわけではないのだが。
「どうすればいいのかしら……」
 これじゃあ彼にチョコを渡せないし、受け取ってもらえたとして自分が納得できそうにない。
 ほとほと困り果てていると。
「事情は概ね理解した」
「きゃあっ!」
 一部始終を唯の部屋の前で立ち聞きしていた遊がドアを開け放った。
「ちょ、ちょっと! なにしてるのよ!」
「ん? 妹の恋路を把握しておくのは兄として当然の義務だろう」
 とは言うものの、遊の顔にはでかでかと「おもしろそう」の六文字が書かれている。
また、一歩間違えれば変態認定されかねない発言も、彼の爽やかなルックスからは変態得有の不快感は感じられなくなる。
それよりもむしろ、唯が咄嗟に投擲したハサミが彼の額に突き刺さっており、血まみれの顔からは危機感が感じられた。
「こ、恋路って…………」
「違うのか?」
「それは……」
 唯は顔を紅く染めて俯く。彼女のなかではまだハッキリとしていない(と自分では思いこんでいる)彼への気持ちが、
遊の一言に触発され、グルグルと幾何学的な模様を描いている。そんな妹の姿を見た遊はニヤニヤと笑みを浮かべ、
若干ふらつきながら、話を切り出した。既に顔半分が血で覆われている辺りがなんともスプラッタだが。
「恋に悩む可愛い妹に、愛戦士と評判の俺が助け船を出してやろうじゃないか」
「た、助け船?」
 ゾンビへの道を着実に歩みつつある顔を唯に近づける。まるでどこかのホラー映画のような光景。
恋いの助け船はともかく、命の助け船が遊に必要なことは明白だった。
しかし、余裕のない唯はそんなことにも気付かず、藁にすがるような思いで遊の意見に耳を貸す。
「簡単だ。唯が自分の体をリボンでラッピングして、私をた・べ・て、と言えばどんな相手もイチコロどぶぁぐぇし!」
「そそそそそそそんなこと、できるわけないでしょうが!」
 左ジャブ! 左ジャブ! 右ストレート! 見事なコンビネーションが手負いの遊を直撃した。
部屋を飛び出し、おびただしい量の血液を撒き散らしながら廊下の壁に激突する遊。ドアを閉める間際、遊だった何かはこうつぶやいた。
「……カイ、カン……ガクッ」
 その言葉は実にどうでもいいことだったので、唯の記憶に留まることはなかった。



 そして、朝が来る。



「どうして地球は朝を迎えるのかしら」
 それは自転しているから、とかそんなことは言われるでもなく知っている。
唯が言いたいのは時間の流れというのは残酷だ、ということなのだ。
 結局、練習が成功を収めることは終ぞなかった。
というのも昨晩は遊の作った血だまりを掃除するのに時間をかけてしまい、あれ以降練習ができなかったのだ。
その遊は、朝起きるとピンピンした様子で鼻歌混じりに出かけて行った。なんでもチョコが彼を待っているらしい。
自分はこんなに悩んでいるというのに。忌々しい。
「でも、もうやるしかないのよね」
 そう。もう考えている余裕はない。唯のすべきことは、今日中に鞄の中に入ったブツを対象に渡すことである。
渡し方は、この際どうでもいい。ただ、彼にチョコを。そして、自分の気持ちをハッキリさせたい。
 頭の中に浮かぶのは彼の顔と、彼を取り巻く数多の女性たち。どの子も女の自分から見ても魅力的で――
「って、なんでこんなことを考えちゃうのよ」
 頭を振りそれらを飛ばす。そうだ、自分は、ただこの感情を知りたいだけなんだ。余計なことは考えてはいけない。
そう意識すれば意識するほど、余計な思考がせめぎあいを始めて、複雑に絡み合って行く。
「うう、ハレンチよ……私――って、きゃあ!」
「うぉわ!」

 自分に悪態をついていると、正面から誰かにぶつかった。唯はぶつかった反動で尻餅をついてしまう。
「イタタ。す、すいません。って、結城くん!?」
「あ、古手川……」
 ぶつかった相手は、先ほどまで自分の意識を占めていた人、結城リトその人だった。突然の出来事に唯の頭はパニック状態に陥る。
「わ、え、ななんで結城くんがここに!?」
「なんで、ってここは通学路だし……」
「そ、それもそうよね……」
 二人の間に気まずい空気が流れる。今、渡すべきだろうか。でも邪魔が入ったら。
と懸念し、あたりを見るといつものピンク色は見当たらない。そのことを唯は不審に思い、リトに疑問を投げかける。
「結城くん。その、ララさんはどうしたのかしら」
「……っと、ララはなんか用があるから遅れるとか」
 チョコレートだろうか。なんにせよ今は渡すチャンスだ。
朝早いせいか周りにはあまり生徒がいないし、自分は尻餅をついていて彼は立っているから引き上げてもらうついでに渡しちゃえば、
とそこまで思考がめぐりハタと気付く。
現在の立ち位置を二次座標的に表すのならば、リトが上、唯が下に位置している。
そして自分が着ているのは制服のスカート。尻餅をついて脚を広げてしまっている。
さらに言えば、先ほどから彼の顔がやたらと赤みを帯びて、視線はあちらこちらへと移ろっているのだが。

「えっと、結城くん」
 顔が自然と笑みをかたどっていくのが分かる。声も非常に滑らかに出てくる。
しかし、心情は決して穏やかではない。そのことをリトも悟ったのだろう。リトは身体を翻し逃走を試みる。
「いや、待て、これはあくまで不慮の事故だ!」
「ハ、」
 
 右右下下右下右ABA 必殺コマンド《破廉恥撲滅風紀拳》発動!

「ハレンチよーーーーーーーッ!」
「ギャーーーーーーーーーーッ!」
 恥ずかしさのあまり必殺技(?)を放った唯は、そのまま校舎へと走り去っていった。
 後には結城リト(だったもの)と、
「……うう。は、恥ずかしくってちゃんと渡せなかったじゃない…………バカ」
 その上に添えられた可愛らしい包みが残っていた。