• 3.5フレーバー

    飲まず、食わず、寝ずで行う、あいつ――金毛竜との根競べ。

    その戦いの果てに、たったひとつ手に入る“黄金の林檎”。あの禁断の果実を、あれから何度穫りに行ったことだろう。毎回、これが最後と思いながらも、テティスから催促の手紙が届く度に、つい応えてしまう。でも、それがいけなかった。私の体は、自分が思う以上にボロボロだったらしい。

    何十個目かの林檎を手にしたその帰路で、急に目の前に闇が差し、私はそのまま意識を失った。しかもその時、手に入れた林檎まで失くしてしまったようだ――あれが、最後の林檎だったのに…。

    侍女に発見され、寝所で目覚めた私は、もう起き上がることすらできない程に衰弱していた。

    ――テティスは、黄金の林檎を待っているかしら…。

    失くした林檎は侍女に探しに行かせた。しかし、こんなことになってもまだ彼女のことを心配している――そんな自分に、我ながら虚しくなる。

    テティスに大事な存在だと思われたい――その一心で、私は危険な林檎穫りを続けてきた。しかし、彼女が一番大切に思っているのは、まだ生まれてすらいない“息子”。もし、私のことも大切と思ってくれているとしたら、それは、その息子の為に林檎を届けてくれるから。林檎を送らなくなった私のことなど、すぐに忘れてしまうのだろう――あの、結婚式の時のように。

    私はこのまま彼女の心に留まることもなく、ひとり儚くなるのだ――目を閉じそう思うと、すべてがどうでも良くなった。そしてただ、孤独な闇の中へと沈んでいこうとした、その時――

    「エリス、どうしたの!? …いったい何があったの!?」

    幻聴だろうか…我ながら本当に嫌になる。不死身料理の研究に夢中な彼女が、ここにいるわけがない――しかし、心の端に残っていた僅かな期待が、私に重いまぶたを開けさせた。

    おぼろげな視界の中に、テティスの不安げな顔が浮かんだ。

    こんな時にまで、こんな幻――私は自嘲の笑みを浮かべる。かすむ彼女が私の手を握る。まさかとは思いながら、私もゆっくりと握り返してみる。

    ――あぁ、本物のテティスだ。

    その手は、とても温かかった。

    テティスは私のことを忘れてなどいなかった――テティスは私のことを分かってくれていた――もうそれだけで、十分だった。

    彼女は悲しそうな目で、一生懸命何かを語り掛けてくれたが、思考がおぼろげで何を言っているのかはわからなかった。

    ――最後に…会えて良かったな。

    …そんな思いに包まれながら、再び意識が遠のき始めたその時、エリスが私の前に何かを差し出した。かすむ目を細め、その黒い何かに目を凝らす。

    「これは不死身料理の試作――あなたの林檎で作ったアップルパイなの…!」

    ……パ…イ? この、黒々と鈍く光るフライパンのようなものが…!?

    私は、身をそらし、その黒い物体から逃れようとした。しかし、弱った体は思うように動かない。必死に逃れようと力を籠め、もがき、わずかに退いた私の体を、テティスはがっしりと掴み、自の方へと引き寄せる。そして、おぞましい臭いを漂わせる、そのどす黒い円盤を私の口へとねじ込んだ。

    ――無・理!!

    瞬間、頭からつま先まで衝撃の槍が貫き、続いて凄まじい悪寒が体中を駆け巡った。心臓は早鐘のように危険を知らせ、視界は嵐のように渦を巻いた。

    「どうしたの!? エリス!?」

    私はその凄まじい味――いや、もはや“味”という名の暴力に呻くことしかできない。

    「どうして!? 不死身料理のはずなのに…! まさか、また失敗……!? どうしよう…もう林檎は無いのに……どうしよう…エリスが…死んじゃう!!」

    …死ん……確かに、このままじゃ――黒い塊から零れ落ちる真っ黒な絶望が、私をじくじくと押し潰していく。

    ――バンッ!!!

    その時、寝所の扉が開け放たれ、侍女が部屋に転がり込んできた。侍女はテティスの腕から私の体を奪い取り、息せいて何かを私の口に押し当てる。それは、輝く果実――私が無くしたはずの、黄金の林檎だった。

    ――そうだ…この神力に満ちあふれたを実を食べれば…ナイス侍女!

    私は最後の力を顎へと集め、林檎に思いっきり歯を立てる。

    しかし、その口は、虚しく空を食んだ。何事かと目を開くと、侍女の手に――そこにあったはずの林檎がない。

    見上げると、何か良いことを思いついたと言わんばかりのテティスが、爛々と瞳を輝かせて私を見下ろしていた。そして、その手に握っていたのは――最後の、黄金の林檎。

    「エリス! 待ってて! 今すぐ料理を作り直してくるから!」

    ――もう一度……あれ…を…? 嫌だ…絶対に無理…冗談じゃないわ…あんなものをもうひと口でも食べたら―――本当に死んじゃう!!!!!!

    そう思った瞬間、私の体は勝手に動いていた。ベッドから飛び起きると、テティスの手から林檎をもぎとり、それを窓の外に向かって渾身の力で――放り投げた。

    黄金の林檎は、流星のような軌跡と共に、遥か彼方へと消えてゆく。

    「エリス!? …元気に…なったの…?」

    ふと、後ろから聞こえたテティスの声で我に返った。気付けば両足にはしっかりと力が入り、ふらつく様子もない。

    ――そんな…あの暗黒そのものを形にしたような、不死身料理が効いた…の…?

    殺されかけた料理に助けられるとは、皮肉なものだと思いながら、私は苦笑を浮かべ、テティスの方に向き直る。すると、彼女は私を強く抱きしめた。

    「よかった…! …本当に…本当に!」

    ――何を言って…そもそもこれはあなたの所為で…。

    やはり、もうだめだ。これ以上は…こんなのは違う…。もう、終わりにしよう。今のが最後の林檎…そして、あなたとの友情ももうお終い。悲しいけれど、私から告げよう――意を決して開いた私の唇を、テティスはそっと指で押し止めた。

    「…いいの、もういいのよエリス」

    ――?

    「私が間違っていたわ。いくら息子のためとはいえ、エリスを苦しめるようなものに、頼ってはいけなかったのよ。だからもう――黄金の林檎はいらないわ」

    驚いた。それはつまり、もう“不死身の息子”という馬鹿げた夢はあきらめてくれるという意味だろうか。あれほどまでに執着し続けた夢を…しかし、自分を信じ、決してあきらめることなどない、あのテティスがそんなわけ――

    「息子を不死身にする方法は、他にもあると思うの。そう、この広い世界を探せばきっと他にもあるはずよ! そうね…『創世主』の力を宿したあの“紅い石”なんてどうかしら? うん、きっといけるわ! そうと決まればさっそく出発しなきゃ!」

    ――ほら、やっぱり……。落胆する私をよそに、テティスは無邪気な笑顔で続ける。

    「だから、もちろんエリスも一緒よ――」 

    そしてこれだ。いつも通り、結局は“息子”。私が命の危険にさらされたこんな時にまで、まだ私を巻き込もうとする。やっぱり、これじゃない。こんな風に、ただ頼られたかったんじゃない。私が欲しかった――ずっと欲しかった“言葉”は、こんなものじゃない……。
    「――あなたとわたしは親友だものね♪」

    ――今、なんて…それは……そっか…

    私は目を閉じ、大きく息を吸った。体中に何かすがすがしい息吹が巡っているのを感じる。私は、いつものように口の片端を吊り上げて眉を下げ――

    「もう、しょうがない“親友”だなぁ」

    ――そう、言って笑った。
    身長
    1.46[meter]
    体重
    かなりやつれたわ…
    徹夜の数
    もう数えてないわ…
    テティス
    ……ふぅ…
    テティスの息子
    そう…まだいないのよね…
    黄金のリンゴ
    …うっぷ
    クレタ -- (名無しさん) 2016-09-23 20:25:19