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 予想外の長旅にライトはやれやれと息を吐いた。
 いま訪れているクロッセルは、北の首都であるリックテールからさらに北西に位置した大陸最北西に位置する町だ。北の雪原を渡れば大陸の中でも特異な文化を持つ町として有名な十六夜。西に広がる海原を超えれば、一年を通して雪に覆われた小大陸が丸々ダンジョンとして指定されている雪原へと繋がっている。
 クロッセルから十六夜にかける一帯は天然の温泉が湧くことでも有名で、一説では海底火山で暖められた地下水が丁度そのあたりで湧き出ているからだとも言われているが、まぁ大抵の人にそんな話はどうでもよく、要は温泉があるから入りたいという老若男女に大人気の地域なのだった。
 クローディアの伝言を預かっていた人いわく、『南部との玄関口である港や大きな街だと危険かもしれないので念のために。あと泊まるなら温泉があったほうがいいのではと思いまして』とのこと。長旅の疲れで愚痴のひとつも言いたくなるところだが、今回の旅費は全部クローディア持ちなので言うことは何もない。タダ最高。金持ち万歳。
 
「ライト殿、私はティラ様に嫌われているのでしょうか?」
 
 何事も無くたどり着いた宿の一室でくつろいでいると、不意にロズワルドがやってきてその様な事を聞いてきた。ちなみに俺の横ではステラが大きな白尾をでろーんと伸ばしたまま、すやすやと寝息を立てている。旅の道中にうっかり目の前の騎士に見られた時には少し騒ぎになりかけたが、竜人の子供だと説明したら拍子抜けるほどあっさりと納得した。
「なんだよいきなり」
「いえ、なんというか、……ティラ様に避けられているような気がして」
 眉尻を下げた騎士に、俺はへらへらと軽薄な笑みを返した。
「なんだよ、やっと気がついたのか?騎士サマ」
「や、やっぱりそうだったのか……。なんとか親交を深めたいんだがどうにかならないかい?」
 眉尻を下げたまま聞いてくる騎士に、興味の無さそうな視線を一瞬だけ投げかけると、ライトはあっけらかんと答えた。
「やだよ面倒くせぇ。あいつはお前を蛇蝎のごとく嫌っているから無理だな。諦めろ」
「随分とはっきり言うんだなぁ君は!」
「なんだよ聞いてきたのはお前だろ?というか最初から他人頼りってのはどうなんだ?」
 言い返す言葉がないのか、ロズワルドは言葉を詰まらせた。だがそれでも納得できないのか、騎士はさらに続ける。
「だ、だが、何故彼女はそんなに私を嫌っているんだい?彼女に嫌われるようなことをした覚えはないんだが」
「別に好かれるような事もしてないだろ」
 騎士の科白をばっさりと切り捨ててから、ライトは口元を皮肉げに歪める。
 
「まぁぶっちゃけ、アイツは教会が嫌いだし、騎士っていうのも嫌っているし、そもそも人間自体あまり好きじゃないんだよ」
 
「……へ?」
「お前、あの司祭サマから直々に監視を命じられているなら、あいつがどういう立場の人間かくらい知ってるだろ?」
 露骨に監視という単語を使ったが、ロズワルドはそれよりも詳しい話のほうに意識が向いているらしく、碌な反論もせずに頷いた。
 副司祭といえば教会でもそれなりに立場のある人間だが、世界的宗教である教会の『それなり』の立場には常に責任と義務が付きまとう。教会で特別な権限を持つ吟遊詩人でもない限り、わざわざ護衛騎士をつけて大陸を好き放題歩き回ることを許されるわけがないのだ。それにも関らず彼女が教会の命もなく好き放題に大陸を歩き回れるのは、彼女が副司祭とは別に特別な立場にあるという証拠である。しかし、それと同時に、その立場は彼女が人間を嫌うようになった原因のひとつだった。
「その立場と、まぁある特異体質のせいで、あいつはガキの頃から教会や人間の汚いところを嫌というほど見せつけられたんだ。そりゃあ人間嫌いにもなるだろ」
「だが、君は嫌われていないようだったが?」
 呆気に取れれつつも首を傾げるロズワルドの問いに、ライトは呆れた溜め息を吐く。
「あのなぁ……、お前は嫌いな奴と一緒に旅すると思ってんのか?」
「あ、いや、そうだな。すまない。……だが意外だな。ティラ様は人に友好的な態度で接していたのだが」
「お前以外にはな」
「……一々余計なことを言わないでくれないかい?」
 流石に顔をしかめるロズワルドだったが、ライトはへらへら笑うだけだ。
「そりゃあ、それがアイツなりの処世術だからな。ああいう態度をとっておけば、よっぽどの事が無い限り周りから悪意を向けられたりはしねーだろ」
 まぁもっとも、とライトは口元を釣り上げたまま言う。
「そういったこととは関係なくアイツはお前を嫌ってるがな」
「ぐっ……」
 顔をしかめる騎士へ向けてライトは鬱陶しそうに「つーか俺もお前が嫌いだ」とはっきりと言った。
「なんだい?彼女の隣に他の男を近づけたくないってことかい?」
 流石にカチンときたのか騎士が茶化すように笑って言い返す。それに合わせるようにライトも再び薄ら笑い。
「あのじゃじゃ馬の面倒みれるってんなら別にお前にやってもいいぜ。……まぁ、出来たらの話だが」
「……?どういうことだい?」
「教えねぇよバーカ。つーか馴れ馴れしくすんなよ気持ち悪りーな。第一お前はティラの護衛だろ。俺にぐだぐだ言う前にアイツのところにでも行って来い」
 ライトの罵詈雑言に、ロズワルドは二重の意味でたじろいだ。
「い、いや。いまティラ様は……」
 その様子を一笑し、ライトは会話を切った。
 
 
「おおっ……!」
 露天風呂の扉をくぐったティラは感嘆の声をあげた。隠れた人気を誇る温泉宿とは事前に聞いていたが、実物を見るとその話が実感を伴ってくる。
 広い湯船もさることながら、周りも覗き防止用の敷居があるだけで、天井がなく景色を一望することできる開放的な作りになっていた。遠くには雪で真っ白に雪化粧したセリスの山々が広がっている。
 ひたひたと温泉に近づき、傍に置かれていた手桶を掴む。
 手桶いっぱいに温泉のお湯を汲むと、それをざばーっと肩口から被る。それを何回か繰り返して体の汚れを落とすと、足先からそろそろと湯船の中に入っていく。肩まで浸ってふうと一息。
 湯気でしっとりと濡れた髪が光を反射して金色にキラキラと光るが、アホ毛だけはなぜか寝ることも無く立っていた。
「うーん……」
 ようやく動かせるようになった右手も使って両手で頭を押さえ、アホ毛を潰すように何回かぐっ、ぐっと力を込める。それからそっと離すと、抑える物がなくなった髪の毛が手の隙間からぴょこりと鎌首をもたげた。
「うぅ……」
 満足のいく結果がでなくて、がっくりと肩を落とす。
 髪を押さえるのを諦めると、そっと空を見上げる。
 海の上では雲ひとつない晴天だったが、どうやら北でもそれは同じらしい。雲ひとつない綺麗な青空だ。
「……ふふっ」
 ふと、あの綺麗な星空の下であった船の上のやりとりを思い出して、少女の口からは自然と笑みがこぼれた。
 温泉の熱とは別の、なにか温かいもので胸の奥が満たされる。体の外側と内側が同時に温かくて、とても気分がよかった。
 ふと、辺りに人の気配がしないことに気がついた。もしかして誰もいないのだろうか、ときょろきょろと周りを見渡す。
「…今なら、いいよね」
 湯気がすごくて視界はよくないものの、人らしい影がいないことを確認したティラは、そっと鼻歌交じりに歌い出した。あの時に唄ったものと同じ、言葉の意味は知っているが、どこで使われている言葉かは知らない、不思議な響きを持つ言語。
 露天風呂の中に朗々と響く声。妨げるものがない歌声は、やがて空へと昇って溶けていった。
 誰もいない広い露天風呂の湯船に浸かりながら、のんびり歌う至福を思う存分堪能する。
 ああ、幸せ―――
 
「へー、うまいもんだね」
 
「うひぇっ!?」
 ビクゥ!!と肩を跳ねさせるのと同時に、アホ毛がピンと逆立つ。
 バクバクと跳ねる心臓を押さえながら、恐る恐る声のした方向を見てみると、真っ白な湯気の奥から今まさに人影がゆっくりと現れるところだった。
 聞かれていた、という事実に、ティラは恥ずかしいやら申し訳ないやらで顔を耳まで真っ赤に染めた。
 湯気の奥から出てきたのは、ティラよりも少しだけ背の小さい小柄な少女だった。
「お、お騒がせしました……」
「あっはっは、まぁ温泉のマナーにはうるさくないつもりだから大丈夫だよ」
 からからと朗らかに笑うと、それより、と少女は首をかしげた。
「さっきの歌、なんていうの?なんか聞き覚えのない言葉だったけど、魔法かなんか?」
「あ、いいえ。魔法ではないです」
 そう言うと、ティラは少し悩むようにうーんと唸ってから苦笑した。
「と言っても、どこで使う言葉なのかも実は知らないんですけどね。物心ついた時には気づけば唄っていたので、誰かが唄っていた言葉を覚えてたのかもしれません」
「そっか。……素敵な歌だね」
「い、いえ、そんな、お恥ずかしい」
「謙遜なんてしなくていいよ。どんな意味の歌なのかはわかんないけど、……聞いてたら胸があったかくなった」
「え、あ、え、えと」
 率直な感想を述べられてあたふたとしたティラは、やがて照れくさそうに下を向いた。
「……ありがとうございます。私も、この歌は大好きです」
 その様子を見て、少女がくすくすと笑う。
「ところで、どこで聞いたんだろうね?あ、ひょっとして親が歌ってたとか?」
 少女がそう言うと、ティラが微笑をたたえたまま首を振った。その顔に陰りが出来たのを見て、少女はなんとなく察したのだろう。あっと口を押さえる。
「いいえ……、私に両親はいません。赤ん坊の時に捨てられたみたいで、その時拾って育ててくれたおじいちゃんがいるだけです」
「あ……、ご、ごめん」
「いいですよ、別に気にしませんから」
 そうはいっても気になるのだろう。少女はこっちが心配になってしまうくらいうーんと一通り悩むような仕草をすると、気まずい空気を払拭するように「よしっ!」と気合を入れ直し、ずずいとティラに詰め寄った。
「よかったら、友達にならない?」
 突拍子もない提案に、へ?と目を白黒させる。
「え、でも、私たちはいま会ったばかりで」
 あたふたとするティラに、そんなことは関係ないと言わんばかりに少女が首を振った。
「あんな綺麗な歌を歌う人に、悪い人はいない。それにわたしは君の歌が好きだ。……これじゃ駄目かな?」
「そんなこと……」
 言いかけた言葉を切って一拍入れて、チラリと少女の様子を伺う。
 打算も何もない、嘘偽りのない光を宿す純粋な瞳は、いまの言葉が彼女の本心なのだということをはっきりと示していた。こちらの返事を待つように、少女は若干緊張した面持ちで真っ直ぐにこちらを見つめている。
 意を決して、今度は、少女の目をまっすぐに見つめ返した。
「そんなこと、ないですよ?私も、あなたと友達になりたいです」
 この言葉を聞き、少女は花が咲いたようにぱっと破顔してみせた。
「それじゃあ、はい!」
 元気よく差し出された手をおずおずと握り返すと、ぶんぶんとちょっと痛いぐらい握った腕を振りながら、少女は大輪の花のように笑った。
「わたしは涼蘭だよ。よろしく!」
「ティラ・ミルリスです。よろしくお願いします」
 そう言って自己紹介すると、涼蘭と名乗った少女は少し不満げな顔で口を尖らせた。何か失礼なことを言っちゃたかな、と怪訝に思っていると、涼蘭がじぃっとした目を向けてくる。
「もう、ティラ……だよね。ティラ、友達に敬語っておかしくない?普通でいいよ、ふつーで」
「…えっと……」
 戸惑いつつも、確かに、そういうものかもしれない、と思い直す。いままで友達と呼べるような人間など、それこそ数えるくらいしかいなかったし、普通で言うところの友達とは少し違う気がしていたので、いつも通りに接して、相手もそれを普通のことのように受け取っていたので気にしていなかったのだが。
 そういう意味で言えば、彼女はティラにとって初めての友達なのかもしれない。本当にいいのだろうか、という不安がよぎるが、そういう性分なのだから仕方がない。しかし真っ直ぐな彼女の瞳を思い出して、その考えは横に置く。選択したのは自分なのだ。偶には信じてもいいはずだ。
「えっと……、よろしくね?涼ちゃん」
 初対面でさすがに愛称はやりすぎかな、というのは杞憂で、少女は不満げだった表情を溶かして、また大輪が咲いたような笑顔を見せた。
 
 それが、とても、ティラには眩しく感じた。