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トラブル40『凶悪バレンタイン』あるいは第1話


「バレインタインデー、ですか…」

悲喜こもごもの男女がそれぞれの足取りで歩く朝の雑踏。
金の髪を持つ黒衣の少女がベンチに腰掛けていた。
手には『宇宙人にもわかるバレンタイン!』と表紙に書かれている本。
そんな少女の姿を人々は奇異なものを見るようにして通り過ぎていく。

「地球には理解しがたい文化があるのですね」

ふぅ、と溜息一つ。
少女――ヤミはぱたんと本を閉じる。

(しかし、チョコレート…あれはなかなか美味でしたね)

本日のメインアイテムともいえるお菓子。
女性が親しい、あるいは恋する男性に渡すとされる甘い食べ物。
ヤミは鯛焼きの具という形ではあったが、それを食べたことがあった。
スタンダードな餡には及ばないものの、あの甘味は今でも舌に残る美味しさだ。
チョコだけ、という形ではまだ食べたことはないが、きっと美味に違いない。
だが、今考えるべきはチョコそのものではない。
食欲をそそられながらも金の少女はゆっくりと頭を振る。

「男性…」

現在、地球にいるという条件で少女の知り合いの男性といえば一人しかいない。
結城リト。
現在進行形でターゲットにロックオンされている少年だ。
ちなみに、ザスティンは当然カウント外である。

(このようなくだらない催しに参加する義理はありませんが)

彼には恩がある。
いずれ仕留めることになる標的といえども恩は返さなければならない。
だが、自分の命を狙う女からチョコをもらって喜ぶかどうかはかなり怪しいものがある。
とはいえ、あの少年は容姿からして平々凡々だ。
女性からモテるタイプにはあまり見えない。
ならばあげないよりはあげたほうがいいだろう。

そんな失礼なことを考えつつ、ヤミは立ち上がる。
目指すは向かいの店のチョコレート売り場だ。

「キャッ!? な、何なのこのコ!? 凄い力…っ!?」
「っていうか跳んだ!?」
「髪が、髪がーっ!」
「私を踏み台にしたですってー!?」

血走った目でチョコを確保する女性たちもなんのその。
ヤミは己の能力をフルに活かしてきっちりとチョコレートをゲットするのだった。



「…あれ、ヤミちゃん?」
「プリンセス?」

無事(?)、チョコを手に入れたヤミは彩南高校にやってきていた。
いうまでもなく、リトにチョコを渡すためだ。
だが、そこでバッタリ出会ったのはきょとんとした表情でこちらに視線を向けるララだった。

(…これは少々まずいですね)

ララはリトを好いている。
それは先日の一件で重々承知の事実だった。
である以上、自分がリトにチョコを渡すことを知られるのはまずいかもしれない。
そう即座に思考し、ヤミは僅かに眉をひそめる。
だが、実際のところ少女の危惧は杞憂に過ぎない。
何せララはバレンタインを友達みんなにチョコを贈る日と勘違いしているのだ。
仮にヤミがリトにチョコを渡したところで、不機嫌になるはずもなく、むしろ二人の友好を喜ぶことだろう。
まあ、仮にララが正確なことを知っていた所で目くじら等立てるはずもないのだが。

「あ、ちょうどよかった! ヤミちゃん、これあげるね!」

金の少女の思考を他所に、ララは持ち前の明るさを振りまきつついくつかのチョコをヤミへと手渡していく。
そしてヤミがそれを受け取ったのを確認すると「またね!」と返事をする間もなくその場を走り去っていくのだった。

「ありがとう、ございます…」

視界から消え去っていくララを見つめながら、ポツリと一言。
届くはずもないお礼をしながらヤミはゆっくりと視線を下に落とす。
手元には袋に入ったハート形のチョコレートがあった。

(さて、どうしたものでしょうか)

パッと見、それは形が崩れているわけでもなく、毒々しい色をしているわけでも異臭を放っているわけでもない。
いかにも手作りといった感じの極々平凡なチョコレートだ。
ララのイメージからして、料理は下手ではないのかという危惧があったのだが、見る限りそうでもないらしい。
まあ、仮にも一国の姫なのだ、花嫁修業の一環として料理も習っているのだろう。
そんなことをつらつらと思いつつヤミは校舎を見上げる。
ついついやってきてしまったが、学生は今から授業なのだ。
当然、リトもそれは例外ではない。
となると彼に今から会いに行くのは無作法というものだ。

「とりあえず…本でも読んで待っていましょう」

学校という場所には図書室という施設があるということをヤミは知っていた。
読書が趣味である少女にとってその場所は暇つぶしにはもってこい。
チョコレートに関しては後で食事代わりに食べればいいだろう。
黒衣の少女は思い立ったが吉日とばかりに校舎内へと歩を進めるのだった。
なお、彼女の常識にこれが不法侵入であるという概念はない。



「…お腹が空きました」

昼休み。
それなりに賑わいを見せる図書室の一角でヤミは無表情につぶやく。
制服も着ず、自分たちよりも明らかに年下に見える美少女の存在に幾人かの生徒が注目している。
だが、少女はそれらの視線を全く意に介さず手元の袋をじっと見つめる。

(プリンセスからもらったチョコ…)

手元に食べ物はこれしかない。
それにこれは自分が食べることを前提にしてもらったものだ、食べることに何の遠慮もいらない。
にも関わらずヤミはそれを口に含むことに躊躇を覚えていた。
別段、毒の気配がするわけでもないのだが、何故か勘が警報を告げているのだ。

(まあ、大丈夫でしょう)

しかしヤミは僅かな躊躇の後、それを食べることにした。
もらっておきながら食べないというのも失礼に当たるし、ララが毒を盛るとも思えない。
仮に毒があったとしても自分の身体はある程度の毒は中和できるようにできている。
何の問題もない。
少女はすっくと立ち上がると図書室を退室しつつ欠片を一つ、口に含んだ。
甘味がふわっと口の中で広がっていく。

(美味しい…)

僅かに、ほんの僅かに頬を緩めながらヤミは続けてチョコを口に含んでいく。
時間的に考えて今からならばリトに会いに行っても大丈夫だろう。
ララから既にこれと同じものをもらっている可能性は高いが
バレンタインというイベントはチョコを多くもらえるに越したことはないという。
ならばきっと彼は喜ぶに違いない。
少年の嬉しそうな笑顔を想像し、少女は微かに口元を緩ませる。

――とくん。

(え…?)

リトの顔を思い浮かべた瞬間、少女の鼓動が一段高く跳ねた。
体調に異常はないにもかかわらず起こった自身の変化にヤミは戸惑う。
とくん、とくん。
だが、心音は徐々に早まっていき、その速度を増すばかりだった。
落ち着け。
高鳴る胸の鼓動を落ち着かせようとヤミはぎゅっと胸元を握り締める。
しかしとくとくとリズムを刻む心臓は速度を落とさない。

(え…え…?)

徐々に体温が上昇し、首の上へと集まっていく。
どうしたことか、胸がきゅんとなり、呼吸が苦しくなる。
症状としてはトランスの使い過ぎの時に似ているが、最近能力を使った覚えはない。
それに、この感覚はトランスの症状の時とは違い、不快ではなかった。
苦しいのに、切なくて、胸がぽかぽかする。

(こ、これは一体…)

初めての感覚に翻弄され、金色の少女は戸惑いを隠せない。
ぎゅうっと握り締められた手に胸の温度が移り始める。
ぶんぶんと首を振り、熱を追い出そうとするも、少年の顔を思い浮かべるたびに体温が上昇していく。
ならば、と他の事を考えようとしても何故かリトのことが頭から離れない。
一体自分はどうしてしまったのか。
わけのわからない症状にヤミは軽い混乱に陥ってしまう。

(と、とにかくどこか人のいないところへ…)

原因は不明だが、体調が優れないのは事実。
今刺客に襲われては碌な抵抗もできないだろう。
危機感を感じたヤミはなるべく平静を装いながら校舎を出るべく歩を進めていく。
しかし、金髪に黒衣、しかも美少女と目立つ要素しかない彼女がよたよたと歩いていれば
それに目を留めた人間が心配をしないはずがない。

「ったく、酷い目にあった…でも春菜ちゃんからチョコもらえたし…って、あれ、お前?」

そう、その人間がお節介でお人よしな人物であれば尚更。
特に、自分の命を狙ってきた女の子に親切にできるような少年であれば――

「ゆ、結城…リト…っ」

どくんっ。
その少年の姿が視界に入った瞬間、一際強く少女の胸の鼓動が高鳴った。
かあっと頬に熱が集まり、赤面していくのがわかる。

「こ、金色の闇!? 一体どうしてこんなところに…いや、それよりお前大丈夫か!?」

通常の状態とはほど遠い少女の姿にリトは心配の表情で駆け寄っていく。
だが、今のヤミとってそれはまずかった。
一歩一歩距離が縮まるごとに鼓動の大きさが増していくのだ。
彼にこの音が聞こえてしまうのではないか。
そう心配になるほどのドキドキがヤミの身体の中で跳ねる。

「大丈夫、です。私に構わないで下さい…」
「そんな真っ赤な顔して大丈夫なわけないだろ!? とりあえず保健室にっ」
「あっ…!」

ビクッ!
少年の背中に背負われる格好になったヤミの全身が硬直する。
戦闘者としてあるまじき隙だらけの瞬間。
だが、その時少女の脳裏に走ったのは後悔でも反省でもなかった。
まるで身体全体が浮き上がるかのような心地よい感情。
そういった経験がない故に、その感情がわからずヤミはリトから降りるべく身体を動かす。
しかし身体は主の意に反して少年の背から離れたくないとばかりに動かない。
いや、むしろより密着するかのように前へと倒れていくではないか。

(大きい背中……っ、私は、何を考えて…)

振動に揺られながらもヤミは不思議な安心感を感じていた。
少女はこうして男に背負われるということは初めての経験だった。
だが、不快感は全く感じない。
むしろ心地よさだけが胸に広がっていく。

「よし、ついたぞ! って御門先生いないのかよ? 一体どこに…」
「だ、大丈夫ですから…とにかく降ろしてください」
「でも…」
「少し休めば問題ありません。だから…」
「…わかった。でも無理はすんなよ?」
「あ…」

とすん、とベッドの上に降ろされたヤミは思わず残念そうな声を上げてしまう。
自分から降ろしてと頼んだのに、何故こんな気持ちになってしまうのか。
黒衣の少女はベッドに腰掛けながら再度胸元で手をぎゅっと握り締める。

「く、苦しいのか?」
「はい…い、いえ。大丈夫です。これは一時的なものだと思いますから」
「だけど…」

心配そうに覗き込んでくる少年の顔にヤミは思わず目をそらす。
既に胸のドキドキは最高潮に達していた。
このままではどうにかなってしまいそうだ。
ヤミは無意識のうちにチョコを口に運んでいた。
身体が栄養を求めたのか、それとも他に気を向けなければまずいと感じたのか。
だが、その試みはこの状況において最悪の一手だった。
何故ならば、そのチョコこそが今の状況の元凶ともいえる存在だったのだから。