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―7―






「う……わぁ……」
3人で覗きこむのは、東の窓。
そこから見えるのは、太陽が昇り、一日の始まりを告げる東の空。
そして眼下に広がるのは、空を光で染める太陽に照らされた、雲の都……
「街は朝霧に包まれて、まるで雲の海に浮かぶように」
ソールは、アウロラの横で楽しそうに微笑みながら、町のその様を眺めている。
それは、肌寒い空気から生み出されし朝霧に沈んだ、リエステールの街そのもの。
もし、空を流れる雲の上に街があるとするならば……きっと、こんな光景に違いない。
そう思わせる程街は白い霧に包まれ、そして昇り始めた朝日の朱を反射し、ただ美しく輝いていた。
「……こんな景色が……こんなところに……」
街そのものという身近すぎて、誰も気付かない世界。
凍るような空気が満ちる、冬の朝にしか望む事のできない、大自然の奇跡。
高い塔を登りつめたという疲れも忘れ、アウロラはただ目の前の光景に目を奪われていた。
「んー、わざわざ早起きしたかいがあったわねー。 私もコレ見るの久しぶりよ」
エルナも、素直に眼前に広がる世界への感想を漏らしていた。
―もう少し日が経てば、この街ではきっと見れなくなる。
けれどこの光景は、高い高い時計塔のあるこの街でしか見ることのできないものでもある。
……雲に沈み、朝日に照らされるリエステール。
気付けば、スケッチブックを手に、筆を手にする自分の姿があった。


――――――――――……・・・・・


「できた?」
あれから、1時間は経っただろうか。
アウロラが一心不乱に走らせていた筆の動きを止め、エルナはその様子をひょいと横から覗きこんでいた。
……外の景色からは、すでに白い霧は消え去りつつある。
「いえ……いくら私でも、これだけの道具では……」
アトリエの外だからといって、本当に最低限の絵具しかもってきていなかった事が悔やまれる。
けれどあの一瞬の光景は、確かにその目に焼き付いていた。
何が何でも描きあげてみせる……そんな気持ちになったのは、どれだけぶりだろうか。
「……ソールちゃん。 やっぱり私、絵から離れる事なんてできないみたい」
ふっと微笑んで、未だに窓から外を眺めているソールにむけて、そう口にする。
すると、ソールはくるりと軽やかに振り返り、いつも通りのひだまり笑顔を浮かべて、口を開いた。
「アロちゃん、やっと笑ったね」
「……え?」
「昨日のアロちゃん、全然笑ってくれなかったから、私も楽しくなかった。 せっかく友達になれたのに、そんなんじゃつまらないもん」
「……うん、そうだったかも」
笑顔を浮かべなかったわけじゃない。 楽しくなかったわけじゃない。
それでも、本当に心の底から笑う事はできていなかった。
……それもそのはず。 心の底に暗い想いを抱いていれば、明るい気持ちも外に出せなくなる。
それでも、今はそんなものは吹き飛んでしまったかのように、自然と笑みがこぼれていた。
「……あのさ、ひとつないしょ話があるんだけど、聞いてくれる?」
だから、もう暗いもの全部吐き出してしまおう。
自分自身の汚点でもあり、なくしてしまいたい過去も、全部。







「……私が描けなくなった理由は、ホントは全部わかってた。 絵を描く事が、意味が無いように思えたから」
それは、もう1年近く前になるだろうか。
『春の息吹』を発表して、それを世間に送り出した後の事だった。
「あの時も、みんな私の絵を楽しみに見に来てくれていた。 それは、嬉しかった……それだけ、私の絵が認められてるってことだから」
それでも、どんな世界であっても世間と言うものには『裏側』というものが存在する。
自分が手がけた覚えの無い、知らない作品がどこかで出回っているという噂を耳にした事が、全ての始まりだった。
「ニセモノでも、私の名前を使うだけでみんなが有り難がって見に行くって知って……私、ひとつだけ試してみたことがあったの」
それは今思えば、自分の絵を見てくれる人達に対しての侮辱以外の何者でもなかった。
ニセモノが出回っていること自体が、自分を傷つけるものではあったけれど……この行為は、誰よりも自分が許せない行為となってしまった。
「『ウツロノユメ』……あの絵は、私が最後に描いた一枚で、最悪の一枚でもある……」
半年前に描き上げたその一枚は、アウロラ自信のある意図が仕込まれていた。
見る者を試す……ただ、みんなに見て貰いたいだけだったはずの自分が、決して求めたくはなかった意図が。
「……手を抜いて描いたの。 みんなが、本当に『絵』を見てくれてるのかどうか、知りたくて」
……その結果は、見る側の人間が最も分かっているだろう。
”ますます冴え渡る筆使い” ”画聖アウロラ、さらなる高みへ”
そんな言葉が、『ウツロノユメ』に対して向けられる全てだった。
「全然、嬉しくなかった。 みんな『絵』を見ていない……見ているのは、絵の後ろにいる『私』の名前……それに気付いちゃったから……」
何より、それは絵画という世界に対しての侮辱。
わざと手を抜いて描くという、自信のプライドにもかかわる行為を、自分はしてしまったのだ。


「……ねぇ」
落ち込んだように目を伏せるアウロラの肩に、ぽん、とエルナの手が触れる。
「私、あの絵を見て変だと思ってたのよ。 なんだか気が抜けてると言うか、見た目だけ飾り付けてるみたいで、好きになれなかった」
「エルナさん……」
「それまでのあなたの絵は、自然の景色をそのまま描いている気持ちのいいものだったから。 でも、謎が解けてスッキリしたわ」
ふふっ、と笑ってそう口にするエルナに、アウロラもなんとなく笑みがこぼれていた。
……少なくとも一人、伝えたい想いを見てくれてる人がいた……そう知る事が出来ただけで、どことなく、満たされた気分になる。
今日、ここに来てよかった……ただ、理屈も無くそう思えたのも、どれだけぶりだろう。
「ソールちゃん、エルナさん、ありがとう……なんだか、元気が出てきました」
「んー? 私は何もして無いよ。 ただ、この景色を見せたかっただけだし」
「うんうん、そんな深く考えてたら、キリがないわよ」
二人の返事を聞いて、アウロラは今度は声に出して笑っていた。
そう、自分はただ絵が描きたかっただけ……変に深く考えてしまったから、絵そのものを嫌いになっていた。
それだけなのだ。
「……今なら、昔みたいに何も考えずに描けそう。 今の景色、絶対カンバスに描きとめてみせます!」
「うん、その意気その意気。 今日の案内料は、完成したら一番初めに見せて貰うのでいいわよ♪」
「はい、約束します、エルナさん。 ……ソールちゃんも、絶対見に来てね」
「そだね、気が向いたら見に行くよー」
ソールはそう答えると、再び光に包まれて、元の小さな妖精の姿に戻る。
そうして、粉のような光の粒を巻きながらアウロラの周りを飛び回ったかと思えば、窓から外へと飛び出し、一言言い残して、朝日の中へと消えて行った。

「ガンバレ、未熟者♪」

……一瞬、沈黙に包まれる展望室。
ぱっと聞けば、人をけなすかのような物言いだったが……
「あはははは、言われちゃったわねー、ア・ロ・ちゃん?」
「いいんです。 そのとおりですから」
「……でも、太陽の祝福を受けたんだから……ホントにがんばらないと、失礼よね」
「そんなの、言われるまでも無いですよ」
見ると、彼女が振り撒いて行った光の粉は、もう消えてしまっていた。
……それでもアウロラは、自分の中に日の光にも似た暖かな希望が、確かに根付いているように感じていた。

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