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「はっ……!」
 目を覚ますと、豪華な装飾を施された天井と一見して高そうな照明の光が映った。
 しばらくぼんやりと天井を見つめてから白いシーツを捲り、ゆっくりと上体を起こす。
「夢……?」
 詳細な内容は、もう覚えていない。ただ、酷く怖い内容だったのは確かだ。その証拠に寝汗で寝巻きどころかその下に身につけている下着までびしょびしょだし、激しい動悸も収まる気配がない。
「夢……だよね……?」
 とりあえず起きよう。そう思ってベッドに手をついて上体を起こそうとしたところ、右手に鋭い痛みが走った。なにがなんだか分からずに右手を眺めると、肌の見える隙間もないくらいぐるぐるに包帯が巻かれている、痛々しい右手が視界に飛び込んできた。
 なに、これ。と、口の中で呟いてから、恐る恐る右手を動かしてみる。しかし、右手に力が入らず、僅かに指を動かした途端、手に何本もの針を突き刺したような鋭い痛みが走って顔をしかめる。それからも痛みは引かずにジクジクとした痛みが熱を伴って右手を苛み続けた。
 その痛みで、もう忘れてしまったはずの夢の内容が一挙に頭の中にフラッシュバックした。
 新しく流れた冷や汗が眉間をつぅ、と伝う。
「あれは……夢じゃ……ないの………?」
 無意識に無事な左手で胸元を押さえる。このまま破裂してしまうのではないかと思えるほどの激しい動悸でさえも、胸に巣食う恐怖を打ち消してはくれなかった。
 なにも食べていないはずなのに、吐き気が酷い。
「ライト……?」
 呟いてから、周囲をきょろきょろと見渡してみるが、望みの人物を見つけることはできなかった。買い物にでも出掛けているのだろうか?それとも昼寝?
「気が、きかない、なぁ……」
 そう呟いてから無理にうっすらと笑ってみるが、その笑みは長くは続かず、すぐに溶けて消えてしまった。
 相手のいない作り笑いほど空しいものはない。
 ベッドの上で上体を起こし、心細さを紛らわすようにギュッとシーツを抱き寄せる。
 
 本当に、気がきかない。
 
 シーツを抱き寄せたまま改めて部屋を見回してみると、そこが普通の宿ではないことは一目瞭然だった。壁や天井の装飾は非常に精巧に出来ているし、調度品ひとつ取っても、高級品が放つ独特の雰囲気を漂わせている。
 そうして落ち着きなく辺りを見ていると、ベッドの横にティタノマキアが立て掛けられているのを発見した。金属特有の輝きと、ティタノマキア独特の精密で奇怪な形状、メイスと見間違うほどのごついフォルムが、調和の取れた部屋でひと際異彩を放っている。
「マキちゃん?」
『はい、マスター』
 声を掛けると杖から涼やかな女性の声が返ってきた。思わずほっと息を吐いて、強張っていた体からゆっくりと力を抜く。動悸は収まらないが、話し相手がいるだけでもかなり気持ちが楽になった気がした。
「えっと……、ここ、どこ?」
『ここはモレクにあるクローディア・プレスコット様の別邸です。意識の無いマスターが治療を受けてここに運ばれてから、2日が経過しています』
 2日。その言葉と共に生唾をごくりと飲み込んでから、恐る恐るティタノマキアを手に取って、膝の上に下ろす。片手で持つには、少し重い。
「それじゃあ、やっぱり。あれは、夢じゃ、ないんだよね……?」
 確認というよりは、もはや確信に近い声色でそう聞く。しかし、ティタノマキアはすぐには返事を返さなかった。珍しく沈黙を続ける杖に不安を覚え、「マキちゃん?」と再度問いかける。ひょっとして聞き方が悪かったのかな、"あれ"だけじゃ何のことか伝わらなかったのかも。そう思い始めていた頃になって、ようやくティタノマキアは重い沈黙を破った。
『マスター、申し訳ありません』
「………へ?」
 突然の謝罪に、ティラはきょとんと目を丸くする。彼女へ謝るようなことは日々度々あっても、彼女が謝るような事が最近あっただろうか、と考えていると、その答えはすぐに返ってきた。
『私は、マスターを守ることができませんでした』
 恐らく彼女が人の姿をしていたなら、とても暗い表情をしていると簡単に想像できてしまうような沈痛な声。
 そして、それが先程のティラの問いに対する答えだと気付くのに、しばらく時間がかかった。
「えっと、あの?なんでマキちゃんが謝るの?」
 疑問符を浮かべるティラに、杖はとつとつと語る。
『私はマスターの道具です。道具は使用者に使われることに存在意義があり、そこに道具自身の意思は反映されません。もっとも、意思を表現できる道具の存在自体が稀なのですが」
 突然そんな説明を始めた彼女に目を白黒させるティラに、しかし、とティタノマキアは自分を責めるような口調で続ける。
『私は、その役割を果たすことができませんでした。"所有者を助け、所有者を守る"。それが制作者であり前マスターから与えられた私の道具としての役割です。しかし、あの時マスターの手から離れた私は、役割を果たすことができず、あなたは自らを守る術を失った』
 ティタノマキアを手放してしまった後に言われた、初歩的な魔法くらい使えるだろう、という問いに対する答えがこれだった。
 使えないのだ。少女は、ある特異な体質から、通常ではティタノマキアの高度な魔力制御を介することでしか正常に魔法を使うことができない。介さず発動させれば、まず間違いなく暴発を招き、周りはおろか自身の命さえ危険に晒す。
『敵に嬲られ続けるあなたを見ることしかできなかった。……今でも思います、私に、動かせる身体があればよかったのに、と』
 それはなまじ知性があるからこその苦悩だったのだろう。助けたくても、杖という一介の道具である以上、助けられない。行動する意思はあっても、それが叶わない悔しさ。
 以前、人工知能という未知の技術によって人に造られた人格だと聞いたことがあったが、彼女のそれは人間とほぼ相違ないように思えた。むしろ彼女の精神は普通の人間などよりもよほど高潔だ。
 しかし、ティタノマキアは『いいえ』と自嘲するように言葉を切る。
『すみませんマスター。いまのは忘れてください』
 本人も解っているのだろう、それが不可能なことを。
 大陸には機械人形という、人とそっくりな姿形をした機械駆動式の人形も存在するので、同じ機械であるティタノマキアも人の形になるのは可能なのではないか、とも思っていたが、昔そのことを彼女に聞いてみると、作りが根本から違うので無理、なのだそうだ。
 それでも、不可能だと理解していてもなお、私のことを想ってそこまで言ってくれたのが嬉しかった。恐怖で冷たくなっていた胸の内にほのかな暖かさが灯ったのを感じながら、ティラはそっとティタノマキアの冷たい表面を撫でる。
「いいえ、その思いだけで私には十分です。マキちゃんは十分すぎるほど頑張ってくれてるよ。悪いのは、私が……」
 ―――私が、弱かったから。
 最後の言葉をぐっと飲み込み、彼女に向かって大丈夫、と言って元の場所に戻すと、部屋に再び沈黙が訪れた。ティタノマキアと話すことで紛らわせていた吐き気や恐怖心が、時間を経るにつれて再び鎌首をもたげ始める。
 その直後、部屋に続く扉がノックもなしに開かれると、その奥からいつもと変わらない黒いコートの出で立ちのライトが現れた。その後ろをついて行きながら、金糸を引き延ばしたような綺麗な金髪を揺らして、女の子が油の滴る大きな肉の塊に幸せそうにかぶり付いている。
「なんだ、ようやくお目覚めかよ?」
 開口一番にそんな皮肉とも嫌味ともとれる言葉を、へらへらとした軽薄な笑みと共に放った彼は、手に持っていた紙袋をベッドの横に備え付けられていた机の上にどさりと下ろすと、近くにあった椅子をベッドの傍まで引き寄せてから座った。小さな女の子は両手に肉の塊を保持しながらベッドに直接ぽすんと腰を下ろして、もぐもぐと肉塊に挑みかかる。
「右手以外は目立った怪我がなくて何よりだ。ああ、そういや、お前があの時着てた服は血塗れになってたから処分したぞ。血って言ってもお前のじゃなくて他人の血だから心配すんなよ」
 そこは心配する方向性が違うのではないだろうか、と一瞬首を捻るが、そこで彼の科白に気になる点があるのに気がついた。着ていた服は処分した、そしていま自分は寝巻きである。もちろん意識のなかった自分が着替えたわけではない。では、誰が着替えを……?
 そこまで思い至ると、ティラははっと顔を耳まで赤く染め、彼から体を隠すように自分の身を抱いた。
 その一連の行為に怪訝な顔をしたライトは、しばらくしてから彼女の物言いたげな視線で意図を察したのだろう。呆れたようにがりがりと頭を掻いてから、溜め息をひとつ。
「一応言っておくが、着替えをさせたのはクローディア付きの侍女だからな」
「えっ……、あ、そ、そうなんだ」
「つーか別にそんなこと気にするような体型でもねーだろ」
 ほっと安堵して力を抜いたところへ降ってきた一言に、凍りついたように全身を強張らせる。ギギギ、と錆びた歯車の様なぎこちない動きで首を動かし、どういう意味だ、と視線で訴えかけたら、ライトは無言で肩を竦めるだけだった。
 再び顔が真っ赤になるのを感じた。
 しかしライトはその様子を見てもどうでもよさそうに座っているだけだ。
 ティラが恨みがましい視線を彼に送っていると、再びライトが口を開く。
「まぁ、そんだけ元気そうなら問題ないな。俺はちょっと用事があるから出掛けるが、お前は大人しく寝とけ」
 それだけ言うと、ライトは椅子から立ち上がる。ちらりと一瞬だけティラの横にいる少女に視線を向けたが、肉の塊に挑みかかる様子を見て放置してもいいと判断したのだろう。なにも言わずに部屋の外へと繋がる扉に向かい始めた。
「え?あ、まっ……」
 背を向けて離れていくライトを見て、ティラは強烈な焦燥感と、先程ひとりでいた時の恐怖を思い出した。
「あん?」
 彼がぴたりと歩くのをやめて、怪訝そうに振り返る。
 そこで―――彼女は、自分が無意識に彼のコートに手を伸ばし、その端を握り締めていることに気がついた。
「あっ………」
 自分の行動に半ば呆然としつつも、その手を離そうという気はまったくしなかった。もしかしたら怒られるかもしれない、という不安がよぎるが、それでも掴んだ手を離さず、彼の反応をまるで怯えた小動物のようにびくびくと伺う。彼はその様子を見て、「あー……」と少し気まずそうな声を出しながら、がりがりと頭を掻いた。
「そうか、そういやそうだったな。最近は全然素振りを見せねーからすっかり忘れてたぜ」
 そう独り言をぶつぶつ呟くと、おもむろにティラに向かって手を伸ばす。ビクッと首を竦ませる少女の頭を、彼はぽんぽんと軽く叩いてから、ゆっくりと撫でた。
 きょとんとして彼を見上げたティラの頭を、彼はゆっくりと撫で続ける。
「悪かった、独りにして」
 落ち着いた声、そしてゆっくりと頭を撫でられる手の感触に、これまで耐えていた彼女の涙腺が、胸の内にあるわだかまりと共に決壊した。
 ぐにゃりと顔を歪め、彼の胸にしがみつき、恥も外聞もなく泣いた。わんわんと、それこそ小さな子供がするように声を張り上げて、体の中の悪いものを全部吐き出してしまおうとするかのように。
 
 少女が泣き止むまでの間、ライトは黙って彼女の頭を撫で続けた。
 
 
「どうですか?ティラさんの容体は」
 泣き疲れて再びベッドで眠りについたティラを見ながら、この別邸の主であるクローディアが気遣わしげに聞いてきた。随分前から部屋の前にいたことは気付いていたが、気を使ってずっと外で待っていたらしい。
 ライトはベッドで眠るティラと、その隣で肉の塊を食べ終えてそのままベッドで横になった少女を見ながら首を横に振った。
「駄目だな、右手の状態も良くないが、それ以上に精神的に限界が近い。まぁ未遂とはいえ複数の男に犯されかけたんだ。よっぽど頭がイカレていない限りは当然だな。むしろショックで男に対しての拒絶反応が出なかっただけマシと言ったところだ」
 素っ気なく答えてから、ライトはさっさと話題を切り替えた。
「それで、なにか分かったのか」
 話題が変わったことで、クローディアの気遣わしげな表情は一変し、凛とした騎士団長の物へと変わった。
「ええ、あなた方が捕らえた団員達は未だ黙秘を続けていますが、依頼元である自警団から確認が取れました。編成中の調査隊の人員は、ある人物によって大幅に変更されたそうです。依頼も、特定個人を指名した覚えはないそうですわ」
「ふぅん、てことは俺達を指名したのもそいつの仕業か。で、誰なんだ?」
「ロジー・スールという人物で、資産家です。自警団や教会、そのほか様々な組織に多額の資金援助を行っていて、強い発言権を持つ一方で、表舞台にはほとんど姿を現さないので謎の多い人物としても有名ですわ」
 ひゅう、とライトはわざとらしく口笛を吹く。
「へぇ、なかなかの大物じゃねーか。金持ちはなに考えてんのかさっぱり解んねーな。最高にくそったれだ」
 腕を組んで、椅子にどかっと座り直す。一貴族にして騎士団長でもある人物を前にしてその態度は極刑もいいところだが、気にしない。当の貴族サマも何も言わないので問題ないだろう。
 ライトは座ったまま足を組みつつ首を傾げる。
「……で?そいつを捕まえることはできんのか?」
 駄目もとで聞いてみると、案の定クローディアはあっさりと「難しいでしょうね」と首を振った。その仕草ひとつを取って見ても気品に満ちている、というのは、実は貴族のなかでも珍しい。それが上辺だけでなく実を伴っているというのなら尚更だ。
 権力に味をしめて甘い汁を啜り続ける貴族は嫌いだが、彼女の様な人間なら嫌いではない。
「摘発するには証拠が足りませんし、相手は教会や自警団に強力な発言権を持つ人物ですわ。生半可な証拠ではもみ消されるのがオチですし、無理に問い詰めれば逆にこちらが潰されかねません」
「まぁそうだろうな、聞いてみただけだ。貴族サマも色々と大変だな」
 へらへらと軽薄に笑いながら皮肉を漏らすと、クローディアは複雑そうな苦笑を浮かべた。
 だが次の瞬間には、「しかし」と、真剣な表情で彼を見つめ返した。彼女は続ける。
「これ以上の被害があなた方に降り掛かるのは、プレスコット従騎士団の団長として、そして一人の友人としても見過ごせません。我々はしばらく彼の周りを調べてみるので、出来ればあなた方はしばらく南大陸から離れていてください。その間の資金は私が支払います」
「へえ、随分と太っ腹だな。……で、それは命令か?」
 目を細めながらにやり、と探るように問うと、クローディアは動じた様子も見せずに首を振る。
「提案、ですわ。"敵"の手は長い。このまま南にいれば、また余計な事件に巻き込まれないとも限らない。それならば、確実に敵の目が光っているであろう南にいるよりは、北で身を隠す方が得策かと。とくに、いまのあなた方にとっては」
 ちらり、とベッドで眠るティラに視線を向ける。開放骨折して酷い有り様だった右手は、設備の整っていないモレクの教会で行った治癒術式では完治せず、いまも痛々しい包帯姿のままだ。何より彼女の精神は限界に近く、しばらくの休養が必須なのは誰の目に見ても明らかだった。
 
 "敵の手は長い"。
 
 ライトは皮肉っぽく口元を曲げながら椅子から立ち上がると、クローディアに向かってわざとらしく手を差し出した。それを了解の意と取り、クローディアも頷いてその手を握る。
「オーケー、その"提案"に乗ってやるよ。大体最近はこいつらのせいでロクに休めなかったんだ。ここいらで休憩とらねえと体がもたねえ」