「ちょっと質問してもいいですか?」そう聞かれたのは、洞窟を進む間も延々と続くゴーズの自慢話に辟易していた時だった。
「えっと……なんですか?」
 そう聞き返すと隊員は「気の所為だといいのですが」と前振りしてから、やや心配した面持ちで私の顔を覗きこんできた。
「こちらのルートを進み始めてから、どんどん顔色が悪くなってきていませんか?」
「……え?」
 その質問に答えるより先に、覗きこんでくる隊員から顔を隠すようにして咄嗟に首を逸らしてしまった。一瞬その場に気まずいような奇妙な空気が流れる。
「そ、そんな風に見えますか?」
 その空気を誤魔化すように目を合わせずに尋ねてみると、隊員は「ええ」と気遣わしげな表情で頷いてから改めて口を開いた。
「もし体調が優れないのでしたら、一度別れた調査隊と合流して洞窟から出る事も検討しますが……」
「い、いえいえそんな。大したことじゃないので大丈夫ですよ」
 あははは、と無理やり笑って取り繕うと隊員は怪訝な顔をしながらも身を引いてくれた。
「……そうですか?ならいいのですが。無理はしないでくださいね」
「……はい、すみません。ありがとうございます」
 ぺこぺこと頭を下げ礼を言うと、隊員は軽く手を振って応えてから隊列の中へと戻っていった。それを見届けてからティラはそっと憂鬱な溜息をつく。
 ……別に、体調が悪い訳ではないはずだ。そう少女は自分の体を判断する。まだとても熟練しているとは言えないまでも、一応は支援士、冒険者のはしくれである。
無理をすれば碌な事にならないのは身に染みてわかっている。
 ただ―――見ず知らずの大勢の人間と行動を共にするこの状況が、私にとってとても辛いだけだ。
「本当は、一人は嫌だったんだけど……」
 誰に聞かせる訳でもなく一人ごちる。
 だがあそこで、二人と離れたくないと子供の我が儘みたいな意見を言える訳がなかった。
 最近はただでさえ失敗が続いているのだ。これ以上あの人に迷惑なんてかけたくない。
「うまくいかないなぁ……」
 気を落としながら隊列の最後尾をついていく。ティタノマキアは今は何かを言うべきではないと判断しているのか、ただの杖として沈黙を守っていた。
 鬱屈とした気分がどんどんと物事を悪い方へ悪い方へと引っ張っていく。
 幸いにも今のところは調査隊の隊員達だけで片付けられるくらいの軽い戦闘しか起こっていないが、もし魔法を使うような局面になったとしても、
うまくいくような結末がまったく思い描けない。これではお荷物もいいところだ。いや、実際にただのお荷物なのだ。
 ―――早く、帰りたいな……。
 そう思いながらそっと溜息を吐いた時だった。
 ――――――、?
「……だれか、いるんですか?」
 立ち止まって唐突にそんな言葉が口から洩れ出た。
 その声が予想以上に大きかったのか周りにいた調査隊員たちが怪訝そうな顔をしながら振り返る。
 だが唐突に漏れてしまった言葉に、誰よりも自分が驚いていた。はっと我に返り、なんでそんなことを言ってしまったのかと後悔しながらも、
その発言のきっかけを頭の中で思いだそうとする。
「―――音?」
 音。
 そう、音だ。
 洞窟内を風が通り過ぎる音。水滴が落ちて弾ける音。調査隊が発する足音、装備の擦れる音、話し声。
そのほか周りに満ち満ちている多彩な音の中から"なんだかとても嫌な感じ"が一つだけ、はっきりとした異物として耳の中に飛び込んできたのだ。
 はたして、ティラの呼びかけに応じて通路の奥から十数人規模の集団が姿を現した。
 己々が全く違う服装から、彼らが正規の調査隊などではなく冒険者である可能性が高いのは確かだが、ならばなぜ指摘されるまで隠れるような真似をしたのか。
 一応は身構えているものの対応に窮する調査隊の中から、ここは隊長である自分の役目と言わんばかりに、ゴーズが一歩前に進み出て声を張り上げた。
「我が名はゴーズ・ブライアン!調査隊の隊長を務めている!貴様達は何者だ!!」
 しかし、それに答える声は無く、男たちは小声でなにかを囁き合うなりニタリと下卑た笑みを浮かべて己々の獲物を抜いた。
 その笑みを見た瞬間、強烈な悪寒が背筋を駆けてティラの全身を震わせる。
 男達の一連の行動に一瞬だけ虚をつかれたゴーズだが、次の瞬間には憤怒の表情を浮かべて声を荒げる。
「ええい、答えんかぁ!!」
 そう叫びながら、剣を抜いて謎の集団に向かっていこうとした時だった。
「うるせーよ、おっさん」
 その声はゴーズの後ろ、調査隊の中から。
 その声の持ち主は調査隊の中から飛び出すと、躊躇なくゴーズの背後から剣を突き立てた。
「ぐわぁああああああああああああああああ!!?」
 ゴーズの野太い絶叫が洞窟に響き渡る。調査隊は状況を理解できずに凍りついていた。
「こ、これはどういうことだ……?」
「うるせぇって言ってんだろうが。もう死ねよ」
 鎧と鎧の隙間に埋め込まれた剣の尖端が反対側から飛び出す。突き立てられた剣が勢いよく引き抜かれて鎧の隙間から大量の鮮血が噴き出し始めると、
ゴーズは驚愕を顔に張り付けたまま呻き声を上げて膝から崩れ落ち、やがて自らの血で作り出した血溜りの中でぴくりとも動かなくなった。
「た、隊長!?」
 そう叫びながら動かなくなったゴーズの元へ行こうとした隊員を、今度はまた別の隊員が背後から斬り殺した。
 それを合図に複数の隊員達が、仲間であるはずの調査隊に襲いかかる。
 よもや仲間に襲われるとは思いもしなかったのだろう。襲われた者達は碌な抵抗も出来ずにその凶刃に倒れ、ある者は頭を割られ、
ある者は首を斬られ、ある者は腹を突かれて血の海へと沈んでいった。
 目の前で繰り広げられる惨劇に、ティラは腰が抜けたようにへたり込んだ。
「は、―――」
 なにが、なんで、どうなって。
 何が起きているのか、見ているはずなのに思考が理解を拒否していた。
 それは理解すればどうなるか分からないという恐怖によって引き起こされた、理性による一種の防衛反応だった。しかし、これだけは頭ではなく体が理解していた。
 ―――動けば、死ぬ。
 それは焼けた鉄に触れたら熱いだとか、刃物に触れたら皮膚が裂けるといった生物の根本的な理解からくる確信だ。しかし一方で現実への理解を
拒否する思考の中でもまた、一刻も早くこの場から逃げ出したいという考えが渦巻いていた。それもまた根本的な理解からくる確信だった。
―――逃げなければ死ぬ。
 そのふたつの確信の板挟みになって身動きが取れなくなっている間にも、襲われている隊員はその数を減らしていった、数分の間に洞窟内に
響き渡っていた悲鳴や絶叫はぱったりと止み、少女以外の襲われていた者の中で立っている者はひとりたりともいなくなった。
 血だまりの中で動かなくなった調査隊員たちから剣を引き抜き、元隊員だった男達はいまだ混乱の渦中にいるティラに向き直ってニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「悪いな嬢ちゃん。こっちに来た奴は皆殺しにしていいって言われてるんだ。悪く思うなよ」
 そう言うと調査隊員だったはずの者達だけではなく、成り行きを見ていた謎の集団までがこちらに向かって武器を構えた。
その二つの集団は混ざり合い、もはや区別のつかないひとつの集団と化した。
「……は、」
 無意識に息を吐いて信じられないように目を見張る。思考がぐるぐると急速に回り始める。
 頭の中でばらばらだった情報が整理され、パズルのピースを組み合わせるように現状を知覚していく。
 それは少女に残酷な現実を突き付けた。
 まさか、全員?
 では、味方は誰もいない?
「や……いや……」
 現状を認識し、孤立無援を悟った少女がいやいやをするように首を振って後ずさると、男がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、獲物を嬲るように
ことさらゆっくりと近づいてきた。その男がぶら下げる剣から赤い液体が滴り落ちるのを見て、ティラの体がこれ以上ないくらいに震える。
「おいおいそんなに震えるなよー。手元が狂っちまうだろー?」
「ひぃ……っ!」
 振り上げられた剣に反射的に腕を上げ、握っていた杖で受ける。ガギンッ、と金属同士が打ち合う音が鳴り響き、その衝撃に耐えきれずに杖を取り落とした。
 愕然と取り落とした杖を目で追っていると、腹部に頑丈な靴の尖端が食い込む。
 「がっ……!」息が詰まり、蹴り上げられた体が宙に浮き上がる。近くの岩壁に叩きつけられた体が地面に投げ出された。
「あが……っ!うぁ、げほ!げほっ!」
 咳き込んで体を丸めてうずくまる。
 腹部に走る激痛と喉元までせりあがる嘔吐感を必死に押し留め、ガクガクと震える手足を必死に動かして逃げようとするが、うまく力がはいらず、
ろくに動くことができない。
 逃げなくては、という思いだけ空回りし続ける少女の足元に、ついに男が立ち止った。
「はい、捕まえた。嬢ちゃん鬼ごっこは済んだかな?」
「う……あ……っ」
 這いつくばったまま、蹴り飛ばされたことで距離が開いてしまったティタノマキアに向かって必死に手を伸ばすと、その手を男の足が踏み付けた。
思わず上げてしまった苦痛の悲鳴を楽しむように、男がこれ見よがしにぐりぐりと踏み付ける足を動かしながら、下卑た笑みを顔に張り付ける。
「おいおーい。杖がなかったら何にもできねーのかよオネーチャン。初歩的な魔法くらいできんだろ?ほら見せてみろよー」
 そう言いつつ、男はティラの手を踏み付けていた足を持ち上げた。断続的に続いていた苦痛から解放され、思わずほっと安堵した瞬間。
 ボギン!と硬い物が砕ける音が響き、視界が真っ白に染まった。
「ひ…ぎ……っ!?あぁああああああああああああああ!!」
「おっと悪りぃ、力加減を間違えちまったぜ」
 男は嗜虐的な笑みを浮かべながら、踏み砕いた少女の手をそのまま踏みにじる。
 痛みにぼろぼろと涙がこぼれ、思考が散々に千切れていく。逃げる、という単純な考えすらももはや浮かんでこなかった。
 ただ、怖い。目の前にいる人間が、怖くて怖くて仕方がない。
 破裂してしまいそうなほどの激しい動悸と、背筋の凍りつくような怖気を同時に味わいながら、ティラは嗚咽を漏らすまいと歯を食いしばり、ぎゅっと瞼をきつく閉じた。
 やめてと哀願したら、やめてくれるだろうか。地べたに頭を擦りつけて命乞いをしたら、許してくれるだろうか。同じような考えが、延々と頭の中を回り続けた。
 ―――でも。
「ふ…ぐ……ぁ……っ!」
 それでも、絶対に、やめてと哀願したりしない。少女は痛みでバラバラになりそうな心に残った最後の意地で、苦痛に耐え続ける。
 少女の様子からそれを察したのか、男は舌打ちをして最後に思い切り手の甲を踏み抜いた。
 苦悶の声を漏らす少女から足をどければ、折れた骨が皮膚から飛び出した血まみれの手が、痙攣を起したように震えている。
 それを一瞥してから地面に唾を吐き捨て、男は腰に吊るした剣を抜いた。
「さーってと、そんじゃあサックリとぶっ殺すとするか」
 抵抗する気力を失ってもなお真っ直ぐこちらを見てくる少女に向けて、大きく剣を振りかぶる。涙を溜め、暴力に晒されても消えない瞳の中の光が、
男は気に入らなかった。
 だが、そこで「まぁ待てよ」と別の男が後ろから手で制した。なんだよ、と男が舌打ちをする。すぐにでも殺されると思っていたらしい少女も、わずかに
困惑の色を見せた。制止した男はそんな様子の少女の体を舐めるように一瞥してからにやにやと笑った。
「どうせ殺しちまうんだからよ。その前にヤッちまってもいいじゃねーか。よく見りゃ可愛い顔してるしよ」
「………え?」
 初め、何を言っているのか、わからなかった。
 そう言われればそうだな、と男達が同意を示してこちらを見る。そしてその意味をようやく悟り、少女の顔が恐怖に染まった。
 にちゃにちゃとしたどす黒い欲望にぎらつく眼、眼、眼。伸ばされた手が視界いっぱいに広がる光景は、少女の意地を意図も容易く打ち砕いた。
 伸ばされた腕が胸元に到達し、そして―――、
「ひっ―――いやぁああああああああああ!!」
 少女の意識は、真っ赤になって爆ぜた。
最終更新:2013年03月11日 02:49