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その4





「おはようございます、ヴァイおにいちゃん、リスティおねえちゃん」
発声訓練二日目の朝。
未だユキの身体のままのリスティがヴァイと朝食の準備をしていると、それぞれの寝室へと続く廊下へのドアの方から、二人には聞きなれた声が聞こえてきた。
……そう、それはユキの精神が宿る、リスティの声。
「……ああ、ユキか……」
リスティの姿と声で”ヴァイおにいちゃん”などと呼ばれるとは考えたこともなかったのか、一瞬動揺したように顔をしかめるヴァイ。
リスティはリスティで、まだ多少の硬さは見えるものの、たった一日でそこそこ流暢に話せるようになったユキの成長を喜んでいるようで、微笑んだまま、手話で挨拶を返している。
「お手伝いしていいですか?」
……元々聞く耳はあったので、それぞれの単語の発音のアクセントや意味、そして主語・述語・修飾語などの文法的な知識は、ユキは最初からしっかりと理解していた。
あとは、どうすれば「あいうえお」などの音をだせるか、どうすれば高い声、低い声を出せるか……そして、どうすれば一つ一つの音を続け、そしてアクセントをつけて出すことができるか。
それらを理解してしまえば、あとは単に慣れの問題となり、そこから先のユキの言葉使いは確実に上達していた。
ちなみに、自然と敬語が出るのは、ユキにとってはいつも近くにいるシアの言葉使いが標準的な形になっているのが理由と考えられる。
「……そこのをテーブルに」
「はーい」
あくまで個人的な意見だそうだが、ヴァイにとってはリスティが敬語じゃないのは精神的に認められないらしいので、そのクセは彼にとっては幸いだったのかもしれない。
まあ、やはり”さん”ではなく”おにいちゃん”とつけられるのは、あまり気分のいいものではないようだが。
……とはいえ、それが目に見えて表情に出るほどヴァイは分かりやすい性格はしていない。
その感情を察したのは、彼に一番近い位置にいるリスティくらいなものだろう。
「……」
リスティは、どことなく複雑な気分になりつつも、そんなヴァイの様子を心の中で少しだけ笑っていた。
素直に感情を出せないのが彼であるのはわかっているけれど、自分に”おにいちゃん”などと呼ばれて少しあわてていた彼の姿は、少し新鮮だったようだ。






―そして、午後。
もう詠唱の練習に入ってもいいだろう、とシアは判断したらしく、昨日と同じ一室で、ユキはシアの師事の元、聖術の基本中の基本である『リラ』の練習を始めていた。
まだ言葉には多少ムラが見受けられる気もするが、その点はリスティもエミリアも”許容範囲内だろう”と判断している。

「どうした? リスティ」
……ふと、聞こえてくる彼の声。
それは、時折見せてくれる、彼が自分のことを心配してくれているという、素直な表情。
リスティはすこし考えてから、なんでもない、とでも言うように首を横に振った。
「そうか。  ……辛くなったんだったら、元に戻すように俺から頼もうか?」
普段は分かりにくい彼の気持ちが分かるその瞬間は、不謹慎かもしれないが好きだった。
けれど、それは自分が彼に心配をかけているということになるので、できれば見たく無い顔でもある。
「……」
リスティはもう一度首を横に振り、心配ない、と言うように微笑みかけた。
……リスティは、ユキの身体になって、ひとつだけ思ったことがあった。
ヴァイは、普段は必要外に自分から話しかけてくるというのがあまりなく、会話が始まるきっかけといえば自分がふと漏らした言葉にたいする相槌から、といった感じだった。
だから、お話したい、と思うときは、自分から話しかけなければならないことが多く……いまこの状態では、それをするのも難しい。
―なんだか、もどかしいな―
そう思うと、知らずにため息が出ていた。
……ユキが、シアのことを何よりも大切に思い、本当の姉か母親のように慕っているのは傍から見てもよく分かる。
なら、もしかしたらいま自分が感じているような、思い通りに言葉を伝えられないというもどかしさを、自分以上に何度も味わっているのではないか……
そう思うと、自分の身体を返してもらうのは、もう少し後でもいいのではないか……そんな想いも、胸の奥に現れ始める。
もちろんそんな想いに流されたまま、一生このままでいようとは思わないし、さすがにそこまでは思えない。
―……あとで、ユキちゃんに聞いてみよう……―
そんなことを考えていると、ユキ本人は今の状況をどう感じているのか、それも気になってきた。
聖術の基盤となる精神的コンディションなどの部分はあらかじめシアに教わっていたらしいので、このペースならもう明日には元に戻ることになるだろう。
なら、元に戻る前に、一度訪ねてみてもいいかもしれない。
……そこまで考え至ったところで、リスティはこの場では考えるのをやめることにした。


―――そして、その夜……
リスティの身体を借りているということもあり、一昨日からシアとユキは教会の自室には帰らず、ギルド内の空き部屋を一室借りて寝泊りをしていた。
「どうしたんですか? リスティおねえちゃん」
リスティは、シアが一足先にその部屋に戻っていき、ユキが一人になったタイミングを見計らい、昼間考え至った疑問を口にすべく、彼女の服の裾を引っ張るようにして呼びかけた。
言葉がないのは、こういった動作をまじえて埋める事はできるが、それでも、それらの行動に対してどう感じるかは、本人次第なのだ。
……ユキが自分の方へと顔を向けたのを確認すると、手話で昼間の疑問を語りかける。
言葉を持たない自分を、もどかしく思った事は無いか。 そして、今手にしている言葉を、この先もずっと持ち続けていたいか……
「……うーん……」
一通りリスティの言葉を目にすると、ユキは少し困ったような表情で、首をかしげてみせた。
見た限りでは、それはただのポーズではなく、本当に答えに迷っている雰囲気を見せている。
「わたしが喋れないのは生まれつきだったし……手話や文字盤を使えば、ちゃんとお姉ちゃん達ともお話できるし、それに、シアお姉ちゃんが、私のかわりに話してくれるから」
そうして出てきた言葉は、にこっと笑顔を見せながらのもので……ただ純粋に、考えた通りの事を言っているのだということが伺い知れた。
それはどこかシアの面影を見せる笑顔で、あの”母”にしてこの”子”あり、とはまさにこういうことをいうのかもしれない。
「でも、こうやって自分で声が出せるのは楽しかったです。 だけど、この体ってリスティおねえちゃんのだから、今日、ちゃんと返します」
そうして、ポケットからごそごそと取り出すのは、換魂の指輪の入った小箱。
そういえば、さっきティールから受け取っているのが目に入ったような気がする。
「……」
リスティは、その中に仕舞われている指輪の片割れに手を伸ばそうとして、少し思い留まった。
本当に、このまま元に戻って、この子にはなんの後悔も無いのだろうか?
自分自身の口で、何か一言でも言いたい事があるのではないか?
―大きなお世話と言われたらそれまでかもしれない。
しかし、自分は”カーディアルト”であり、人の心の内側を癒すのもその役目の一つ。
……できるだけ、後悔が残るようなまねはさせたくはない。
「……」
リスティは、そんな想いを託して、恐らくこの身体では最後になるだろう手話で、その心に呼びかけた。

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