※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 

 鈍色に光る剣尖が、鼻先を掠める。
 一度おおきく後ろへ跳んで息をつくと、再び対峙している敵を見据えた。
 その頭部は山羊のように長く伸び、後頭部から湾曲した太い角が伸びている。赤褐色の肌
に包まれた上半身はごつごつとした筋肉が盛り上がり、腰からは鞭のようにしなる尾。2
m以上はありそうな筋肉隆々の体躯から繋がっている腕には一振りの武骨な大剣が握られ
ており、そこから繰り出される一撃は掠っただけでも致命傷を負ってしまいそうな迫力が
あった。
 禍々しいその姿を表現する言葉は悪魔以外にはなさそうなそいつは、牙の覗く口から熱い
息を零し、ギラギラと赤い目をたぎらせている。
「ゴァアアアアッ!!」
 身の毛もよだつような咆哮をあげて悪魔が突進してきた。大剣を大きく振り上げながら突
進してくる様は、それだけでも相手の戦意を挫くには十分な迫力に溢れている。
 そこへ俺も両手にそれぞれ剣を握り、同じように相手へ向けて駈け出した。
 身構えず、剣は手にぶら下げたままだ。そんな無防備にも見える態勢のまま突進してくる
俺に、悪魔は先ほどと同じくらいの音量で吠えながら、振り上げた大剣を一線させた。
 当たれば即死。そんな攻撃を直視しながら、俺は正面からまともに受けるのではなく、大
きく真横にステップした。急激な動きに全身が軋むのを感じながらも、悪魔の振った大剣
が俺の真横を通り過ぎる。その大剣の面の部分を握っていた剣の柄頭で思い切り殴りつけ
ると、金属と金属がぶつかり合う不協和音と共に、悪魔が大きくバランスをくずした。
 その首元へ、剣が吸い込まれるように突き立てられる。
 だが、首元への一撃は悪魔の頑丈な筋繊維や骨によって阻まれ、刃は首の半分も達せずに
止まった。
 悪魔が態勢を整え直して反撃してくる前に、押し倒した態勢のまま刃を入れる角度を変え、
足も使って力ずくで首に刃を埋めていく。ゴリゴリと骨を削るような音と共にどんどんと
剣は沈んでいき、悪魔が絶叫を迸らせようとした時には既にその頭と胴体は分離していた。
 しばらくは痙攣するように震えていた胴体を一瞥し、俺は大量の返り血をあびた顔を拭い
ながら、同じく血塗れた二振りの剣の血を布で拭って鞘へと収め、後ろを振り返った。
「さて……ちょっと潜ればお宝だったんじゃなかったのか?ティラさんよ」
 そう皮肉を向けられたティラは返す言葉が思いつかないのか、微妙な苦笑いをしながら視
線を逸らした。
 あそこには行きたくないと冒険者に評判の無限迷宮に潜り始めて、もう数時間は経つだろ
うか。度重なる戦闘やトラップの発見・解除などにも時間を使ったのでどれくらい進んだ
のかは分からないが、もうかなりの距離を進んだのではないだろうかと思う。
 にも関わらず、成果といえば当初の予想通り、延々と悪魔達と戦い、トラップを解除する
だけで、宝のたの字もない。
 早く帰りたい。というのが正直なところの感想だが、ここまでくると何も手に入れれない
のも癪だった。
「くそっ、本当にこのままだと損しかしねぇぞ……」
 一人でぶつぶつというライトだが、彼の仲間である少女は狭い通路での戦闘が苦手どころ
か、下手に手を出したら彼の邪魔にしかならないので、もう黙ってついて行くしかない。
 というか、潜り始めて最初の戦闘で手を出してあやうく彼を殺しかけたので、以降は彼が
言うまで手を出すなと厳命されてしまった肩身の狭い身だった。
『止まってください』
 通路を慎重に進んでいると突然、彼女が手に持つ杖ティタノマキアが声を上げた。その声
にティラはもちろん、彼も歩みを止めて彼女のもつ杖を注視する。
「……トラップか?」
『はい。―――解析完了。危険度A・種類は毒霧。特定範囲内に足を踏み入れたら発動し、
通路に毒を充満させるタイプのトラップです。解呪を開始します。……解呪完了。指定魔
術の無力化に成功しました』
 ティタノマキアが言い終わると同時に先の通路が一瞬ブレるように緑色に発光すると、立
て続けにガラスを踏むような甲高い破砕音とともに緑の光も消え去った。設置されていた
魔法がなくなった、ということだろう。
「いやぁ、助かるぜマキア。さすがに俺でも魔法のトラップは苦手でな」
 物理的なトラップなら得意分野なのだが、専門じゃない魔法タイプのトラップはどうして
も発見・解除が難しくなってしまう。この無限迷宮は物理的なトラップばかりじゃなく、
魔法によるトラップも嫌というほど仕掛けられているので、恐らく俺が一人で入ったら死
にはしなくてもとっくの昔に逃げ帰っていただろう。マキアがいてくれて本当によかった。
「それに比べて……」
 ちらり、と本来は魔法が専門であるはずの少女を白い目で見ると、少女はこれ以上ないく
らいに顔を逸らした。いざとなったら結構頼りになる……とはお世辞にも言いづらいが、そ
れでもそれなりに実力を持つはずの彼女も、今のところはただのマキアの運び人だ。
 本人も自覚していたのだろう、申し訳なさそうに俯いていたティラが、突然なにかに気づ
いたように顔を上げた。
「ライト」
「……お前も気づいたか」
 今来た道を振り返る。先ほどの戦いの血のにおいに引かれてきたのか、大勢の多種多様な
悪魔達が、至る所にある通路からこちらに向かって集まってきていた。
「さすがにこの数はやばそうだな……。よし、逃げるぞ」
 そう言い踵を返して奥へと走ろうとした俺の腕を少女が掴む。振り返ると少女は顔を強張
らせたまま首を横に振った。
「ちがう…、この先に、なにかいる!」
「なに?」
 少女が気づいたものは、やがて音としてライトにも感じられるようになった。
 ズルズルとなにかを引きずるような不気味な音が通路の四方から聞こえてくる。そしてそ
れはこちらに近づいてくるように徐々に大きくなっていった。
 後方から迫る悪魔の大軍のことも忘れ、二人は固唾を呑んで前方を注視する。
 通路の曲がり角から、そいつが姿を現した。
「き―――むぐぅッ!?」
 悲鳴を上げようとしたティラの口を咄嗟に塞ぐ。
「む―――ッ!むぐーーーッ!?」
「……マジかよ」
 目を白黒させて手の中でもがくティラのことも気づかずに、ライトは嫌そうに顔をゆがめ
て呟いた。
 赤黒い、様々な生物の肉片を混ぜ合わせたようなグロテスクな姿の巨大な芋虫のようなも
のが、体を引きずるようにしてこちらに向かってくる。「むーーー!!」ふくれた体は通路
を塞ぐようにうめつくしていて、その皮膚からは、ネトネト油ぎった液体が流れ落ち、そ
れが通路の壁や床にべったりと汚していった。「む…むぐ……」体を不気味に波打たせ、正
面についた、目と思われる七つの濁った水晶体を光らせながら迫ってくる。
『ライト。マスターの顔色がおかしなことになっています』
 ティタノマキアの言葉で、はっと我に返って手の中を見ると、赤色を通り越して真っ青に
なってぐったりしているティラの姿があった。おっと、と手を離すと、ぜいぜいと荒い呼
吸を繰り返して、ティラは涙目のまま俺を睨みつけてきた。
 そんなことをしている間にも、芋虫の化け物は体表から分泌された粘液を壁にこすりつけ
ながら、通路を塞ぐほどの巨体でこちらに向かって進んでくる。
 前は巨大な芋虫の化け物。後ろは悪魔の大軍。
 さてどうする。と一瞬なやむと、そこへ悪魔が俺達を狙ったと思われる魔法の光が、体の
横を掠めてそのさらに奥、巨大な芋虫に命中した。
 芋虫の体は魔法の光を受けて所々の肉が焼けただれるも、大したダメージを受けた様子は
ない。一瞬動きを止めた芋虫はぶるる、と一度身震いすると、真っ赤な大顎を開き、不快
な鳴き声で吠えながら、悪魔の一団に襲いかかった。
 その途中にいる、ライト達を無視して。
「ティラ、壁に張りつけ!」
 自分達が怪物の眼中にないことはうすうす分かったが、だからといって安心はできなかっ
た。自分達は怪物の進路のど真ん中にいるのだ。このままでは轢き殺されかねない。
 一か八か、言いながら通路の壁に背を預けるライトに習い、ティラも慌ててべたりと壁に
身を預ける。
 不気味な芋虫の巨体が猛然と目の前まで迫っていた。「絶対に声を出すなよ」と怯えた視線
を送ってくるティラにアイコンタクトで伝えてじっと待つ。
 そして、ライトたちは壁と芋虫の間に挟まれるようなかたちで芋虫と接触した。
 化け物の皮膚から染み出ているどろどろとした粘液が全身を舐めていく感覚に鳥肌が立つ。
 怪物の皮膚越しに、怪物の中からゴクゴクというスープを飲みこむような不気味な音が聞
こえた。
 そして気持ち悪い肉と粘液の感触にしばらく耐えると、ようやく肉の壁が目の前を通過し
た。迷宮内の濁った空気ですら、いまの二人にはとてつもなくありがたく感じる。
 肉の壁の向こう側から聞こえる悪魔たちの悲鳴をバックに、芋虫でベトベトになった気持
ち悪い感触を我慢しながら、芋虫に勘づかれないように忍び足でその場から逃げだした。
「うえぇ、ベトベトー……」
 芋虫の粘液でドロドロになったブラウスをつまみながら、ティラが気持ち悪そうに情けな
い声を漏らす。遠くからは、まだ悪魔達の悲鳴や絶叫が聞こえてくる。
 帰ったあとのクリーニング代のことを考えると頭が痛いが、何よりまともに服も洗えない
この状況下で、この粘液にまみれた不快な状態が当分のあいだ続くことを考えると、げん
なりとした気分になってきた。
「……これは帰ったら馬車馬決定だな。ティラ」
「うぇえー…そんなぁー……」
「自業自得だろ。っと……?」
 ピタリ、とライトの動きが止まる。それに釣られて動きを止めたティラが「?」と首を傾
げたが、それに「静かに」というジェスチャーのみを返すと、今度は壁に手を置き、耳を
押しつけるようにして壁に顔をつけた。
「…これは……、マキア、トラップの気配はあるか?」
『いいえ、魔法によるトラップは感知できません』
 ふむ、と頷くと、壁から一歩ほど離れて剣を抜く。「ライト……?」と所在なさげに立つテ
ィラをちらりと一瞥してから一応周囲を警戒するように言うと、剣の柄頭を思い切り壁に
叩きつけた。
「あ……!」
 ティラが驚きの声をあげる。
 剣を打ちつけられた壁は金属質な音を返すと、どんな仕掛けなのか壁の一部が切り取られ
たように音もなく消滅した。その先には、いままでの回廊とは全く異なる雰囲気を持つ通
路が続いている。
「敵の気配はなし。見たところトラップもなしっと……。よし、いくぞ」
 返事も待たずに通路にライトは足を踏み入れる。少し進んでからティラが来るのを待って
いると、少女が通路に入った瞬間、通路の入り口となっていた壁が突然音もなく閉じた。
 壁が閉じたことで周囲が闇に閉ざされるのではないかと懸念したが、杞憂だったようだ。
うす暗くはあるが、通路にはいままで歩いてきた迷宮の明かりとは異なる蒼い光で満たさ
れていて、視界は十分に確保できた。
 蒼い薄明かりに照らされながら改めて見ると、通路は一本道で左右に伸びているらしい。
もしかしたら、この場所以外にもここへと繋がっている入り口があるのかもしれない。
「…ふつう、返事を聞いてから入るものだと思うんですが」
「あってないようなものだろ。さっさと進むぞ」
 口を尖らせて非難の視線を浴びせるティラを軽くあしらい、とりあえず直感に従って左側
の通路へ足を伸ばそうとした時、おや、と思った。
 通路全体に、埃が積もっている。
 それは始終怪物や悪魔が闊歩する迷宮ではまず見ることのないような光景だった。まるで
長年放置されていたような有り様だ。よくよく考えてみると、無限迷宮でこんなにまっす
ぐで整えられた通路は見たことがない。さらにトラップもなく魔物の気配、いやそれ以前
にダンジョンで感じるはずの様々な事象がここでは欠落している。まるで、迷宮とは別の
意図で作られたような……。
「…これはもしかすると……」
「…ライト、進まないの?」
「ん?ああ、悪い」
 ティラに促され、埃の積もった通路に足跡を残しながら歩き出す。
 もしかすると、これは当たりか?