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「ん? どーしたんだ?」
「え? べ、別になにも…」
リトは唯の視線の先を目で追っていく。すると――――
「へ~、ああいうのしたいんだ?」
今度は唯が小さく呻いた
リトの視線の先にあるのは、ゲームセンターの入口に設置されたUFOキャッチャー
「いいじゃん! やっていけば?」
「ち、違…私は別にあんな物…」
「まーいいじゃん。ちょっと行ってみよ?」
「え、え…ちょ……結城くん!?」
リトは言いよどんでいる唯を連れてUFOキャッチャーに向かった
ケースの中には、イヌやネコといった動物のぬいぐるみがいっぱい入っている
「かわいいなァ、ホラあのネコとかさ」
「う、うん。ちょっとかわいいかも…」
間近で見るかわいいネコのぬいぐるみに、唯の胸がときめく
そんな唯の横顔を見ながらリトはふっと笑みを浮かべた
「…ったく、しょうがねーなー」
「え?」
「オレが取ってやるよ。得意なんだこーゆうの! で、どれが欲しい?」
「で、でも…」
「任せとけって!」
唯は言葉に詰まってしまった
(そ、そんな……いきなりそんな事いわれても…)
目の前にはつぶらな瞳で見つめてくる動物達。この中からどれか一つなんてとても選べない
じーっとケースの中を凝視する唯の横顔に、リトは笑みをこぼす
「にしても、古手川ってぬいぐるみとか好きだったんだな」
「え!?」
びっくりした唯は慌ててケースから視線を逸らす
「ち、違うわ! わ、私は別に…あ、あなたがどれか選べなんて言うから私はっ」
「わ、わかったから! それで、どれか決まったのかよ?」
赤くなった顔を隠すようにリトから体を背けると、唯はケースの中の一体のぬいぐるみを指差した
それは、さっきリトがかわいいと言ったネコのぬいぐるみ
リトは一つ気合を入れると、ボタンに手を乗せる
「よ~し…」
クレーンとぬいぐるみの位置を測るリトの横顔を唯はチラリと覗き見る
ボタンを慎重に操作するリトは真剣そのものだ
(そんなに真剣にならなくても…)
しばらくその横顔を見つめていると、機械の中からガタンと音が聞こえた
リトはしゃがみこんで中からぬいぐるみを取り出すと、それを唯に差し出す
「ホラ、これでよかったんだろ?」
「あ、ありがと」
少し戸惑いがちにぬいぐるみを受け取る唯に、リトは笑った
ニッと歯を見せて笑うリトは、まだあどけない少年の様な顔つきで
さっきまでのあの真剣な顔付きとのギャップに、唯は目を丸くした
「なんだよ?」
「べ、別になにもないわ…。ただ、こういうヘンに細かい事だけは得意なんだって思っただけよ」
「なんだよそれ…」
げんなりとするリトから体を背けると、唯はぬいぐるみをそっと胸に抱きしめた
(結城くんってホントにいろんな顔をする…)


それから二人は――――

サッカーショップのサッカー中継で
「おお、すげー! やっぱジェラードっていつまで経ってもカッコいいよなー! 昔はオーエンとかも好きだったけどやっぱ…」
(…サッカー? 結城くんってサッカー好きなんだ!)

アイスクリームショップで
「お前さっき食べたばっかじゃん。まだ食べるのかよ…」
「う、うるさいわね! 歩いたらお腹がすいたのよっ」

ネイルサロンのウインドウで
「あ、タミーテイラーのキューティクルオイル! 新しいの出たんだ…」
「タ、タミ…キューテ? へ?」
「キューティクルオイル! 爪のお手入れに使うのよ」
「へ~」


そして時刻は夕方を回り、夕暮れの公園
二人はブランコに乗りながらぼーっとしていた。どちらもなにも話さない
それでも、特に居心地が悪いワケでも、雰囲気が悪いワケでもない
なにも話さないけれど、窮屈じゃない、息苦しいとは感じない
こんな時間すら楽しいと思えるそんな気分
黄昏色に染まりながら、やがて、リトがぽつりと呟く
「なあ古手川」
「ん?」
唯は俯いていた顔を上げて、リトの方を向く。リトの顔は夕日に照らされて赤くなっていた
「オレさ…今日こうやってお前と一緒にいろんなトコに行けて楽しかった」
「な、なによ…いきなり……」
ポっと赤くなる顔を隠す様に俯く唯
「古手川の新しい部分っていうかさ…。うまく言えないけど、ホントの古手川が見れたって言うかさ」
「……」
「とにかく、今日お前とこうやっていれたコトがすげーうれしかったんだ」
唯は俯いたまま黙ってリトの話を聞いている
「だからさ、もしよかったらまた…」
と、その時、話しの途中でリトのケータイが鳴り出した
「あっと、ゴメン…」
リトは後ろポケットからケータイを取り出すと耳に当てた
「はいもしも…」
『なにやってるのよ!!?』
「わっ!!」
受話口の向こうから聞こえる大声に、リトは思わずケータイを耳から離す
「み、美柑!? なんだよ?」
『なんだよ? じゃないよ!! あんたどこまで行ってるのよ? 私の本は? 
買い物は? 今日の晩ゴハンどーする気なの?』
あっと言葉に詰まるリト
『なにしてるのか知らないけどさ、今すぐ帰ってこないと晩ゴハンなしだからね!!』
ブチっと電話を切った美柑の様子に、リトは慌ててブランコから飛び降りた
「ヤバっ! オレ買い物の途中だったんだ」
今度は唯がびっくりしてブランコから降りる
「ええ! 何してるのよ!? って、そっか…私のせいで…」
「別に古手川のせいじゃないって! オレが勝手にやったことだしさ! だから気にすんなって、な?」
心配ないよと笑うリトに唯は俯いていた顔を上げた
「でも、ホントに大丈夫なの?」
「まあ……ウチ帰ってご機嫌取りしないとダメかもしれないけどな」
冗談っぽく笑うリトに唯もつられてクスっと笑った
(あ…やっぱ古手川って…)
その小さな笑顔にリトは一瞬見とれてしまう
「どうしたの?」
「べ、別になにも…」
愛想笑いをしながら、リトは赤くなった顔を隠した
「じゃ、じゃあオレ帰るな。古手川はどーする?」
「私は…」
唯は何も言えなくなってしまった。当たり前とはいえ、いつかは来る別れの時
あまりにも楽しすぎて、もっと一緒にいたいと思ってしまって
けれど、これ以上わがままを言えるはずもなくて
唯はリトから顔を背けた
「わ、私も今から帰るわ。というか、別に私の心配なんてしなくても平気よ!」
「そっか」
「う、うん」
どこか歯切れの悪い唯にリトはクスっと笑いかけた
「あのさ、今日こんな感じで終わっちゃったけど、オレ、またお前と一緒に遊べたらなって思ってる」
「え?」
「えっと……と、とにかく気をつけて帰れよ! また明日な古手川」
そう言い残し、リトはその場から走り去って行った
その背中を見ながら唯はムッと頬を膨らませる
「もう……なんなのよ!? 言いたいことがあるならもっと…もっと…」

『今日こうやってお前と一緒に色んなところに行けて楽しかった』
『今日お前とこうやっていれたコトがすげーうれしかったんだ』
『また明日な古手川』

リトの言葉を思い出している内、いつの間にか赤くなっている顔に高鳴っている胸
「また明日…か」
唯はリトから貰ったぬいぐるみを胸に抱きしめると、誰にも見せたことのない笑顔を浮かべ、公園を後にした

ぬいぐるみを抱え、意気揚々と帰宅した唯を待っていたのは、玄関先でイチャつく二人の影
「ん…ユウちゃ、ンッ…あ…ぁ」
大学生ぐらいの女を抱きしめながら、その体に手を這わせる遊
「な、な、な、何をやって…」
唯は二人の淫らな姿に顔を真っ赤にして絶句する
「ん…ちゅぱ、んッん…ぷはぁ」
糸を引かせながら唇を離すと遊は、手を振ってその女を見送った
名残惜しげに遊を振り返りながら唯の横を通り過ぎていく遊の彼女
唯は肩をぷるぷる震わすと、欠伸をしながら家に入っていく遊に詰め寄る
「ちょっとお兄ちゃん!!」
「あぁー?」
めんどくさそうに振り返る遊をキッと睨みつける唯
「家の前であんなコトするのやめてよっ!!」
「…別にいいじゃねーか。玄関なんだから」
「ダメに決まってるでしょ! あんなハレンチなこと!!」
遊は溜め息を吐くと、頭を掻きながら家の中に入っていく
「ちっ。相変わらずおカタイこって。そんなんじゃいつまでたっても男なんてできねーぜ」
「なっ!? 何言ってんのよ! そんなの…そん…なの……」
いつもの様にうるさい声が飛んでくると思っていた遊は、どんどん小さくなる唯の声に振り返った
「…そんなの…」
一人赤くなった顔を俯かせている唯の姿に、遊はニヤニヤと顔を歪ませる
「へ~、大好きな彼氏となんかいーコトでもあったのか? カワイイのもらってるじゃん?」
「ゆ、結城くんは彼氏とかそんなんじゃないわよっ!!」
遊は唯の言葉に笑みを深くした
「オレ、『ゆうきくん』なんて一言も言ってないけど?」
唯はもう声にならないのか、口をぱくぱくさせながら遊に何も言い返せないでいた
その様子に遊はお腹を抱えて笑う
「もう!! お兄ちゃんなんて知らないからっ!!」
そう言い残し、唯は家の中に入っていった


唯は部屋に戻るなりベッドの上に寝転がった。その顔は不機嫌そのものだ
「まったく何考えてるのよ! お兄ちゃんはっ!!」
遊のニヤニヤした顔や態度を思い出すだけで、イライラしてくる
おまけにあの言葉

『相変わらずおカタイこって。そんなんじゃいつまでたっても男なんてできねーぜ』

大きなお世話だと思った
「そうよ! そんなのいらないわよっ!!」
いつか学校でも言われた言葉

『あなた…恋をしたことがないんじゃなくて?』

そんなコトは不純だと思った
「恋愛なんて……ハレンチよ…」
けれど――――
今日感じたコト、最近つい意識しちゃうコト
ぼーっと今日一日の出来事を思い返していると、枕の隣に置いたネコのぬいぐるみと目が合った
唯はぬいぐるみを両手で持つと、お腹の上に乗せる
「結城くん…」
唯は小さくリトの名前を呟くと、そっとぬいぐるみを両手で抱きしめた
そうしているとなんだか落ち着く
胸の奥にある不思議な感覚に唯の表情もやわらかくなる
そっと胸に手を当てると、トクン、トクンと胸の鼓動が伝わる
心地いいような、あったかいような、そんな感覚
「結城くん……」
自然と頭に浮かぶリトの顔に赤くなる頬
もう一度名前を呼んでみる、もう一度…もう一度……
何度かリトの名前を呟いた時、一階から自分を呼ぶ遊の声に、唯はハッとなった
「何やってるのよ…私…」
急いでベッドから起き上がると、唯はさっきまでの感情を胸の奥に押し込み、一階へと下りていった

それからしばらくして
唯はお風呂からあがると、髪が乾かない内にダッカールピンで髪を留めて、いつもの様にタオルドライをしていく
唯は髪の手入れが好きだった
特に誰に褒められたワケでも、誰に勧められたワケでもないのだが
それでも、雑誌で髪の美容の勉強をし、自分でもいろいろ調べてそれを実践したり
そんな時間が好きだった
どこか気持ちが安らぎ、楽しさとうれしさに小さな想いが生まれる
それはほんの小さな小さな想い
いつか誰かに褒められたり頭を撫でられたりしたいな
そんなほのかな想いを抱いたりしていた
結城くん、今頃なにしてるのかな――――?
髪にトリートメントを馴染ませながらふと想うのはリトのコトだ
自分の髪や容姿に自信があるワケじゃない
それでも最近は特に念入りにお風呂で体を洗い、髪の手入れの時間も知らず知らずの内に長くなっている
本当にどうしちゃったんだろう? 私――――
鏡の中の自分に溜め息を吐くと、唯はドライヤーのスイッチを切りベッドに寝転がった
「明日はまたどんなコトをして私を困らせてくれるの? 結城くん…」
枕の横にあるネコのぬいぐるみの頭を撫でながらそう呟くと、唯はゆっくり目を閉じた


翌日の学校

相変わらずリトはララと休み時間一緒にいる
聞けば、二人は同棲してると言うではないか
リトの話によると、ララは宇宙人で自分の家に居候してるというコトらしいが……
頭では理解できても色々と納得できない部分がある
それに――――
仲良く話す二人を見ていると、どういうワケかチクリと胸の奥が痛む
別にハレンチはコトを、なにか問題を起こしてるワケでもないのに
面倒くさそうに、溜め息を吐きながら、それでも楽しそうに話すリトの横顔に
(なんなのよ…コレは…)
本を読むフリをしながら、唯はそんなリトの様子をチラチラと見ていた
一緒のクラスになってから数ヶ月、日に日に印象が変わっていく結城リトという存在
今でも問題児には変わらない
それでも、自分の気付かない部分で、自分の見えないところで、唯の中のリトの存在は大きくなっていた
仲良さそうに話す二人に胸がキュッと締め付けられる
ララに向けられる笑顔がうらやましいと感じてしまう
(…何考えてるのよ私は…)
唯はパタンと本を閉じると、次の授業の用意を始めた

6時間目の授業は体育
男子はサッカー、女子は走り幅跳び
時折、こっちをチラチラと盗み見てくる男子の視線を気にするクラスメイトの中で、
唯はひとりぼーっとリトのコトを見つめていた
ボールを胸でトラップして、フェイントを入れて一瞬で相手を抜き去る
(カッコイイ…かも…)
素直にそう感じてしまう。リトのいつもとは少し違う真剣な顔つき
相手を抜き去る時や、うまくクロスを上げた時に見せる笑顔
それは高校生というよりまだ少年の様なあどけない顔
(あんな顔するんだ…)
リトは小柄な体型を生かして、ドリブルで何人も抜き去っていく
と、逆サイドにパスを送ろうとした瞬間、バランスを崩して見当違いのところにボールを蹴ってしまう
(何やってるんだか…)
クラスメイトから文句を言われる姿に、唯はクスっと笑ってしまった
「――手川さん、古手川さん!」
「え!?」
自分を呼ぶ声に唯は慌てて振り返る
「次、古手川さんの出番なんだけど」
「え、ええ…」
いつの間にか自分の出番が回ってきたらしく、自分を呼びに来てくれたクラスメイトに、唯は愛想笑いで応える
(もう! しっかりしなさい)
そう呟きながら唯はスタートラインに立つと、少し深呼吸をして走り出した
少しすると後ろの方でなにやら男子生徒の騒ぐ声が聞こえてきた
気になったが、今はもう止まれない
勢いをつけて高くジャンプした唯は、着地と共に足に付いた砂を手で払い落としていく
その時、ふいに目に入った光景に唯の手が止まった
女子生徒が見つめる先、男子生徒の輪の中に地面に倒れているリトの姿があった
「え…?」
だってさっきまでボールを――――……
頭に浮かぶリトの姿と、現実の姿が重ならない
唯は急いでララのそばに駆け寄る
「何があったの?」
「リト…ボール蹴ってたらぶつかっちゃって……。すごい勢いだったから……大丈夫かな……」
いつもは見せないララの不安げな顔に、唯の顔もくもっていく


「じゃあ、私は結城くんを保健室に連れて行くから後の事は、西連寺」
「はい」
春菜は一歩前に出ると、佐清からこの後の支持を仰ぐ
ただ、その顔は心なしか不安なものになっている
「リト…」
「心配すんなってララ! 大した事ねーって…ちょっとケガしただけだからさ!」
不安いっぱいな様子なララを安心させようと、リトは無理やり笑顔を作る
「…ぁ…の…」
唯は声が出なかった
足から血を流しているリトの姿に、言いたい言葉が山ほどあるはずなのに
声をかけられないでいた
なんて声をかければいいのか一瞬迷ってしまった
(結城くん…)
佐清に付き添われて校舎の中に入っていくリトの痛そうな表情に、ただ胸が締め付けられる
(私は…)
考えるよりも先に、唯の足は自然と動き出していた
「あ! 唯!?」
ララの呼び声も、授業も置き去りにして唯は二人の後を追いかけて行った

唯が保健室に到着すると、リトは一人椅子座っていた
「あれ? 古手川? どーしたんだ?」
肩で息をしながら走ってきた唯にリトはキョトンとした表情で聞いてくる
「え!? わ、私は別にその…」
「え?」
息を整えるようにゆっくり保健室に入ってきた唯は、あさっての方向を見ながら呟く
「あ、あなたがケガをしたって言うから私は…」
「ああ、心配して来てくれたのか? ありがとな古手川!」
ニッコリ笑うリトに唯の顔はとたんに真っ赤に染まる
「か、勘違いしないでっ!! わ、私は風紀委員として来ただけで、別にそんな心配とかじゃないんだから」
突然怒り出す唯にリトは戸惑ってしまう
(なんで怒るんだ? オレなんか変な事いったのか…?)
唯はどこか憮然とした顔でリトの前に座った
「それで……先生は?」
「なんか御門センセー呼びに行ったんだけど戻ってこなくてさ…」
「そう」とだけ返す唯。いつもの様に冷静に見えてもさっきから目が泳いでいる
勢いだけで追いかけてきたため、まだ気持ちの整理ができないでいた
それでも目の前のリトを放って置くなんて事はできるはずもなく
唯は小さく溜め息を付くと、おもむろに立ち上がる
「古手川?」
黙ったまま棚を開けると、唯は中からガーゼや消毒液の入った救急箱を手に、再びリトの前に座る
「足出して」
「へ?」
「私が手当てするって言ってるの!」
リトはいまいち意味を理解できなかったのか、目をぱちぱちさせる
「早くして!」
少しムッとしている唯に、リトは慌てて言われた通りにケガをした足を見せる
ガーゼに消毒液を染み込ませると、唯は小さな声で呟いた
「沁みるからね」
「う…」
少し冷や汗を浮かべるリト。そんなリトにお構いなしに唯は傷口にガーゼを当てた
擦り傷した周りのドロや汚れを落とし、傷口のバイ菌を拭いていく
「……あれ? 痛くない…」
多少の痛みはあるが、思ってた以上どころかほとんど感じない痛みにリトは驚く
「古手川うまいんだなー」
唯が傷口から顔を上げると、そこには、感心したのか驚いているリトの顔があった
「なんか意外だな」
「……それってどういう意味なの?」
少しトゲのある唯の言い方にリトの額に冷や汗が浮かぶ
「え、えっと意外って言ったらアレだけどさ…こんなにうまいだなんて思ってなかったからさ。はは…」
「……ふ~ん」
「ゴメン…」
シュンとなるリトに唯は俯くと、捻挫して少し腫れている足に湿布を張り、ハサミで包帯を切っていく
「……お兄ちゃ…兄がね…」
「え?」
「兄が小さい頃からよくケガとかして帰ってくるコトが多かったから、私がいつも手当てとかしてたのよ」
「へ~兄ちゃんいるのか?」
唯はうなずくと切り取った包帯をリトの足に巻いていく
「どんなにケガしても、いくら言っても聞かないんだもの! まったくどこかの誰かと一緒よね」
いつの間にか半眼で見つめてくる唯にリトはバツが悪そうに苦笑いを浮かべた
「…で、でもお前すごいよ」
「そんなコトないわ。だってこんな事、誰にでもできるもの」
「違うって! 手当ては誰でもできるかもしれねーけどさ、それを『いつも』はできないだろ? 
それって古手川のやさしさだと思うけどな」
「へ!?」
「古手川みたいにやさしいヤツなら絶対いい彼女になると思うけどな…」
頬を指で掻きながら少し赤くなっているリトに、唯は慌てて視線をそらす
「なな、何言ってるのよ!? そ、そんな事いってもなんにもないからね!」
少し身を捩る唯に何を感じ取ったのか、リトは慌てて弁明を始めた
「ご、誤解だって! オレはそんなつもりで言ったんじゃ…。
お前の話し聞いて、古手川ってすげーやさしいなって言うかえっと…」
あたふたと一人必死なリトに対し、唯はまったく視線を合わせようとしない
(もぅ…どうして結城くんっていつもいきなりドキっとさせるコト言うわけ)
(はぁ~、また怒らせたし……。そんなつもりじゃないんだけどなァ…)
ムスッと頬を膨らませる唯と、それに溜め息を吐くリト
そんな二人の会話を隠れて聞いている者がいた
「青春ね。二人とも…」
入口横の壁にもたれながらクスっと妖しく笑うと、御門はコーヒーを口にした


教室に戻ってみると、放課後だというのに数人の女子が残って雑談をしていた
「えーマジ!?」
「春菜のお姉ちゃん二人の男に告られたんだァ!!」
「しーっ、声が大きいよ二人とも」
楽しそうに声を弾ませるリサとミオに、春菜は困った様な顔をする
「で、結局どうなったワケ?」
「それが…」
ワイワイと恋愛話しに華を咲かせる三人の横で、唯は一人帰り支度をしていた
机から教科書を取り出しカバンに入れながらも、その表情はいつもと違い、落ち着かないのかそわそわしている
(愛だの恋だの……どうして皆そういう話しが好きなんだか。勉学に励むのが学生のあるべき姿のはずよ…!)
カバンの中身を整えると、ふとリトの机が目に入る
(結城くんの…どうしよ…)
しばらく迷う様に眉を寄せると、唯はリトのカバンを手に教室を出た

保健室に戻りそのドアを開けようとすると、中から明るい声が聞こえてくる
「え? …ララ…さん?」
少し開いたドアの隙間から中を確認すると、思ったとおりそこにはララがいた
「…それでね昨日、妹たちと通信で話したんだよ」
「へぇ…」
「久しぶりだったから、すっごく喜んでねー」
リトの前で身振り手振り、楽しそうにうれしそうに話すララ
声は弾み、笑顔だって全開だ
「またみんなでゲームしたいって言ってたよ♪」
「…そ、それはマジで勘弁してくれ…」
ゲーム世界に行った時の事を思い出してか苦笑いを浮かべるリトだったが、
すぐにその顔がやわらかくなるのは唯の気のせいなのか
(また…私……)
胸の奥がズキズキと痛む
昨日よりも今日の方が、朝よりも夕方の方が、休み時間よりも今の方が、ずっとずっと痛い
「…………」
楽しそうな雰囲気の二人から目を背ける様に、唯は保健室を後にした

「あれ?」
「ん? どーしたのリト?」
「いや…気のせい……だよな?」
誰もいなくなった保健室のドアを見つめながらリトはそう呟いた

夕暮れの廊下を歩きながら唯は浮かない顔をしていた
(私どうしちゃったのよ!?)
頭の中がぐるぐる回って止まらない
そして、その中には常にリトがいて────
(……私…やっぱり結城くんの事が……)
ハッと俯いていた顔を上げると、頭をぶんぶん振りながら慌てて自分の気持ちを否定してしまう
(違う! 違うわ! そんな事あるわけない! 恋愛なんてハレンチなこと私が…)
肩に掛けたリトのカバンがズシリと重く感じる
「…っ…!?」
渡すどころか逃げる様にここまで来てしまった事を唯は悔やんだ
「……はぁ…とりあえず戻らないと。結城くん困ってると思うし…」
そう呟いた時、開放感のある渡り廊下の低い壁に腰かけている一人の女の子が目に留まった


「…!? こんにちは…えっと…ヤミちゃんでいいかな?」
「あなたは…」
読んでいた本からスッと顔を上げたヤミは、唯の顔を見ながら口に手を当てて少し思案顔になる
「コケ…コケ川唯?」
「古手川!!」
若干顔を引きつらせるも無理やり気を取り直すと唯はヤミに話しかけた
「あなたってホント、いつも本読んでるわね」
「地球の文学は面白いものが多いですから」
「そう…」
気のない返事を返す唯から再び視線を本に向けると、ヤミは唄でも歌うかのように本を読み上げていく
「────恋と言うのは突然始まる…」
「え? 何?」
「その時から運命の歯車は回り始める…二人の心は時計の針の如く離れては近づき────やがて重なる…」
「…ぁ……」
ヤミの言葉を聞きながら唯はリトの顔を思い浮かべていた
突然始まる恋
気がつけばいつも想っていて
だけど、中々、言葉にできなくて────……
「い…いきなり何!?」
ヤミはパタンと本を閉じると、表紙を唯に見せた
「『恋する乙女の唄』……今読んでる恋愛小説の一節です」
「恋愛小説…」
「古手川唯。あなたは恋をした事はありますか?」
「え!?」
思ってもいなったヤミの発言に唯はつい声を大きくさせてしまう
「きょ、きょきょ興味ないわよ! なんでそんな事きくの!!」
その漆黒の瞳で唯を見つめながらヤミは、淡々と告げた
「…恋愛という感情……いくら想像しても私にはわからないんです。できることなら知りたい。
何か…とても大切な感情のような気がするから…」
「…ヤミちゃん……」
声こそいつもと同じ淡々としたものだが、その顔には普段は見られない、
寂しさの様なものが浮かんでいる様に唯は感じた
そして────

さっきまで校庭をオレンジ色に染めていた空は、今ではすっかり雲に覆われ、
遠くゴロゴロと不吉な音を鳴らしていた
(大切な感情…か…)
保健室に戻りながら、唯はさきほどのヤミとのやり取りを思い返していた

『古手川唯。あなたは恋をした事はありますか?』

(私は…)



結局、御門は現れず、ララは見たいテレビ番組があるため帰ってしまい、保健室にはリトだけが残っていた
足の調子を確かめるため、何度も足をプラプラと伸ばしたり屈めたり
少しの痛みしか残らない唯の手当てにリトは素直に驚く
「すごいよなァ。意外って言ったらまた怒るんだろーけど…」
リトの中の唯のイメージは様々だ
真面目で勉強熱心。少し堅苦しくて融通が利きにくい
いつも怒ってばかりで、いつもお説教していて
なんだかあまり良いイメージを持っていない事に、リトは苦笑した
だけど、何だかんだと、さっきまでひた向きに手当てをしてくれた唯
リトはガーゼの上を指でなぞっていく
そこには唯のやさしさが詰まっているような気がした
「古手川ってホントはやさしいと思うんだけどなァ」
少し厳しすぎるところや、キツい態度の裏にある唯の本当の姿
リトなりにその事に少なからず気付いていた
「わざわざオレのためにここまで来てくれたんだもんな…」
息を切らせながら保健室へとやってきた唯の姿に、リトの口に笑みがこぼれる
「やっぱ古手川ってカワ…」
「私が何なの?」
いつの間にか入口に立っている唯に、リトはビクっとなる
「お、お前いつからそこにいたんだ!?」
「…ついさっき。何? 私がここにいちゃいけないの?」
「い、いや、そーゆう事じゃなくてさ…はは」
歯切れの悪いリトを無視するように中に入ってくると、唯は持っていた制服を差し出す
「へ?」
「着替え! まさかそのままの格好で帰るつもり?」
「そ、そうだよな! ありがとな古手川」
「別にいいわよこれぐらい」
唯は素っ気なく答えると、入口の方に戻っていく
「あとカバンも。なんだかすごく重いんだけど? 余計な物、持って来てるんじゃないでしょうね? 
言っとくけど、マンガとか持って来てたら没収す…」
そう言いながら振り返った唯の体がカチンと固まった
リトは今、上半身裸でシャツを着ようとしている最中だったのだ
「な、な、な…」
みるみる赤くなっていく唯
「え…」
「何考えてるのよ!! ハレンチなっ!!」
リトに背を向けると、唯は真っ赤になりながら逃げるように保健室を飛び出した
「よくわかんねーけど…また怒らしたんだオレ……」
リトは制服を手に一人ガックリと肩を落とした

廊下の壁にもたれながら唯は自分を落ち着かせる
「着替えるなら着替えるって言いなさいよね! もうっ!!」
胸のあたりがやけにドキドキする
(結城くんの裸…)
プールの時や海に行った時に見ているはずなのに
あの時は感じなかった妙な高鳴りに唯は戸惑った
頭にさっき見た光景がチラついて離れない
「ハレンチだわ…私…」


着替え終わったリトが保健室を出ると、入口を出たところで唯が待っていた
「あれ? 帰ったと思ってた…」
「いたら悪いの?」
リトからふいっと顔を背ける唯は、まだ機嫌が悪いようだ
(怒ってる……よなァ)
一人溜め息を吐くリトに、唯はムッとした視線を向ける
「何よ?」
「え!? いや…別に…はは」
愛想笑いをするリトに唯は視線をそらす
「それより早く帰るわよ! 下校時間過ぎちゃうじゃない!」
「え? いいって! オレ一人で帰れるから古手川先帰れよ」
リトの素っ気ない態度に唯は少し頬を膨らませる
(……あれ? オレまた何か余計なこといったのか?)
唯は膨れた顔のままリトに向き直ると早口でまくし立てた
「だ、だって、あなたケガしてるじゃない! 帰り道何かあったらどうする気なの!? 
私がいれば何かあった時でも大丈夫でしょ? 私は風紀委員だし、あなたの手当てしたの私だし、
最後までちゃんと責任もたなきゃダメだって思ってるのっ!!」
一息で話し終えた唯にリトはぽかんとした顔になる
「よ、要するに…オレの事が心配……ってこと?」
「ち、違うわ! 責任があるから仕方なく一緒に帰るっていってるでしょ!? 変な勘違いしないでっ」
「で、でもその気持ちがうれしいよ! ありがとな」
「!!?」
ニコっと笑うリトから唯は慌てて顔をそらした
(お、おお、落ち着きなさい! ちょ…ちょっと結城くんが笑っただけじゃない…こ、こんな事で…)
それ以上リトの笑顔を見ていたらどうにかなっちゃいそうなほど唯の顔は赤い
そして、そんな唯の様子を不思議そうに見ていたリトは当然の様に聞いてしまう
「どしたんだ古手川? なんかあったのか? 顔赤くなってぞ」
「な…なな、何でもないわよ!!」
慌てて否定するも、胸の動悸は収まるどころかますます大きくなる
唯は最大限の理性を振り絞ると、なんとか表情をいつもの様に戻そうと気合を入れた
「と…とと、と、ところで……その…ラ、ララさんは?」
「ララ? ララなら先帰ったよ。今日はホラ、マジカルキョーコの放送日だから」
「…ふぅん」
と、何気ない返事をするも唯はハッと気付いてしまう
(!! …って! 何でララさんがいなくてホッとしてるのよ!!)
顔を赤くしながら思い詰める唯。そんな唯の姿はリトから見ると怒っている様に見えるわけで────
(こ…古手川がまた怖い顔してる…オレ、何か怒らせるような事言ったっけ!?)
青い顔をしながら冷や汗を浮かべるリト
どうしていいのかわからない自分の気持ちに、ついジト目になってリトを睨んでしまう唯
そんな二人をよそに空はますますどんよりと黒くなっていく

────チクタク チクタク チクタク

長い針と短い針
二つの針はチクタク チクタクと進んでいく



天気の影響からか、最低限の明かりしかない廊下はいつもよりも薄暗い
いつも見慣れた風景が、今日は少し不気味に見えさえする
「……」
唯は無意識にリトへと体を寄せた
風が窓ガラスを叩く音が、真っ暗な廊下の端が
唯の心をざわつかせる
(怖くない…怖くない…怖くない…)
その時、一際大きな風の音にビクっと体が震えた
思わずリトの制服の裾を握りしめそうになって慌てて手を引っ込める唯
「あのさ…」
「!!?」
突然話しかけるリトに、唯は思わず声を上げそうになってしまう
「な、何?」
努めて冷静に振る舞おうとする唯の気持ちを余所に、リトはまっすぐ前だけを見ている
「今日はありがとな! すげーうれしかった」
「え…ぁ…べ、別に私はその…」
「古手川のおかげで痛みももうないし、ホント、ありがとな!」
リトから顔を背けると、ジッと下を見つめる唯
その顔はほんのりと赤くなっている
(私の…おかげ…)
「これで明日の体育の授業も余裕かな」
「え? …ちょ…調子に乗らないの! それにまだ治ったワケじゃないんだからね?」
「もう大丈夫だって」
下駄箱からクツを出しながら唯はリトを睨んだ
「何言ってるの!? 足の腫れも引いてないのにバカな事いわないで」
「ま、まあ…そーなんだけどさ……はは」
むぅ~っと睨む唯にリトはたじたじになってしまう
「あ、明日も気をつけるよ」
「……ふん」
唯はリトから顔を背けると、クツを履き替えて校舎から出て行く
その後を追うリト
「うわァ…なんかもう一雨来そうな感じだな」
唯は校庭に出ると、空を見上げた。空はどんよりと雲に覆われている
(…雨、大丈夫よね)
今日の天気予報では雨の心配はないと言っていたのだが
「早く帰りましょ! あなたの家、少し遠いんでしょ?」
「いや、それなんだけどさ…」
「何?」
「先にお前の方、送っていくよ! いろいろ心配だしさ」
「べ、別にいいわよ! 言ったでしょ!? 責任があるって! それにこれぐらい一人で帰れるわ!」
ケガも気になるが、リトに何だか子供扱いされてる様な気がして、唯はムスっと頬を膨らませる
「そーじゃなくて! こんなに遅くなったのオレのせいだし」
「だから別に…」
「古手川女のコじゃん! だからその…何かあったらオレ…」
唯はキョトンとリトを見つめた
リトは頭を掻きながらなんだか言い難そうにしている
(結城くん…私の事…)
うまく言えないし、頼りなさそうだし
だけどそんなリトのやさしさに唯の心は揺れる
少し悩む様に眉を寄せると、くるりとリトに背を向け、唯は淡々と告げた
「…もう遅いし早く帰るわよ!」
「古手川…」
唯はもう歩きだしている
「何してるの? 私の事送ってくれるんじゃなかったの?」
リトは顔をほころばすと、急いで唯の隣に並んだ


帰り道

「…でさ、ララのヤツ言ったんだ…」
隣を歩くリトの会話を唯は浮かない顔で聞いていた
(もう、結城くんさっきからララさんのコトばかりじゃない! ……一緒に住んでるから仕方ないけど
……一緒に、か……)
リトはリトで、さっきから無言の唯との雰囲気を良くしようと必死に会話を続けていた
が、元々女の子とあまり話したことのないリトにとって、それはとても難しいことであり────
(ダメだ…全然話しが見つからねー…)
二人は互いを思いながら、同時に溜め息を吐いた
そして、しばらく会話が途切れた
「……」
「……」
「…足、大丈夫なの? 痛くない?」
「え? あ、ああ。全然平気! お前のおかげだよ」
「そう。ならいいんだけど。…あまりムチャしないでよね」
「へ?」
「そ、その…ほら、授業に支障があるし、他の先生にも迷惑になるし…」
リトは唯の横顔をチラリと見た
目は泳いでいるし、何だか頬も少し赤い
いつもはハキハキと話す唯にしたらめずらしいと感じた
(ひょっとして…ホントにオレのコト心配して…)
都合のいい考えかもしれないが、リトは素直にそう思ってしまう
リトの心がざわざわと揺らめいた
「と、とにかく今度から気をつけて!」
「…そ、それはわかってるけどさ。ケガしたらまた古手川が看てくれる……よな?」
唯の足がピタリと止まる
「だから、保健室で今日だけ特別っていったでしょ!? ちゃんと聞いてたの?」
「聞いたけどさ、その…」
「何よ?」
「さっきも言ったけど、その…お前に看てもらってすげーうれしかったからさ」
唯の顔が薄暗い夕暮れ時でもわかるほど赤く染まる
「そ、そんなコト言われてもなんとも思わないわよ! だ、だいたい、私は仕方なく…」
「それでもうれしかったんだ! それはホントだからさ」
ハニカミながら笑うリトから唯は顔を背けた
「だからまた頼もうと思って…ダメ?」
「……そ、そんなに言うんなら、か、考えてあげてもいいわよ」
「ホントに!?」
顔をほころばせるリトに唯は鋭い視線を送る
「だからってケガしてもいいってワケじゃないんだからね! あなたがケガしたら私はうれしくないわよ…」
どんどん声のトーンが下がる唯
リトがケガをする
どんな小さなケガでも唯にとってそれはすごく辛いこと
「そりゃまァ…」
そんな唯の気持ちにまったく気付かないリトは、頭を掻きながらバツが悪そうな顔をする
「と、とにかく、もうムチャな事も危険な事もしないで! それでももしケガしたら、
その時は……ちゃんと看てあげるから」
「ああ、わかった。ありがとな古手川!」
満面の笑みを浮かべるリトに唯の胸はドキンと音を立てる
リトのその屈託ない笑顔に唯は弱かった
(そんな顔して見ないでよね)
唯はリトから顔を背けた
そんな唯の態度はリトから見れば誤解を招くものであり
(オレ、古手川を怒らせてばかりだなァ…)
リトはガックリと肩を落とした


そしてまた無言の時間が流れる
前はこんな事なかったのに
寄れば触ればどちらも気にせず話せていた。ちゃんと自分の言葉で
だけど最近は違う
相手の事を考えてしまう
相手の事を気にしながら話してしまう
(何なの…これ…?)
(何だよ…これ…?)
お互いの気持ちに触れそうで触れられない
いつまで経っても気持ちが噛み合わない二人

そんなモヤモヤした気持ちの中で会話を探していた時
唯の頬にポトっと水滴が落ちてきた
「え?」
唯は反射的に空を見上げる
空はさっきよりも薄暗くあたりはジメっと湿っている
見上げる空から次第に、ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた
「雨…か?」
リトも唯と同じように空を見上げた
雨粒は次第に数を増やしていき、みるみる地面を濡らしていく
「ヤバっ!!」
「もう! 何なのいきなり…」
「古手川こっちだ!」
「え…うん!」
雨が降りしきる中、伸ばしたリトの手を唯はとっさに握った
二人は手を繋ぎながらその場から駈け出す
雨はますます勢いを増し、周囲の音をかき消していく
まだ夏服のままの制服は、すぐに水を吸い込みベッタリと肌に張り付く
髪も、体もずぶ濡れになる二人
(もう! 今日はずっと晴れるんじゃなかったの!?)
そう雨空に向かって愚痴りながら、唯はリトの手を握りしめたまま走った

「ふーーっ、ビックリしたァ」
と、溜め息を吐きながら腰を下ろすリト
二人は今、近くの公園にある屋根付きの遊具の中で、雨が通り過ぎるのを待っていた
「夕立みたいだからすぐやむだろ」
「そ…そうね」
どこか曖昧な返事をする唯
雨が降った事よりも、体が濡れた事よりも、リトの声よりも、ずっとずっと気になっている事で頭の中はいっぱいだった
(また…手、握っちゃった…)
求められるままとっさに手を伸ばしてしまった
(あの時の同じ…)
不良達から助けてくれた時と同じ感触
(結城くんの手、あったかい…)
「あ、そーだ古手川…!?」
そう言いながら唯に振り返った時、リトの思考が停止する
(ちょ…制服が濡れて……!!)
雨で濡れたシャツの下から唯の下着が丸見えになっていた
前髪から滴る雨粒や、濡れた肌がより一層、唯を艶美に見せる
思わずボーっとなるリトに唯は顔をくもらせた
「何?」
「い、いや…オ、オレのハンカチ使えよ!!」
「あ…ありがと」
手に取ったハンカチはとてもあったかくてやさしくて、まるでリトの手と同じ感触がした
(優しい…結城くん……)
濡れた肌にハンカチのあたたかい布の感触がやさしく触れる
ハンカチを握りしめる唯の胸にヤミとの会話が蘇る


────その時から運命の歯車は回り始める

私…私は……

二人の心は時計の針の如く離れては近づきやがて────……

私……やっぱりこの人を…


唯の中でカチリと音がした

そして、あったかくて、それでいて熱い感情が胸の中で弾けて広がっていく
唯はチラリとリトの横顔を覗き見た
好きなんだと思った
好きなんだと感じた
気が付けばいつも一緒にいて、いつも想って、そして、いつも心の中にいて
ありふれた感情
だけど一番大切な感情に、唯は生まれて初めて手に触れた
それはキュンと胸を締め付けたかと思うと、とろけるような甘さで胸を包んでいく
(これが…好きになるって事……)
胸の鼓動はなぜか落ち着いていて、トクン、トクンと規則正しく鳴っている
(結城くん…)


そんな唯の心情の変化に気付くわけもなくボーっとしていたリトは、ふいに外の異変に気付くと慌てて唯に体を寄せた
「古手川!!」
「キャ!? ちょっ、ダ…ダメよ結城くんっ、い…いきなりそんな……」
「しっ静かに!!」
リトは顔を寄せると、口に指を当てながら唯の声を封じた
間近に迫るリトに唯の心拍数が跳ね上がる
(そ、そんな事言われたって…こ…心の準備が…)
気持ちは迷い、心はゆらゆらと揺れ動く
ドキ、ドキ、ドキ、ドキ
と、胸の高鳴りは止まらない
(こ、こんな事いけない事なのに……)
いけないと思いながら、宙を彷徨っていた手は自然とリトの背中に回ってしまう
(結城…くん……私…私────…)
想いを込めてリトの体を抱き寄せようとした時、外から聞き慣れたヤらしい声が聞こえてきた
「るん♪ るん♪ 本屋でステキな本見つけちゃったし、雨でスケスケになった制服見ちゃったし、
雨降ってよかったよかった! さァ、帰って校長室でじっくり本読みましょ」
唯はリトの胸の隙間からチラリと外の様子を窺うと、少し遠くに校長の後ろ姿と、
雨で濡れた制服を着ている彩南高の女子生徒の姿が目に映る
(もしかして…)
胸の中から唯はリトの顔を覗き見る
顔を赤くしながら、それでも腕に力を込め必死に濡れた自分の体を隠してくれているリトの姿
(結城くん……私の体見られない様に守って…)
リトの顔を見つめる目に熱が帯び、頬がぽぉーっと熱くなっていく
(私…また…守ってもらっちゃった…)
あの時と同じ、不良達から助けてくれた時、ゲームの世界で守ってくれた時の様に
いつも助けてくれたり守ってくれた時は、決まってドキドキが止まらなくなってしまう
体は冷たくなっているのに、リトと触れ合っている部分だけは、とてもあったかくて気持ちいい
唯は無意識にリトへ体を寄せた
胸と胸がくっ付き、顔が間近になる
「え…っと、古手…川?」
伏せ眼気味の唯の長い睫毛を雨の滴が濡らしていき、そのまま滑る様に頬を伝うと、口元に入っていく
ゴクリ────と、リトは喉を鳴らした
「結城くん…私…私は……」
熱っぽい唯の声にリトの心臓が警笛を鳴らす
リトは反射的に唯の体を離してしまった
「え……」
「な、何とかやり過ごしたな」
「…あ…あの…」
「い…いや~…今の古手川の姿を校長に見られたらどうなる事かとヒヤヒヤしたぜ!!……はは…」
まるで誤魔化す様に愛想笑いを浮かべるリトに、唯はキョトンとした顔を向ける
「結城…くん?」
じっと見つめるその視線はリトに何かを求める様な、リトの心の中に触れる様なそんな感触がした
リトはとっさに思ってもいない言葉を口に出してしまう
「え…えっと……そ、その、変な勘違いつーか…ホ、ホラ、古手川ってクラスメイトだろ? だからその…」
クラスメイトという響きに唯の胸の奥の何かがズキリと軋んだ
「そ、それにオレ達ってと、友達だしさ……ま、まったく校長も人騒がせだよなー!」
「そ…それじゃあ…私の事守ってくれたのって……」
唯はただ、茫然とした表情でリトを見つめていた
「あ、あれ……えっと、古手川?」
「………わ…私が…クラスメイトだから? 友達だから? だからなの?」
「え……っと…まあ…う、うん」
ぷるぷると小刻みに震える手をギュッと握りしめると、その想い表わすかの様に唯はキッとリトを睨みつけた
目に涙をいっぱいためて
「こ…古手川?」
「バカッ!!!」
唯は一声そう怒鳴ると、そのままの勢いで遊具の中から飛び出してしまった