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「結城…くん…?」
ドアをそっと開けて中を覗き見ると、部屋の中はしーんと静まりかえっていた
「…いない…の? どこにいったのかしら…」
腰に手を当てながら、唯は部屋の中を見回した
開けっぱなしの窓から入ってきた夜風が、唯の髪を揺らす
「もう! 開けっぱなしなんて不用心な!」
と、口調をキツクさせる唯に、夏の匂いに混じって、部屋の匂いが風にのって届く
ドキンと、胸が高鳴った
リトの部屋の来るのはこれで二回目
最初とくらべてもはっきりとわかる。さっきから胸のあたりがそわそわしっぱなしだ
「―――…前に来た時はそんなに意識してなかったけど…」
唯は躊躇いがちに部屋の中へと入っていった
胸に手を置くと、トクン、トクンと心地いいリズムを奏でているのがわかる
唯の頬に少しずつポッと熱が灯っていく
「結城くんの部屋…」
呟きながら、唯の足がまた一歩、部屋の中へと進む
胸の奥に染み込んでくるのは、あったかくてやさしくて、そして、いつの間にか大好きになっていたリトの匂い
「結城くん…」
リトの部屋で、リトの名前を呟き、リトに想いを馳せる
なのに当の本人は、どこかにいってしまっている
胸の真ん中、大事なところにぽっかりと、ドーナツみたいな穴が開いている様な感覚を唯は覚えた
「もぅ、ホントにどこにいったのかしら! …………私をおいて…」
唯の口から小さな溜め息がこぼれる
最近、自分がよく溜め息を吐くことに唯はまだ気づけないでいた
胸のあたりで腕を組み、ムスッとした視線を部屋の中に向ける

 

 
部屋の中は、食べかけのお菓子の袋だったり、飲み終わったコップだったり
投げ出されたゲームのコントローラーに、脱ぎ捨てられた服だったり――――
 
唯は腰に手を当てながら、さっきとは違う溜め息を吐く
そして、口に小さな笑みを浮かべた
「まったく…」
一言そう言うと、お菓子の袋をまとめ、ゲームを片付けて、服をきちんと畳んで
ベッドのシーツや布団をキレイに整えて、そして――――
「ココで結城くん、寝てるのね」
ソっと、シーツの上を手で撫でると、リトに触れている様な気がして
もう一度。もう一度。何度も手で撫でる
「ちょ…ちょっとだけなら…」
部屋の入口をチラッと確認して、ドキドキとうるさい胸の音を聞きながら、足をベッドに乗せる
ギシっと軋むベッドの上で、唯は女の子座りをしながら、落ちつか無げにそわそわと視線を彷徨わせる
そして躊躇いがちに、ゆっくりと体をベッドに沈めていく
夜の風に当ったひんやりと冷たいシーツの感触を左頬に味わいながら、小さく深呼吸
唯はモゾモゾと手を伸ばした
手に掴んだのは枕。それをギュッと胸に抱き寄せる
「結城くんの枕…毎日つかって…」
目を閉じると、リトの顔が浮かんできて、胸のあたりが熱くなっていく
リトの匂いが沁み込んだ枕に少しずつ唯の匂いと体温が混じっていく
頭の中から「何やってるのよッ!?」と声が聞こえてくるが、体と心が無視を決め込む
「結城くんの匂い…」
 
真夏の太陽をいっぱい浴びたような匂い
気がつけばいつもそばにあって
そして、いつからか一人占めしたいって思うようになって
雨の日に想いが重なり、前よりもっと近くに、ずっとそばにいる様になったのに
 
「―――そばに…そばにいるのに…、何なのよ…、もう…!」
唯は枕を抱っこしながら身体を丸めて縮こまった
好きな人の部屋にいるのに、なんだか胸の中がすーすーする
ベッドの上にいるのに、ちっとも温かくならない

 

枕に顔をうずめながら、唯の頭の中にお風呂場で言われた言葉がふと蘇る
 
『リトとどーなのかなァ…って』
 
枕を握る手に力がこもる
期待と好奇と、そして心配が入り混じっていたララの声
枕を抱き締める腕にさらにギュッと力がこもる
「…放っておいてよ。そんな事…」
誰もいない部屋に向かってそう呟く
唯は頭の中のララの声を閉めだすかの様に、目を瞑った
 
 
「―――手川? …古手川! 古手川、起きろって!」
「…んっ…」
頭の中で鳴り響くリトの声に唯は、薄く目を開いた
重い瞼の奥に飛び込んでくる眩しい光に一瞬、顔をしかめる
少しすると、ぼんやりと白みがかった視界によく見知った顔が映り込む
「起きた?」
「結…城くん? 何…? 何なの?」
「お前、寝てたんだぞ?」
「えっ」
唯は目をパチパチさせながら、霞がかかった頭の中を整理していく
「寝て…た? え、どういう…」
「そんな事オレが訊きたいって! ホントびっくりしたぜ。部屋に戻ったら、古手川がベッドで寝てるんだからな」
「え…あっ、そ、それは…」
「布団もかぶってねーし…。フロ上がりなのに風邪引いたらどーすんだよ?」
「ううっ…」
珍しいリトからのお説教に唯は何も言い返すことができず、ベッドの上で小さくなる
(なんて事!? 私、あのまま寝ちゃったんだわ。ハレンチなっ!)
なんて心の中で自分を戒めるも、すっかりリトのベッドがお気に入りになったのか
冷たくなった体を温めようと、すぐそばに転がった枕を手に、ソレをギュッと胸に抱き締める
リトの視線もあって、顔が熱くなって仕方がないのだが
どうやってもベッドから中々、起き上がれない
枕を手放すことができない

 

 
“だって…だって…、結城くんが毎日、寝てるベッドなんだもん…”
 
枕の間から少しだけ見えるリトの顔と、そして、リトの匂い
頭の中が甘くとろけていくのを感じながら、唯は抱っこしていた枕から恥ずかしそうに顔を出した
「…それよりどこ行ってたのよ? ずっといなかったでしょ?」
「ああ。外にいってたんだ!」
「外?」
「そ。セリーヌの水やり」
「それって庭にある植物のこと?」
「そうだよ。遅くなっちまったからセリーヌのヤツ、ムチャクチャお腹すかしててさ」
「……」
唯は何も応えず、ゴロンとリトに背中を向けた
「って何だよ!?」
「……」
「古手川?」
「…………妹さんがおフロどうぞ、ですって!」
「フロならさっき入ってきたけど?」
「……ッッ」
唯は枕を抱き締める腕に力を入れながら、ほっぺをムッと膨らませた
さっきまであった甘い感触なんて、どこか彼方に消え失せてしまっている
(何よ! 何なのよ!? どういうつもりなわけ?)
 
今日は夕食をご馳走されに結城家に来たわけなのだが
その夕食以降、リトとまともな会話をほとんどしていないという事実に
唯は枕に顔をうずめながら、頬を膨らませた
 
(結城くんがあの植物を大事にしてるってわかるし、とってもいい事だって思うけど、けど―――)
頭を掻きながら途方にくれた様子のリトを背中に感じながら、唯のほっぺはますます膨らむ
「あのさ、古手川」
「……」
「オレのベッド使ってもいいけど、ちゃんとしないと体冷えるぞ?」
「……どうぞお構いなく!」

 

はぁ、と小さな溜め息を吐く音が聞こえた
背後でリトの動く気配
少しずつ遠ざかっていく足音に、ざわざわと気持ちが焦りだす
”また、どこかにいっちゃうわよ?”と心の中で自分の声が聞こえる
唯は自分の中のキモチを押さえつける様に、枕に顔を押し付けた
(ふ、ふん! 今さら結城くんがどこに行こうが関係……ないじゃない!)
背中に聞こえるゴソゴソする物音に、瞳がゆらゆらと揺れ動く
(そ、そうよ…! おフロも入ったって言ったし、私はもう…)
胸の中でいろんな葛藤を繰り広げながら、枕を抱き締める腕に力がこもる
(……私は…)
天秤のようにゆらゆらと揺れる心
「…んっ…」
枕を力いっぱい抱き締めると、ついに唯は、目を閉じて全ての事をシャットダウンした
 
真っ暗な世界だというのに、いろんなモノがはっきりと感じられる
背後から聞こえる物音だったり
胸の鼓動だったり
自分の気持ちだったり
 
真っ暗な世界の中で、唯はリトに呼びかけた
心の声で何度も何度も、「結城くん、結城くん…」と何かを確かめるように
少しすると、ふいに体を包む温かい感触に唯はハッとなって目を開けた
 
「…何?」
「ご、ゴメン! また寝たんだと思ってさ、布団掛けたんだけど…。起しちまったよな…」
もぞもぞとベッドの上に体を起こす唯に何を思ったのか、リトは慌てて口を動かす
「い、いや、ほら、寝るんなら布団かけねーと湯冷めちまうだろ? 風邪引いたら大変だしさ」
「……」
唯はリトの話を聞きながら、体を覆うタオルケットの上を手で撫でた
柔らかいふわっとした生地の手触りに混じって、なんだか優しい温かい感触が手の平から伝わる
「……風邪とか…心配してくれるんだ?」
「なッ!? 当たり前だろ! 何言ってんだよ!」
少し真剣味を帯びたいつもの顔に唯は、軽く布団を握りしめる
「…ねェ、結城くん」

 

「ん?」
「もし…もしよ? もし、私がこの前みたいに風邪を引いたら、どうする?」
「どうするって…そりゃ」
頭をポリポリ掻きながらリトは一瞬、言葉を探した
そして、少し戸惑いながら、応えていく
「…見舞いに行くけど?」
「すぐに?」
「え…」
「すぐに来てくれるの?」
「すぐってゆーか…古手川が風邪引いたってわかったらすぐに行くけど? その…治るまでずっと一緒にいるっつーか…古手川のことスゲー大切だしさ……って何だよ、コレ?」
唯は「ふ~ん」とだけ返すと、バフっと枕に顔を埋めた
「お、おい!?」
「……ッ」
枕の中で唯は下唇を噛み締めた
(う…ううっ…どうしよ。あんな事言われちゃった…!)
うれしい言葉に、カアァァっと首まで赤くなった顔なんてリトに見せられるはずはない
よくわかっていないリトの声を聞きながら、唯はさらに枕に顔を押し付ける
「古手川? ホントにどしたんだよ?」
「い、いいの! 放っておいてっ!」
「ってそんなこと言われてもな…」
リトはほっぺを指で掻きながら眉を寄せると、小さく溜め息を吐いた
「よく…わかんねーけど…。オレ、ココにいるからさ。その、大丈夫になったら声かけてくれ」
「え!? ココにいてくれる…の?」
「当たり前だろ? 古手川、なんか変だし。心配だし」
首にかけていたタオルでお風呂上りの頭をゴシゴシ拭きながらリトはそう応えた
枕の中で唯は、こっそりとまた頬を熱くさせる
そして、おずおずと枕から顔を離すと、枕の間からそっとリトの顔を窺った
「……っ」
大雑把な拭きかたのせいでクシャクシャになった髪を、手櫛で簡単に整えていくリト
その横顔をジッと見つめている内、自然と体がぽぉっと熱くなっていく
優しいだけじゃなくて、いつもドキドキをくれる言葉や顔
ただ、そばに、近くにいるだけで、こんなにも顔が熱くなって、仕方がなくて
唯はまた枕にバフっと顔をうずめた
枕に自分の匂いを付けながら、真っ暗になった世界の中で、唯は心の中で呟く

 

 
(結城くんの匂い…)
(結城くんがずっと私の中にいる…)
(いつも考えてる。結城くんのこと…)
(私、本当にどうしたのかしら…。ちょっと前まで、こんな事考えられなかったのに…)
 
誰かを好きになって
好きになった人と想いを通わせて
その人の家でご馳走なって、お風呂にも入って
そして、ベッドの上で枕に隠れながら、横顔を見つめるなんて
 
(結城くん…)
 
本当はスキって言いたい
大スキって伝えたい
たくさんたくさん想いを込めて。だけど――――
 
(そんな事言えないわよ―――…)
 
近くて遠い“距離”
すぐ近くに、すぐそばにいるのに
とっても遠くに思えるその“距離”
 
「――――…結城くん、こっちに来て…」
 
だから、勇気をかき集めて言えたのはそれだけだった
小さな、小さな、本当に消えちゃいそうな声だけれど
リトは手を止めると、唯に顔を向けてくれた
唯はリトの返事を聞く前に、また、枕で顔を隠してしまう
タオルで拭く音が聞こえなくなった部屋の真ん中では、リトがキョトンとしながらこっちを見ているのだろう
(…何か言いなさいよね!)
おずおずと枕から顔を上げた唯をいつもの顔が待っていた
まだ完全に拭き切っていない髪の先から水滴がポトっと床に落ちていく
「何だよ?」
「…その…」

 

何か言おうとするも言葉がうまく出てこない
胸の中にある気持ちをどう言葉に変えればいいのかわからない
口の中でいろんな言葉が合わさって、もごもごと意味のない言葉を作っていく
「古手川?」
リトに何も返事を返せないまま、唯はふいっと顔を逸らしてしまう
「別になんでも……ない」
「何だよソレは…ったく、じゃあオレ、下いって何か飲み物取ってくるけど、古手川は何かいる?」
「……結城くんと同じのでいいわ」
「ん~…じゃー、オレンジジュースでいいよな?」
「ええ…」
珍しく歯切れの悪い唯にリトは小首を傾げる
怪訝な顔を浮かべたまま、まだ完全に乾き切っていない髪をタオルで拭きながら、唯に背中を向けた
その足がふいに止まる
「―――え!?」
「……いかないで…」
小さな小さな声がリトの耳を捉え、ベッドから伸びたかすかに震える白い手が、リトの服の裾を掴み、足を止めさせる
ベッドの上で真っ赤に染まった顔のまま唯は、精一杯の声で、もう一度呟く
「……どこにもいかないで…」
耳に届く前に消えてしまいそうな儚い声
目をまん丸にさせながらリトは後ろを振り返った
首まで真っ赤になって、目に涙をいっぱい浮かべて泣きそうになったまま、唯はリトの服を離さない
「……ッッ」
「古手…川?」
「……ッ!?」
上擦った驚きの声を上げるリトに、唯はハッとなって慌てて手を離した
「ちっ、違うの! こ、これはそういんじゃなくてっ!」
「えと…」
「だ、だからその……えと…ほ、ほら、そんな急いで取りにいくことないってゆーか…やっぱりジュースなんていらないってゆーか…」
言い終わった瞬間、唯はハッとなった
(何言って…!?)
本当は、リトと一緒にいたいのに

 

どこにも行ってほしくなくて
二人っきりでいたいと思っているのに
なのに――――
(私のバカ…っ!)
心の中で自分に文句を言い、そして、恐る恐るリトの様子を窺う
まだ戸惑っている様子のリトと目が合うと、唯は慌てて顔ごと逸らした
?マークいっぱいの視線を感じながら唯は、下唇をキュッと噛み締める
(どーして私って、いつもいつも、余計なことばかり言っちゃうのよ…)
相変わらず進むことも、真っ直ぐに見つめることも出来ない、自分の中のホントのキモチ
くやしさよりも、情けなさで、唯は知らず知らずの内に俯き、肩を震えさせる
(こんなのイヤ…)
唯はベッドの上で膝を抱え、膝小僧に顔を埋めた
真っ暗な世界にリトの困った顔が浮かぶ。溜め息を吐いている横顔が過る
(結城くんの…あんな顔が…見たいわけじゃない…)
膝を抱きかかえる腕にギュッと力が入る
(結城くんにして欲しいこととか、一緒にしたい事とか、たくさんあるはずなのに…何やってるのよ私は…)
あんな事が言いたいわけじゃない
あんな顔を見たいわけじゃない
(結城くん…)
唯は丸めた膝からおずおずと少しだけ顔を上げ、リトの顔を窺う
でもやっぱり、目が合いそうになってしまうと、ふいっと目を逸らしてしまう
そして、深い溜め息
(…バカ。私の…バカ)
胸の中でいろんなキモチが膨らんで、ごちゃ混ぜになって
唯は、自分の目頭が熱くなっていくのを覚えた
 
ベッドの上でいつもよりずっと小さくなっている唯の姿にリトは、少し困ったように頬を掻いたあと、遠慮気味に口を開いた
「あのさ……隣…座ってもいいかな?」
リトの言葉に唯の小柄な肩がピクンと震える
そして、膝を丸めたままの姿勢で唯は、ボソッと呟く
「……あ、あなたのベッドじゃない。好きにしなさいよ」
冷たく返してしまった事に唯の胸の中にチクリと痛みが生まれる
リトは頭を掻きながらベッドに腰を下ろした
ベッドに二人分の体重が乗り、ギシギシと音を立てる

 

リトは前を見ながら、意識だけを唯に向けた
「その…ジュース、いる? 喉渇いてるなら今から下いくけど?」
「……いらない」
「そっか」
リトは短い返事を返すと、唯の背中に薄い布団をかけた
「ほら、ちゃんとしないと風邪引くだろ?」
「……」
「さっきも言ったけど、お前が風邪引いたりとかイヤだからさ。美柑もララも、みんな心配するし。つかオレが一番すると思うけどな…!」
照れくさそうにリトは笑いながらそう言った
肩にかかる布団の上から、リトの手の体温が少しずつ唯の肩に降り積もっていく
顔がカァァっとヤケドしそうなほど熱くなっていくのが自分でもわかる
思わずリトの手を握りそうになる手を、唯はシーツの上でギュッと握りしめて、止めた
シーツの上で顔と同じぐらい手が赤くなっていく
「…あなたはちょっと心配しすぎよ」
肩から落ちそうになる布団を整えながら、唯は手を握り代わりに、口元に淡い笑みを浮かべた
そして、布団の端を持つとリトの背中にそっとかける
「それに! 私ばかりじゃなくて、あなたも、でしょ?」
「…だな」
くすぐったさを覚えるその声に、リトは小さな返事を返す
そして、二人は顔を見合せると恥ずかしそうに、クスっと小さな笑みを浮かべた
 
部屋の中に涼しい夜風が駆け抜け、そして、また静寂が二人を包んでいく
けれど、今度は今までとは少し違う静けさ
窮屈じゃない、どこかこそばゆい感じにさせる無言が続く
チクタクチクタク、時計の針の音を聞きながら
やがて、唯はぽつりと口を開いた
 
「…ねェ、何か話したらどうなの?」
「何かって?」
「さっきから黙ったままじゃない!」
「い、いや、なんかこーゆーのもいいかな、とか思ってさ」
「私だってキライじゃないけど…けど…」
「けど?」
少しだけ体を寄せながらそう訊いてくるリトに、唯の頬に赤が灯る

 

「…声…聞きたいから…」
「声?」
「そ、その、結城くんの声聞きたくなっちゃって…」
「オレの?」
左腕に当たる唯の右腕が、心なしか熱くなるのをリトは感じた
少し俯き気味の唯の横顔にリトは苦笑を浮かべながら、コクンと頷く
「わかった。じゃあ―――」
 
布団一枚に包まれながら、二人の時間が過ぎていく
学校起きたこと、家で起こったこと、昨日見たテレビ、最近聴いている歌だったり
それは、どこにでもある他愛のない会話
けれど、唯にとっては全てが特別な会話
迷いながら、悩みながら、時にはムッとなる事も言われたりするけど、一生懸命に話してくれるリトの話はいつも特別だから
その横顔も、声も、みんなみんな
いつの間にか、唯の顔は普段以上にずっと柔らかくなっていた
特別なキモチをいっぱい含んだ視線
他の誰にもあげないリトだけに贈る、視線
うっとりしながら、ときめきながら、キュンキュンと胸を高鳴らせながら
唯は少し、ほんの少しずつ、リトに心を寄せていく
「―――でさ、その時、ララのヤツがさ…」
 
結城くんが私のそばにいる
初めてかも……しれない
こんなにも長い時間、結城くんの横顔を見るなんて
 
リトの話に頷きながら、唯はリトの横顔に視線を送り続ける
 
私、やっぱり結城くんがスキなんだ…
大…スキなんだ
 
横顔も、笑顔も、困った顔も、慌ててる顔も
みんなみんな
 
ドキドキとうるさい胸の音
ヤケドしそうなほど熱い頬

 

リトの横顔にハートいっぱいの視線を送りながら
一瞬、躊躇った後、唯は想いのままにリトに体をピトっとくっ付けた
「えっ」
リトの驚いた声で胸の音が二段階も高くなる
カァァっと沸騰していく顔を俯かせたまま
布団の下でもぞもぞと腕を動かすと、唯はリトの腕に自分の腕を絡ませる
それは、体を寄せるというより、抱き付くといったほうがいいのかもしれない
そして、一息置いてから唯は、トンっとリトの肩に頭を乗せた
肩にかかる少し重い感触が、首に伝わり、顔に達した頃、リトの顔が沸騰寸前まで熱くなる
「こ、ここ、古手川ッ!?」
「んっ」
ビクンと震えるリトの手に唯は自分の手を重ねる
手の平にリトの驚きを感じながら、唯はリトの手を握りしめる
無言の唯と、固まるリト
肩に伝わる唯のほっぺの体温が、どれだけ唯が沸騰しているのかをリトに教える
唯と同じぐらい顔を熱くさせながら、リトはパニックになる頭を必死に動かした
窓から吹き込む夜の風が、カーテンを揺らしながら部屋の中へと入ってきても、二人の火照りは治まることはない
手にはしっとりと汗が滲み、喉の奥に唾を呑み込むのにもギクシャクしてしまう
リトはゆっくり、ギコチない動きで、肩にある唯の顔を覗き見る
「あ、あのさ…」
「…続き」
「へ?」
「続き! 早く話して…」
「つ、続きって、ンな事いわれても…えと、ん~じゃあ……こ、古手川、どっか行きたいトコとかある?」
「行きたい…ところ…」
キレイな眉を寄せながら思案中の唯の髪が背中に流れ、お風呂上りのシャンプーの匂いをリトに届ける
(こ、これはシャレにならねー…!?)
腕に当たるやけに柔らかいモノをなるべく考えないようにしながら、火が噴く寸前の顔のまま、唯の言葉を待つ
一秒がとっても長くて、短く感じられる不思議な感覚がリトを支配する
「ん~そうね…。とりあえず、甘いモノ……が食べたいかな」
「あ、甘いモノ? えと…それってケーキとかって事?」

 

「ええ。そうよ。…ダメ?」
「ダメとかじゃねーけど……そっか、ケーキ屋か――――美柑がたまに買ってきたりするからそこでもいいんなら…」
唯の顔がパッと輝く
何度も首を振りながら、リトにうれしそうな顔を寄せる
「あとね、動物園も行きたいかな」
「動物園?」
「ええ。あと、水族館とか遊園地…あ、もちろん買い物もよ! あなたに服とか見てほしいしね。それに―――」
唯は本当にうれしそうに楽しそうに、行きたい場所、したい事をリトに話し始めた
学校はもちろん、今まで一緒にいても見た事がない、初めてかもしれない唯の笑顔に、リトは驚きとうれしさが混じった目を向ける
「―――あとは…あと…」
「古手川ってそんな顔して笑うんだな」
「…え?」
「そんなうれしそうな古手川見るの初めてかも!」
「ッ!?」
ニッと歯を見せて笑うリトに唯の胸がドキンと音を奏でる
リトの言葉よりも、その笑顔の方にやられたなんて言えないまま、唯はぷいっとそっぽを向ける
「な、何よ!? 私だってうれしい時とか笑ったりするわよ! 喜んだりするんだからっ!」
「ご、ゴメン!」
慌てて謝るリトに唯はほっぺをムッとさせたまま、視線を彷徨わせ
そして―――
「…くちっ」
「って大丈夫かよ? 湯冷めしたんじゃねーのか?」
「ん、平気よ。それに、こうしてるとあったかいからね」
鼻を啜りながら唯はもぞもぞとリトに体を寄せる
顔はヤケドしそうなほど熱いし、まともにリトの顔だって見られない
それでも、ほんの少しだけでも前に進むことが出来た自分に淡い笑みを浮かべつつ
唯はリトの腕にギュッとしがみ付いたまま、チラッと大好きな顔に目を向けた
 
(…こんな簡単なコト…私、今まで何やってたのよ…)
 
唯はリトに抱きつきながら、顔を首筋のところにうずめながら、リトの匂いとぬくもりをいっぱいに感じた

 

そんな唯にリトはくすぐったさを覚えつつ、頬を掻きながら宙に視線を向ける
「なんか古手川ってネコみたいだよな?」
「えっ? ネコ?」
「ああ。何か今日一日ずっといてそー思ったつーか。こーやってくっ付いてる時とかネコみたいでスゲーかわいいなって!」
「か…か…か…かわっ…」
リトの言葉を反芻している内、唯の頭から見えない湯気が上がっていく
赤を通り越した真紅色に顔を染めながら、唯はこの日、一番の声を張り上げた
「な、何おかしな事言ってんのよーーッ!!!」
「わわっ!? ゴメン! つかそんな怒らすつもりで言ったんじゃねーって!!」
「うるさいっ! バカァ!!」
 
今にも噛み付いてきそうな黒ネコに、リトは青い顔をしながら必死に謝り続ける
「だ、だから、ホントに悪かったって!」
「…フン」
すっかりご機嫌を損ねた唯に、リトはガックシと肩を落とすと、はぁ…と情けない溜め息を吐く
(…またオレ、やっちまった…)
ベッドの上で腕を組みながらそっぽを向いたままの唯に、リトはバツが悪そうに頭を掻いた
何か言いたげな唯が何度もチラチラと自分の顔を見ているとも知らずに
(何よ!? 何よ? あんなおかしな事っ! あんな、カワイイ――――だなんて…)
顔がぽぉっと火照っていくのを感じながら、唯は自分の胸に手を当てた
うれしさと驚きで、胸の中はすごいことになっている
唯はもう一度リトに視線を送り、そして――――
「…コホン」
軽く咳ばらいを一回
すぐそばにあった枕を持ち上げ、リトの顔にバフっと押し付けた
「わっ!? えっ? な、何だよ!?」
「……いいから、ちょっと黙って」
いつもより静かで、よく通る唯の声に、リトはバタバタしていた両手を止めた
リトに枕を押し当てたまま、唯はそっと顔を寄せる
枕に唇が触れるか、触れないかの距離で一旦停止
ドキドキとうるさいほどに高鳴る胸の音を聞きながら、唯はすっと目を閉じた
「結城くん…」

 

「何…だよ?」
「――――スキ……だからね」
ポソっと消える様な声で呟くと、唯は枕越しに唇を寄せた
窓から気持ちのいい夜の風が唯の長い髪を揺らし、リトにやわらかい香りを届ける
「え? 何だよ? 古手川?」
枕の向こうからひっきりなしに聞こえるリトの文句に、唯は枕から唇を離すと、ムッと頬を膨らませる
顔の見えないリトに鋭い眼差しを向けると、もう一度、今度は枕を本気で叩きつけた
「ってぇ…いったい何なんだよ!?」
「…フン」
「あのな…」
鼻を押さえながら若干、目に涙を浮かべるリトに、唯は顔を背けたまま
怒っているというより、拗ねたように見える唯に、リトは小さく溜め息を吐く
「で、さっき何て言ったんだ?」
「さっきって?」
「オレの名前を呼んだあと」
「ッ!?」
唯の胸の音が一段階高くなる。顔がボッと赤く染まる
「何か言っただろ? あれ、小さすぎてよく聞こえなかったんだ。だからさ…」
「も、もういいの!」
「でも、なんか大事なことだったような…」
「いいって言ってるでしょ! 恥かしいんだから、何回も言わせないのッ!」
「え? 恥ずかしい?」
「うう…っっ」
思わぬ墓穴に、唯は顔を真っ赤にさせたまま固まってしまう
不思議そうなリトの視線がいつも以上に痛く感じる
「よく…わかんねーけど…」
「わ、悪かったわね! よくわからなくて!」
ツンとそっぽを向ける唯にリトは頬を掻いた
「それで大丈夫なのかよ? その…いろいろ」
急に真剣味を帯びるリトの声に、唯は浮かしかけていた腰をベッドの上に下ろした
そして、上目遣いぎみの視線を送りながら、ぼそっと呟く
「……あなた次第よ」
「何だよソレ?」
少し赤くなっている鼻の頭を指で撫でながら、リトは苦笑を浮かべた
そんなリトに唯はム~っと視線を送り続ける

 

何か言いたげな視線を送り続けている内、自然と唯の口が開く
「…そ、その…あなたがちゃんとお願いしてくれたら……もう一回ぐらい言ってあげてもいい…わよ。…一回だけ、だけどね」
「えっ? 何か言った?」
「…ッ…ッ」
赤く膨らんだほっぺをしながら、こっちをじとーっと睨んでくる唯に、リトは顔を青くさせた
「え、えと…」
唯の視線に晒されているうち、頭の中で警戒音が鳴り響く
唯はゆっくりとベッドから腰を浮かした
「こ、古手川? ちょ…ちょっと落ちつ…」
「も―――もう! ゼッタイゼッタイ! 言ってあげないからね! 頼まれたって、お願いされたって言ってあげないんだからっ!! わかった!? 結城くんっ!!」
 
“―――リト、私もう寝るけど、あとのコトは大丈夫なの?”
と、言おうとして美柑はやめた
リトの部屋の前
ドアノブに手をかけようとして、小さく溜め息を一回
「…ま、らしいといえばらしいけどね」
口の端に意味深な笑みを浮かべると、美柑は自分の部屋に帰っていく
 
部屋の中は、すっかり機嫌を損ねた唯と、ご機嫌取りに必死なリトの姿
ペコペコと謝り続けるリトに、ツンとそっぽを向いた唯が態度で応える
そんな結城家“らしい”騒動を巻き起こしながら
リトと唯、二人の物語がようやく始まる