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その2.問題提示」(2007/08/07 (火) 14:27:45) の最新版変更点

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―2― 教会の中には、孤児達が住まう孤児院と、正式に教会入りした幼いセントロザリオとアリスキュアが泊まる寮があり、その二カ所と昼間の“教室”と呼ばれる部屋では、まだ幼い子ども達の声がいつも響いている。 仮にも教会に属している場所ではあるのだが、シスターやビショップ、そして卒業が近い者達を除けば思慮分別にはまだ欠けるだろう子ども達ばかりであり、教室の他の場所と比べれば騒がしいものである。 とはいえ、年少期の少年少女は遊びたい盛りの真っ最中でもあるので、時と場合、そして限度を越えない間は指導者である教会の教員達は黙認していた。 ……要するに、授業時間外の年少組の教室はいつものごとく子ども達の声で賑わっていた。 「ゆきちゃーん、教えてほしいところがあるんだけどー」 その中で、比較的おとなしいか真面目な部類に入る組は、隅の方の席で勉強の復習などをしていることもあり、この日もそれは例外ではなかった。 「分数の割り算ってよくわからなくて……」 ユキの席まできた女の子は、算数の教科書を広げて問題の箇所を指差しながら質問する。 なんと言うことはない、言葉通りただの分数の割り算で、それほど難易度は高くないだろう。 「“分数で割る”ってどういうことなのかなーって……」 真剣に首を捻ながら、先の言葉にそう付け加える。 この質問は、分数で割るとはどういう状況なのか? といったもので、解法を求めているわけではない。 その程度のことなら、あとの数字の上下を逆にすればいいと分かっている。 それを察したユキは、自分のノートの一ページに、簡単な文章を書き込みはじめた。 “1/2個のリンゴを、一回で1/4個食べたら、何回食べられる?” それは、答えというよりは文章題。 しかし、問われた理屈に答えるには十分な一言だった。 「えーっと、半分を半分の半分ずつ食べるから……二回?」 サラサラと問題の横に円を書き、それを半分に割るように線を入れ、さらにもう半分に線を入れて、その部分を塗り潰す少女。 その横で、ユキは“1/2÷1/4=2”と“1/2×4=2”という式を書き込んでいた。 「んー………っあ、そっか、だからこっちの数字を逆さまにするんだ」 とりあえずはそれで納得できたのか、そうくちにしながらぱあっと明るく笑う。 それを目にしたユキはニコリと笑うと、さらにもう一筆、“あまりむずかしく考えないで、さかさまにすればいいだけだから”と書き加えた。 「ありがと、そっかー割り算ってそんなふうにも使えるんだ」 無邪気に喜ぶその姿は誰がみても微笑ましい。 ……真面目なのはいいことなのだが、そういった子はこんなあまり気にしなくてもいいよいなところにひっかかると、そこから先に進めなくなることが多いという。 ユキは、口が聞けないながらも時おりこうやって話しかけられることは少なくなかった。 元々の気質なのか、そういった時には今のように真面目に切り返し答えるために、それなりにクラスメイトからは好かれていた。 「おいリコ、そんなやつに教えてもらってんじゃねえよ!」 ……もっとも、それは一部の偏見持ちな者を除いて、の話ではあるが。 「なによ、ゆきちゃんより算数出来ないくせに」 そして、“彼”が出てきた時には必ずと言っていいほど言い争いがおこる。 その少年の名前はアレン。 強気でやや強情な、ユキのクラスメイトの一人である。 「知るかよ。いちいち紙に書かないと話も出来ないやつだぜ? 言いたいことあるならちゃんと言えよ、イライラする」 「あんたねぇ、ゆきちゃんのこと知ってるでしょ!!」 ……言い争いの内容は、常にユキの言葉の事である。 子どもというものは基本的に言葉に遠慮がなく、時にはただの言い争いからいくところまで発展してしまうこともある。 アレンのユキに対する態度も最初は口が聞けないことをからかった程度のものだったが、数ヶ月の間にその小さな感情は大きな嫌悪感にまで発展しているようだった。 ……加えて、そんな彼からユキをかばう少女――リコという存在もあり、対抗心にも似た何かが、その関係を悪化させていた。 「口も聞けないやつなのに、どう理解するんだよ」 「だからゆきちゃんは字を書いたりしてくれるし、私たちだって手話とか覚えたらゆきちゃんともっと話せるようになるでしょ!? ……って、ゆきちゃんなんでとめるの!?」 ……そんな争いが言い争いでとどまっているのは、他でもないユキ自身の存在だった。 彼女自身は、そういったことを望んでなどいない。 ただ、自分のために周りが怒ったり泣いたりするのが嫌で、いつも間に割り込んで、その言葉をとめるのだ。 「ふん、いい子ぶってんなよ」 「あんたねぇ……」 それでも、互いに悪態をつくのは収まらないことが多く、そのまま後に引きずっていくこともある。 とはいえひとまずは争いも止まるので、今の所は大きな問題には発展してはいないのだが…… 「……よし、だったらこのカバンよこせ! そしたら考えてやるよ」 「――っ!」 アレンが怪しい笑みを浮かべたかと思うと、ユキの席の足下に置かれていた、白いアタッシュケース風のカバンを取り上げていった。 その一瞬の行動に、ユキは声にならない声を上げて、あわててそのカバンへと手を伸ばそうとした。 「へへーん、とれるもんならとってみろ!」 片手で高く持ち上げて、もう片方の手でユキの手をさばくアレン。 元々からある数センチの身長差などもあり、このままではとても取り返せるようには見えなかったが…… 「こーら、あんたたちいいかげんにしなさい」 「げ」 「あっ、エルナ先生」 スタスタと早足に歩み寄り、どこか呆れたような目で三人を見据えるエルナ。 いつのまに教室に入って来ていたのかはわからないが、どうやら先ほどまでのやり取りをその目で見ていたらしい。 「アレン君? 『げ』ってどういう意味かな~?」 などと言いながら、アレンが持ち上げていたカバンをひょいと取り上げるエルナ。 そしてそれは、流れるような動作でユキの手に受け渡される。 「……な、なんでもねぇよ」 おもいっきり目をそらしながら答えるその態度は、周囲の目にはとても”なんでもない”という風には映らなかった。 が、とりあえずこの場はそれで引き下がったのか、妙な凄味のある笑顔を解くエルナ。 ……これは毎回のことなのか、その一連のやりとりには妙な慣れのようなものが見え隠れしている。 「まぁいいわ。 それよりあなたもユキの事はわかってるでしょ? 言葉を口に出来なくても、理解してあげる事はできるはずよ」 「……」 「ユキだって、こうやって文字盤やメモを使って、少しでも話をしようってしてくれてるのに、なんでそんな事するの」 「…………」 説教が耳にはいっているのかいないのかも分からず、ただ黙って問いに答えることもない。 子どもに限らず、人間自分に不利な状況ではとってしまいがちな行動ではあるのだが…… こういう行動をするということは、自分の行動が怒られても仕方のないことだと判っているはずなのである。 正しいと思っているなら、反論の一つもして入るだろう。 「……ふぅ、まったく。 今はこれで勘弁するけど、本気で怒るわよ」 ぺしっ、とアレンにでこぴんすると、すっとその場を離れて教壇の方へと歩いていくエルナ。 ……教室の外から、時を知らせる鐘の音が聞こえてくる。 それは、今から午後の授業が始まるという知らせだ。 「それじゃ、授業に入る前に臨時の先生を紹介するわよー」 そして、そんな呼びかけと同時に教室中に散っていた生徒達が、各自の席に戻っていく。 ユキの元に来ていたふたりも、互いに睨みあいながらそれぞれの場所へと帰って行った。 直後に教室へと足を踏み入れた臨時教師――シアの姿を見て、ユキをはじめとした孤児院からの生徒達は、今まで以上の盛り上がりを見せたのは言うまでもないことだろうか。 「……エルナのクラスでああいう子がいるのは珍しいわね」 ――その後、授業を終えて再びエルナの自室に戻ってきたシアとエルナの二人は、先程目にした光景について再び話し合う体勢に入っていた。 授業の間は、多少の騒がしさはあるもののまだ大人しいものではあるが、やはり授業の間に挟む休憩時間はある意味戦争のような様相を見せる。 その騒がしさも平和的なものであれば何も言う事は無いのだが…… 「何十人もいれば、ああいう子の一人や二人は確実にいるものよ。 去年まではたまたま上手くいっていただけじゃないかしら」 「それは確かにそうだけど……」 基本的に、エルナが受け持つ生徒達は他人に対しての理解が深く育っている事が多く、型破りな性格というのは否定できない要素ではあるが、指導者としての能力は確かに認められている。 ……アレンに関して言えば、まだ生徒として教会に入ってから数か月程度という理由もあるかもしれない。 しかし、教会入りした当初から見れば確実にその態度は悪化しており、クラスの和を乱す要因となっているのもまた事実。 「度が過ぎたら本気で鉄拳制裁も考えてるわ」 「……それはさすがにどうかと思うけど、あのままではあの子自身のためにもよくないわね。 他の子達は、ユキに対して好意的なんでしょう?」 「……うーん、アレンと同じような意識を持ってる子なら、二、三人くらいはいると思うけど、表立って口にしてるのはあの子だけね」 「だとすれば、あのまま放置しておけば孤立するのはアレン君自身ね…… 皆がユキに大して受け入れる体勢の中で、一人だけ否定していては……」 「私もそれが心配なのよねー。 まぁでも、時間がかかってもなんとかするつもりよ」 はぁ、と溜息混じりに笑いながら、紅茶を一口すするエルナ。 ……仮にも人様の子を預かっている以上、この件に関しては人一倍気を使っているのだろう。 その表情には、疲れのようなものがちらちらと浮かんでいるかのようだった。 「そうそう、話かわるけどいいかしら?」 それを察したシアは、とりあえず気分を変えようと別の話題を提示する。 エルナがそんなシアの意思を理解したか否かは不明だが、”ん?”とでも言うように表情をかえると、特に間も開けずコクリと頷いていた。 「ユキのもっていたあのアタッシュケース、見たこと無いものだったけど、どうしたの?」 先ほどの教室で、アレンがユキから取り上げようとした白い小型のアタッシュケース。 シンプルな十字架がモチーフとして装飾されており、教会の生徒に渡される備品と言っても違和感はないデザインだったが、実際にあのようなケースが配られた例は無い。 「ああ、ギルドのみんながユキの教会入りと誕生日のお祝いにって用意したものらしいわよ」 「……誕生日プレゼント?」 今年のユキの誕生日に限っては、ユキがアリスキュアでリエステールから出る事がかなわないという状況から、リックテール側に仕事で向かっていたシアは顔を合わせる事が出来なかった。 ……それでも、その当日に彼女へと手紙が届くようにしたのはなかなか評価されるべき行動だろう。 「うん、セレスティアガーデンってお店知ってる? あそこで作ってもらった特注品らしくて、見た目よりかなり高価だとか……」 「…………それは……ちょっとまずいんじゃ……?」 基本的に、教会に置いてはアリスキュアやセントロザリオの時代は『禁欲』の戒律があり、必要以上の物品の所持は認められていない。 確かにモノを持ち運ぶために必要なカバンの所持くらいならば認められているが……それも限度はある。 「まぁデザインはいかにも教会に属してますって感じだし、お上も認めてるわ。 価値を知らないっておもしろいわよね」 あははは、と笑いながらそう口にするエルナ。 他人に聞かれると色々と不利になりかねない発言なのだが、それは分かっているのだろうか。 「そんな顔しないでよシア。 とりあえず本人が喜んでるからいいじゃない」 「ああいえ、やっぱり私も一人の人間なんだなぁと思って……」 「ん? どういう意味?」 ……もしそんなものを持っているのがそれまで無関係だった子なら、取り上げるとはいかなくてもできるだけ持ち歩かないようにそれとなく注意はしていたかもしれない。 しかし、相手は数年連れ添った大事な『妹』であり、やはり親心、姉心といったものは確かに存在していた。 「ううん、なんでもない」 まぁ、わざわざ口にしなくてもエルナなら自分の心理状態くらい分かっているだろう。 そう思い、何も言わずに微笑むだけに留めておいた。 ………と言うよりは、どういう意味? と問いただすエルナのその表情は、思いっきりニコニコと笑っていたのである。 [[<<前へ>その1.母親面談]]     [[次へ>>>その3.Chapel Deck]]
―2― 教会の中には、孤児達が住まう孤児院と、正式に教会入りした幼いセントロザリオとアリスキュアが泊まる寮があり、その二カ所と昼間の“教室”と呼ばれる部屋では、まだ幼い子ども達の声がいつも響いている。 仮にも教会に属している場所ではあるのだが、シスターやビショップ、そして卒業が近い者達を除けば思慮分別にはまだ欠けるだろう子ども達ばかりであり、教室の他の場所と比べれば騒がしいものである。 とはいえ、年少期の少年少女は遊びたい盛りの真っ最中でもあるので、時と場合、そして限度を越えない間は指導者である教会の教員達は黙認していた。 ……要するに、授業時間外の年少組の教室はいつものごとく子ども達の声で賑わっていた。 「ゆきちゃーん、教えてほしいところがあるんだけどー」 その中で、比較的おとなしいか真面目な部類に入る組は、隅の方の席で勉強の復習などをしていることもあり、この日もそれは例外ではなかった。 「分数の割り算ってよくわからなくて……」 ユキの席まできた女の子は、算数の教科書を広げて問題の箇所を指差しながら質問する。 なんと言うことはない、言葉通りただの分数の割り算で、それほど難易度は高くないだろう。 「“分数で割る”ってどういうことなのかなーって……」 真剣に首を捻ながら、先の言葉にそう付け加える。 この質問は、分数で割るとはどういう状況なのか? といったもので、解法を求めているわけではない。 その程度のことなら、あとの数字の上下を逆にすればいいと分かっている。 それを察したユキは、自分のノートの一ページに、簡単な文章を書き込みはじめた。 “1/2個のリンゴを、一回で1/4個食べたら、何回食べられる?” それは、答えというよりは文章題。 しかし、問われた理屈に答えるには十分な一言だった。 「えーっと、半分を半分の半分ずつ食べるから……二回?」 サラサラと問題の横に円を書き、それを半分に割るように線を入れ、さらにもう半分に線を入れて、その部分を塗り潰す少女。 その横で、ユキは“1/2÷1/4=2”と“1/2×4=2”という式を書き込んでいた。 「んー………っあ、そっか、だからこっちの数字を逆さまにするんだ」 とりあえずはそれで納得できたのか、そうくちにしながらぱあっと明るく笑う。 それを目にしたユキはニコリと笑うと、さらにもう一筆、“あまりむずかしく考えないで、さかさまにすればいいだけだから”と書き加えた。 「ありがと、そっかー割り算ってそんなふうにも使えるんだ」 無邪気に喜ぶその姿は誰がみても微笑ましい。 ……真面目なのはいいことなのだが、そういった子はこんなあまり気にしなくてもいいよいなところにひっかかると、そこから先に進めなくなることが多いという。 ユキは、口が聞けないながらも時おりこうやって話しかけられることは少なくなかった。 元々の気質なのか、そういった時には今のように真面目に切り返し答えるために、それなりにクラスメイトからは好かれていた。 「おいリコ、そんなやつに教えてもらってんじゃねえよ!」 ……もっとも、それは一部の偏見持ちな者を除いて、の話ではあるが。 「なによ、ゆきちゃんより算数出来ないくせに」 そして、“彼”が出てきた時には必ずと言っていいほど言い争いがおこる。 その少年の名前はアレン。 強気でやや強情な、ユキのクラスメイトの一人である。 「知るかよ。いちいち紙に書かないと話も出来ないやつだぜ? 言いたいことあるならちゃんと言えよ、イライラする」 「あんたねぇ、ゆきちゃんのこと知ってるでしょ!!」 ……言い争いの内容は、常にユキの言葉の事である。 子どもというものは基本的に言葉に遠慮がなく、時にはただの言い争いからいくところまで発展してしまうこともある。 アレンのユキに対する態度も最初は口が聞けないことをからかった程度のものだったが、数ヶ月の間にその小さな感情は大きな嫌悪感にまで発展しているようだった。 ……加えて、そんな彼からユキをかばう少女――リコという存在もあり、対抗心にも似た何かが、その関係を悪化させていた。 「口も聞けないやつなのに、どう理解するんだよ」 「だからゆきちゃんは字を書いたりしてくれるし、私たちだって手話とか覚えたらゆきちゃんともっと話せるようになるでしょ!? ……って、ゆきちゃんなんでとめるの!?」 ……そんな争いが言い争いでとどまっているのは、他でもないユキ自身の存在だった。 彼女自身は、そういったことを望んでなどいない。 ただ、自分のために周りが怒ったり泣いたりするのが嫌で、いつも間に割り込んで、その言葉をとめるのだ。 「ふん、いい子ぶってんなよ」 「あんたねぇ……」 それでも、互いに悪態をつくのは収まらないことが多く、そのまま後に引きずっていくこともある。 とはいえひとまずは争いも止まるので、今の所は大きな問題には発展してはいないのだが…… 「……よし、だったらこのカバンよこせ! そしたら考えてやるよ」 「――っ!」 アレンが怪しい笑みを浮かべたかと思うと、ユキの席の足下に置かれていた、白いアタッシュケース風のカバンを取り上げていった。 その一瞬の行動に、ユキは声にならない声を上げて、あわててそのカバンへと手を伸ばそうとした。 「へへーん、とれるもんならとってみろ!」 片手で高く持ち上げて、もう片方の手でユキの手をさばくアレン。 元々からある数センチの身長差などもあり、このままではとても取り返せるようには見えなかったが…… 「こーら、あんたたちいいかげんにしなさい」 「げ」 「あっ、エルナ先生」 スタスタと早足に歩み寄り、どこか呆れたような目で三人を見据えるエルナ。 いつのまに教室に入って来ていたのかはわからないが、どうやら先ほどまでのやり取りをその目で見ていたらしい。 「アレン君? 『げ』ってどういう意味かな~?」 などと言いながら、アレンが持ち上げていたカバンをひょいと取り上げるエルナ。 そしてそれは、流れるような動作でユキの手に受け渡される。 「……な、なんでもねぇよ」 おもいっきり目をそらしながら答えるその態度は、周囲の目にはとても”なんでもない”という風には映らなかった。 が、とりあえずこの場はそれで引き下がったのか、妙な凄味のある笑顔を解くエルナ。 ……これは毎回のことなのか、その一連のやりとりには妙な慣れのようなものが見え隠れしている。 「まぁいいわ。 それよりあなたもユキの事はわかってるでしょ? 言葉を口に出来なくても、理解してあげる事はできるはずよ」 「……」 「ユキだって、こうやって文字盤やメモを使って、少しでも話をしようってしてくれてるのに、なんでそんな事するの」 「…………」 説教が耳にはいっているのかいないのかも分からず、ただ黙って問いに答えることもない。 子どもに限らず、人間自分に不利な状況ではとってしまいがちな行動ではあるのだが…… こういう行動をするということは、自分の行動が怒られても仕方のないことだと判っているはずなのである。 正しいと思っているなら、反論の一つもして入るだろう。 「……ふぅ、まったく。 今はこれで勘弁するけど、本気で怒るわよ」 ぺしっ、とアレンにでこぴんすると、すっとその場を離れて教壇の方へと歩いていくエルナ。 ……教室の外から、時を知らせる鐘の音が聞こえてくる。 それは、今から午後の授業が始まるという知らせだ。 「それじゃ、授業に入る前に臨時の先生を紹介するわよー」 そして、そんな呼びかけと同時に教室中に散っていた生徒達が、各自の席に戻っていく。 ユキの元に来ていたふたりも、互いに睨みあいながらそれぞれの場所へと帰って行った。 直後に教室へと足を踏み入れた臨時教師――シアの姿を見て、ユキをはじめとした孤児院からの生徒達は、今まで以上の盛り上がりを見せたのは言うまでもないことだろうか。 「……エルナのクラスでああいう子がいるのは珍しいですね」 ――その後、授業を終えて再びエルナの自室に戻ってきたシアとエルナの二人は、先程目にした光景について再び話し合う体勢に入っていた。 授業の間は、多少の騒がしさはあるもののまだ大人しいものではあるが、やはり授業の間に挟む休憩時間はある意味戦争のような様相を見せる。 その騒がしさも平和的なものであれば何も言う事は無いのだが…… 「何十人もいれば、ああいう子の一人や二人は確実にいるものよ。 去年まではたまたま上手くいっていただけじゃないかしら」 「それは確かにそうですけど……」 基本的に、エルナが受け持つ生徒達は他人に対しての理解が深く育っている事が多く、型破りな性格というのは否定できない要素ではあるが、指導者としての能力は確かに認められている。 ……アレンに関して言えば、まだ生徒として教会に入ってから数か月程度という理由もあるかもしれない。 しかし、教会入りした当初から見れば確実にその態度は悪化しており、クラスの和を乱す要因となっているのもまた事実。 「度が過ぎたら本気で鉄拳制裁も考えてるわ」 「……それはさすがにどうかと思いますが、あのままではあの子自身のためにもよくないですね……。 他の子達は、ユキに対して好意的なんでしょう?」 「……うーん、アレンと同じような意識を持ってる子なら、二、三人くらいはいると思うけど、表立って口にしてるのはあの子だけね」 「だとすれば、あのまま放置しておけば孤立するのはアレン君自身ね…… 皆がユキに大して受け入れる体勢の中で、一人だけ否定していては……」 「私もそれが心配なのよねー。 まぁでも、時間がかかってもなんとかするつもりよ」 はぁ、と溜息混じりに笑いながら、紅茶を一口すするエルナ。 ……仮にも人様の子を預かっている以上、この件に関しては人一倍気を使っているのだろう。 その表情には、疲れのようなものがちらちらと浮かんでいるかのようだった。 「そうそう、話かわるけどいいかしら?」 それを察したシアは、とりあえず気分を変えようと別の話題を提示する。 エルナがそんなシアの意思を理解したか否かは不明だが、”ん?”とでも言うように表情をかえると、特に間も開けずコクリと頷いていた。 「ユキのもっていたあのアタッシュケース、見たこと無いものだったけど、どうしたんですか?」 先ほどの教室で、アレンがユキから取り上げようとした白い小型のアタッシュケース。 シンプルな十字架がモチーフとして装飾されており、教会の生徒に渡される備品と言っても違和感はないデザインだったが、実際にあのようなケースが配られた例は無い。 「ああ、ギルドのみんながユキの教会入りと誕生日のお祝いにって用意したものらしいわよ」 「……誕生日プレゼント?」 今年のユキの誕生日に限っては、ユキがアリスキュアでリエステールから出る事がかなわないという状況から、リックテール側に仕事で向かっていたシアは顔を合わせる事が出来なかった。 ……それでも、その当日に彼女へと手紙が届くようにしたのはなかなか評価されるべき行動だろう。 「うん、セレスティアガーデンってお店知ってる? あそこで作ってもらった特注品らしくて、見た目よりかなり高価だとか……」 「…………それは……ちょっとまずいのでは……?」 基本的に、教会に置いてはアリスキュアやセントロザリオの時代は『禁欲』の戒律があり、必要以上の物品の所持は認められていない。 確かにモノを持ち運ぶために必要なカバンの所持くらいならば認められているが……それも限度はある。 「まぁデザインはいかにも教会に属してますって感じだし、お上も認めてるわ。 価値を知らないっておもしろいわよね」 あははは、と笑いながらそう口にするエルナ。 他人に聞かれると色々と不利になりかねない発言なのだが、それは分かっているのだろうか。 「そんな顔しないでよシア。 とりあえず本人が喜んでるからいいじゃない」 「ああいえ、やっぱり私も一人の人間なんだなぁと思って……」 「ん? どういう意味?」 ……もしそんなものを持っているのがそれまで無関係だった子なら、取り上げるとはいかなくてもできるだけ持ち歩かないようにそれとなく注意はしていたかもしれない。 しかし、相手は数年連れ添った大事な『妹』であり、やはり親心、姉心といったものは確かに存在していた。 「いいえ、なんでもありません」 まぁ、わざわざ口にしなくてもエルナなら自分の心理状態くらい分かっているだろう。 そう思い、何も言わずに微笑むだけに留めておいた。 ………と言うよりは、どういう意味? と問いただすエルナのその表情は、思いっきりニコニコと笑っていたのである。 [[<<前へ>その1.母親面談]]     [[次へ>>>その3.Chapel Deck]]

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