走る。私は走る。
もうどれくらい走ったのだろう。
胸が苦しい。息ができない。
息をしようと口を開くと、逆に酸素がなくなっていくようだ。
悲鳴を上げ続ける足を無理矢理動かして、私は走る。
1歩1歩がやけに重い。まるで足に重りをつけているみたいだ。
吐き気がする。目が霞んできた。
なんで私は走っているのだろう。なんで私はこんなに必死になっているのだろう。
足を止めて、楽になりたい。
そう思う。
それでも私は走る。
この手には、守ると決めた小さなぬくもりがあるから。
***
「アクアボルト!!」
ティラの叫びに答えるように、機械杖ティタノマキアの先から3つの水球が生じ、一斉に撃ち出された。
撃ち出された3つの水球は、微妙に軌道を変え、そのままそれぞれの標的へと飛んでゆく。
そして、直撃した。
3つの水球の標的となった3人の人間は、それぞれの腹部に水球を受け、派手に吹っ飛んだり転がったりして地面に倒れ伏す。3人とも腹部を押さえて呻いて、起き上がる素振りを見せない。
とりあえず、3人は倒した。
だが、これだけでは終わらない。
「いたぞ!こっちだ!!」
戦闘不能に陥って転がっている3人のさらに奥から、また複数の影が追いかけてくる。
こんどはさらに多い。5、6人はいるだろうか。
「な、なんなんですかもー・・・」
ティラは疲れ切ってうんざりした声を上げて、隣にいる少女の手を握り直した。
「リーちゃん、逃げるよ。走れる?」
「がおー」
リインがこくりと頷くと、2人は手を繋いだまま走りだした。
正直、割と平気そうに走っているリインと比べて、ティラは完全に息が上がっていた。
こんな時に自分の体力の無さが仇になるとは。今更後悔してもしかたがないことだがそう思ってしまう。
これでもライトの足を引っ張らないようにと、自分なりにがんばってみてはいるのだが、あまり成果が表れていないとは一体どういうことだ。どうせ私には運動神経なんて皆無ですよどちくしょう!!なんて悲嘆に暮れている暇もない。ないったらない。
だが、そんな暇があれば足を動かせとは思うものの、やっぱりなんだかなぁという心境である。
「はぁ、やっぱりもうちょっと運動したほうがいいのかな?なんだか最近お腹の辺りとかにお肉が付いてきたような気もするし・・・」
寧ろそっちのほうが重要だ。うん。やっぱりもう少し運動しよう。
そんな決意を新たにしつつ、ティラは立ち止まることなく後ろを振り返った。
やっぱり、6人ほどがこちらに走ってくる。各々の手には剣やら槍やらといった、いかにも『襲う気マンマンですよ』と言わんばかりの武器が握られていた。
おまけにもの凄くしつこい。こちらが何人撃退しようと、彼らはまるで蟻の大群よろしく次から次へとどこからともなく湧いてくるのだ。
これではいくらなんでもキリがない。
「とにかく、マスターさんの所まで行ければ・・・!」
ぜーぜーはーはー言いながらも、ティラ達は当初の予定通り酒場までの道へと向かっていた。
酒場のマスターはいつもはアレだが、もしもの時はもの凄く頼りになるおじ様なのだ。
あそこまで行ければきっとなんとかなる。
―――それはそうと、
ティラはリインから手を放してぐるりと体を反転させ、追手達と向き合った。
「もー!!しつこいですよ!!」
杖を両手で握りしめて上体を弓なりに逸らし、勢いよく振り下ろす。ガン!!と杖の先で地面を突いたすごい音がした。
これには流石になにかあると感じたのか、追手達の足が鈍る。
でも、それが狙いだったりするんですけどね。
「ミストブラインド!!」
ティラの声に呼応し、辺りに白い煙のようなものが漂い出す。
違う、霧だ。
周囲の景色をすっかり覆い隠してしまうほどの濃霧が発生しているのだ。
その霧はやがてティラ達と追手達をすっぽりと包み込み、完全にその姿を覆い隠した。
「くそ!!やられた!!」
「あいつらはどこだ!?」
霧の奥の方で追手達が口々に叫んでいる声が聞こえてくる。
その声とは逆の方向へティラ達は再び走りだした―――のだが、
ごすっという鈍い音と共にティラの頭が勢いよく後ろに仰け反った。
ぺたぺたと手で触ってみると、そこには硬い壁がある。どうやら、建物の壁に気付かずに思い切り頭をぶつけたらしい。
「いたたた・・・うー、自分も何も見えなくなるのが欠点だよね」
その言葉通り、ティラが首をめぐらしてみると、周囲の景色は濃霧によって完全にホワイトアウトしていた。熟練者なら霧を自在に操って自分の周りだけ霧を払うこともできるらしいが、生憎とティラはそこまで達者ではない。
叫び声が聞こえるので追手のいる方向が分かるのは幸いといったところか。
「がおー?」
「うん、大丈夫大丈夫。・・・きっと」
寸での処で壁への激突を免れたリインが心配そうにこちらを見ている気配がした。
一応そちらに向けてそんなことを言ってみたのだが、いたい。ものすごく痛い。多分でもなくきっと確実にタンコブができている。
軽く涙目になりながらもティラは手探りで歩き出し、色々と地面に落ちていた物やゴミ箱などの障害物に激突してすっ転んだりしながらもなんとか路地裏から脱出。
後ろを振り返ると、霧はいまだ路地裏全体を包み込んでいた。
「とりあえず・・・巻けたかな?」
「がおー」
どうやらようやく巻けたようなので、ティラはふーっと息を吐くと、袖で額の汗を拭った。そこにはこんな大通りでは流石に追ってこないだろうという気持ちもあったのかもしれない。
「がおー」
「うん。早くマスターさんの所に行こ―――・・・?」
だが、偶然かはたまた運命の女神のいたずらか、そうは問屋が下ろさなかった。
なんだか通りの道が騒がしい気がして、なんだろうと思わずそちらに目を向けると―――
「・・・きゃー!?!?」
ぎょっとした。それはもうえらく驚いた。
だって20人以上はいたのだから。驚くなというほうが無茶である。
というか幾らなんでもしつこすぎじゃないですか?
「お、多い!多すぎますよなにこれいやー!!?」
「いたぞー!!捕まえろーーーーっ!!!」
「な、なんでこうなるんですか私がなにしたっていうんですかもーーー!!!」
再びリインの手を握って全力でダッシュ。
ちょっと胃の中のものがせり上がってきそうでちょっと、いやかなりデンジャーな状態なのですが、もうそんなこと言ってられないというかホント勘弁してくださいっていうか少しは休ませろ!!
そんなささやかな願いもむなしく、ティラ達の割と命懸けの鬼ごっこは再開された。
大通りから横の小道に入って、後ろから走ってくる追手に偶に魔法を発射して威嚇しながら、再び大通りへ。
周りの人が一体何事かと目を見張る中を掻き分け掻き分け進んでいき、今度は家と家の間の狭い路地裏に入り、ちょうどそこにいた猫を驚かせてしまったので猫に謝りながらまた別の大通りへ。
酒場へは確実に近づいて行っているのは確かだと思う。だが幾つもの小道や路地裏を走り回り、酒場に向かっているという以外はもうどこをどう走っているのか分からなくなるほど走り回っているにもかかわらず、追手はしつこく追いかけ続けて来ていた。
ただでさえ体力の限界だったのに、ここまで気合いと根性だけで走り回っていたティラは当然と言えば当然、もう限界ですというのがありありと見てとれるほど青い顔をしていた。
それに比べ、ここまでかなりの距離を走り続けていたにもかかわらず、ほとんど息を切らしていないリインは横で死にかけているティラに気遣わしげな目を向けた。
「がおー?」
「だ、大丈夫・・・全然・・まだまだ・・・」
どう見ても大丈夫じゃないと分かるほどげふがふごふっと咳きこむティラは、だが走る速度を緩めたりはしなかった。もうとっくに限界を超えているにも関わらず、リインの手を握る力は今だ強い。
そのまましばらく走っていると、今度は彼女が横でそっと囁いた。
「大丈夫」
そして、今度ははっきりと聞こえてきた声に、少女は顔を上げて彼女の顔を見つめた、
「絶対に、守るよ」
疲れているはずなのに、辛いはずなのに、それでも彼女は笑顔を浮かべて少女に語りかける。
「・・・」
まともに言葉を話せない少女は、この時なにを思ったのだろう。少女はしばらく彼女の笑顔をじーっと見つめた後、
「・・・がおー」
なにかの思いを込めて、にっこりと笑い返した。
振り切っては再び追いかけられて、追いかけられては魔法をぶっ放して撃退するのを繰り返すこと十数回。現在2人はある程度広いものの、左右を建物に囲まれていて人気の少ない道を走っているのだが、後ろには追いかけてくる追手は見当たらない。
「や・・やっと・・巻けた・・かな・・・?」
その声は寧ろそうであって欲しいという気持ちの方が強かったりするのは、まあ仕方ない事か。
「さ、流石にもう走れない・・・」
「がおー?」
「り、リーちゃん体力あるね・・・」
杖に縋ってよろよろと歩きながら、その横でピンシャンしているリインを心底羨ましく思う。一体どんな体をしているんだろう。
だが、一難去ってまた一難というのか、疲れ切った少女を休ませる時間を与えるほど、現実はそんなに甘くはなかった。
「ようやく追い詰めたぞ」
「・・・へ?」
気が付けば、先程入ってきた道から追手達が道いっぱいに広がって迫ってきていた。その逆からも!
「え?うわうそ、挟まれた!?」
『マスター、敵の背後からも多数のメンタル反応あり。総数約56』
「ごじゅっ・・!?ろ・・・!?」
ティタノマキアの言葉に絶句する。
56って、56ってなんですかそれ?
・・・泣いちゃっていいですか?駄目ですか?駄目ですね。はい。
思わず自分に対してへたれこむ許可を出しそうになるも、それで事態が変わるような虫の良い話なんてないと解っているのでなんとか堪えて、若干おぼつかない動きで杖を構えなおした。
『―――マスター』
「うんわかってる。挫けちゃダメだよね。・・・アレは、まだ登録してないから、詠唱しないと・・・!」
何をするかを決めると、もう考えている余裕もなかった。ティラは両手で握ったティタノマキアを地面と垂直になるように立たせると、意識を集中させて呟き始める。
「―――我を守りし大いなる加護 悠久の流れる青き宮殿 今ここに現界し、我らを守る城壁と為れ」
その口から漏れ出る言葉は、歌うように滑らかな音程で紡がれてゆく。
「―――!あれは、まさか詠唱か!?まずい!あいつを止めろ!!」
異変を察知した追手が慌ててティラに向かって手を伸ばす。だが時既に遅く、ティラの詠唱は既に完了し、握られた杖にはぼんやりと青い光が宿っている。そして追手の手が迫る中、ティラは慌てることなく鍵となる言葉を唱えた。
「アクアパレス!!」
その言葉がティラの口から迸った瞬間、ティラに向かって伸ばされたで追手の手が勢いよく弾き飛ばされる。
ティラの呼びかけに応えて地面より湧き出し、少女達をその内に包み込むようにして出現したのは、ドームのような形状をした水壁。
しかもただの水壁ではなく、水で構成された壁は絶えず高速で循環しており、その壁は触れた追手の腕を体ごと弾き飛ばすほどの力を内包していた。
どう見てもただ防ぐだけの防御魔法ではない。それは、守ることにより敵を倒すことを目的として生まれた上位迎撃防御魔法だ。
「よかった、うまくいった・・・!」
ずっと杖による高速圧縮詠唱に頼り切っていた身なので、こんな上位の魔法が成功する確率は決して高くなかったのだが、無事に成功してとりあえずほっと胸を撫で下ろす。
「馬鹿な・・・、あんな小娘が上位防御魔法だと・・・!?」
どうやら魔法の知識があるらしい追手の一人が驚いているが、―――実は、発動させた本人が一番驚いていた。
支援士、いや魔法を学び始めて3年。独学からなら2年。実はどれだけ練習してもどれだけ試行錯誤を凝らしても成功しなかったこの魔法が、こんな土壇場で呆気なく成功してしまうなんて―――なんだか虫が良すぎて逆に怖いくらいだ。
『アクアパレス発動経過を報告します。87%の高出力で安定。魔力循環率76%』
しかも、ティタノマキアの報告を聞く限り、かなり精度の高い完成度を誇っているようだ。
これなら、行けるかも。
だがそう思った矢先、その場にいた追手達のリーダーと思われる人物が慌てふためく追手達に向かって声を荒げた。
「慌てるな!これほどの上位防御魔法、こんな小娘がそう長い時間維持できるはずがない!」
「う」
そう、だれが小娘ですかこのやろうと思わず叫びそうになったが―――いやそうじゃなくて―――確かにそれは問題だった。
こういった持続性のある魔法は、時間の経過とともに術者のメンタルを消費していく。
当然、メンタルが切れてしまえば魔法は解けるし、下手をしたらメンタルが枯渇して意識を失う。それが敵の目の前で起こったら、それは文字通り死を意味していた。
このままでは、誰かが助けに来ない限りいずれはメンタルが尽きてしまうだろう。
しかも、ここは普段人気のまったくない小道だ。
助けがくる確立は極めて低かった。
―――だが、それがどうした。
「あんまり私を舐めない方がいいですよ・・・!!」
周囲を取り囲む追手達に不敵に笑ってみせる。
魔法は解けない。解くもんか。絶対に耐えて見せる。今こそ根性を見せろ私!!
ティラの心に応えるように、水の城壁はますます強固なものとなる。
***
「ふう、少し遅くなったな」
クローディアとの話が少し長引いてしまったものの、とりあえずライトは酒場まで無事辿り着くことができた。ついでに格好はサングラスマスクマンのままだ。
流石に正面から入るのは色々と都合が悪いので、酒場の裏に回り、裏口からこっそりと侵入する。鍵が掛かっていたが、まぁ特に問題はなかった。自慢ではないがオレの不法侵入技術はそこらの空き巣なんぞ比べ物にならない。
裏口から酒場に入ると、しゃがんで姿勢を低くし、周りの眼に止まらないように移動する。
しばらく進むと、最早見慣れた、がたいの良い背中が目に入った。
だが、ここで声を上げるのは不味い。ライトはしゃがんだままそろそろとその背の持ち主の足元まで―――丁度カウンターの影に入って客側からは見えない所まで移動すると、そこでギリギリ聞こえるくらいの小さな声でその背の持ち主に話し掛けた。今もなお戦場の様相を呈している騒がしい酒場だときちんと聞こえるかどうか不安が残るが、まぁこの男なら大丈夫だろう。
「(マスター)」
案の定、きちんと声は聞こえたようで、その男―――酒場のマスターは怪訝そうな顔でチラリとこちらを見、そして眼を瞠った。
「(ライト!お前カウンターの裏でなにしてるんでぃ!?というかどこから入ってきた!?)」
とりあえず、小声で話を合わせてくれたことは流石と言うべきか。
「(いや、こんな時にこんなこと言ってる場合じゃないんだが・・・つっこむところか?)」
「(あ、ああ。そうだな。なんだか大変なことになってるじゃねぇか。お前の手配書と懸賞金額、もう街では有名だぞ?)」
「(そんなことは分かってるよ。いやそれより、ティラとリインを見なかったか?ここで待ち合わせしてたんだが)」
「(いや、嬢ちゃん達は見てねえが・・・)」
酒場のマスターの言葉にライトは眉を顰めた。
「(何?・・・いや、そうか分かった。サンキューマスター)」
ライトの反応になにかを感じたのか、酒場のマスターもカウンターで支援士達の相手をしながら僅かに首を傾ける。
「(何か困ってることがあったら、儂も力を貸すぞ?)」
「(いや、ありがたいんだがいまはいい。とりあえず、また後で)」
酒場のマスターはそれ以上言わずに頷くのを確認すると、ライトはまた姿勢を低くしたまま裏口まで戻り、
そして酒場の裏口から路地裏に出ると溜息を吐いた。
「まったくあいつらどこに行ったんだよ・・・」
何かトラブルがあったか、或いは・・・。
「・・・まぁ、こっちの方が可能性は高いな」
どうやらスコープの言ったことが現実になりそうな予感がする。と、ライトはまた溜息を吐く。
その予想が果たして当たっているかどうかはともかくとしても、まずはあいつらがどこにいるのか分からないと話にならない。
「・・・しょうがない。疲れるから本当は使いたくないんだがなぁ・・・」
ライトは独り言を漏らして腰の両側に吊り下げられた双剣を抜くと、次に奇妙な行動を取った。
右手に握った剣を天に向けて高々とかざし、左手に握った剣を舗装された路地裏の地面に突き立てたのだ。
まるで、天と地を繋ぐような態勢をとったライトは、続いて目を閉じて特殊な瞑想に入る。
思考の一部を止め、そこに疑似的な空白を作成。そして嵐と大地、それぞれメンタルを双剣を介して空と地面に流し込み、干渉する。
「―――我流・天地掌握」
自分自身という存在が肉体から半ば離れるような奇妙な感覚と共に、ライトの頭の中に周囲の情報が流れ込んでくる。
疑似的に作り出した思考の空白の中に、リエステール全域の地図が描き出される。そこで動く無数の点を、さらに検索・限定し、絞る。
そして―――。
「・・・いた」
地図の一画、ここからそう遠くない場所で、検索に該当した青い点が2つと、それからその周りに敵を現す赤い点が多数。
そこまで見た途端、突然全身に虚脱感が生じ、その拍子に地図が大きく揺らいでそのまま消えてしまった。
地図が消えると、ライトはかなり辟易した様子で目を開けた。
「くそ・・・。本気を出したら数分と持たないのが欠点だな・・・」
愚痴りながらも、ライトは路地裏から出て、地図が示した場所へと溜息を吐きながら歩き出す。
「・・・ん?」
だが、少し歩いた先でその歩みが止まる。止まらざるを得なかった。その先には人混みの流れに逆らうように立ち尽くし、ライトと対峙する者がいたからだ。
しかし、なんで―――あの男が。
「お久しぶりです」
愛想のよさそうな笑みを浮かべた、金髪の青年。
―――ロザート・エデヴァン。
「お話は聞きましたよ。大変そうですねぇ」
ロザートはそんなことを言いながらにこやかな笑みを見せ、両手を広げて友好を示す。
だがライトはそれに応じず、両手を組んで笑みを浮かべた。
「よう、何時ぞやの気障野郎。わざわざこんな真似してくるなんて、お前らも案外暇なんだな」
「はて?何のことでしょう?私には話がよく見えないのですが」
「はっ、それもそうだな。仕掛けた奴がわざわざ自分がやったとばらすようなバカはいないか」
口元を吊り上げて笑いかけるライトにロザートも朗らかな笑みを返す。
一見ただお互いに笑い合っているだけのようにも見えなくはない。しかし、ライトの笑みには表面上にこそ出てはいないが、明らかに表面上の表情とは違う黒い感情が籠っていた。
「・・・で?散々散々オレ達をコケにしてくれた連中の頭がオレにわざわざ何のようだ?今すぐ殺して欲しいならそうしてやってもいいが、生憎と今は急いでてな。今は見逃してやるからそこをどけ」
「それはできませんよ」
笑みを浮かべたまま凄みを利かせてみたが、しかし特に動じる様子もなくロザートはあっさりと拒否した。
「私はあなたの足止めに来たのですから。あなたに来られては、こちらの重要な計画に支障をきたしてしまいますからね」
そう言ったロザートは、あくまで愛想のよさそうな笑みを浮かべたままだ。
まるで友人と軽口を叩いているような感じさえある。
「ふーん、冗談にしても面白くないな。でもまぁせっかくこうして話てるんだから、冗談ついでに一つ聞いておく」
「私程度が答えられることでしたらどうぞ」
「じゃあ遠慮なく聞かせてもらうぜ。―――“クリア”ってのはなんだ」
ライトが聞くと、ロザートは「おや?」と言った風に首を傾け、やがて合点が言ったと胸の辺りで左の手の平を上に向けて、右手で作った拳でその手の平を軽く叩いた。
「ああ、そういえば言っていませんでしたね」
「いや、教える気はなかっただろう」
「それは誤解ですが、まぁそれはいいとして、いいですよ。教えましょう。“クリア”あれは―――」
それから一拍間をおき、
「“神姫”と呼ばれる、大戦時代にとある街の研究者達が生み出した兵器の1つです」
「―――兵器?」
「ええそうです。それも、王都の防衛機兵隊にも引けを取らないかなり強力な、です」
防衛機兵隊とは、大戦時代に王都に侵入した魔物達を撃退することを目的として開発された機械人形で構成された軍隊のことである。大地震グランドブレイクの後、大地の亀裂に落ちた今も、グランドブレイカー中層から下層に広がる機械大地でいまも生き残った個体が多数起動しており、グランドブレイカーに侵入する支援士達にとって恐ろしい敵として立ちはだかっている。
本来、人を守るために生まれた機械人形達が、守るべき人間に襲い掛かるというのも、また皮肉な話だが。
まぁそれはさておき、ライトにはあの暴食だけが取り柄の金髪オッドアイの幼女と、機械人形の軍隊に匹敵する兵器というのが、どうしても結びつかなかった。
「・・・また冗談か?それともオレをおちょくってんのか?」
「冗談でもないしおちょくってもいませんよ。すべて真実です」
相変わらず裏の読めない愛想のよさそうな笑みは変わらないが、口に出されている言葉には確かに、嘘を付いている雰囲気はなかった。
「・・・そうか。まぁ別に否定する理由もないし否定する証拠もないからそうしとくか」
「物分かりが良くて助かります」
「じゃあ、聞きたいことも聞いたし、そろそろオレは行きたいんだが、そこを通す気になったか?」
ライトの纏う空気がガラリと一変する。答えによっては力ずくで押し通ると口外に語っていることは周囲から見ても明らか。だがロザートは首を横に振った。意見を変える気はない。という訳か。
「言ったでしょう?あなたを行かせるわけにはいかないと」
「へぇ?お前ごときが、オレの足止めをできると思ってんのか?」
ぐっと腰を落とし、双剣の柄に手を掛ける。ところがロザートは、身構えることもなく、あまつさえ余裕のある笑みさえ浮かべた。
「ふふふ、どうやら、ご自分の立場をご理解なさっていないようだ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が寒くなるのを感じたのは、間違いではないだろう。
そう、ここはリエステール。そして―――、
「・・おい、てめぇ、まさか・・・!」
ライトが言い終わる前に、ロザートはライトの不吉な予想を外れず周囲に向かって大声で叫んだ。
「―――ライト・エバーデンがいたぞ!!捕まえた奴には300000フィズだ!!捕まえろーーー!!」
ここは酒場の前の通り。それも酒場には店から溢れんばかりに支援士達が集まっている。当然、耳のいい支援士達が、ロザートの大声を聞きとらないはずがなかった。
声を聞きつけた大勢の支援士達が、目をぎらつかせながらこちらにやってくる。その中の数人が次々に叫んだ。
「あいつだ!!あの怪しいサングラスマスクマンだ!!行くぞーーーっ!!」
「おっしゃー!!捕まえたら山分けだ!!」
「久々の収入源ンンンンンンンンッ!!!」
金に飢えた老若男女の大群が次々と酒場、大通り、道の曲がり角から集結していき、どんどんと迫りくるそれは、さながら人間の津波のようだ。
その金に飢えた亡者のような人間津波が、怪しいサングラスマスクマン1人に向かって突進していくその光景は、滑稽を通り越してもはや理不尽でさえある。
「くそっ!!てめぇ覚えてろ!!」
ライトが悪態を吐きながら人間津波こと大勢の支援士達から逃げるべく走り出したのを見届けて、ロザートは余裕の笑みを浮かべたまま悠々と踵を返した。
「精々みなさんと追いかけっこでもしていてください。私は仕事に戻らせていただきますよ」
***
水の防壁を発動させてから、もう何時間が経つだろうか。
普通の人間なら、もうとっくにメンタルが枯渇して魔法が解けているはずだった。
だが、少女の意地によって、水壁はいまだ維持し続けられている。
―――いや、意地だけではこの現状は説明がつかない。
もはや脅威的とも呼べるほど、普通とは圧倒的に桁が違うのだ。
彼女のメンタルが。
「くそ・・・何時間粘るつもりだ・・・」
「ただの小娘じゃなかったようですね」
長期戦を強いられて疲れを見せ始めた追手達の漏らした言葉に、少女はまだまだ余裕ですよと言わんばかりに小さく笑って見せた。
「だ・・だから・・・あまり舐めないでくださいよって・・・言ったじゃないですか・・・」
だが、そう答える彼女にも、疲れの色がはっきりと見えていた。
それは仕方がないことだろう。何せ現状で硬直する直前の数時間もの間、彼女は走りながら魔法を使い続けていたのだ。
正直に言えば、基本的に体力の少ない魔術師の、しかも少女が、今もなおこの現状だけで済んでいること自体が奇跡と言っても大げさではない。
それほどまでに彼女はメンタルを、そして何より体力を消耗していたのだった。
「ふーっ・・ふーっ・・ふーっ・・・」
苦しげな息遣いと共にぽたり、ぽたりと汗が顎を伝って地面に滴り落ちていく。
その滴り落ちた汗の一滴一滴が彼女の力を表しているかのように、彼女は徐々にだが、確実に弱り始めていた。
水壁を循環する水も、発動させた最初の頃に比べて随分と勢いを失っている。
『アクアパレス、出力60%にダウン。同じく魔力循環率54%にダウンしました。・・・このままだと維持できなくなる恐れがあります』
「ま・・まだまだぁ・・・!」
そう言う声も、もはやカラ元気よりも疲労の色の方が目立ち始めている。
あまつさえ杖を握る両手も、ふらふらと左右に揺れ始めていた。
限界はきっと近い。
いやもしかしたら、限界なんてものは当の昔に超えてしまっているのかもしれない。今の彼女の体は、傍から見れば強靭な精神のみで支えられているようにも見えた。
―――だが、それがなんだ。
それでもなお、彼女はそう思った。
どうせもうここまで来てしまったのだ。だったら最後までやり通してやる。
だが―――。
「がお・・・」
その時彼女は気付いていなかったが、傍らにいた少女が青い瞳を彼女に向けていた。その表情から見て、どうやら今にも倒れそうな彼女のことを心配しているようだ。
「がおー・・・」
困った。とでも言いたげな表情で少女は辺りを見渡す。
周りにいるのは自分と彼女以外は全員が敵だ。直感で、あの人も来そうにないと解っていた。
そして自分の隣にいる彼女は、何時倒れてもおかしくない程弱り切っている。
話はよく分からなかったが、どうやら敵は自分が目的みたいだし、もしかしたら。
「・・がお」
少女は覚悟を決めた。
違う。そうじゃない。
―――もうこれしかないと、思ったのだ。
「・・・え?り、リーちゃん・・・?」
ティラがきょとんと目を丸くしている間に、リインはとてとてと魔法の水壁まで歩んでいき、
「ま、待って!!駄目!!」
はっと我に返って咄嗟にかけた彼女の静止の言葉を無視して、少女は魔法の水壁から外に出て行ってしまった。
突然少女が身を守る砦から出て来たのを見て、これには追手達も思わず唖然としている。
少女はなおも前進し続ける。敵の目の前まで。
そして、未だ唖然としている敵の目の前まで来て歩みを止めると、くるりと振り返り、顔を真っ青にしているティラを見た。
その顔は、なんと―――笑っていた。
「リー・・・ちゃん?」
「がおー」
心配しないで。大丈夫だから。お姉ちゃん。
「えっあ・・・か、確保だ!捕まえろ!!」
そして、ようやく現状を呑み込めてきた追手の1人がそう声をかけると、リインの目の前にいた者が慌ててリインを担ぎあげようと―――したのだが、
「・・・・・」
「うっ・・・」
リインのオッドアイに見つめられて手荒な真似をする気が起こらなかったらしく、―――何より少女に抵抗する素振りがまったく無かったので、その両肩を手で押さえるのに止めた。
頑なに抵抗した割には妙に潔くて追手のリーダー格の男は納得出来きっていない様子で首を傾げるが、まぁさして問題はないだろうと判断し、後ろにいた他の者達に振り返って顎でティラを示した。
「―――よし、じゃあお前ら、そこの娘を始末しておけ。自警団に報告されたら厄介だ」
「えっ・・・!?」
「がお・・・!?」
ティラとリインが驚愕する。
リインは、自分さえ捕まればこの人達はすぐに引き返すと思っていたのだ。だが、数日前のオース海岩礁洞窟でのことを思い出せば、こいつらはそういう連中だということは分かるだろうが―――そんなこと、その時睡眠薬で眠らされていたリインには分かるはずもなかった。
要するに、考えが甘かったのだ。
「がおーーー!!!」
「うわっ!?お、おいこら暴れるな!!」
「があぁぁぁぁおぉぉぉぉぉ!!!!」
「押さえろ―――って痛てぇ!!」
「気を付けろ!!こいつ噛みついてくるぞ!!」
「猿轡噛ませろ!!」
「むぅーーーーーぐぁーーーーーー!!!」
「ぎゃあっ!ちょっとやめてひっかかないで!!」
猛然と暴れ出したリインの対処に追われて追手達の間に小さな混乱が生まれた。
「リーちゃん・・!!」
ティラもこの機会を逃すまいと、水の防壁を解きティタノマキアを持ち直してリインに向かって走って行く。だが、その間に男達がざっと割って入ってきた。
「おっと待てよ。どこに行くつもりなんだ?」
「あ・・・!」
「さーて、散々手こずらせてくれたお礼をしてやろうか」
手に手に武器を持ち、男達が前と後ろからじりじりと迫ってくる。
ティラはすでに水の防壁を解いていた。流石にまた再び発動させるほどの元気もないし、それにきっと敵がそれを許さないだろう。
前からも後ろからも敵が迫ってくる。もはや逃げ場はどこにもなかった。
―――『それ』が来るまでは。
『―――唸れハルファス!!突っっっ貫ああああああん!!!』
横合いから突如大音量の咆哮が放たれたと思ったら、追手達の横から突然1人の少女が跳び出し、ドゴシャァアア!!!という壮絶な轟音を轟かせ、ティラに向かってきていた十数名の追手達をまとめて吹き飛ばした。
「まったく女1人に何人がかりだよ。みっともねー」
追手達が総崩れになったところを見ながら、追手達を吹き飛ばした赤髪の少女は勝気そうな目を窄め、
轟っ!と自身の獲物―――追手達をまとめて吹き飛ばすという離れ技を為すことを可能にした巨大なハンマーを一振るいして肩に担いだ。
さらにその堂々たる後ろ姿をぽかんと見つめるティラの後ろから、突然バチバチと静電気の弾ける音を何倍にもした騒音と閃光、それに続いていくつもの悲鳴が沸き起こった。
「まったくっス。恥ずかしく思わないんスかね?」
後ろを振り向いて見ると、キノコ帽子を被った綺麗な顔立ちの少女が、その足元で所々に火傷を負い、細い煙をなびかせて倒れている何人もの追手達に目を向けることもなくこちらを見ていた。それで目が合うと、キノコ帽子の少女はウインクをしながらこちらに親しげに歩み寄ってきた。
「やー、危なかったっスね。大丈夫っスか?」
「え?あ、はい・・・」
思わず頷いてしまったティラを見て、キノコ帽子の少女も一つ頷くと、
「そうっスか。よかったっス。・・・フェアー、そっちは終わったっスかー?」
キノコ帽子の少女が何故かそう言って顔を上へ向けるので、なんだろうとそれに釣られて上を見た瞬間、―――いきなり上から黒い影が振ってきた。
「ひっ!?な、なんですか・・!?」
「ああ、大丈夫っスよ。味方っスから。・・・で、どうだったっスか?フェア」
「まぁ予想通りいたよ。屋上に10人程」
空から降ってきて軽やかな動作で地面に着地した影が立ち上がると、立ち上がった影―――なんだか変わった格好をした黒髪の少女がキノコ帽子の少女にそう伝えた。
・・・もう何が何やら。
突然の出来事の連続でティラの頭がプチパニックを起こしている中、奥で成之を見ていた追手の1人が、巨大なハンマーを担いだ赤髪の少女を指差して顔を真っ青にして叫んだ。
「あ・・あの独特の光沢と模様を持つ巨大なハンマー・・・。まさか、パール・ケアセルナか!?」
「なんだそれは!?知っているのか!?」
別の男が詰め寄ると、男が頷く。
「し、支援士ギルド『ドリームウィング』のメンバーだ。ということは、後の2人はスズ・レイントニアとフェア・エバーデン・・・?」
男が言い終わるのと同時に、3人の少女は妙に詳しい男の言葉を肯定するように顔を向けた。
「あんだよ。気易くわたしの名前を呼ぶんじゃねー」
「というか、パルの名前が真っ先に出てきたのは納得できないっスね」
「スズ、今はそれどころじゃないでしょ」
敵の目の前でありながら、緊迫感をこれっぽっちも感じさせない会話を始める少女達。
その姿は素人から見ても隙だらけだったにも関わらず、追手達は攻めるのを躊躇っていた。
人数では圧倒的にこちらの方が有利だ。それに相手はまだ十代の少女。数で一斉に掛かればどうにかなるかもしれない。
だが不意打ちだったとはいえ、そのたった3人の少女によって、僅かな時間で人数を半分にまで減らされてしまったのだ。
慎重にならざるを得ないだろう。
「だ、だが相手はたかが女3人だ。一斉に掛かれば・・・」
そして1人の男が全体の士気を上げようとそう言ったのだが、次の瞬間、男の予想はあっけなく裏切られることとなった。
別の方向から、また別の悲鳴が上がり、もう見たくもないのだがそちらに目をやると―――。
昏倒した大勢の仲間の間を跨ぐように、黒いコートを着た青年が悠々とこちらに向かって歩いてきていたのだ。
「あーもーくそっ。どこもかしこも敵ばっかかよ」
「ライト!?」
ティラの声を聞き、ライトがそちらを向いた。
「おー、無事だったかティラ。いやー悪い。邪魔な奴ら巻くのに手こずって遅れた」
そう言うライトの黒いコートは、多少汚れてはいたものの、傷らしい傷はまったくみあたらない。
「そんなことより、リーちゃんが捕まって・・・!!」
「そんなことて」
これでも結構大変だったことをそんなことの一言で片づけられると少々やりきれない感が残るライトだったが、その後に続いた言葉に眉を顰めた。
「・・・何?」
ついでに横にいたキノコ帽子の少女と巨大ハンマーの少女も反応した。
「あいつら人攫いっスか!?」
「気にいらねーな・・・!!」
ライトとパールがジロリと追手達を睨みつけると、もともと逃げ腰になっていた追手達は完全に戦意を失った。
「に・・逃げろ!!何としてでも“クリア”をロザート様の所まで守り抜くんだ!!急げー!!」
「逃がすかよーーーっ!!」
追手達が大慌てで撤退するのを、パールが追随する。
しばらくすると、遠くから轟音や悲鳴、人らしき影が上空に吹っ飛ぶ姿が見えた。
「まぁ、パルが行ったから問題はなさそうっス。大丈夫っスよ」
キノコ帽子を被った少女、スズ・レイントニアが、そう言って励ますようにティラの肩を叩く。
それにティラは頷いて答えた。
真っ先に駆けていきそうなライトは、だがこの場に留まっていた。変わった格好をした黒髪の少女、フェア・エバーデンがライトに詰め寄って来たからだ。
「ちょっとお兄ちゃん!?一体何がどうなってるの!?」
「「・・・へ???」」
その発言に、ティラとスズが声を揃えて目を丸くした。
いま、なんと?
「お、お兄ちゃん??」
「フェアって兄がいたんスか!?」
だが、周囲の驚きを余所に、ライトはフェアの顔をまじまじと見て、それからうーんと首を傾けると、
「・・・誰だお前?」
へ?とフェアの眼が点になる。続いて、顔を真っ赤にしてさらに詰め寄った。
「お、お兄ちゃん!?久しぶりに再会した妹に対する言葉がそれ!?」
「はぁ?妹?うーん・・・、オレに妹なんていたっけ?」
あくまですっとぼけるライトにフェアの表情が少し泣きそうな感じの引きつった苦笑いに変わる。
「あ、あははは・・・相変わらずだね。・・・ここまで白々しいと、なんだか私悲しくなってくるよ・・・」
「へー。いや別にオレは悲しくもなんともないからどうでもいいけどな」
「うぅぅぅぅ・・・」
「フェア、大丈夫っスか?」
がっくりと膝を付いて俯くフェアにスズが声をかける。顔を上げたフェアは、なんだか本当に涙ぐんでいた。
「大丈夫。・・・慣れてるから・・・」
「いや、とてもそう見えないっスけど・・・」
「や、ホント大丈夫だから」
だから触れないで。と口外に語っているので、スズもこれ以上は触れないようにした。
「・・・で?お前らわたしが走りまわってる間になにしてんだ?」
何時の間にいたのか、皆の後ろに巨大なハンマーを担いだ赤髪の少女ことパール・ケアセルナが立っていた。その顔や服などに、何やら赤いものが付着しているような気がするが、とりあえず見なかったことにする。
「リーちゃんは・・・!?」
ティラが真っ先にそう聞いてくると、パールは気まずそうに頬を掻いた。
「あー、いや、ごめん・・・。逃がしちまった・・・」
「そう―――ですか・・・」
「・・ティラ」
ライトは俯くティラの肩に手を伸ばす。・・・だが、
ぴくり、と、肩に置かれる寸前で反射的に手が止まった。
ん?と首を傾ける。
なんというか、ティラの様子が―――おかしい。
ごごががが!!!とティラの周囲の空気が不穏な音を発しながら振動している。
「あー・・もしもし?ティラさん?」
一応声を掛けてみるが、返事はない。しばらくして、俯いたままの状態で声が聞こえてきた。
「ライト」
違う。誰だこいつ?本当にティラなのか?
「私はね?ちゃんと言ったんだよ?絶対に守るって・・・」
静かに紡がれる言葉、だがそこから漂ってくるものは悲愴などでは断じてない。なんというか―――そう、怖いくらい物凄い怒気。
「なのにリーちゃん、まだ終わった訳でもないのに勝手に水壁から出てさ?まったく―――」
そう言って顔をゆっくりと上げるが、なんというか、その、目が。
―――これ以上ないくらいに据わっていらっしゃった。
「そんなに人のことが信用できないのかこんにゃろー!!!!」
天に向かって怒りの限りに咆哮するティラを見て、周りで気まずい雰囲気を纏っていた人たち全員がビクッと仰け反る。
いや、うん。その気持ちは分からなくない。
「え?あれ?ちょ、ちょっと落ち着けっス」
「なんですか!?どこのどなたかは存じませんが今の私はちょっと怒ってますよ!?」
「ひっ!?ご、ごめんなさいっス・・・」
物凄く据わった目で睨まれて、スズが顔を青くしてすごすごと後ずさった。
・・・というか、それはどう見てもちょっとじゃねぇだろ。
「ふふふふ・・・、これって血がたぎるって言うんですかね・・・。やってやろーじゃないですか見てろこんちくしょう!!」
「は、はは・・。まぁ・・とりあえず行くぞ・・・」
後ろを歩きながらも怒髪天突きまくってますと言わんばかりのティラに、なんだか複雑な心境のライトだった。