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 リエステールの北東に位置する港街から出航した船の船内で、ライトはぱちりと目を覚ました。窓辺から見える月明かりを見る限り、まだまだ夜は長いだろう。
 中途半端な時間に目を覚ましたことを軽く後悔しながら、自分の物ではない体温を感じて横を見ると、隣では毛布をかぶった少女が、体を丸めて静かな寝息を立てている。
 なんとはなしに少女の頭を撫でてみると、金糸のような髪がサラリと指の隙間からこぼれた。普段手入れをしているわけでもないのに綺麗な髪だ。
 その手に反応したのか少女が少し身じろぎをしたので、そっと手を離す。
 起こさないように音を殺して立ち上がると、ちょっと外の空気でも吸ってくるか、と甲板へ出るためのドアへ向かった。
 
「……ん?」
 
 ドアを開けた途端、潮風と一緒に澄んだ歌声が流れ込んできた。
 吹きつける潮風に乗り、ギシギシと軋む船の音と押し寄せる波の音にも溶け込み、満天の星々が踊る夜空へ、闇色に染まる水平線へ、どこまでも響いていく。心の中へスッと染み込んでいくような、静かで、透き通った音色。
 
『―――、――――――、』
 
 普段大陸で使われているものとは異なる、聞き慣れない不思議な言葉で歌う少女を見つけ、ライトは呆れながらも近づいた。
「おいおい、その姿を晒していいのかよ?」
 その声に反応して歌は止み、少女が振り返る。―――銀髪が揺れ、瑠璃色の瞳がまっすぐにライトの姿を捉えた。純白に近い銀髪はそれ自体が仄かに光り、瑠璃色の瞳は満天の星を宿したように美しく輝いている。
「大丈夫だよ。こんな夜中なら見られる心配はないし、それに、これで歌いたい気分だったから」
「バーカ、ここは船の上だぞ。マストの物見台には見張りもいるし、そうでなくともこんな夜中に歌えば働いてる船員は嫌でも気付く」
 そう言うライトの顔には、明確な苦笑が浮かんでいた。
 どうやら少女にしては珍しく―――余程苛ついていたらしい。
 やれやれと肩を竦めながら、少女の隣まで移動して船縁に寄りかかる。
「……あの騎士か?」
 というよりは、それ以外には心当たりがのだが一応聞いてみると、案の定ティラは不貞腐れたように唇を尖らせた。図星だったらしい。
「まぁ気持ちはわからんでもないが、お前がそこまで露骨に嫌がるのは珍しいな」
 純粋に興味があったから聞いてみただけなのだが、ティラは「だって……」と親に叱られた子供のように拗ねた顔をした。
「あの人は、なんか嫌。嫌な感じがする。何か隠してる」
「そりゃそうだろ。なんせあの司祭サマが直々に指名した奴だぜ。護衛っつーか、どう考えても俺達の監視が目的だろ」
 そう言うと、彼女は船縁に頬付きをつきながらぼんやりと海を眺め、はぁ、力の無い溜め息を吐いた。ロズワルドが旅に同行し始めた、ここしばらくの間によく見るようになった仕草である。
 いつもの彼女とギャップがありすぎて、見ているこちらまで気が滅入ってきそうだ。
 
「どうした、本格的に元気がねーな?……あの日か?」
 
 嫌な雰囲気をわざとぶち壊すように冗談混じりに聞いてみた途端、拳が飛んできた。
 
 とりあえず当たると痛いので、その拳をひょいとかわす。すると拳が空を切ったティラは恨みがましい目でライトを睨み付けた後、なにかを諦めたようにがっくりと肩を落とし、船縁にもたれ掛かかって水平線へぼんやりと視線を投げた。
 その様子に少しからかい過ぎたか、と思いつつ、口にこそださなかったがライトも同じように船縁に寄りかかり、少女の視線を追うように海へと視線を投げる。そのまま空を見上げれば、雲ひとつなく、遮るもののない夜の空では無数の星が我が物顔で己の存在を誇示し、その中でもひと際大きな存在感を放つ月は、自らの存在を誇張するかのように強く輝きながら夜の海へ光を降らせていた。綺麗な星空だな、と柄にもなく呑気に思いながら、ライトはぼんやりと外を眺める。
 
 ―――どれくらい、そうしていただろうか。
 
 かなりの時間が経過したかもしれないし、もしかしたらそれほど時間は経っていないかもしれない。時の経過もあやふやになってきた頃、ティラが沈んだ声で沈黙を破った。
「また、同じ。私の周りで起こっていることなのに、私の知らない所で、私の知らない内に勝手に進んでいく」
 彼女は包帯に包まれた右手を左手で包むようにして、胸元でそっと握りながら、視線を下に向ける。そこは星々によって彩られた夜空とは正反対の、呑みこまれてしまいそうな漆黒の海。
 そんな彼女を横目に流しながら、ライトはつまらなそうに言う。
「お前、なにがそんなに不安なんだよ?」
「……わかんない」
 うつむいたまま、ぽつりと呟く。
「わかんない。わかんないから怖いの。当事者のはずなのに、なにもわからないまま終わって、そのまま流されて」
 そう、自分は、いまの状況に流されている。
 それがたまらなく嫌だった。流されるままに生きていた昔の自分とまったく変わっていない気がして。
 周りから流されるままに生きるのはもう嫌なのだ。しかし流されているとわかっているのに、どうやってその流れから出ればいいのかがわからない。
 いや、そもそも、自分がなにをしたいのかもわかっていない。流れから出れたとしても、それからどうするのか?それが抜けている。まるでいま眺めている漆黒の海の中でもがいているような気持ち悪さに、続けようとした言葉も次第にしぼんでいった。
  再び訪れる沈黙。しかしそれは先ほどとは打って変わった、居心地の悪いものだった。
それでもその場から離れようとしないのは、自分はきっと彼に励ましてもらいたいんだろう、と心の片隅で思っているからだろう。
 別に道を示してくれとは言わない。面倒くさそうにでもいいから、「元気だせよ」と一言だけでも励ましの言葉を掛けて欲しかった。
 そしてきっと、彼は私の望む言葉を掛けてくれる。そんな期待を持ちながら、ティラは彼が次に言う言葉を待った。しばらくそのまま黙っていると、面倒くさそうに長々と溜め息をついてから、ライトがようやく口を開く。
 
「くだらねえ」
 
 だが、彼の口から出てきたのは、そんな予想外の言葉だった。
 聞き間違えだろうか、と自分の耳を疑いながら彼へ顔を向けると、彼はへらへらと嘲笑ともとれる嫌な笑みを張り付けていた。それがどうした、と言わんばかりに。
「流されて生きることの何が悪いんだ?なんとなく流されていた方が楽に生きていけるに決まってんだろ」
 そんな、でも、と戸惑いを滲ませながら反論しようとする私の声の上から被せるように、「つーかよ」とわざとらしく続ける彼の嘲笑の矛先は、間違いなく私に向けられていた。普段は怒られこそすれ、絶対に向けられることのない表情に絶句する。同時に裏切られたという気持ちが胸の中で膨れ上がった。
「碌に力も持ってない癖に流されたくないとかピーピー喚くなよ。おまけに何にも考えてないってか。ガキか?お前は。この業界で弱い奴のワガママは通用しないぜお姫様?」
「―――っ!?ライト!」
 かっとなって、気がつけば平手が飛んでいた。乾いた音が彼の頬から予想以上の大きさで発せられる。
はっと我に返って「ご、ごめんなさ……」と謝ろうとした口が、ふと湧きあがった疑問で止まった。なぜ、彼は平手打ちを甘んじて受けたのだろうか?
 彼なら、こんな小娘の平手打ちなど容易に避けられたはずだ。さっきのように。
 ……もしかして今のは、わざと受けた?
 その心の中の疑問に答えるように、彼は平手を受けて赤くなった頬を撫でながらも、にやりと口元を曲げてみせた。さっきの嘲笑とは違う、いつもの彼の笑みだ。
「ちょっとはスッキリしたか?」
「え……?」
 唖然とする私に、彼は「めんどくせぇな」とでも言いたげにやれやれと首を振りながら、自分の頭をがしがしと乱暴に掻く。
「ちょっと深く考えすぎだお前は。煮詰めて考えてもいいことねえぞ。もっと気楽に考えりゃいいんだよ」
「う……」
「流されないのが無理なら、流れついた先で牙を向けばいい。いままで散々人を流して、全部自分の思い通りになってると思いこんでる奴らの横っ面をぶん殴ってやれ。お前らの思い通りの結末になると思うなよってな」
「……そんなこと、出来るのかな……?」
 尚も弱気な言葉を洩らす私の背中を、ライトは乱暴に叩いた。
「あーもう、うじうじするんじゃねぇよお前らしくもねえ」
 背中から手を離して真っ直ぐに私を見つめ返しながら、ライトは真剣な面持ちで言う。
 
「お前には期待してるんだ。あんまり失望させんなよ?」
 
 期待。それが何なのかは私には分からない。だけどあまりにも真剣な目で見つめられるのが恥ずかしくて、私は視線から逃げるように俯きがちになりながら無言で小さく頷いた。
 顔が火照っているのは、きっと気のせいではないだろう。
 そうやって視線から逃げていると、無言の首肯で納得したのかライトは視線を外し、あらぬ方向を見ながらこう呟いた。
「まぁ、俺は約束を守るだけだ」
 その科白にはっとして少女が顔を上げる。彼は珍しくまっすぐな笑みを浮かべていた。いつもの皮肉げな笑みとの違いが判りづらい、まるで獣が無理やり笑っているような、そんな少しぎこちない、けれど穏やかな笑み。
 
「立ち止まろうが、挫けようが、裏切られようが、俺はお前の味方だ」
 
 それはひどく押しつけがましい約束だったが、約束を交わした『あの日』、確かに少女を救った約束だった。
 『あの日』の約束を口にするライトを見ていると、私の唇は自然と動いた。
「約束、してもいい?」
 彼にとって、約束とは絶対だ。自分に出来ないことは約束しないし、そもそも約束事など滅多に行わない。
「あん?まぁ、内容を聞いてからだな。聞いてもいないのに約束なんてできるか」
 だが、彼はまるで明日の天気を聞かれているかのように平然とした態度で受けた。
 へらへらと真剣さの欠片もない気楽な態度に逆に安心を覚えながら、私は口を開いた。
「あの子を守ってあげて。私じゃ、無理だから」
 所詮、自分は周りに流されるだけの小娘でしかない。心の中でそう自嘲しながら言うと、ライトは一瞬考えるように視線を泳がせた。
「あの子?ああ、ステラか」
「ステラ?」
 問いに問いで返すとライトが苦笑する。
「いつまでも名無しじゃ不便だろ。だからまぁ、便宜上って奴だ」
 そういうと、ライトはコートの懐から表紙がボロボロの本を取り出して、その表紙を軽く手で叩いた。
「あいつと出会った装置の部屋に落ちてた手記だ。その中にそれっぽい名前を見つけたんで、とりあえず拝借してみた。……なんだよその顔は」
 ライトに訝しげな目で見られ、そこで初めて自分が笑っている事に気付いた。
「え?あ、えっと……ちょっとライトには似合わないなぁ、と思いまして」
「……ほっとけ」
 ふん、と鼻を鳴らして吐き捨てる。もしかしたら彼も自分らしくないという自覚があったのかもしれない。
「あと、その約束はお断りだな」
「え……?」
 あっけらかんと断るライトに、私は驚きと一緒に落胆を感じた。
 しかしすぐさま彼は次の言葉を続け、その内容に顔を上げる。
「やるんならお前も一緒だ。自分に無理だからって責任全部押し付けるんじゃねーよ。そもそもお前が拾ったもんだ」
 真っ直ぐにこちらを見つめ返すその瞳には挑むような、あるいは試すような光が湛えられていた。
 どんなに遅い歩みでも、自分の隣を歩いてくれる人。
 ティラは自然と口元を綻ばせながら言った。
「うん、わかった。約束だよ。一緒に、あの子を守ろうね」
 その科白を聞いたライトは面倒くさそうに溜息を吐くと、そっとティラの頭の上に手を置いて、ぐしゃぐしゃと白く光る髪の毛を掻き混ぜた。
「そうか、ならめんどくせぇが、このゴタゴタが片付くまで引き受けてやる。約束だ」
 
 髪の毛を掻き混ぜられて顔は見えなかったけど、その時の彼は笑っていたような気がした。
 
 そうだったらいいなと思いながら、私は彼の手の下でそっと笑った。