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「ぶっはははは! あーっはっはは!!」
「いつまで笑ってんだ!!」
「ごぶふっ!!」


日も傾き、西空が赤く染まる夕方。
世間様は丁度夕食時かその準備でもしているであろう時間で、外を出歩く人も少なくなってくる頃だ。
そんな中、リトルレジェンドのギルドハウスのリビングの辺りから、鈍い打撃音とカエルが潰れたような声が聞こえていた。
「まとまった金が欲しかったんだが、酒場に適当な依頼が無かったんだよ」
依頼が枯渇して多くの支援士が暇をもてあます時期は、このリエステールに限らずやや不定期ながらどこの酒場でもあるものなのだが、そんな時期に残っているものと言えば、簡単だが時間がかかり、報酬も少ないものが殆んどだ。
それならむしろ自分の足で日雇いや短期のアルバイトを探した方が稼げる場合があるのも事実である。
「そういえば酒場にもバイト募集の貼り紙がはってあったのぉ」
「……細かいのをやるより、安定してたんだよ……」
ちなみに酒場のマスターには信用できることからティオの身体の事は伝えてあり、ティオが依頼を探しに行ったとき、かなり微妙な顔をしながら『ああいうのならあるんだが……』と張り紙の方を指差したと言うのは隠れた事実だったりする。
まあ北部でも人気も話題もある店だけに、店側もオープニングスタッフのバイト代については少々強気の設定だったのも事実である。
「支援士の女は体力もあるし意外と美人が多いからのぉ、飲食店が忙しい時期は酒場で臨時アルバイトを募集するのは珍しい話ではないぞ?」
「あ、そうなんですか」
そんなのあったのか、という顔をしていたリフルに、軽く笑いながらそう声をかけるエミリア。
とはいえ、ブルーフェザーでウェイトレスをしているティオと遭遇した時は、まさか彼女――いや、この場合は“彼”と表現するべきか?――がいるとは思いもよらなかったのか、エミリアもどんな顔をしていいのか分からない、といった微妙な愛想笑いを浮かべていたのだが。
「オープニングフェアは一週間じゃったな。件のギルドの集金期間も丁度その頃が終わりのはずじゃから、まあ丁度いいじゃろ」
詳しいことはギルドの人間じやないから知らんがな。
最後にそう付け加えて、ひとまずこの話をまとめるエミリア。
あんまり引きずり過ぎるとティオの精神衛生上よくないと判断したのだろう。

「ごめんくださーい」

と、丁度見計らったように玄関の方から聞こえてくる声。
むしろエミリアの方が来るのを見越して話を纏めたのだろうか。
「あれ、リファ姉?」
「私が呼んだ。なるべくティオとリファには一緒に聞いて欲しい話じゃからな」
ああ、そうだった。
エミリアを除く全員が、いま彼女のギルドハウスのリビングに集まっている理由を思い出した。
エミリアが、ティオの耳に入れておきたいという話を聞くのが、今回の目的なのだ。
「大切なお話……と言っていましたが、特に私とティオにということは、カードの事でしょうか」
エミリアが一言話している間にティオの隣の椅子に腰かけていたリファが、懐から封魔紋章を施されたクリアケースに収められた一枚のカードを取り出して、そう口にする。
それは『運命の円環』の名を冠し、”存在”を操る力を宿すフルーカードセットの内の一枚である、『生命のウルド』のカード。
それは対象の存在を司る運命位相をずらし、『別の可能性』の姿に変身させるというもので、ティオの場合は『女性として生まれた可能性』という位相が選択されたらしい。
「……ぐっ……いい蹴りだった……ぜ……」
……ここにきてもリファが地面で悶絶しているアースのことを問いもせずに無関心だったのは、もはやいつものこととでも言うのだろうか。
「うむ、話が早くて助かる。 まぁ厳密にいえばそのカードが仕込まれていた装置の事なのじゃが」
とりあえず彼に関してはだれもつっこみすら行わず、話は進んでいく。
エミリアはがさがさと少し大きな紙を取り出して、テーブルの上に広げていった。
それに描かれていたのは、このカードが置かれていた装置の全体図で、カードに溜めこんだメンタルを送り、起動するための魔法陣と、そのメンタルを蓄積する宝玉の並びが事細かに記されていた。
「実際に向かったわけではないが、ルシアの記録が結構詳細じゃったからな。 細部に多少の誤差はあるかもしれんが、陣の構造はだいたい分かった」
「へぇ、さすがエミリアさんですね」
「いや魔法陣自体は大型じゃが単純なものじゃ。 地下を走る気脈を通るメンタルを吸い上げて宝玉に溜めこみ、カードの発現の際にそれをカードに供給する、というだけのようじゃからな」
と言われても、魔法に関しては専門外のティオとアース、そして魔法は使えるものの、どちらかというと殴り特化のフルーレティア志望のリフルの三人にはいまいち構造などは理解できず、図形を見せられてもそれがどうなるとそういう結論になったのかさっぱりであった。
魔法専門で、エミリアと同じマージナルであるリファだけはうんうんとうなづいていることからある程度は理解できているようではある。
「問題は、吸い上げたメンタルを溜めこむ宝玉じゃな。 いくらでかくても無限に集め続けられるわけじゃなくて、許容量というものがあるはずなのじゃ」
「許容量……」
「まぁ一人の人間が抱えられるメンタルにも限界があるのと同じじゃよ。 魔力伝導率が高い物質でもメンタルを溜めこめる量には限界があって、この部屋の宝珠の大きさから考えると、まぁ数百年分の地脈のメンタル全てをかき集めたというのはありえん」
「じ、じゃあ、もしかしたら人間の力でも対抗できる……ってことですか!?」
生命のウルドのカードは、基本的に消費したメンタル量に比例して変身する時間が伸びていき、時間切れで元に戻る前の段階でまた別の姿に変えるには変身した時以上のメンタル量を使う必要がある。
まぁ例外としてあまりにも長期間元に戻らず同じ姿をとり続けると、その姿が現在の運命位相に定着して、それが”元の姿”扱いになってしまう、という記述が古文書にあったのだが。
ティオの場合は、大がかりな装置を介してのものだったため、一人や二人の人間がメンタルを集めたところで対抗できるようなレベルではなく、古文書の件が本当ならば、時間が過ぎた後にも自然に元の姿に戻るという事はもうないだろうという結論になる。
「まぁ、確かに魔術師を多数集めてカードに力を集中してもらえばあるいは……とは思うが、正直これは現実的ではないのじゃ」
「……というと?」
「どっちにしても十人や二十人じゃ足らん、ということじゃよ。 正直他人からしたら『男に戻りたい』なんて理由は馬鹿馬鹿しいものじゃろうし、そんな大人数にちゃんとした報酬を渡せるか?
そのカードそのものを報酬にすればあるいはとは思うが、正直私としてはそんな危険物をどことも知れぬ誰かに渡したくはないしのぉ」
「む……」
まぁ”姿をある程度選択して変えられる”という要素は、使いようによってはいたずらどころか犯罪にも利用できてしまう。
特に性別などという普通の変装では変えられない根本的な部分まで変えてしまうこのカードならば、身を隠すどころか”姿を変えた状態で“犯罪を犯すなどというのは容易な事なのだ。
「じゃあ……どうすればいいんですか? 何か、案があるから私達を呼んだのでは……」
……リファは、以前見せていた必死な感情を今も少しその顔に映し出していた。
やはり頭で納得はしても、無意識下にある気持ちの方は抑えきれないものなのだろうか。
「うむ。 ……・要するに大人数の魔術師を合わせた分に匹敵するメンタルを使えればそれでいいのじゃが、この方法はかなりの危険を伴う可能性があるのでな」
「……教えてください。 無理かどうかは、私達で判断しますので……」

「……虹彩庭園の魔女、マージナルの頂点………
話によると、精神面では限りなく人間に近いため会話は通じるらしいのじゃ。
庭園に侵入し、出会ってなお戦わずに生きて帰ってきた者の例もあるしのぉ」

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最終更新:2009年07月23日 07:34