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ものぐさも大切


基本的に、上に立つ者とは下の者の手本となり、誰よりも真面目であることが理想とされる。
実際問題、それが実行されている組織は多いかどうかといえば微妙なところだが……
ここ、リエステール大図書館の長は、紛れもなく反面教師教師的人物である。




「よっ。元気にやってるか?」
その日は、そんな一言から始まった。
……といってもすでに太陽は高く登り、もうすぐ正午を回りそうな時間帯ではあるのだが。
ここまで、誰一人としてこの場に来ることがなく、今日初めて顔を合わせたのがその人なのだから、あながちその一言から始まったなどという表現もまちがってはいない。
「…………」
だが、呼び掛けられた当人はあえてその声が聞こえていないかのように、おもむろに書類を取り出して目を通し始める。
「おいおい、無視はないだろ無視は」
そう言う表情に困った様子はなく、あくまでもへらへらと呑気な笑顔を浮かべていた。
「……半月ぶりですか? 館長」
それから数秒後、呼び掛けられた少女――フィロは書類から目を放し、目の前に立つ声の主、リエステール大図書館の館長の顔へと視線を向けた。
誤解のないように先に答えておくが、無視したのは別に愛想が尽きたとかそういう事ではなく、館長とフィロのお約束的なやりとりである。
「お願いですから、たまには仕事してください。他の司書達にも示しがつきません」
「有能な司書長が全部処理してくれるからな、俺の出番なんてないだろう」
特に反省した様子もなく、笑いながらそう口にする館長。
これもまあ、この二人にとってはいつものことなのだが、楽しんでいるのが片方だけというのもまた事実。
……フィロの表情は、こんなときでも無表情で、変化を見せることはない。
「それに今日は休館日だ。わざわざ俺が手を出す仕事なんてあるか?」
「休館日は仕事がない日ではありません。お客がいない時だからこそ出来る仕事もあります」
「どうせおわってんだろ? あっても司書どもに任せときゃ済む仕事だけだな」
「…………」
こういう瞬間は、自分の手際のよさが恨めしくなる。
普段からいない館長の仕事も兼任しているだけに、こういう時に突き付けられる仕事が残らないのだ。
……というか、来るときは仕事が終わったころを見越して来るのだから性質が悪い。
だからといっていつ来るかも分からない相手のために仕事を残しておく、などということをするのはまた愚行である。
今日できる仕事は今日に、午前中に出来る仕事は午前中に、一時間で出来る仕事は一時間で、がフィロのモットーだった。
「こういう時くらい休んでも怒る奴はいねーよ。館内庭園にでも俺とデートするか?」
「そういう軽口は、異性に言って下さい」
ふう、とため息をつきながら立ち上がるフィロ。
それは休みに出る事は承諾する、という意味。

……念のために、この場を借りて繰り返しておこう。
その言動や一人称から誤解されがちだが、館長はれっきとした女性である。




――館内庭園。
ここはいわゆる図書館の中庭で、貸し出しの手続きをふまなくとも本を持ち出すことのできる、空の見える数少ない空間のひとつである。
緑も豊富で景観もよく、それなりに広い上に静かなので、青空の下で本を読みたいと言う人には絶好のスポットである。
「いやー、シートでも広げて弁当でも食いたくなるな」
「片づけは自分でして下さいね」
女らしさとは全くもって無縁な感じに笑いながら、そんな事を口にする館長と、さらりとうけながすような返事をするフィロ。
基本的にこの場所はお客からもそういう目的で使われていることもあり、本を汚すようなことがない限りは飲食も認められていた。
まぁ汚れ、といってもある程度修復可能な場合は許容範囲なのだが、場合によっては弁償ということもあるので、そういう注意書きは庭園の入口あたりの看板に貼り付けられていたりする。
「はっはっは、頼むぞ、有能な司書長殿」
「嫌です」
「ふふ、まぁそう言っても誰かが片づけないと、客が入る時に景観が損われてるんだがなぁ」
「それを管理するのも館長の仕事です」
などと言いつつも、結局最終的に仕事をするのはフィロの役目だったりするのが悲しいところだろう。
しかも、それが客観的には全く問題にされなくなっているのがまた問題である。
本当に、このままでは他の司書達に示しがつかない……と、フィロは常々思っていた。
「今はともかくただでさえ仕事が詰まってるんですから、これ以上仕事を増やさないでください」
口調こそいつもと同じ淡々としたものではあったが、その表情には少しだけ怒りのようなものが差し込んでいるのが見て取れた。
普段――名前はあえて伏せるが、サボリの司書を怒る時も淡々とした表情だが……まぁ、それはそれで恐ろしい空気をかもしだしているのは否定できなかったりする。
「まったく、もっと余裕をもてないのかお前は」
「その余裕を持つための時間を奪っているのは誰ですか」
「いや、そーいう意味じゃなくてな?」
「……?」
一瞬、間が開いた。
その沈黙が意味するものは何か、そして館長の言葉の真意は何か。
すなわち、それを考えるための間。
……だが、ごく短いその時間では答えは出ず、フィロは首を傾げるだけだった。
「……ふん、分からないか? 全てを識(し)る者(セファー・ラジエル)湧き出ずる知識の源泉(シュクリファーデ)の名はそんなものかな」
「――っ……!」

我が声は空想と現実を繋ぐ鍵。書物に其の名と姿を宿す者達よ、契約の下にフィロ・ミリートが命ず。今ここに現想の扉を越え、我が前に出よ

――殆ど無意識の行動だった。
それも、その時に口にしたのは滅多と使わない上位精霊の召喚詠唱。
さらに長い『禁書』の詠唱をしなかったのは、まだ理性が働いていたからかもしれないが……
それでも、これを使ったという事実は、その瞬間の自身の感情の振れの大きさを物語っていることに他ならなかった。
「―妖精童話―『スプリガン』」
次の瞬間、フィロの背後に現れる巨大な体躯を誇る、戦士の影。
その手に持つ剣も、その身体に合わせるかのような巨大なもので――
それは、寸分の違いもなく館長の身体を狙いすましていた。
「―異説神話―『アスルカル』」
だが、その一撃は直後に出現した一つの盾に防がれる。

宝物を守護する巨大なる妖精――『スプリガン』
万物を遮るとされる神の盾――『アスルカル』

その召喚されたものの差は、この二人の書物の情報を具現化する召喚魔法、『空想結界』の能力の性質の違いを物語るもの。
フィロの『空想結界』は精霊・悪魔等の”意思有る存在”を呼び出すのに対し、館長の『空想結界』は剣や盾などの”意思無き存在”を具現する。
共に、文字以外の姿を持たぬ情報に、形を与える力。
そしてどちらが優れているということはなく、力そのものの差もこの二人の間には殆ど無かった。
「……私は、もう”人間”です。 その名で、呼ばないで下さい」
「”人間”か。 だがそれを否定しているのはどっちかな?」
霧のように消えていく妖精と盾。
その中で交わされる言葉は、いつになく真剣な空気を帯びていた。
……館長だけは、変わらずにどこか抜けたような軽いものではあったが。
「人だと言うなら、もう少し他人に愛想よくしたらどうだ? 自分は他人とは違う、そう思って、自分から線を引いているように見えるがな」
「……何を……」
「まぁ確かに孤独を貫く人間もいるさ。 だが、自ら孤独に身を置くなんてのは、自分は他人と違うって思ってる奴がする事だ。 意識的にしろ、無意識的にしろ、な」
妖しく笑う館長。
その目は全てを見越しているようで、知識とは違う、また別次元の知を秘めているようにも見える。
「お前の”他との違い”は、セファー・ラジエル……書物の虚像が人の身に宿る奇跡、その末の存在ってところか」
押し黙るフィロに対して、館長は言葉を止めることなく続けていく。
その口から語られるのは、本当に限られた者しかしらない、”フィロ”という存在の根底。
「”フィロ”という少女が”叡智の書”――《セファー・ラジエル》の封印を解き、人の精神では支えきれない『知』を脳に流し込まれ……塗りつぶされた精神の上に書き出された書物に宿る意識、《シュクリファーデ》」
あまりに強い力を持つが故に、封印されている魔導書は決して少なくない。
セファー・ラジエルもまたその一つで、神代の時代から『全ての知識』が記されていると伝えられる書物。
その中身は複雑な呪法で封印されており、それを読み解いた者は、あらゆる事を知る事ができるという。
「本来ネクロマンサの召喚以外で、本から具現される事の無い精霊が……人間の身体を乗っ取るなんて形で、意識を具現させたなんて例はお前だけだろう」
だがそれはあまりにも膨大で、人間の精神では全てをおさめる事など到底不可能な事。
かつて存在していた”フィロ”は、封印の解除を誤ったのか、その全てを受ける事になった。
「お前はそれを直視しているようでしてない。 意図しなかった事でも、一人の人間を飲み込んだ自分をな」
「……否定は、しません……でも……」
「それで”人間”であろうとする理由は何だ? 肉体がそうだからってだけじゃないだろう」
問いに対する答え以外は認めない。
館長の表情は最初となにも変わっていないはずが、そういう意図を否応無く感じさせる、強い何かを放っていた。
一度くらい、過去と向き合え。 そう言うかのように。
「……罪悪感ですよ」
……少し間を置いて、ゆっくりと語り出すフィロ。
それまで多少の動揺や焦りが見えていたその顔も、口を開いた瞬間には、いつもの落ち着いた様子を見せていた。
やはり、それでも隠しきれないなにかはあるようではあったが。
「館長の言う通り、”私”がここにこうしているのは、誰も意図しなかった事故の結果です」
「……」
「人間である彼女の存在を、私が、完全に塗りつぶしてしまわないように……せめて、人である事は捨てさせたく無いから……」
腕を組み、黙って話を聞く館長。
だが、ほんの少しその表情には変化が訪れていた。
……まぁ、あまり好ましくはなさそうな変化ではあるが。
「かつての”私”の名に執着はありません。 そして、フィロがその名で呼ばれる事は望まない……それだけです」
「……そーかそーか。 まぁ言いたい事はよーく分かった」
全てを言い終えた、とでも言うかのように口を閉じたフィロに、館長はわざとらしく頷いてそう口にする。
――かと思いきや、いきなりスタスタとフィロのすぐ傍へと近寄り……
「考えすぎだ、このバカ」
「ひゃっ……!」

でこぴん。

「それで煮詰まって、一人っきりになるのを”フィロ”が望んでる事だと思うか?」
「な、何が……」
露骨に呆れたような顔を見せる館長に、やや戸惑ったようにでこぴんされた額をおさえるフィロ。
だがそんな彼女の状態など構わず、館長は言葉を続ける。
「もっと楽に構えりゃいいんだよ。 お前忙しいとか、仕事があるからとか言って人と話すの避けてるだろ」
「ですから、それが人である事となんの関係が……」
「……自分が人じゃないことを知られたくないから、だろ? 人を避ける理由」
「……っ!」
「そりゃま必要以上に会話しなきゃ、余計なコト知られる事も少ないだろーが……別に、んなことしなくても誰も詮索したりしねーよ、っつーか、他人が気付けるような話じゃないだろ。
むしろ、それで一人ぼっちになる方が”フィロ”は望んでないだろ。 まーいきなり変われっつっても無理な話だが、少しくらい愛想よくしろ。 仕事に逃げるな」
館長の言い回しが有無を言わせないのは、いつもの事だった。
そして今も、そんないつもと同じような調子で、フィロに口を挟むような暇を与えない勢い。
しかし、たとえそうでなかったとしても、その言葉には彼女を黙らせるだけの何かが秘められていた。
「そのくせ受付に座りたがるのは、どっかで人と関わりたい気持ちでもあるからか? ……まぁ心理学語るなんてガラじゃないんだが……どうでもいいところで人間臭いんだよ、お前は」
「……人間臭いって……」
そう言われても、自分ではピンとこないものである。
他人の方が自分の事を理解してるというのはそれほど珍しい事では無いのは知っているのだが、やはり納得できるかどうかというと、否である。
「ま、少しは余裕を持てって事だよ。 俺みたいにな」
「…………館長は余裕を持ちすぎです。 精神的にも、時間的にも」
……最後の最後で、ふざけたような笑顔でそんな事を言う艦長に、フィロは呆れたようにツッコミを入れる。
結局のところ、どこまでいっても、どんな時でも、館長と自分の関係はこんなものなのだろう、と思うと、数秒前までの緊張感が音を立てて抜けていくかのような気分にさせられた。
「はっはっは。 まぁそろそろ俺は帰るぜ、旧友の宴会にお呼ばれしてるんでね」
「……昼間からお酒ですか。 というか、頼みますから働いてください」
そして、突入するのは結局いつもと同じ会話の流れ。
言っても聞かないのは分かっているが、とにかく突っ込まなければいけないのは疲れるところである。
「優秀な司書長殿にあとは任せておくよ。 そいじゃーな」
最後の最後まで笑いながら、スタスタと立ち去って行く館長。
もはや諦めの境地に達しているのか、そろそろ溜息も出なくなってきていた。





「…………ふぅ…」
それから少し経って、ゆっくりとベンチから立ち上がるフィロ。
館長が立ち去ってから色々と考えてみたが、結局まともな答えは出てこなかった。
……ただ、一度色々と口にしたり言われたりした事で、精神的にどこか楽になったような気もしたのは確かである。
「……さて、仕事に戻る前に……」
そう言いながら、くるりと近くにあった木の方へと顔を向けるフィロ。
その視線はその木の比較的上の方へと向けられ――そこにいる誰かさんに向けて、一言。
「カロ、貴女の休憩時間はまだのはずですよ」
――そう言った瞬間、ガサッ、と、ある一点の木の葉が揺れた。
木の葉が深い部分で完全に隠れているつもりなのだろうが、目をこらしてよく見れば司書服がわずかにはみ出ているのが分かる。
頭隠して尻隠さずとはよく言ったものだが……それは、ここまでその身をもって体現しなくてもいいだろうに、と思わされる光景だった。
「…………まぁ、今日は大きな仕事もありませんから、少しくらいなら構いませんが……そのまま終業までサボるつもりなら、容赦しませんよ」
……一瞬、考えるような間が空いたものの、フィロはそれだけ言い残してその場を去っていく。
ただでさえ普段からサボリの常習犯として目をつけられているカロだが、こうしてサボリが見つかった後に何もされなかったという例は今まで一度もない。
いつもならば、精霊や悪魔の力を借りた鉄拳制裁が例外なく下っていた。
今回もきっとそうだろうと思っていたカロは、どこか拍子抜けしたように彼女の後ろ姿をその目で追っていく。
「……えっと……なんか、もしかしてヤバイ……?」
……その時、かえって妙な恐怖をカロが感じていたという事実は、本人以外が知るよしも無かった。